12.7章 ジェット戦闘機紫電、紫電改
川西は、N1K1-Jの木型審査が終わると、精力的に設計を進めて、2か月後には指摘事項を修正した木型で再度審査を受けた。もちろん並行して試作機の製作を開始した。その結果、昭和16年9月には構造試験用の0号機が完成した。直ちに空技廠飛行機部員により、構造審査が実施された。ジェット戦闘機であっても単発機であるため、機体の大きさは零戦からわずかに大きいだけだ。但し、重量は燃料の搭載量が多いこともあり零戦の約2倍となった。
構造試験が開始されて2か月後の昭和16年11月には、N1K1-Jの1号機が完成した。この機体にはジェットエンジンとして、TJ-30増加試作機が搭載されていた。なお、単発機に搭載することが前提であるため、エンジンの一部の補器類が単発機対応となっている。11月末には、本機の審査時からかかわっていた帆足大尉が、兵庫県に出向いて初飛行を実施した。帆足大尉は既に橘花による試験飛行を何度も経験済みなので、ジェット機の操縦については慣れていた。これは川西の操縦士が、ジェット機の操作に慣れていないことから、例外的にとられた措置だ。
次いで並行して作成されていた2号機が昭和17年1月に初飛行した。2号機には推力1.1トンの量産型のTJ-30が搭載された。2機の試作機による飛行試験により、本機の性能を実測したが、最大速度は383ノット(710.0km/h)程度だと判明してきた。この速度でも高速ではあったが、菊原技師が目標としていた432ノット(800km/h)には達しないのは明らかだ。本機の操縦性については、低速時と高速時に油圧により操舵時の操縦翼の動作角度の大小を切り替える簡単な装置が取り付けられた。これにより、零戦のように速度によって操縦舵のきき方が調整できるため搭乗員からは好評であった。
また川西の清水技師の考案による自動空戦フラップを3号機から装備した。このフラップは包絡線制御フラップとも呼ばれ、機体の速度と重力に応じて最適なフラップ開度になるように、水銀柱を利用してフラップの張り出し量と下げ角の制御を行う装置である。戦闘機相手の格闘戦では非常に有効であると判定された。しかし、高速のジェットエンジンによる局地戦闘機では実戦ではあまり使いそうもないということと、貴重な水銀の使用量を抑えるという理由で不採用になった。量産機では雷電と同様の操縦桿のボタンによる、フラップの上げ下げの操作に変更された。すなわち手動空戦フラップということになった。
試作機の飛行の結果、当初目標に達しなかったN1K1-Jの性能については、空技廠でも改善策の検討や風洞試験を実施した。改善点については、三木大尉が川西飛行機を訪問して直接結果を報告した。
「空技廠側で川西さんの技師と共同で風洞試験を実施した結果、胴体の空気取り入れ口の翼前面と付け根の形状をもう少し変更することにより、空気抵抗が減少します。具体的には、空気取り入れ口の前面から主翼にかけて、一部で気流の剥がれが発生しています。空気取り入れ口前方部の形状と主翼付け根のフィレットの形状を変更すると乱流が抑えられて、抵抗が削減できると思われます」
菊原技師が指摘事項について回答した。
「空気取り入れ口とフィレットの形状については、風洞試験で確認して改善します。修正作業は直ちに取り掛かります」
「更に、翼表面において、凹凸が抵抗源となっているところがあります。N1K1-Jでは層流翼型が採用されていますが、これでは十分な効果が出ません。木型審査でも指摘しましたが、もっと表面を滑らかにする必要があります。これは生産法にも依存しているので、翼外板の鋲止めの方法と主翼組み立て用の治具を改善する必要がありそうですね。外板の厚さやプレス法についても検討する必要があります。はっきり言いますが、平滑な胴体や主翼の実現については、中島さんや三菱さんから一歩遅れていますよ。一層の改善をお願いします」
「主翼表面の凹凸の改善はもう少しお時間をください。工場内の工作機械や治具の改善には既に着手しております。恐らく試作5号機では主翼の滑らかさと胴体の波うちを改善できると思います」
川西航空機では2週間をかけて2号機の改修を行い、空気抵抗源となっている部分の改修が行われて最大速度は405ノット(750.0km/h)に改善した。主翼外板が平滑になった5号機は昭和17年2月に完成した。この結果、5号機は、早くも初飛行の4日後には411ノット(761.1km/h)を記録した。また5号機には機首に20mm銃2挺と13.2mm銃2挺の武装が搭載され、操縦員の防弾板や燃料タンクの防弾も実戦機に準じて装備された。性能の改善が見られた4号機を原型として、その後に増加試験機が製作された。N1K1-Jの試作機は最終的に三菱の震電と同様に12機が製作され、海軍側の審査に提供された。
当初の試作機では、慣れない機首の前脚に対して引き込み不良などの脚の不具合が発生したが、これも順次改善された。史実の紫電のように、着陸時の衝撃で脚が折れたり、引っ込んでしまったりするというようなことはない。
ジェットエンジンについては、当初は異常燃焼による推力の低下や高空でのフレームアウトが発生した。しかし、空気取り入れ口と内部のダクトの形状変更と改修されたTJ-30が搬入されて、交換後はエンジンの不具合は減少した。TJ-30は圧縮羽根のファン形状を変更していた。
昭和17年6月になって、N1K1-Jは紫電11型として採用され、量産が開始された。既に戦争が始まっていたため、海軍の制式化手続きが簡略化されて異例に早い採用となった。しかし、同時期に飛行試験が行われていた十六試局戦震電に比べて速度が低い本機は、ほとんどがジェット戦闘機の訓練用に配備された。そのため本機の生産数はあまり多くない。
紫電11型
・機体略号:N1K1-J 昭和17年6月
・全幅:12.6m
・全長:10.3m
・全高:3.56m
・翼面:24.5㎡
・自重:3,500kg
・全備重量:5,200kg
・発動機:TJ-30-12型(統合名称ネ30) 推力:約1,100kgf
・最高速度:415kt(768.5km/h)5,800m
・上昇力:6,000mまで5分25秒
・武装:13.2mm二号ベルト給弾機銃2挺(携行弾数各400発)
20mm三号ベルト給弾機銃2挺(携行弾数各200発)
……
川西飛行機の菊原技師は、N1K1-Jの設計を進めるかたわら、空技廠との打ち合わせ時に提示した15度の後退翼を備えた機体も開発を続けていた。菊原技師の経験によれば、時間とともにエンジンは改善されて、必ず高性能化する。そうなれば、エンジンの性能を生かすために後退翼の機体の出番が直ぐに来るとの信念を持っていた。
彼は基本的な主翼の構造はN1K1-Jとあまり変えずに、胴体との取り付け部の形状と構造を変更して、主翼を後方に傾けることを考えていた。荒っぽいやり方だが、胴体と主翼の間の取り付け部の形状を変えて、主翼全体が後方に傾いて取り付けられるように変えるのだ。主翼後部と結合されるフィレットの形状も変える必要があるが、主翼本体は大きく変わらないだろう。もちろん主翼に取り付けられた主脚の角度も変わってしまうので、脚柱の取り付け部と主翼への脚引き込み部も変更する必要がある。
尾部については水平尾翼を主翼同様の後退角を持たせるように再設計を行う。更に、垂直尾翼の前縁部を三角形に前に張り出すことで、空力中心には後退角を持たせて面積を増やした。高速時に要求される方向安定もこれで改善するので、一石二鳥だ。後退翼に変更した模型による高速風洞の試験はN1K1-Jの設計と並行して実施した。高速時の空力特性に関する一部の試験は、今回はあらかじめ空技廠に備えられた高速風洞でも実施することになった。実機を作ってから性能が足りませんでした、という事態は、今回は絶対に避けなければならない。
菊原技師が試験用の模型と説明用の図面をもって、空技廠にやってきた。私と三木大尉が対応することになった。
「以前、口頭で報告していましたが、N1K1-Jを基本として高速対応の後退翼に変更した機体の模型です。既に高速風洞をお借りして、試験するための申し込みはしているのですが、ご意見をいただきたく相談にまいりました」
目の前の模型を一目見て、かなり洗練された形状となっていることがわかる。未来のミリオタの知識のある私の印象からは、胴体を若干寸詰まりにしたホーカーハンターのようだと思えた。ハンターに比べれば主翼の後退角が緩やかで胴体の長さも短めではあるが、以前のN1K1-Jよりも格段に高速機らしい形状となっている。
最初に、三木大尉が自分の意見を述べた。
「主翼の取り付け部の工夫で、後退角を持たせたのですね。それに胴体も再設計して細くしたのですね。非常に高速向きの機体ですが、細い胴体のままでは、胴体内の容積が減ります。燃料の搭載量をどのように確保するのですか?」
「胴体を主翼の前後でわずかに延長して、胴体内燃料タンクの容積を稼いでいます。それと模型では明確に表現できていませんが、風防も前面のガラスを寝かせた高速向きに変更する予定です」
私としてはあまり言うことがない。この後退翼の機体は、既に私のミリタリーオタクとしての知識の範囲外となっている。史実で全く存在しなかった機体については、実際に試験をしてもらわない限り、これから何が起こるのかわからない。
「模型を見る限りよさそうな機体なので、とにかく風洞試験を急ぎましょう。もし問題があるならば、試験で早く見つけるに限ります」
一方、並行して進められていたN1K1-Jは、飛行試験により、目標の速度に到達できないことが明らかになったため、主翼に後退角を持たせた改良型の開発が一層加速されることになった。開発名については、N1K2-Jが航空本部から付与された。
菊原技師は後退翼と細い胴体への変更と同時に、工場から出ていた機体が作りにくいという生産性への不満の対策をすることとした。今まで大型の飛行艇を中心として製作してきた川西にとって、単発の小型機の製作は必ずしも得意な分野ではなかった。菊原技師は、中島や三菱の機体も視察させてもらい、それも参考にして、N1K2-Jでは生産の容易化を行った。
一部の主翼と胴体の外板を厚板として1枚当たりの面積も拡大した。この外板を川西が工夫したプレス機により成形してから、組み立てを行うことにより、N1K1-Jでは不評であった外板の凹凸を改善して、加えてリベット数を半減させた。また主翼の主桁は超々ジュラルミンの部材から川西が自社開発したフライス盤で一気に削り出す工法を確立した。N1K2-Jが搭載するジェットエンジンについてはTJ-30の高性能型として水噴射を併用したTJ-30-20型が開発中であったが、とりあえずはエンジンとは独立に機体を開発することとした。つまり、現行のTJ-30を搭載した機体により試験を先行して、その後推力を向上したエンジンに交換して性能を確保するという手順だ。
……
早くも、昭和17年6月にはN1K2-Jの1号機が、従来型のTJ-30型のエンジンを搭載して完成した。この機体の最大速度は、N1K1-Jより若干改善して430ノット(796km/h)を記録した。急降下時の加速性能が、細くした胴体と後退翼による抵抗の減少効果により改善したのを確認した。
続いて、8月末にはN1K2-Jの2号機から4号機はTJ-30型エンジンを搭載して完成した。5号機以降は、出力を向上させたTJ-30-20型の試作機が搭載されて高速試験が実施された。結果として、軽荷重では、468ノット(867km/h)を記録したが、戦闘重量では453ノット(839km/h)が最大速度となった。性能向上に加えて生産も容易化されており、本機の採用が直ちに決まった。海軍にとっても、中島で開発しているジェットエンジンを双発とした機体ではなく、エンジン1基で実現可能な高速戦闘機は数をそろえるうえで大きな利点があった。
昭和17年11月には川西において全力で生産が開始された、N1K2-Jの公式名は紫電22型とされたが、非公式の紫電改という呼び名を海軍が追認したため、開発側でも実戦部隊でも紫電改として呼称されることになった。
それを聞いて私は心の中で叫んだ。
「ついに紫電改が登場したぞ!」
昭和17年中旬以降は、川西の機体生産は全面的にN1K2-Jに切り替えられた。加えて、この機体を短期間で多数そろえるために、広島海軍工廠内の航空機部でも生産が決定されて、機体の組み立てが開始された。もともと広島海軍工廠は、水上機の生産を主に行ってきたが、ジェット戦闘機の生産に切り替えたことになる。
昭和17年12月には、紫電22型として制式化された。P-80と類似の翼端への増加燃料タンクは、橘花改の増加燃料タンクと共用化されて500リットルタンクが標準とされた。
紫電22型 (紫電改)
・機体略号:N1K2-J 昭和17年12月
・全幅:12.4m
・全長:10.3m
・全高:3.56m
・翼面:24.8㎡
・自重:3,400kg
・正規全備重量:5,300kg
・発動機:TJ-30-22型(統合名称ネ30A) 推力:約1,300kgf
・最高速度:453kt(839km/h) 6,100m
・上昇力:6,000mまで5分05秒
・武装:長銃身20mm三号ベルト給弾機銃4挺(携行弾数各200発)
N1K2-Jの増加試作機が飛行を開始すると、試作10号機に着艦フックとカタパルトのワイヤー接続用金具を追加して、空母運用の試験が開始された。着艦時の衝撃を考慮して、脚柱を強度の高いものに交換して、胴体下面に補強材を追加している。この紫電改の空母での運用試験は、既に戦争が始まっていたので、かなりあわただしく実施されることになった。これについてはまた別の機会に詳細を記述することにしよう。
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