12.3章 橘花改のデモ飛行

 昭和16年8月になって、空母への電探やカタパルトの搭載が始まると、空母は停泊してしばらくは工事中になるので、空母の士官たちも上陸する時間ができる。一航艦参謀長の草鹿少将も、上陸時間を利用して空技廠にさっそくやってきた。以前の訪問時に見たジェットエンジンを搭載した機体の仕上がりを、是非とも確認したかったのだ。見に来るのは勝手だが、こちらはそのために準備が必要だ。木更津に連絡して、試験中のJ4N1を、追浜の飛行場まで飛ばしてもらうことになった。追浜の飛行場でもジェット戦闘機の離着陸は可能なのだが、離陸時に加速の悪いジェット戦闘機にとってはやはり狭いので、ジェット機に慣れたベテランでないと危なっかしい。


 この日は、下川大尉が試験飛行を開始したばかりの橘花改の6号機に乗ってやってきた。まずは格納庫で着陸した機体を間近から見てもらう。草鹿少将と淵田中佐、嶋崎少佐は格納庫に入ってくると、珍しそうな顔をしてしきりに機体のあちこちを見て回っている。まるで新型試作機の木型検査のようだ。


 草鹿少将が盛んに感心している。

「やっぱり、単座になると戦闘機という外見になるねぇ。機首には20mm機銃が4門も装備されるのか。かなり重武装だね。この機体はどういう運用法になるのか少し説明してもらってもいいかな」


 永野大尉が、以前にもやったことのある解説をスラスラと話し始めた。

「局地戦闘機として、まずは防空戦闘に用いられることを想定しています。敵の爆撃機が襲来した場合、430ノット(796km/h)以上の高速を生かして迎撃戦闘を行います。護衛の戦闘機が随伴していても高速ですり抜けて爆撃機を攻撃することが可能です。爆撃機の防御機銃に狙われますが、降下攻撃すれば非常に高速なので、防御機銃もほとんど命中させるのは困難でしょう。武装についても、機首の4門の20mmならば、たいていの爆撃機は一撃で撃墜できるはずです。情報によると米国の4発爆撃機は高度10,000メートルを飛行してくる可能性がありますが、この戦闘機であればその高度でも充分機動が可能です。戦闘機が相手の場合は、100ノット以上の速度差を生かして戦うことになります。急旋回は無理なので、一撃して離脱の繰り返しになります」


 淵田少佐がうなるように話し始めた。

「高度10,000メートルで、430ノット超の速度で敵機と戦闘するのですか。とんでもなく我々の常識を超えていますよ。ところで、この高速戦闘機が空母に搭載される時は来るのですかね?」


 下川大尉が答える。

「低速時の飛行特性も悪くないので、機体に艦上機の装備が追加されれば空母への着艦は可能です。但し、離陸滑走時の加速が悪いので、そのままでは空母からの離陸ができません」


 私が少し補っておこう。

「離陸促進用のカタパルトが空母に設置されれば、ジェット戦闘機の空母への搭載も将来は可能になるでしょう。現在、一航戦の空母で工事が進められているカタパルトは、ジェット戦闘機を空母に配備するためには、必須の装備となります。カタパルトは、爆装した艦爆や雷装の艦攻のためだけではありません」


 草鹿少将が首を縦に振りながら答える。

「カタパルトの必要性については、まったく同感だ。年々大型化している艦載機を効率的に運用するために絶対に必要だ。毎回、風上に向かって全力で走らないと離艦できないということだけで作戦上の大きな制限になっている」


 斜め飛行甲板のことも説明しておこう。

「もう一つ忘れていました。ジェット機の運用には斜め飛行甲板があった方が容易になります。絵で描くとこんな感じの飛行甲板になります。この装備も、既に工事が進んでいますよ。空母瑞鳳が実験艦となって、評価試験を行います。着陸はこの若干斜めになった甲板に降りてきて着艦フックに引っ掛けて止まります。フックに引っかからなかった場合は、そこからエンジンを全開にして、斜めの甲板を使ってもう一度飛び立つことができます。更に前部のエレベータを使って、離陸する機体を上げて、カタパルトに装着すれば、着陸作業中でも同時に離陸できます」


 これには、淵田少佐が驚いている。

「なんと、飛行甲板に車輪を付けた後で着陸のやり直しができるのか。着艦制動索に引っかからなくても強制的に機体を止める必要がないのか。それに、着陸と離陸が同時にできるって? 斜め甲板には、カタパルトは別にして特別な新装備は必要に思われないが、どうなのですか?」


「着艦用の制動策は、斜めにする必要があります。着艦指示灯も斜めに向ける必要がありますね。それと、恐らく赤城や飛龍のように艦橋が左舷にある空母は右舷に移さないと、斜めに甲板を張り出すことはできません」


 草鹿少将が話を打ち切る。

「とても興味深い話を聞かせてもらった。話が航空母艦になってしまったが、ジェット戦闘機に戻そう」


 今日の目的はジェット戦闘機の見学なのだ。それを見せないと終わらない。下川大尉に合図して橘花改に搭乗してもらう。燃料の節約のために、あらかじめ準備しておいたトラックで橘花改を引き出して、滑走路の端まで移動させる。展示飛行の説明はいつもの通り、永野大尉だ。


「今から実際の飛行を見てもらいます。先ほど見学してもらった機体ですが、橘花に戦闘機の装備を追加した機体ですので、橘花から飛行性能が向上しているわけではありません。しかしこれでも、400ノット(741km/h)以上の速度は発揮できます」


 見学者達を引き連れて、飛行場に出ると、橘花改がネ20エンジンを始動していた。試験機なので自律スタートはせず、トラックの荷台に設置した小型発動機からギアと延長軸を介して、エンジンを回転させて始動させている。私は内心これは陸軍方式の起動法だろうと思っている。


 両方のエンジンを起動すると滑走路端でエンジンの回転数をどんどん上げてゆく。キーンという甲高い音が基地に響き渡っているようだ。5,000回転を超えたあたりまで回転数が上がってくると、ブレーキを踏んでいてもエンジンの後方に砂埃が猛烈に舞い上がる。心持ち、機体や風防がびりびりと微小な振動をしているようにも見える。しかし、これでも、18気筒の発動機を備えた機体の轟音や振動に比べれば、騒音も振動もかわいいものだ。実際、草鹿少将他の見学者も轟音や振動よりも、もうもうと舞い上がる土煙に驚いている。


 エンジンの前面に取り付けられていた金網をおわん型にしたカバーを外す。ジェットエンジンへの異物吸い込み防止用の金網だ。自力で離陸開始位置まで移動してから、更にエンジンの回転を上げる。9,000回転まで回転が上昇するのを待って、ブレーキを離すとスルスルと機体の前進が始まる。私が想像したよりも加速が早い。たぶん燃料満載ではないからだろう。それでも滑走路を6割ほど使って走ったところで機首を上げ始めた。そのまま主脚が地面を離れると、緩い上昇角度で舞い上がった。


 脚を収納してから上昇して高度を確保すると視界ギリギリのところで180度水平旋回して、零戦をはるかに上回る速度で滑走路に戻ってくる。高速でパスすると直ぐに垂直上昇に移行してから、インメルマンターンにより上空で水平飛行に戻した。更に、基地の端あたりで今度はスプリットS字で一度背面になった後に、機首を真下に向けてから、引き起こしながら低空に降りてくると、飛行場を中心にして360度旋回した。もう一度逆方向に旋回して8の字を空に描いたのがわかる。そのまま引き起こして、どんどん上昇して行くとそのまま垂直ループで頭上を回って、滑走路上にほとんど90度に近い角度で急降下して戻ってくる。


 そのまま機体を水平に戻すと飛行場外で180度旋回して、滑走路に機首を向けると高度を下げてきて、あっという間に着陸した。相変わらず下川大尉の着陸はスムーズだった。今回の見学者の大部分は、先般の電探の見学会において、橘花が飛行しているのを見ていた。しかし、一度のフライパスの飛行と今日の曲技飛行では迫力がやはり違う。しかも、ジェット機でなければ不可能な速度での飛行だ。


 会議室に戻ると、草鹿少将が賞賛の発言をする。

「あの高速機の飛行は何度見ても迫力があるな。今日の飛行を見て戦闘機としての戦闘も充分可能だと納得したよ。もっと、速度一本やりの飛行かと想像していたが、思った以上に軽快な飛行だったな。空戦機動に関しても、今日の飛行の様子を見る限り全然問題なく実施できるな。我が艦隊の搭乗員がこの機体を見れば、ぜひ搭乗させてくれと要求がいっぱい出てきそうだな」


 試験機から降りてきた下川大尉が額に汗を流しながら説明してくれる。

「この戦闘機は旋回半径が大きいですが、旋回時の速度が速いので、想像以上に旋回に要する時間が短いのです。特に、垂直面での機動は高速です。ロールと垂直旋回の速度はかなり速いので、その機動を多用すれば、戦闘機相手でも格闘戦で引けを取りませんよ。ゆっくり小回りに垂直旋回している敵機に対して、大回りでも高速で旋回すれば、敵機よりも短時間で旋回して背後につけることができます。相手が水平面の旋回戦に持ち込もうとする場合は、一旦斜めに上昇して相手を斜め下方に見下ろす位置に上がったうえで、降下攻撃に切り替えます。一度の降下で相手を補足できなければ、再び斜めに上昇して降下攻撃を繰り返します。逃避しようとする敵機に対しては、速度と降下性能も圧倒的に優れているので、相手が急降下で逃げようとしても、思うつぼであっという間に追いつけます。逆に敵機が背後に迫った場合には、速度を生かして緩い上昇をしてもよいですし、降下しても敵機を簡単に離すことができます。但し、高速で機体を振り回しますので、旋回時にはかなり大きな重力がかかります。大きいGがかかって、体を鍛えていないと目の前がくらくらするようなことになります。我々搭乗員にとっては体力を要求する機体ということになります」


 淵田中佐が感心する。

「なるほど、高速を生かした戦法が存在するのだね。新たな戦い方に対して、搭乗員の訓練も変えていかないといけないですね。ところでこの高速機を爆撃機として活用することは可能ですか?」


 機体担当の三木大尉が答える。

「今のところ、25番(250kg)を2発搭載することを予定していますが、急降下爆撃機ではないので艦爆のような真っ逆さまでの爆撃は無理です。緩降下爆撃になろうかと思います。そこのところは、零戦や雷電に爆弾を積んで爆撃するのと大差ありません。まあ、速度がかなり早いので高角砲や機銃により被害を受ける確率はかなり小さくなると思います。もし、対空砲火をハリネズミのように備えた敵艦を攻撃する場合には、他の機体が撃墜されても、この機体は生き残って攻撃できる可能性がありますね。空技廠の兵器部では、新しい種類の爆弾などを考えているようですから、それらが実用化できれば、また新しい攻撃法が出てくるかもしれませんね」


 高速爆撃機か、Me262を爆撃機にせよというような話になってきたな。私から回答しよう。

「少し機体を改修して爆弾架を設置すれば、50番(500kg)くらいは搭載できます。但し、単座機で専用の爆撃照準器もなくて、加えて急降下爆撃もできないので爆弾の命中率に課題があります。むしろ、艦爆のような使い方とは違う反跳爆撃のような爆撃方法が、このような高速機には適していると思われます」


 嶋崎少佐がすかさず質問する。

「反跳爆撃と言う言葉は聞いたことがありませんが、それは何ですか?」


「池や川で、石を水面になるべく平行に投げて水切り遊びをしませんでしたか? あれの応用です。高速機が雷撃に似た要領で水面近くで爆弾を投下すると、爆弾は水面ではねて、それも何度が水面ではねて、照準があっていれば艦船の側面に命中します。爆弾の尾部形状など少し変更は必要かもしれませんが、普通の爆弾を改修すれば使えると思います。魚雷よりも高速ではねてゆくので、それなりの命中率は期待できると思います。アメリカはこの爆撃法を既に研究していますよ。魚雷がない時の艦攻や陸攻の攻撃法としても有効です。又は、とても浅い海で、魚雷を使うことが難しい場合でもこの攻撃法ならば可能でしょう」


 最後の言葉はわざとゆっくりと話した。


 私の解説を聞いて、思わず草鹿少将が身を乗り出している。

「それはすぐにでも実用化できるのかね? 今の話だと浅瀬のような海でも雷撃に準ずる効果がありそうだ。しかも艦爆や零戦にとっても爆弾が搭載できれば有効な爆撃法になるんじゃないか?」


「難しいのは爆弾を投下する高度の判定です。高度が高いと爆弾は水面ではねずに沈んでしまいます。低空で投下すると跳ね返った爆弾が投下した機体にぶつかります。速度と高度の調整を実験により決めないといけません。先にも言ったように爆弾の形状も適度に低い高度で飛び跳ねる形を実験で決定する必要があります。それでも実戦部隊が協力して、集中的に実験すれば半年もかからないと思いますよ。しかし、それほど急ぐ理由があるのですか?」


 一航艦からの出席者がお互いに顔を見合わせる。草鹿少将が首を横に振りながら、これ以上の議論を抑えるように、片手をあげる。周りが静かになると草鹿少将が総括した。


「我々も空技廠で試験している新しい兵器については、うわさを聞いているよ。推進剤の燃焼により高速で飛び出した何十発もの弾丸が、勢いよく飛んで行って弾幕のようになって攻撃できる噴進弾とか、25番でも50番が貫通できなかった装甲板を撃ちぬく新型爆弾とかやっているようだね。その反跳爆撃とやらもその中の一つということだろう。まあそれはもう少し完成度が上がってから見せてもらうとしよう」


「さて、いつもと同じような言葉になって申し訳ないが、今日もいいものを見せてもらった。実は、ここに来るたびに驚かされるようなことがあって、本音は楽しみにしてやってくるんだ。今日もその期待を裏切らない素晴らしい成果が見られて本当に良かった。諸君の努力に心から感謝する。ジェット戦闘機の重要性は充分に認識したので、一刻も早くこの戦闘機を実用化してもらいたい。我々実戦部隊からも、ジェット戦闘機の早期の実戦化要望を航空本部にでも出すこととしよう」

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