13.4章 宣戦布告前夜

 空技廠の会議室で私は加来大佐と二人だけで向かい合って座っていた。大佐から、空技廠を去る前に話がしたいと言われて、呼び出されたのだ。


 加来大佐が打ち合わせの目的を説明した。

「先般、草鹿少将といろいろ話をしたが、最後はよくわからない話になってしまったかと思う。和田廠長が議論を途中で抑えてしまったが、宣戦布告をする場合にいくつか問題が発生しそうだと君が言っていただろう。君が言いたかったことは中途半端だったはずだ。それをもっと具体的に教えてもらえないか」


 教えた先をどのようにするつもりなのかわからない。

「話すことはいいですが、軍機を知っている奴は逮捕だなんて言わないでくださいよ。そんなつもりはないとは思いますが、私が説明してその先はどうするつもりですか? この件は、私が懸念したようなことが、これから起こらないように事前に防止してほしいのです。防ぐためには海軍だけでなく、外務省のかなり上の方の人物にも働きかけが必要になりますよ」


 加来大佐はしばらく考えていたが、思いを吹っ切ったように頭を上げた。

「実はあの後すぐに、連合艦隊司令部を訪れて、検討中の極秘作戦について説明を受けてきた。空母飛龍の艦長に就任する男に対して、作戦上必要な事項だということで知らされた内容だ。絶対口外しないと約束できるならば、君にも話そう。そうしなければ、これから先の我々の議論が進みそうにないからな」


 私は黙って首を縦に振った。言いたい内容はおおむね想像できるが、まずは話を聞こう。加来大佐が少し早口になって説明を始める。

「我が軍は、開戦劈頭、ハワイの真珠湾を攻撃する作戦を考えている。もちろん、戦いを避けるための外交交渉は最後まで続ける前提だ。やむなく交渉が決裂した場合、宣戦布告を速やかに行い、その布告後、すぐにも攻撃を開始する作戦を考えている。作戦開始まで1時間程度ならば、米軍も我が軍を迎撃するような準備は実質的に不可能だろう」


 やはり想像通りの内容だ。加来大佐はわかったかという顔を一瞬してから、話を続けた。

「君が草鹿少将に話した内容は、その作戦に対する指摘だと考えると完全に合致するのだ。石油タンクの攻撃、工廠設備の破壊、宣戦布告を手渡しするときの準備など、発言の前提として我々の作戦を知っていなければ発想もできないはずだ。なぜ知っているかは答えなくてよい。そうではなく懸念する事態とその対策についてもっと説明してほしい。聞いた話は山本長官に伝えるつもりだ。長官が心配している点とも一致しているからね。連合艦隊の司令部で対応できなければ、軍令部や外務省に依頼することになる。山本長官自らが交渉の場に出てもよいと言われている。無論、その時には山本長官が考えた対策ということで伝える」


 そこまで言ってくれるのであれば話は早い。ストレートに話してしまおう。

「第一の危惧は、宣戦布告の文書作成が間に合わない可能性です。海軍の攻撃予定は徹底的な秘密主義で、恐らく外務大臣にさえも、直前まで知らせるつもりはないでしょう。つまりワシントンの日本大使館が事前に知らされて作業の準備をすることはありません。そのため本国から命令されてすぐに作業を初めても、文書の手交が作戦の開始時刻には間に合わない可能性があります。加えて、駐米大使も含めて海軍の作戦内容を知らないので、遅れが出てもその影響度がどの程度なのかもわかりません」


「それで対策は何かあるのかね?」


「大使館には海軍軍人もいるでしょう。作戦を成功させるためには、現地の海軍の駐在武官を極秘で招集して、海軍が望む作業をさせるべきです。駐在武官が現地大使館員の支援をすれば、書類が遅れるなんてことは防げるでしょう。アメリカ東海岸の駐在武官に命令を出すために、時が来たら長官から軍令部に話を通してください。実は、空技廠からも英米の技術開発の情報収集のために駐在武官に仕事をお願いすることがあります。例えば、私から米国駐在の横山大佐や実松中佐に、軍用機に関する情報収集のお願いをしたことが何度かあります。事前に通知しておけば、しっかりと仕事をしてもらえますよ」


「なるほど、海軍の駐在武官に指示をしてこちらの意図に沿うように、海軍のために動いてもらうということか。うまく行きそうな気がしてきたぞ」


 もう一つ懸念事項を伝える必要がある。宣戦布告文とされる「帝国政府の対米通牒覚書」の宣戦布告文がわかりにくいということも、個人的には解消しておきたい。加来大佐に話して、どこまであてにできるかわからないが少し話しておこう。


「第二の懸念点は、我が国の宣戦布告の文章そのものに関してです。今までの我が国の外交的慣例に従うと、間接的な表現による文書がよく書かれてきました。宣戦を布告する文書ではこれは望ましくないと思います。最後の1行だけでもいいので、結論を明快に述べた文章を追加する必要があります」


「わかりやすくなるような表現上の修正ならば、何とか可能かも知れないが、内容の修正は現地の武官では不可能だ。本国の決めたことに対する越権行為になる。これは、あくまでも外務大臣が腹を決めて、明示的な通告文書の文面を作成すべきだということになるだろう」


 それから、しばらく加来大佐は考え込んでいた。

「うむ、君の意見は、物事を改善する話だと聞こえるな。要は、回りくどい文書じゃなくて主張が明示された文書を手渡せと言っているのだな」


「まあそんなところです。うまく言えませんが、最後の瞬間まで戦いを避けるための交渉を続けるが、それでもだめなら最後にはやむを得ず戦いを始めなければならない。その時は誤解されないような文書を作成しないと、相手に理解されずに卑怯ものになりますよとでも言っておきます」


 加来大佐は、会話の要点をしばらくメモしていた。彼が山本大将に説明しなければならないからだ。


 先般、話し忘れた別件を思い出した。

「もう一つ話したいことがあります。米海軍の空母の行方です」


「真珠湾にいるはずの空母が、万が一、外洋に出ている場合は、どこに行ったのかということかね?」


「そうです。我が国との関係が悪化してくると、米軍は太平洋地域の軍備の増強を始めます。中部太平洋の中で、米軍の基地があって、軍備の強化が必要なのが、ウェーク島とミッドゥエー島です。軍備の増強をする場合、人や物資は輸送船で運びますが、航空機はどうやって運ぶのでしょうか? 島嶼の基地に、手っ取り早く戦闘機や爆撃機を運ぶにはどうしますか?」


 加来大佐はしばらく考えていたが、答えがわかった。

「空母に、航空機を載せておいて輸送する。島の近くに到着したら、発艦させて島の基地に降ろせば、あっという間に航空機を展開できるぞ。つまり、空母は輸送任務についている可能性が高い。湾内に見当たらなければ、ウェークとミッドウェイに行く途中か、帰り道だということだね」


「その通りです。しかも、空母の行き先が別々の可能性もあります。きわめて多数の航空機を運ぶ任務でない限り、複数の空母を同じ島に派遣する必然性はないですからね」


 ひとしきりで話すことは終わったようだ。

「私は君から聞いたことを、草鹿さんにまずは伝えるが、すぐに山本長官にも説明することになる。山本さんにやってもらわなければならないことが結構ありそうだからな。草鹿さんとは了解が取れているが、話の出所は言わないつもりだ。それと、真珠湾の作戦については、軍令部の了承はこれからなので、総長の指示により作戦変更ということもあり得る。その時はまた君に相談に来るとしよう」

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