12.2章 十六試局地戦闘機 橘花改

 海軍航空本部から、十六試局地戦闘機の設計計画要求を受領すると、中島飛行機は、橘花に引き続き福田技師を設計主務として、直ちに橘花の戦闘機化の開発に着手した。


 既に橘花からの変更部分は三木大尉と検討済みで、変更部分の設計にも着手していたので、実質は残っていた設計の継続と試作機の製造となった。もともと、開発済みの橘花の設計を生かして短期に戦闘機を実現することが要求されていることは、中島側も認識していたので、海軍には、ジェットエンジンとしてネ20を選択して、4カ月で初号機を初飛行させる計画を提出した。中島の機体はJ4N1の開発名称が付与され、中島が提出した開発計画は、航空本部に即座に了承された。


 中島は、設計作業を進めると同時に、設計済みの図面に基づいて、流れ作業的に機体部品の製造を開始した。機体の設計図面が仕上がると次々に製造工場に図面を送って機体の部材を製造してゆくことで、初号機はどんどん工場内で完成に近づいていった。三菱が九六艦戦以降、零戦、雷電、烈風と戦闘機を立て続けに受注しているのに比べ、中島は海軍の戦闘機ではかなり後れをとっていた。そのため、海軍から戦闘機を受注するという悲願の実現に向けて、設計部門だけでなく、工場全体が早期完成に向けて全力で取り組んでいたのだ。


 昭和16年6月に行われた木型審査は、変更が行われた機首や操縦席、内翼部などの変更部を主体に審査が行われた。なんといっても、原型である橘花は既に存在しているのだ。また、橘花の飛行試験の結果判明した、高速時に縦の安定性が不足気味となる現象への対処として、九九式艦爆のように垂直尾翼前縁にフィンが追加された。この時点で橘花の戦闘機版J4N1は非公式に橘花改と呼ばれていた。更に、制式化までの期間を短縮するために、十四試局戦の開発法に倣って、十六試局戦においても多数の試験機により並行して複数の項目試験を消化する案を決定した。


 海軍に提出した計画書よりも早く、昭和16年7月中旬には、強度試験用の0号機が完成して、空技廠で強度試験が開始された。続いて、7月末には、早くも飛行試験を目的とする初号機の機体が完成した。直ぐに、空技廠から運ばれた官給品のネ20を装備して、地上試験が開始された。初号機は武装を機首に搭載していないので、ダミーの錘により重心を調整した。この時搭載されたネ20は圧縮機の改良により800kgの推力を発揮していた。


 J4N1の初飛行は、昭和16年7月末に実施された。橘花の飛行試験が先行して進展しているので、初期の試験はどんどん消化された。一連の試験で海軍の要求性能に対しては、ほぼ満たされることが明らかとなってきた。性能の実現が確実視されたことで名称を付与することとなった。名称については、この時既に呼び方として定着していた呼び名を踏襲して中島のJ4N1を「橘花改」と決定した。


 試験機を複数製作して試験を加速する方針に従って、1号機の初飛行後の1カ月間に2号機から9号機までが順次完成した。2号機による全備重量での簡易的な飛行試験験では、413ノット(765km/h)を確認した。やはり武装や防弾板などの戦闘機としての装備をすると重量も増えて、速度試験機からは速度が低下する。その代わり、機首に武装を搭載したので、射撃試験が実施可能となった。


 昭和16年8月から、空技廠に3機の機体が空輸されて、海軍の操縦員による試験が実施された。10月には、更に3機の機体が空技廠に空輸された。海軍の複数のパイロットがジェット戦闘機の性能試験に参加した。また、ジェット戦闘機の特性を生かした空戦法の研究も開始された。


 J4N1の試験の進捗と並行して、ジェットエンジンの改良も行われる。ネ20から圧縮比を増すことにより、推力を増加させたネ20Aが試験を開始して、性能の改善のめども立ってきた。このネ20AをJ4N1にも搭載して試験することとなった。無論、量産機にはネ20Aを搭載することが前提だ。元々試験機の橘花に比べて、武装等によりJ4N1は重量が増えているのでエンジンがそのままでは、性能が低下することになる。それを少しでも取り戻すためにはジェットエンジンの性能を向上させる必要がある。まず、J4N1の5号機と6号機に改良版のエンジンを搭載して性能評価を開始することを決定した。ネ20A搭載の5号機によるエンジン全開試験は、昭和16年10月から開始されて、軽荷重で435ノット(811km/h)の最大速度を確認できた。


 翌月になって、下川大尉が推力を増加した5号機のエンジン全開での急降下試験を実施している時に事故が発生した。高度9,000mあたりから急降下を開始すると、予定速度の500ノット(926km/h)まで加速したので、機体を引き起こそうとするが、操縦桿を引いても全く機首が上がってこない。急降下のまま高度がどんどん下がって、1,500mあたりで突然、機首上げが可能となった。


 高速の急降下から、急激に機首上げとなったために、目の前が一時真っ暗になって、失神しそうな猛烈なGがかかってくる。機首が持ち上がり始めるが、降下速度が猛烈に早いため高度はどんどん下がってくる。機体は地上激突ギリギリの200mあたりの高度で、降下姿勢から水平飛行となり、そのまま上昇に移った。直ちに着陸した機体を確認すると、補助翼の一部が吹き飛び、主翼の一部からはリベットがちぎれ飛んで、外板が浮き上がっている。高速での急な機首上げでかかったGが一時的に制限値を超えたため、たわんだ主翼が変形に耐えかねて、その部分のリベットが飛んで補助翼が破壊されたのだ。つまり、下川大尉の5号機は墜落一歩手前でなんとか着陸したことになる。


 この事故は、すぐに設計主担当の三木大尉に伝えられた。三木大尉は、解析のために空力の専門家の北野中尉を呼ぶとともに私にも声をかけてきた。


 北野中尉が、今までの話を聞いた範囲で意見を述べる。

「高空から、全力で急降下していたので、速度は550ノット(1,019km/h)を超えていた可能性があります。つまり時速1,000kmを超えた可能性があります。これは、主翼に衝撃波が発生してもおかしくない速度です。主翼に衝撃波が発生すると、いろいろな影響が出ると思いますが、この衝撃波が原因で操縦不能になったのは間違いがありません。低高度で操縦が可能になったのは、その高度で衝撃波が消えたからでしょう」


 三木大尉は大きな声で叫ぶ。

「なんということだ。我々はついに、音速の壁にぶち当たったということか」


 音速という大声を聞いて、周りの空技廠の技師たちが振り向いている。


 私も北野中尉と同じ意見だ。未来のミリタリーオタクとして読んだ書籍から、急降下で音速に達した話は記憶に残っている。

「私の想定原因も同様だ。知っての通り、航空機の主翼上では空気の流速は他よりも速くなっている。そのため機体の速度が音速に近づくと、主翼上で最初に衝撃波が発生するはずだ。主翼の衝撃波が操縦を阻害して、機首上げが不可能になったのだと思う」


 北野中尉は、さっそく飛行データを確認するために下川大尉のところに飛んでいく。残念ながら、J4N1は単座機なので、飛行状態を記録する後席の搭乗員がいない。全て、操縦士の記憶に頼ることになる。時間がたてば、人の記憶はあいまいになるから、とにかく早いうちにできる限り話を聞いておく必要があるのだ。


 翌日になって、北野中尉がおおむね原因がわかったと言ってきた。


「やはり、主翼での衝撃波の発生が原因と考えて間違いがありません。音速が小さくなる7,000mあたりの高空で550ノット以上の速度になったことで、主翼に衝撃波が発生しました。主翼上に衝撃波が発生したため、空力中心が後方にずれたのです。私も論文で読んだだけですが、主翼で衝撃波が発生すると揚力中心が後方にずれるのです。揚力中心が後方に移動すれば、下げ舵と同様の効果が発生します。そのため、操縦桿を一杯に引いても揚力中心のずれの効果が勝って機首上げができなくなりました。低高度で操縦が回復したのは、低空の気温の高いところまで下りてきて、音速が上昇したおかげで翼上の衝撃波が無くなったからだと思います。高空の低温の空気中では、音速は低下して衝撃波が発生しやすいのですが、逆に低空では気温が上がって音速が上昇するので、主翼の気流は音速以下になって衝撃波が消えたと考えられます。対策として考えられるのは、空力中心がずれても頭上げができるように、昇降舵の上げ舵の機能を大きくする必要があると思います。まあ、急降下爆撃機のように速度抑止のためのブレーキ、いわゆる急降下ブレーキを追加して、危険な速度からの脱出を可能とするという手もあります」


 完璧な説明に三木大尉もすぐに理解できた。

「なるほど、よくわかった。昇降舵に大型のトリム調整板を付けても効果がありそうだが、確実なのは大型のダイブブレーキの追加ということか。これは結構大掛かりな設計変更になりそうだな。私が知っている急降下爆撃機を参考にするならば、十三試艦爆と同様の主翼下面に3枚か4枚に分かれたダイブブレーキを追加するのが手っ取り早そうだ」


 北野中尉の説明から、未来の私の記憶が呼び戻された。米軍戦闘機にはダイブリカバリーフラップと呼ばれる仕掛けが、主翼の衝撃波対策として追加されたはずだ。例えばP-38Lの後期型の図面やプラモデルをよく見ると、エンジン両側の主翼下面の翼弦の中央あたりに設置された小型の扉のように下がる板がある。亜音速で主翼に衝撃波が発生した時にこの小型のフラップを下げると、翼下面の空気流を変えて主翼の空力中心を前進させる役目を果たすのだ。急降下ブレーキのような、機体の速度を下げるための大掛かりな仕掛けではなく、小さなフラップ状の板により、機首上げを可能とさせるのだ。機首が上がれば、上昇に移って速度も下がり墜落も回避できる。似た仕組みはP-47サンダーボルトの後期型やF8Fベアキャットでも追加されたはずだ。


 私はその記憶に基づいて、メモ帳に図を描いて、三木大尉と北野中尉に説明する。

「急降下ブレーキの追加以外の対策としては、主翼に空力中心の後退を防ぐ仕掛けをつけることが考えられる。この図のように翼下面の中央部に空気流を受ける小型の舵面を設置して、それを降せば、舵面による空気流の変化によって、空力中心を前進させることが考えられるだろう。主翼の揚力中心が前に移動すれば機首上げが可能となるわけだ。そうすれば操縦が可能になって、墜落は回避できるだろう。この仕掛けならば、後付けで可能な程度の変更に収まると思う。この仕掛けは米国でも研究されていて、ダイブリカバリーフラップと呼ばれる」


 北野中尉は一瞬ぽかんとしていたが、すぐににんまりする。

「なるほど、理屈としては成り立っています。機首上げの操縦性を取り戻すという方法としては、いい案だと思いますよ。この仕掛けによる空力中心の前進効果については、風洞試験をする必要がありますが、それは他の案でも必要なことです」


 三木大尉も今の試験機にできることは限られていることはわかっている。しかし何も手を打たないと、他の試験はできても急降下試験が先に進まない。三木大尉はうなずいて決断したことを話しだした。


「当面、鈴木の案を採用しよう。北野君はその対策を行う前提で、効果を確かめるためにすぐに風洞試験をしてくれ。量産機の対策はもう少し考えてみるが、まずはこの対処で先に進もう」


 結局、風洞試験の結果を確認して、機首上げモーメントを発生させるために。ジェットエンジンよりも外側の外翼下面の中央当たりに機首下げ抑止版(ダイブリカバリーフラップ)を設けることとした。内翼にフラップを付けると、乱れた気流が水平尾翼に当たって振動が発生するのだ。更に量産機からは機首下げ抑止版の面積を増加して、より高速での衝撃波での影響を避けられる設計とされた。なお、この問題の原因と対策は三菱にも連絡され、三菱の開発しているジェット戦闘機にも衝撃波対策が適用された。


 ネ20Aを搭載しての試験が進んで来たところで、十六試局戦のジェットエンジン選定について、噴進班としての会議が開催された。種子島中佐が最初に説明した。

「J4N1の試験飛行により、この機体に対してネ20Aを搭載した時の性能がわかってきた。各自の前のメモに計測した性能を簡単に示してある。この性能で不足ならばネ30を搭載することも考えられる。J4N1の今後のエンジンについて、諸君の意見を聞きたい」


 三木大尉が答える。

「ネ30を使用すれば、ネ20Aに比べて速度性能は向上します。その代わり、燃料消費量が多いので航続距離が減少します。またエンジンと関係部分の重量が増加するので、運動性が若干悪化します。上昇性能は、エンジンの推力増加と重量の増加が相殺して、恐らくほとんど変わりません。戦闘機としてはネ20Aでも高性能なので、同様に活躍できると思います。私としては、ネ20AがJ4N1の機体の大きさにあっていると思います。特に開発時間を優先するならば、今までネ20AをJ4N1に搭載して試験が進んでいる事実を考慮すべきです。実用化までの期間を考えれば圧倒的にネ20Aが有利です。まあ、ネ30の開発社は中島なので、ネ30を希望するとの意見も出ていますが、強い要望ではないでしょう」


 私からも補足説明した。

「三木大尉の話にもありましたが、我が国の最初のジェット戦闘機として、できる限り早期に実戦配備すべきだと思います。ジェット戦闘機とはどんなものなのかをわが軍の頭の固い連中に理解してもらうためには、ここはやはり少しでも早く戦闘機として登場させたいと思います。まあ、戦闘機の生産が軌道に乗ってきたら、将来は性能向上型としてネ30搭載を開発することも可能なので、まずはネ20Aで進めるべきだと思います」


 種子島中佐が機体について質問する。

「J4N1自身の機体の生産性はどうなのだ? 零戦に比べて、かなり生産の手間が少なくなっていると聞いているが」


 ここで三木大尉が代表して答えた。

「中島で考案されていた、厚板構造を採用しています。外皮を厚い板材として強度を持たせて、その代わりに内部の縦通材や助材をなるべく少なくしています。それで、リベットの数も大幅に減っています。機体の胴体や、翼の生産工数は、工作に手間がかかる零戦の3分の1くらいじゃないでしょうか。つまり単純計算すれば、材料さえあれば零戦を1機作る間に3機は作ることができることになります」


「うむ、するとエンジンがジャンジャンできれば、機体の方もそれなりの数がそろうということか。空技廠長にこの場の結論を持っていくが、私も十分な性能が確保できていれば、直ぐにでもネ20A型の量産を開始すべきと考える。生産をまずは開始してから、ネ30が余剰になるというようなことがあれば、その時点でネ30搭載機も考慮すべきだと思う。もう一つ私から、質問がある。機内燃料については、既に胴体燃料タンクの増設をしているが、十分なのか? 2基のジェットエンジンを動力とするというのは、かなり燃料消費が大きくなるだろう。戦闘機として、増設したタンクで実用的な航続距離が確保できるのか?」


 私から答えておこう。

「ジェットエンジンは燃料をバカ食いするので、全力運転すれば短時間で燃料タンクが空になってしまいます。しかし、航続距離の観点からは、ジェット戦闘機は高空を高速で巡航飛行することができるので、意外に遠くまで飛ぶことができます。長時間ゆっくりと哨戒飛行するような使い方をしようとすると、短い時間しか飛行できないことになり不得手と言えます。少しでもそれを改善するために、容量の大きな増槽を両翼に2個携帯することを考えています。それも、なるべく抵抗の少ない装備法を風洞で試験すると、両側の翼端部に増槽を携行するのがよいという結論になりました」


 翼端増槽については、三木大尉と私で、J4N1の設計開始時点で、既に検討していた。未来の私の知識からは、各種の機体で採用実績のある方法だとわかっている。私の提案に基づいて、既に風洞実験で効果を確かめて採用を決めたものだ。


 結果的に、9号機から15号機までの機体にはネ20Aを装備して試験することに決定した。更に、5号機と6号機にも機首に機銃を装備して、翼端部に増槽を携行できるように機体を改修して、実戦部隊での運用試験が可能な機体とした。木更津では、滑走路の延長工事により複数の機体が安定して飛行できるようになったため、ジェット戦闘機の編隊による、空戦の試験も実施できるようになった。


 なお、11月には、J4N1の飛行試験の状況に注目していた陸軍からも戦闘機として、採用したいとの要望があり、海軍軍令部の判断により許可された。陸軍機の装備を変更して火龍の名称を付与して、実質的に局地戦闘機と同様に主に迎撃戦で使用した。


 橘花改(J4N1)は、昭和16年11月には、今までの試験により発生した改修を全て織り込んだ、16号機が完成した。搭載するエンジンとして、ネ20Aエンジンの量産が既に開始されており、橘花改に必要な数の入手が可能となった。中島飛行機は、実質的に機体の量産に着手していた。先行して機体の部材の生産を進めており、それを利用して翌月の12月には、月産20機の生産が可能となった。多数の機体の完成により、木更津基地では、試験機による戦技研究を目的とした実験小隊の編成が可能となった。


 開戦という大きな状況の変化により、航空本部や軍令部での審査が加速された。J4N1の試験項目がほぼ消化された昭和16年12月からわずか1カ月後には橘花改が制式化された。昭和17年1月に海軍は橘花改11型として採用した。この機体の呼び名については、非公式の名称を継承して橘花改と命名された。


 橘花改11型

・機体略号:J4N1  昭和17年1月

・全幅:12.0m

・全長:11.8m

・全高:3.4m

・翼面面積:23.5㎡

・自重:3,750kg

・全備重量:6,200kg

・エンジン:TJ-20-21型(ネ20A)×2 推力:900kgf

・最高速度:433ノット(802km/h)、 7,000mにて

・上昇力:10,000mまで11分43秒

・防弾:操縦席に防弾ガラス及び背面に装甲板、胴体内と翼内燃料タンクに消火液による消火装置

・武装:機首に長銃身20mm三号ベルト給弾機銃4挺(携行弾数各200発)

・爆装:両翼下に25番(250kg)爆弾2発

・噴進弾:一式五十粍噴進弾を両翼に搭載

・増槽:両翼端に増槽(500リットル)を装備


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