12.4章 三菱のジェット戦闘機開発

 三菱は十二試陸攻を改造したG6M2というジェットエンジン実験機を提供していたため、ジェットエンジンの空中試験が開始されれば、試験の状況もおのずと早く入ってくる。昭和15年末には、飛行試験を行っていたTJ-20も性能が判明してきた。飛行試験の進展により、ジェットエンジンを利用した高速航空機が三菱の目から見ても実現可能と思えるようになってきた。これをきっかけにして、三菱社内でもジェットエンジンを利用した高速機の検討が行われるようになった。佐野技師をリーダとして社内でジェット戦闘機について、基礎的な検討が開始された。


 昭和16年1月末には、空技廠の三木大尉から、近々航空本部からジェットエンジンを搭載する局地戦闘機の開発要求が出てくるはずだとの内部情報を入手した。三菱では、直ちに設計主任に佐野技師を主務に選任して、ジェット戦闘機の検討を本格化させた。


 三菱はG6試験機によるジェットエンジンの飛行試験から得られた情報を基にして、まずは、空気抵抗を少なくするために胴体内へのジェットエンジン装備を前提とした。更に、ジェットエンジンの排気ノズルでの推力損失を軽減するためには、排気ノズルが長く延長される構成は避けるべきとの結論に達した。それを前提とすると胴体後部にジェットエンジンを装備して、そのエンジンに適した排気ノズルの長さとすると、必然的に胴体長は短くなるので、適当な位置に尾翼が取り付けられなくなってしまう。


 これを解決するために、三菱の佐野技師は従来の機体とは異なる構成を考えていた。まず比較的長さの短い胴体を設けて、その前半部に武装と操縦席を配置して、中央部から後半部にかけてジェットエンジンを内蔵させた。胴体中央部の左右に主翼を取り付けるが、胴体の全長が短いので尾翼は取り付けられない。主翼の左右の内翼部から双胴のブームを後方に伸ばして、その先に2つの垂直尾翼と双胴のブーム間に水平尾翼を挟むように取り付ける構成を考案したのだ。


 ジェットエンジンの試験打ち合わせで空技廠にきた時に、佐野技師がその機体の概略図を見せてくれた。

「実はわが社では、次期の局地戦闘機としてジェットエンジンを搭載した機体を検討しているのです。私が考えている機体は、こんな外形なのですが、やはり通常の機体の形式とは違うということで、社内からはあまり受けが良くないのです。そんなに突拍子もない機体に見えますかねぇ」


 佐野技師から簡単な図を見せられたのだが、私の眼には最終的に日の目を見ることのなかった局地戦闘機「閃電」とほぼ同じ形状に思えた。閃電は胴体後部に推進式にプロペラを備えた形態だったが、それをプロペラのないジェットエンジンに置き換えて、プロペラが地面をたたく心配がなくなったおかげで脚を短くした機体と思えた。


 あるいは、イギリスのデハビランド社が大戦中に開発した英国で二番目のジェット戦闘機である「バンパイア」にそっくりだとも言えるだろう。バンパイアはその初期のジェット戦闘機としては成功して、英国以外にカナダやオーストラリアなどかなり多くの国で採用されたはずだ。私自身も未来の世界に生きていた時に、航空自衛隊の航空祭で複座型のバンパイアを見たことがある。空自が試験評価用に1機購入して、用済みになった機体を提示してたはずだ。


 しばらくいろいろな思いが浮かんでいたが、一呼吸遅れて返答した。

「ああ、私はいいと思いますよ。ジェットエンジンの効率を重視して、排気管を短くするために、胴体をあえて短縮したのですね。それで、双胴を後ろに伸ばして尾翼を配置する必要が出てくる。この形式だとジェットエンジンの性能が十分に発揮できます。それに加えて、重量のあるエンジンがちょうど重心のところに配置されるので、旋回性の確保にとっても、都合がいいでしょう。但し、気を付けないと水平尾翼がジェット排気流の中に位置することになりますから、それを避けてかなり高いところに移動する必要がありますね」


「あっ、なるほど水平尾翼の位置は、この形式では要注意ですね。機首上げの時の胴体と主翼から発生する乱流も考えると、結構高い位置に持ち上げる必要がありそうですね。いいご意見が聴けました」


 一方、この時期に、空技廠の飛行機部でも高速機の研究に関しての動きがあった。飛行機部の鶴野大尉は、かねてから先尾翼式航空機の研究を進めていた。エンテ式と呼ばれるこの形式が、揚抗比も優れていて、高速機に最も適しているというのが彼の持論だった。


 通常の航空機の前と後ろを逆にしたような先尾翼式の機体は、ジェットエンジンにとって都合がいい。プロペラ機であれば胴体の最後尾にプロペラを付けることになるが、滑走路からの離陸時に機首上げをするとプロペラが地面に接触してしまう。それを避けるためにはかなり長めの脚が必要になる。更に、機体後部のエンジンの冷却問題が残る。液冷エンジンであれば、胴体下にラジエターを付けることも可能だろうが、空冷エンジンではかなり困難だ。もともとエンジンの前方から直接空気流が流れてくることを前提にして設計されている空冷エンジンを、胴体の後部でしかも後ろ向きに設置すれば冷却はかなり難しくなる。そしてわが軍の航空エンジンはほとんど全て空冷なのだ。


 そんな欠点が、ジェットエンジンを前提とすると全て解消される。鶴野大尉は、ジェット排気を後方に噴き出して推力を得るジェットエンジンが、胴体の後部にエンジンを搭載する先尾翼式航空機に最も適していると結論づけた。彼は、自分が長い間考えてきた機体がついに最良の相手と出会えたと信じたのだ。


 鶴野大尉は、今日もエンテ型型航空機をジェットエンジンにより実現すべしと、説明資料まで作成して関係部門に説明に回っていた。もちろん私のところにも自説の説明にやって来た。


「前翼とすれば胴体後方の水平尾翼が不要となり、胴体を短くすることが可能です。つまり重量軽減になります。更に機首に集中して武装が可能となります。ご存じの通り、今までの機体は主翼が発生する揚力に対して、胴体後方の水平尾翼が下向きの力を発生することで機体を安定させています。ヤジロベエが1本指の上であっても安定するのと同じ原理ですね。それに比べて、エンテ式では、機体を安定させるために前翼は上向きの揚力を発生します。つまり前翼と主翼の双方により発生された上向きの力で支えます。先の指のたとえで言うと、複数の指の上に重りを載せて支えることになります。これは航空機にとって大きな違いです。通常形式の機体ではいつも主翼の揚力から尾翼の下向きの力がマイナスになるのです。エンテ式では、前翼の揚力が主翼の揚力にプラスされます。同じような抵抗値の機体を作っても、一方では、揚力に対してマイナスがあり、他方ではプラスとなり、抵抗に対する揚力の比率である機体の揚抗比に差が出ます。この揚抗比は機体の性能を決める大きな要因の一つなので、揚抗比が良くなれば、機体の飛行性能が改善することに直結するのです」


 どうやら、彼はエンジン屋である私には、航空力学のわかりやすい説明が必要だと思ったらしい。この話を聞くまでもなく、未来の世界でミリタリー本を読んでいた私にとって、局地戦闘機「震電」の利点として何度も読んできた話だ。しかもミリタリー空想本では、プロペラ機の震電をジェットエンジンに乗せ換えた架空機まで結構な頻度で登場するのだ。


 飛行機部の三木大尉と山名少佐にも、鶴野大尉が真っ先に訪れた。彼ら二人は鶴野大尉の先輩だ。もちろん、彼らは十六試局戦に向けての三菱の社内検討の状況も知っていた。更に、中島で橘花を基にしたジェット戦闘機の設計については、空技廠側の担当者として開発にまで関与していた。


 二人は三菱の双胴式と鶴野大尉のエンテ式について、2つの案をこれからどうすべきか、相談したらしい。その結果、私のところに意見を聞くためにやってきた。


 最初に山名少佐が説明を始めた。

「我々には少し身びいきなところもあると思うが、公平に考えても鶴野大尉のエンテ式は、確かにジェット戦闘機に適した形態だと思う。ところが、このまま行けば、三菱は自社案で設計して、鶴野案は製造する会社も決まっていないのだから、お蔵入りになるだろう。空技廠でエンテ型を試験機として試作する案もあり得るが、今の状況を考慮すると十六試局戦として三菱案を開発して、それに追加して空技廠設計の戦闘機として鶴野案を試作することはかなり困難だと思う。今は時間と人員の有効活用が重要なので、空技廠は自己の開発を止めてメーカーに協力せよとなるに違いない」


 三木大尉もエンテ式の効果を認めて何とか機体を実現したいと思っていた。


「鶴野が言っている前翼の揚力により揚抗比が改善して、機体性能が向上するというのは科学的な事実だ。技術的視点からは、三菱ではなく、高性能が期待できる鶴野の機体を進めるべきだと思う。つまり、鶴野が構想する機体を、三菱に開発してもらうことが最も良いように思う。まあ、それには三菱が自社内で検討した機体はあきらめてもらう必要があるが」


 私としても、閃電の設計がだめだと言うわけではないが、それよりも震電がジェット機として適していると思える。なにより、ミリタリー本で何度も読んできたあの震電を実際に実現するのは大いに、興味がある。


「エンテ型が性能に関しては有利だというのは、鶴野君の主張通りだと思う。性能の良い戦闘機ができればそれだけお国のためにもなるしね。ここは我々で2つの案を比較する簡単な資料を作成して、空技廠の上司や三菱に説明しようじゃないか。みんなが納得してくれて、一つの案で進めてもらうのが一番いいからね。ちなみに、三菱の佐野さんから説明を聞いた時は、いい案じゃないかと僕も返事をしている。意見を変えたことは個人的に佐野さんに伝えるが、それよりも大切なのは三菱案も技術的にはそれほど悪くないということだ。もしもこれから説明しても三菱案が優れているということになるならば、我々も騒がずそれに従うべきだと思っている。これは鶴野君にも言っておいてくれ」


 三木大尉がうなずく。

「その意見に賛成だ。さっそく比較表を作成する。鈴木はエンジン担当で忙しいだろうから、この件は我々飛行機部で全部引き取って結論を出すよ。鶴野にも結論が出てしまったら、その後は余計なことを言って引っ掻き回すなと含めておくよ」


 山名少佐と三木大尉による比較表はその日のうちに作成されて、飛行機部長の杉本大佐のところで状況説明が行われた。翌日には、空技廠の九六陸攻試験機に乗って、山名少佐と三木大尉に加えて、当事者の一人である鶴野大尉も一緒に三菱重工、名古屋航空機製作所に向かった。


 三菱では、技術部の服部部長と佐野技師が出てきて話を聞くことになった。


 山名少佐が資料に沿って説明を行う。同一エンジンで同一規模の機体を前提とした比較表で、機体性能の見込みなどエンテ式が若干優れるという内容だ。但し、揚抗比の影響が大きい航続性能については結構な差が出ていた。


 服部部長は、しかめっ面で聞いていたが、説明が終わるとスッキリとしたようになった。

「なるほど、この表を見れば、空技廠さんの中で検討しているエンテ形式の航空機が、我々の検討していた機体よりも若干優れた機体になるということですね。私には、技術的には公平な比較をしていると思えます」


 服部部長が横を向くと佐野技師が意見を述べる。

「見積もりの細かな数字まではこの場では検証できませんが、この資料の結論には間違いはなさそうです。私自身も自分が考えた案が、最良だとは思っていないですから。そこは技術に対して正直になります」


 服部部長が結論を述べる。

「それでは、今日以降、今回のジェット戦闘機の開発に関しては、このエンテ型の機体を前提とします。我々のライバルは、中島ですからね。中島より少しでも優れた機体を開発する必要があります。そのためには、基本形態の出所がどこであるか、私は気にしません。優れた案を採用するだけです」


 佐野技師は結論としてはこの意見に従ったが、先尾翼機の操縦性は未知数だと考えていた。

「揚抗比が優れている点はもっともですが、操縦性や安定性の観点からは、エンテ型は未経験の形式です。例えば、戦闘機として満足できる旋回性能は実現できるのか、低速や高速で操縦性が悪くなるということはないのかなど、懸念点はいくつか残っていると考えています」


 その質問は、鶴野大尉には想定内だったようだ。

「佐野さんの意見のとおり、今まで製造されていなかった形式なので、操縦性など不明な部分が残っています。しかし、実際に飛ばして実験すれば解消できる課題です。短時間で製作できる小型の先尾翼型の実験機を作成して実際に飛行実験してみれば、直ぐに結論が出ると思います。私は航空機の操縦ができるので、自分で操縦して確認しますよ」


 山名少佐が答える。

「時間がもったいないので、すぐにでも実験機の設計と製造を始めます。空技廠で模型を作成して風洞試験はすでに行っていますので、それを基に小型の実験機については、私自身と鶴野大尉の二人ですぐにも設計します。小型のグライダー型の木製機なので、製造も空技廠内の工場で可能です」


 話を聞いていた服部部長が条件をつけた。

「小型実験機については、空技廠さんでお願いします。その実験については、3カ月以内でお願いします。我々もその機体でエンテ型の機体の操縦性や安定性を確認します。それで、問題が出れば開発はそこで打ち切りにします。問題がなければ、前翼型戦闘機の本格的な設計に移ります。但し、時間がもったいないので、風洞試験までは先行して三菱で実施します」


 ……


 4気筒の小型エンジンを備えた先尾翼機のグライダーはMXY6と命名されて、昭和16年5月には飛行試験を開始した。空技廠内でもっぱら操縦訓練や無線の試験に用いられていた九七式二号艦攻が牽引して実験用小型滑空機を飛ばした。飛行させて、すぐに安定性も操縦性も問題ないことを確認した。加えて先尾翼が従来の機体よりも、機首上げしても失速に陥りにくいという特性があることも実証できた。無理な機首上げをしても、主翼が失速する前に機首に設けた先尾翼が先に揚力が減少して機首が下がってくるのだ。


 一方、三菱の社内ではエンテ式戦闘機の風洞試験が続けられていた。MXY6による試験でも問題がないとのことで、佐野技師はほっとしていた。


 昭和16年5月になって、十六試局地戦闘機として高速戦闘機の開発計画が航空本部から発出された。三菱のエンテ型のジェット戦闘機はJ5M1との開発名称が付与された。このジェット戦闘機の開発要求に対して、恐らく中島と三菱がまずは手を上げるだろう。中島は間違いなく橘花を基にした開発を考えるはずだ。三菱からは、中島の橘花を戦闘機とするためにどれほどの設計変更が必要なのかわからない。それでも一度飛行している機体を基礎にした開発なので、三菱よりも圧倒的な短期間で飛行させることは確実だ。それだけに、開発初期でつまづいて後れをとるわけにはいかない。小型試験機で問題が出なかったことから三菱社内ではエンテ型ジェット戦闘機の開発をいっそう加速した。

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