12.5章 震電登場
三菱で十六試局地戦闘機(J5M1)の開発が本格化すると、鶴野大尉は空技廠の工員数名と一緒に自ら三菱に乗り込んでいって、開発の応援を行った。烈風開発時に実施されたのと同様に空技廠からの設計応援だ。中島に対して開発の後れを少しでも縮小したい三菱はこれを喜んで受け入れた。
J5M1として最初に決定すべき課題の一つは、エンジンの選定だった。使用可能なTJ-20とTJ-30の2種類のエンジンがあるが、どちらを選ぶかだ。J5M1の機体規模や武装から考えるとTJ-20の当時の推力では単発では推力が不足ぎみだ。必然的に、エンジンは推力が大きなTJ-30の単発とすることになった。胴体を拡幅して、TJ-20を横並びの双発とする案もあったが、鶴野大尉が機体の大型化は戦闘機としては好ましくないとの意見で反対した。
旋回性能も考慮して、重量物をなるべく重心に近い所に配置するために、TJ-30は胴体後半部の主翼上に乗せるように装備した。主翼の3本桁に短い鋼製のエンジン架を取り付けて、それにTJ-30を固定することでエンジンを機体に搭載する方式とした。エンジンの空気取り入れ口は主翼の上面前方の胴体側面に開口して、胴体内にジェットエンジンまでの空気を取り入れる流路を設けた。
主翼については、佐野技師も鶴野大尉も私が作成した模型をよく研究していた。模型にあった後退翼について既に風洞試験を行って、衝撃波の発生を遅らせる効果があることを突き止めていた。但し、あまり後退角を大きくすることは、翼端失速特性の悪化などの懸念もあった。従って、きわめて大雑把な風洞試験だったが、主翼の前縁で15度の後退角を持たせることとした。
翼断面は東大航空研で提唱された層流翼を利用したが、雷電同様に外翼側は失速特性を考慮して通常翼型とした。フラップは十四試局戦同様にファウラー式のフラップだ。前翼については主翼と同様に後退翼の効果を狙って、主翼と同じ15度の後退角を持たせた。前翼のフラップの面積は小さいながらも揚力を稼ぐために、2段で下がる親子式フラップに加えて翼前縁が張り出して下方に折れ曲がる前縁スラットを追加した翼を採用した。しかも前翼の親子式ファウラー式フラップの後縁に昇降舵に相当する操縦翼も追加するという複雑な機構とならざるをえない。
三菱はモックアップ審査に使用する名目でTJ-30を一時的に借り受けて、胴体側面に縦長の吸気口から充分に吸入できるかの確認を行った。このような形態の空気取り入れ口は三菱にとっても初めての経験だ。
実際に試験用の胴体内にジェットエンジンを搭載して運転してみると、想定以下の推力しか得られない。ジェットエンジン担当者として私が呼ばれて、TJ-30の運転状態の確認を求められた。まずは、鶴野大尉と佐野技師が状況を説明した。
「我々が設計した胴体に搭載して運転すると、どうも空気の吸気量が不足して推力が出ないようです。胴体の空気抵抗が増加しますが、空気吸入口の断面積を拡大するのはやむを得ないでしょう。空気取り入れ口の形状については何か良い考えはありますか?」
よく見ると胴体表面の境界層の存在を無視した空気取り入れ口になっている。
「空気取入口の断面積が、まだ若干小さいように思います。形状としては、この絵のように開口部を胴体側面の境界層を避けて10mm程度離し開口する必要があります。更に胴体表面の境界層を吸い込まないために縦長の板を空気吸入口の胴体側に設ける必要があります」
空気吸入口の形状について、簡単にノートに絵をかいて渡しておいた。結果的にF4ファントムの空気吸入口を更に縦長にしたような形状になった。あるいは、MiG-23の空気取り入れ口と言うべきかもしれない。空技廠に戻って2週間ほどたって、空気取り入れ口を改良したところ期待値の推力となったとの報告を受けた。
……
昭和16年8月になって、三菱名古屋航空機工場でJ5M1の第一次木型審査が実施された。私自身はネ20とネ30の開発で忙しかったために、三木大尉と菊地中尉に審査を依頼した。鶴野大尉は審査を受ける側として出席した。
審査に出席した菊地中尉に確認したところ、一度胴体を作成してエンジン周りの実験をしているので、特に不具合はなかったとのことだ。胴体断面形については前半部が長円形断面で、操縦席の後方あたりから徐々に楕円形の幅が増えた断面に変化させて、TJ-30エンジンを装備した胴体後半部では、真円形断面としている。
水滴風防の操縦席は前翼の後方に設けられている。TJ-30は胴体内の下方のレール上をスライドできる構造で保持され、胴体内のエンジン架にボルトにより固定される。検査や修理時には、操縦席後方の胴体側面のパネルを外して、開口部からジェットエンジンの固定ボルトを外して、エンジン架とエンジンを分離して、レール上を後方に滑らせる。これにより、後方にエンジンを引き出してエンジンを取り外すことができる。
機銃は機首というよりも胴体前半部の上面に搭載されている。胴体のこの部分の構造は、通常のセミモノコック構造とは異なり内部のフレーム構造を強度部材としていた。機銃や無線機もこのフレームに取り付けられる。機首の外皮となる外板はこのフレームをカバーするように取り付けられるが強度的には主な役割はない。首脚は操縦席の下に引き込まれる。主翼下面の主車輪は、内側に折りたたまれる。脚はプロペラの必要のない本機では、尻もちをつかない程度で胴体下面に増槽が取り付け可能な程度に短縮した脚とされた。操縦席とエンジン間の胴体内の空間は大きな胴体内燃料タンクとした。主翼の内翼部中央に主脚を収容するが、翼内燃料タンクが内翼の前縁部に設置された。
……
9月になって、永野大尉と三木大尉が私のところに相談に来た。
「実は、三菱の佐野技師からJ5M1について相談が来たのだが、どう答えたらよいだろうか? 少し相談させてほしい。中島のJ4N1の開発がかなり進んでいて、初飛行も間もなく行われる状況となっているが、当然、三菱もそのような状況は知っている。中島は橘花をベースにしているので開発が先行するのは想定内だが、ここまで日程の差がつくとは思っていなかったらしい。このままでは、三菱がJ5M1の開発を辞退することにもなりかねない。佐野技師からの問いは、完成時期に差が開いた結果、採用される可能性がほぼないならば、三菱としては開発を続ける意味はない。今のうちに手を引いた方がいいのかという問い合わせだ」
「簡単に答えられないな。中島のJ4N1はすぐにでも飛行を開始するぞ。ジェット戦闘機としての性能は、おおむね橘花から推定できる範囲になるだろう。航空本部は、戦闘機が橘花並みの性能を発揮するならば不満は言わないだろう。つまり、三菱の機体が初飛行もしないうちに、J4N1の採用が内々に決まってしまう可能性がある」
「確かに、我々は設計された航空機の審査はするが、採用か不採用かの判断をする立場にはないからなあ」
私は個人的には、三菱の機体も飛行させて、性能の確認をしたい。英米のジェット戦闘機はどのような性能なのか我々には未知数だ。それが明らかになった時に、特徴が違っている2種類のジェット戦闘機が実用化されていることは大いにメリットがあるはずだ。
「九七式艦攻において1号と2号の2機種が採用となった事例があるように、2機種採用は前例がないわけじゃない。十六試局戦として2機種を採用することは、本当に不可能なのか確認できないだろうか? いずれにしても、採用か不採用かについては、我々だけで軽々に答えるべきでない。ここは廠長に話を上げるしかないだろう」
さっそく和田廠長にも同じ話を説明に行った。
「確かに、現時点では、採用するとも不採用とも言えないな。十六試局戦の要求を行った航空本部の意向をまずは確認してみよう。私としては、ほぼ開発済みの2種類のジェットエンジンをすみ分けるように、2種類の戦闘機が採用されるのは生産の観点からも良いことだと考えている」
和田廠長からの内密の問い合わせの結果、航空本部は明快な回答を控えたものの、十六試局戦については、必ずしも採用は1機種とは限らないとの回答を得た。
永野大尉と三木大尉からは、性能が優れていれば、採用の可能性があることを三菱に伝えて表向きは一件落着した。海軍内で開戦間近との空気が強くなった結果、高性能な機体であれば、2機種でも採用すればよいとの意見が大きくなっていった。空技廠内では十六試局戦の審査を迅速にやって、ジェット戦闘機を早期に完成させるべしという圧力をひしひしと感じるようになった。三菱でもこれに応えて設計作業を更に加速した。
……
開発途中の12月8日には、十六試局戦の採用についての議論が吹っ飛ぶような事件が起こった。日本が米国に宣戦布告したのだ。米国との戦争が始まった。この時点でJ5M1は飛行試験まで進んでいなかったが、むしろ、軍令部から開発を加速して一刻も早く実戦化すべしという勧告が発出された。
詳細設計作業を開始してから約8カ月で、昭和17年1月にはJ5M1の初号機が完成した。2週間後には、初号機と並行して製造されていた2号機が完成した。その後、地上でエンジンの運転を開始した。改修と試運転を繰り返して、初飛行は昭和17年2月10日になった。
試験飛行は脚出しのまま低速で実施されたが、すぐに問題が明らかになった。問題発生を聞いて三木大尉も三菱に駆けつけた。
鶴野大尉から状況説明がある。
「離陸後に上昇しようとして、操縦桿をいっぱいに引いても、思うように機首が上がりません。昇降舵の面積が足りないのでしょうか?」
操縦士の話も聞いて、次に実際に離陸させて飛行の様子を見てみる。三木大尉の意見は鶴野大尉とは違った。
「機首の上がり下がりの様子を見ていると、舵の利きが悪いというよりも前翼の揚力が若干不足しているように思える。つまり定常状態で、機首が下げぎみになってしまっているので、目いっぱい操縦桿を引き付けても、機首の上がり方が不十分になるわけだ。フラップの下げ角による機体の迎え角の変化を見ていたが、フラップを下げた時ほど揚力が足りないように思える」
鶴野大尉は慌てて聞き返した。
「前翼そのものの揚力が不足しているということでしょうか? そうだとすると、もっと大きな面積の前翼を作り直す必要がありますが、それなりに時間がかかってしまいます」
「いや、フラップ下げの時の前翼と主翼の間の揚力差が原因なのだ。恐らくフラップを下げた時の前翼の揚力係数が期待値ほど大きくなっていないと思う。もともと、前翼は親子式のフラップで主翼よりも揚力係数を大きくとって、機首を持ち上げるように設計されているが、それが期待値に届いていないと思う。当面の対策は前翼の取り付け角を変更して、迎え角を大きくすれば、問題は回避できるだろう。あまり迎え角を増加させると、高速時に抵抗が増えるので、フラップ下げ時に揚力係数を増すように親子フラップの下げ方を検討する必要がある。それでも足りなければ、前翼の面積を増やすことも必要かもしれない」
前翼の迎え角とフラップ下げ角の変更をして試験した結果、2度の迎え角の増加とフラップ下げ角を5度増すことで、問題が解決した。2機の試験機が飛行できるようになると、三菱としては、中島のJ4N1に対して性能で優れていることを実機で実証するために、全力運転による性能確認を優先した。2月末には、2号機の4回目のジェットエンジン全力運転の試験では、軽荷重であったが、高度8,000mで462ノット(856km/h)を記録した。これにより、J5M1は橘花改に比べて高速であるという事実が証明された。初号機に続いて、1カ月のうちに試作5号機までの機体が完成して試験に加わった。木更津での空技廠の操縦員による試験は、3号機から5号機の3機の機体が空輸されて昭和17年3月15日から開始された。
……
昭和17年3月になると試作8号機までの増加試作機が、戦闘機としての武装と防弾装備を搭載して完成した。実戦型同様の各種装備として、武装は20mm機銃(長銃身)が4挺搭載され、操縦席に防弾板と防弾ガラスを据え付けて、燃料タンクに消火装置を組み込んだ。また、高速での縦安定の改善のために垂直尾翼前縁が前方に張り出した形に変更され、面積が増えた。
三菱は試作機を短期間で製作するために、今までの他の機体の量産ラインの中で試作機を組み立てる方法を止めて、名古屋工場内に試作機専用の小規模な組み立てラインを整備した。量産機の生産数を増やせという圧力で、試作機の製造があと送りになるという弊害に対応したのだ。三菱にとって幸運なことに、ネ30の生産が軌道に乗り始めて量産されたエンジンがどんどん供給されてきた。このため試作機が完成でき次第、ネ30をすぐに搭載して試験を開始することが可能となった。
J5M1は、昭和17年2月の初飛行以降、順次試験機を増加させて、試験項目の消化を加速させた。昭和17年4月には、試作機専用の生産ラインで組み立てられた12機の機体が完成した。この時点で全くの新規設計のJ5M1は、橘花改に比べれば試験による変更点が多く発生していた。これらの蓄積していた修正に対して、6号機以降の増加試作機には、すべての改修を実施して、機体の装備も実戦機と同一になった。橘花改の急降下試験で発生した衝撃波への対策として追加された、強制機種上げ板(ダイブリカバリーフラップ)も追加された。増加試作機には翼端増槽を装備して、航続距離と滞空時間の改善度合いを確認した。
一方、本機の武装については、航空本部内で議論があった。米国でB-17をも上回る大型四発爆撃機が開発されているとの情報が入ってきたからだ。このため、従来の局地戦闘機で採用されてきた20mmよりも強力な武装を搭載したいとの要求が出てきた。ほぼ同時に、大日本兵器から、開発中の30mm機関銃の実用化のめどが立ったとの通知があった。
30mm機銃の開発状況を報告された航空本部は、この30mm機銃が大型機の迎撃を主任務とするであろうJ5M1の武装にふさわしいと考えた。増加試作機の機首にはもともと20mm4門を搭載していたが設計を変更して、30mm4門とすることが決定された。なお、この30mm機関銃は昭和17年末になって二式三十粍固定機銃一型として制式化されている。
以下では、二式三十粍固定機銃の開発経緯について、少し説明しておこう。
海軍では大口径の機関銃として、13.2mm機銃に加えて20mm機銃を使用してきた。この20mm機銃は、従来の海軍の銃砲が海軍工廠で開発され、製造が行われてきたのに比べて、民間会社が国産化したことに違いがある。昭和10年に航空本部長だった山本五十六中将が、スイスエリコン社の20mm機銃の国内生産を大日本兵器(当時は富岡兵器製作所)に委託することを決定したためである。海軍内の艦政本部や工廠から、大口径機関銃の導入に賛同を得られなかった山本本部長は、それでも早期に20mm機銃を実用化するために、民間企業への委託を決断したのだ。大日本兵器は機関銃製造工場を整備するとともに、技術者をスイスから招き入れて、苦労して国内生産を立ち上げた。
そのような経緯で、大日本兵器はスイスエリコン社の20mm機銃を自社で改良できるまでの技術を有するに至った。これまでも、単に20mm機銃をそのまま国内生産するだけでなく、エリコン側では実現できなかった弾薬のベルト給弾機構の開発に日本特殊鋼の支援を得て成功していたのだ。昭和16年初頭には、航空本部と空技廠から将来は米軍の4発大型機への対抗のために、更に大口径の機銃が必要となるだろうとの意見が述べられていた。この要望を聞いて、大日本兵器は海軍からの正式な要求を待たずに30mm機銃の開発を開始した。
短期で完成させるために、生産中の20mm機銃をもとにして、単純に30mmへとスケールアップすることにより、大口径機銃を実現するという手法を採用した。もちろん動作方式はエリコン20mmと同様のAPIブローバックで、銃本体が軽量であるという利点を引き継いでいる。
この30mm機銃は、当初から長銃身20mmと同程度の750m/secの銃口速度を目指したため、長い銃身に更にAPIブローバック固有の長い機関部が足されて、全長が2メートルを10センチも超える長さとなった。また大口径ゆえに長くなった機関部はその中で前後に動くボルトなどの速度を考えると、時間あたりの発射弾数を極端に大きくできなくなる。このため、この機銃の発射速度は約450発/分と20mmよりも更に小さな値となってしまった。それでも大日本兵器は、戦闘機に搭載可能な30mmとして充分有効だと考えた。何しろ30mmの弾丸であれば米軍の4発機であっても数発当たれば撃墜が可能なはずだ。
試験が進んでJ5M1の性能が実証できると、すぐにでも実用化したいとの意見が出てきた。海軍はこの機体の生産を準備するように三菱に命じた。ところが、三菱の工場はすでに零戦、雷電、烈風や一式陸攻で手いっぱいだった。それらの機体の生産を減らさない限り、大量生産可能なラインの確保は三菱内ではできない。その結果、白羽の矢が立ったのが九州飛行機だった。当時、渡辺鉄工所の航空機製作部門が独立した九州飛行機は白菊などの練習機を生産していた。その航空機生産の経験を生かして、専用の生産ラインを整備して、J5M1を全力で生産することとなった。
6カ月の試験により不具合はほぼ無くなったため、設計変更を折り込んだ量産機は、九州飛行機の生産ラインでの準備が始まった。九州飛行機では本格的な戦闘機生産の経験がないので、三菱の技師や空技廠飛行機部からも技術者が派遣されて、構築された生産ラインの確認や修正を行った。対策の終わった生産ラインで、前期量産型の生産が始まった。前期量産型が完成すると、ジェットエンジン機の整備の教育を兼ねて、6機を厚木基地の防空部隊へ配備したが、慣れない機体に整備が追いつかない。これが契機になって、木更津において、ジェットエンジン機の整備教育が開始されることになった。航空隊で整備を経験してきた下士官を、二十数名集めて、集中的に2カ月の教育を実施することによりジェット機の整備士の育成を行った。これ以降、ジェットエンジン整備士の教育は木更津で半年ごとに繰り返し実施されることになる。
震電11型
・機体略号:J5M1 昭和17年10月
・全長:10.5m
・全幅:12.4m 主翼が前端18度(空力中心は15度の後退角)の後退翼、前翼も20度後退翼
・全高:3.3m
・主翼面積:22㎡
・自重:3,300kg
・全備重量:5,100kg
・動力:TJ-30-12型(統合名称ネ30)、推力:約1,100kgf
・最大速度:451ノット(835km/h)
・巡航速度:325ノット(602km/h)
・航続距離:巡航1.5時間+戦闘30分
・防弾:操縦席に防弾ガラス及び背面に防弾鋼板、胴体内、翼内燃料タンクに消火液による消火装置
・武装:機首に二式三十粍固定機銃一型 ベルト給弾機銃4挺(携行弾数各200発)
・爆装:両翼下に25番(250kg)爆弾2発
・噴進弾:一式五十粍噴進弾を両翼に搭載
・増槽:両翼端及び胴体下に増槽(500リットル2基と700リットル1基)を装備
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます