11.4章 カタパルトと斜め飛行甲板

 航空本部技術部長の多田少将は、昭和15年12月に行われた十六試艦戦に対する要求条件の検討会で話題になった、空母にカタパルトを搭載する会話をよく覚えていた。発艦を考えると、カタパルトがなければ、艦攻などの搭載機は空母の飛行甲板をいっぱいに使って1機ごとに離艦することになる。一方、カタパルトがあれば、飛行甲板の後方に発艦する予定の機体をずらりと並べておいて、次々に艦首のカタパルトから発艦できる。機数が多くなれば発艦に要する時間が全く違ってくるのは誰でもわかる。


 加えて、速度の遅い空母にとって、発艦は死活問題だ。空母の足が遅くて、合成風速が足りなければ、重量の大きな機体は空母の飛行甲板をいっぱいに使っても離艦できない場合があり得る。カタパルトさえ備えていれば、それが解決するのだ。


 多田少将にとって、言われなくてもこんなことは既に認識済みのことだった。何しろ、艦政本部と航空本部が共同で空母にカタパルトを搭載するための実験計画が、既に進んでいたのだ。実験に使用する空母は加賀が選ばれて、艦首部にはカタパルト設置の工事が開始されていた。


 ところが、工事が途中まで進んでいるのに肝心のカタパルト駆動のための動力部が白紙に戻っていた。当初予定した空気圧縮方式では、連続射出ができないのだ。少数の機体を射出すると、圧縮空気の気圧が下がって、十分以上も空気圧縮の時間が必要になる。また、疑似的な重りを使った実験では射出できる機体も3トン程度が限界でそれより重い機体は、発艦のための加速が不足することが指摘されていた。


 この計画が始まった時は、まだ艦載機は軽かった。それがどんどん重くなって、これからもそれは収まりそうもない。赤城へのカタパルト設置が予定されて工事図面ができているのに、艦載機を牽引できるだけの動力源の手当てができなくなっていた。


 海外の状況に関しては、アメリカとイギリスの航空母艦に設置されたカタパルトの状況について、多田少将のところにも調査報告書が既に届いていた。鈴木大尉が言っていたように、アメリカもイギリスも油圧式のカタパルトを既に空母に備えているのはわかっている。性能は5トン程度の航空機を時速120km程度まで加速して、空母から射出可能なようだ。同じものができれば、日本海軍でも使用可能だろう。


 鈴木大尉が十六試艦戦の会議後に書いてくれた蒸気カタパルトの資料が手元に届いたので、しっかりと読み込んでみる。やはり、蒸気カタパルトは原理も簡単で、実現可能であるように思えた。なんと言っても、原理としては蒸気圧で直接ピストンを動かすだけなのだ。このメモの通りに装置が実現できれば渡りに船だ。なんと彼の資料の後半には空母の甲板を斜め左側に張り出して、着艦領域とカタパルトによる発艦領域を分ける飛行甲板の変更図までが含まれていた。その新しい甲板を斜め甲板と名付けて運用法や、メリットやデメリットまでが書かれていた。


 多田少将は、この件に対する自分自身の方針を決めると、航空本部長の井上中将に相談した。解決案として、鈴木大尉の説明書も見せた。


 無論、井上本部長もカタパルトの問題については以前から報告を受けている。それが本当に解決できるかが問題だ。

「うむ、それでこの資料にある蒸気カタパルトという方式を利用して、今の問題を解決しようというのだね」


 多田少将が答える。

「はい。今の問題を何とか解決するためには、この資料の様な新しい方式に頼らざるを得ません。但し、この方式は海のものとも山のものとも証明されていませんので、万が一の時は私が責任をとるという前提で、進めさせていただきたいのです」


 井上中将はこの大尉を既に知っていた。鈴木大尉が漢口での迎撃戦の立役者となった電探の開発者であること、360ノット越えの試験機を実現した人物であること、航空本部内で最近話題になったジェットエンジンの開発者であることを井上中将自身も聞いていた。しかも、電探を使用した模擬戦闘や橘花の試験飛行を実際に見学しているのだ。


 鈴木大尉のメモにざっと目を通すと、多田少将の顔を見上げた。

「私もこの大尉をよく知っている。信用できる男だ。しかも驚くほど知識が豊富で優秀だ。もちろん、蒸気カタパルトの開発を承認する。やるからには短期間で成功させるよう思い切ってやってくれ。失敗した時に、君だけに責任をとれと言うつもりはない。失敗したら、まずは私が首を差し出すよ」


 多田少将は席に戻ると、副官を呼んで、蒸気カタパルトの資料を手渡した。


「短時間で蒸気カタパルトの実験をしたい。今まで検討してきたカタパルトの部品も好きに使っていいから、とにかく至急実験を行うように手配して欲しい。なお、空技廠の和田さんからは協力を取り付けているので、とにかく早くやってくれ。煽ってすまんが、2、3カ月で何らかの結果を出してほしい。今の世界情勢を考えるとゆっくりできんのだ。それと資料の終わりの方に書いてある斜め飛行甲板の件だが、これもぜひ実験してみたい。新造の小型空母があるだろう、それへの改造を艦政本部に依頼してくれ。空母の改造ができるならば、艦載機を使っての実験はこちらで全面的に責任を持つと伝えて欲しい」


 和田廠長に対して、航空本部からの蒸気カタパルトの正式な開発依頼がすぐに行われた。

「以前から打診されていたが、正式な開発依頼が来たよ。多田さんも行動が早いねぇ。今回の依頼は空母搭載のカタパルトの開発だ。既に蒸気カタパルトの原理については、鈴木君の資料にある程度まとめられている。発着機部が設立されたばかりで悪いが、短期で結果を出してくれ。とにかく加賀を放置できないので、早く何とかしろとの命令だ」


 和田廠長に呼ばれたのは、今年になって、空技廠に新たに設立されたばかりの発着機部の部長である高木大佐だ。彼も暗礁に乗り上げたようになっている加賀のカタパルトのことは知っていた。


「もちろん開発は引き受けますが、短期でやるとなると、一番の大物が蒸気で動作するシリンダとピストンの部分です。それがわかる技術者の支援をいただければ、より早く完成すると思います。シリンダとピストンと言えば、発動機部ですかねぇ。航空機のエンジンとは大きさが随分違いますが、原理は同じでしょう。是非とも協力をお願いしたい。横須賀工廠と呉工廠の発進促進器の関係者には私から声をかけますよ。そもそも加賀のカタパルト設計に関与した人物が何人かいるはずですので」


「そうだな、そもそも今回の蒸気カタパルトの言い出しっぺは発動機部の鈴木大尉からだからな。さっそく呼ぶとしよう」


 ……


 和田廠長に私と川田中尉、林大尉が呼ばれた。

「……というわけで、君たちにお手伝いを依頼したくて来てもらった。カタパルトのシリンダとピストンは発動機よりも随分と大きいが、動作原理は同じだろう。設計と計算については川田君にお願いする。あと、動力伝達の部分については、ギヤやクランク軸の専門の鈴木君と動力伝達に詳しい林君にお願いする。というか、鈴木君は今回の仕掛け人なんだろう。責任取って、しっかり完成させてくれ。それから、発着機部の高木大佐は、初めての大きな仕事だということで、全力で取り組むと言っている。工廠も、空母に搭載する新装備だということで既にやる気満々だ」


 川田中尉も「私がやるんですかぁ?」などと言っているが専門家と言われればやるしかない。私にとっては、結局自分の仕事として戻ってきたという壮大なブーメランだ。


 とにかく時間が惜しいので、すぐに蒸気カタパルトの全体構成について、意識合わせをする。全体としては、発着機部が責任をもってまとめるということで、設計者としては、我々発動機部の3名以外の技師は高木大佐の部下と横須賀工廠や呉工廠からの技師を手配してくれた。工廠には、大型艦に装備されている水上機の射出器の開発経験者が何人もいるのだ。


 今回は、近代的なアメリカの空母のような蒸気シリンダ内でシャトルが前後して、航空機を引っ張る構造は蒸気のシールなど、時間がかかりそうなので採用しない。航空機を牽引するフックとは別にシリンダを設けた今まで海軍で考えられてきたカタパルトの基本構造を踏襲することとした。加賀もその構造を前提として、改修工事をしているはずだ。


 蒸気で動作するシリンダについては、蒸気機関車のシリンダ構造を参考にすることとした。強い力を発揮するシリンダとピストンがあればそれを伝達する仕組みは、設計済みとなっているとのことだ。話を聞いてみると、呉工廠で考えられてきた呉式発艦促進機を前提として、カタパルト本体と駆動させるためのワイヤーや滑車などは設計が済んでいて、試作用の部品も完成していることがわかった。最も早い実現方法としては、今まで考えられてきた仕組みの中に蒸気シリンダとそれで動作するピストンを駆動源として組み込めばいいのだ。


 川田中尉が蒸気圧とピストンの終速と蒸気圧の関係を計算する。応力を計算して、シリンダやピストンに要求される強度を検討する。


「シリンダとピストンは鉄製だ。シリンダは一重構造として内面は大砲の製造と同じように内部を削り出す。内面の硬化処理は焼き入れをすれば、ピストンの速度から考えて十分だろう。ピストンには、ピストンリングが2個は必要だろう。ガソリンエンジンじゃないので、多少の蒸気漏れは許容する。それよりも多少手荒く扱っても、壊れないことが重要だ。ピストンの前後動作を伝えるロッドの部分はムクの鋼材とするとさすがに重すぎるので、中空部材とする。ピストンが進むときに蒸気圧をかけるが、戻るときにも蒸気圧で戻すので、蒸気を出し入れする機構は複動式のディーゼルに近いな」


 林大尉が工廠の技師と共同して全体の図面を書いてくる。なぜか発動機ではない機構の設計が彼の得意な領域だ。


「ピストンロッドに接続して航空機を引っ張る仕掛けは、設計済みの機構が利用可能です。ワイヤーと滑車を利用して場所をあまりとらないようになっています。恐らく5トンの航空機を150キロ程度には加速できるはずです。但し、航空機のフックにワイヤーをひっかけて射出するところは設計と実験が必要です。呉式射出機では台車を使う案になっていましたが、これでは水上機の射出用で、空母では実用できません。鈴木大尉の書いた図面にあった、短いワイヤーを航空機の左右主脚柱のフックに引っかけて牽引させる方法が現実的だと思います。但し、この方法は実際にはまだ誰も実施していないので実験が必要です」


 検討結果に基づいて、まずは詳細な全体の構成図を作成した。川田中尉がピストンとシリンダの図面を描いた。蒸気を一時貯蔵するための蒸気タンクも必要だとわかった。蒸気機関車でもこのタンクは存在している。


 図面が完成すると、それに基づいて蒸気を利用する長いシリンダとシリンダへの蒸気の出入りの圧力を制御する蒸気弁の作成が海軍工廠で行われた。


 早くも昭和16年3月には、蒸気式カタパルトの実験施設として、木更津基地の飛行場の一角への設置が行われた。蒸気機関車を木更津に運び込んで蒸気発生のボイラーとして利用することにした。基地には既にレールが敷いてあるので、こういう時は便利だ。高圧蒸気を蓄積するタンクは蒸気機関車の蒸気だめでは容量不足なので、機関車の外部に圧力弁付きの高圧蒸気タンクが設置された。新規設計のシリンダとピストンロッドの先に滑車とワイヤーを伸ばして、その先に牽引器を設ける。牽引器の先に付けた牽引フックを飛行甲板上に出して、牽引器が飛行甲板上のレールに沿って蒸気の力で加速して動く。


 牽引フックに航空機接続用ワイヤーと呼ばれる短いワイヤーを引っかける。接続用ワイヤーを航空機の左右の主脚または主脚付け根に設けたフックに引っかけて航空機を引っ張ることになる。接続用ワイヤーの中央部は金具によりカタパルトの牽引フックに引っかける。結果的に、牽引フックを中心にして、左右の脚にV字型にワイヤーが張られる。この方法は私自身の未来の米国空母に採用されたカタパルトの記憶から、発案したものだ。尾輪式の機体に対して、左右の主脚に設けたフックにひっかけた接続用ワイヤーの中央部を飛行甲板上の牽引フックにひっかけて機体を引っ張る方式を採用した。接続用ワイヤーは航空機を引っ張る張力がなくなると、自動的に脚から外れる機構を引っかけ金具に備えている。また牽引フックの方もフックが最先端に達した後に、機体がそれより前方に進んでゆくと自動的に外れるようにした。木更津基地に設置されたカタパルト本体は地面に溝を掘って設置した。その上に飛行甲板を模して模擬甲板を設けた。


 実験施設が据え付けられると最初はダミーの重量物をワイヤーで引っ張って、射出する実験を繰り返していた。シリンダとピストンは、直径や長さの異なる部品をあらかじめ製造しておいて、加速性能と動作の安定性を確認して、最終的なシリンダとピストン部品を決めた。


 ピストンとシリンダの構成が決まってくると、射出物の重量を変えて、射出に必要な蒸気圧と、射出速度と加速度のデータを取得した。また、用済みになっている機体を無人で射出して、加速度により機体の損傷がないかを確認した。この時点で、蒸気を十分に発生できるボイラーがあれば、6トン程度の航空機であれば10秒間隔で射出する目途が立ってきた。


 無人機の次は、有人での射出実験だ。九九式艦爆を実験機としてカタパルトによる有人の射出実験に移行した。九九式艦爆にワイヤーをかけて、射出実験するとカタパルトで加速した艦爆はカタパルト端でワイヤーが外れて軽快に空中に舞い上がった。この時に使用された九九式艦爆には、左右の主脚支柱にワイヤーをひっかけるための小さなフックを追加していた。九九式艦爆は、複座なので後席に実験を記録できる試験要員が搭乗できる点で好都合だった。そのうえ急降下爆撃機ということで、機体の強度が高いのも利点だ。蒸気カタパルトの実験設備により有人の機体の射出が成功したことは、航空本部の井上中将、多田少将と連合艦隊の山本長官に報告された。


 九九式艦爆の実験が成功すると、発艦試験は九七式艦攻や零戦などの機体へと種類を拡大して実施することとなった。既に重量を変えたダミーの実験から、各機体に必要な速度で射出するための蒸気圧はわかっているので、それで射出した場合の機体への加速度の影響が確認された。もちろんいずれの機体にも前脚の支柱にワイヤーを引っかけるためのフックが追加されていた。


 蒸気カタパルトの実験と並行して、空母加賀の飛行甲板に工事途中となっていたカタパルトに蒸気シリンダ機構と蒸気タンクを取り付けてシステムとして完成させる工事が行われた。とにかく艦政本部はカタパルトの工事中という状態は恥だと思って、それを一刻も早く解消したかったようだ。元々加賀の艦首には2基のカタパルト設置のために飛行甲板に牽引フックの軌道が準備されていたので、予定通り2基が設置された。昭和16年8月に加賀への設置工事が完了すると、直ちに外洋でカタパルトによる発着艦を試験するために出港していった。


 一方、加賀と同じカタパルト用の部材を集めて、赤城にも同様の改造が開始された。赤城の場合は艦首に1基のカタパルトが設置された。赤城と加賀の工事が異例なほど急がれたのは、昭和16年中旬になって連合艦隊司令部からの要求があったからだ。無論、開戦が懸念される状況下で、戦力向上のためにできることは全てやっておきたいという理由からである。連合艦隊の論理は単純だ。カタパルトが使えるものなら、活用する。ダメなら従来のやり方で発艦する。少なくとも今までより悪化するものはない。


 加賀はカタパルトの設置工事が完了すると、相模湾に出て、カタパルトの運用試験を開始した。何しろ、今まで陸上では試験してきたが、実際の空母では初めてなのだ。まずは、九七式艦攻や九九式艦爆、零戦が横須賀航空隊から飛来して着陸を行う。離艦については、当初はカタパルトを使用しないで飛行甲板を自力滑走してで飛び立った。一通りの離着艦が問題なく実施できると、蒸気カタパルトを利用した離艦に移行した。カタパルトの蒸気圧を低めに調整して実施した軽荷重での離艦はすぐに問題なく終了した。カタパルトによる急加速に対しても機体の損傷は発生しなかった。


 1週間後には、訓練用の魚雷や爆弾を搭載した過荷重の九七式艦攻と九九式艦爆により、カタパルトを使用した訓練に移行した。機体の重量に応じてカタパルトの蒸気圧も順次高く調整された。発艦自身は問題なく実施されたが、連続的な離艦の実施により、カタパルトが大量の蒸気を使用するためボイラーの蒸気圧が徐々に低下することが確認された。実験の結果、20秒間隔で離艦する限りはカタパルト側の蒸気圧は維持できるが、大元のボイラーの蒸気圧が徐々に低下してゆくため、30分ほどカタパルトの連続使用を続けると艦の速度が1割程度低下してくることが確認された。


 私もカタパルトと搭載航空機の確認のために、九七艦攻の後席に乗せられて横須賀から、太平洋で訓練中の加賀を訪問したことがある。


 飛行甲板の横で見ていると、離艦待ちの九九式艦爆がカタパルトに誘導されて、離艦用のワイヤーの機体への接続が実施される。どうやら、手旗を使用して作業を確認しているようだ。離艦する機体の脇で、当初の赤の旗が黄色に変わり、離艦ワイヤーが正しく接続されると、機体の周りから作業員が離れてゆく。カタパルトの準備を確認すると青色の手旗を振る。直ぐにカタパルトのフックが前進を開始して、勢いよく機体を射出してゆく。同様の作業が繰り返されて、目の前であっという間に3機の九九式艦爆が発艦してゆく。


 次に、艦首の2基のカタパルトに零戦と九九式艦爆を固定して、連続的に射出する試験が実施された。さすがに射出された2機の空中衝突を避けるために、若干の時間差を設けて射出してゆく。また、空母の速度を落として低速航行中の空母から離艦可能であるかの確認も行われる。また、風下に向かって航行している場合のカタパルトによる発艦についても軽荷重の零戦により試験された。


 これらの試験により、次々と艦載機を発艦させてゆくためには、飛行甲板上で発艦の指示する指揮官が、カタパルトの運用や離艦待ちの飛行甲板上の動きを指示することが効果的であることが確認された。これ以降、日本海軍は飛行甲板上の作業全般に責任を有する指揮官の配下に、従来の航空機整備の要員の他に、離艦作業と着艦作業の甲板要員、更に航空機に搭載される武器に対する武装要員に専門が分かれてゆくことになる。


 私が見学している限り、カタパルトに問題は出ていない。連続射出では既に甲板の要員も慣れてきたようで、カタパルトの準備から機体の据え付け、一連の確認作業と射出までスムーズに実施されるようになっていた。

「いやー鮮やかな手順ですねぇ。まるで何年も訓練してきたような兵員の動きに見えます」


 横にいた加賀の飛行長が答えてくれる。

「実は各兵員の役割を分担させて、まずは自分の役割だけを確実に果たせるように訓練したのです。ですから離艦のカタパルト周りの作業員は、現時点では自分に割り当てられた以外の作業はできません。例えば着艦時にはまだ見ているだけで、機体整備時の雑用くらいしかできません」


 直ぐに未来の私の知識で米空母の甲板作業の様子が思い浮かぶ。ヘルメットをかぶって、黄色や緑、赤のベストを付けた作業員の姿だ。


「そうであるならば、目に見える形で兵員を区別したらどうですか。例えば、チョッキや上着の色を役割ごとに分ける。離艦や着艦要員に赤や黄色を使い、整備員は青色、兵装の担当は緑色などでわかりやすく表示するのです。飛行甲板はただでさえ過密になるので、一目でわかる色で区別して事故を防止するのです。また作業員にはヘルメットを着けることをお勧めします。作業中に機体のあちこちに当たってしまう可能性がありますからね」


 知らぬ間にやってきた山田艦長が会話を引き継ぐ。

「なるほど、色分けすれば、指揮官が指示しやすいし、兵員同士でまごつくことも減るね。それとヘルメットは、艦艇でも高射砲の要員はヘルメットを装備しているが、それと同様の装備ということだね。さっそく航空本部と軍令部に要求してみよう。艦における作業の効率化の提案なのだから賛成は得られると思う」


 私は改めて、艦長の方を向いて講評をする。

「短期間で、カタパルトという新型装備をものにして、実際に運用していることに敬意を表します。この艦はしばらくの間、他の空母にとって良い見本になるでしょう」


 そんな会話をしていると珍しい機体が飛来してきた。なんと十三試艦爆として試験中の機体が、着艦してきたのだ。ベテランの操縦員らしく大型の機体にもかかわらず、すんなりと着艦してみせる。飛行甲板の後ろから3番目あたりの制動索を引っかけて止まったようだ。そのまま艦首部に押されてゆくと、蒸気カタパルトのワイヤーに接続され、打ち出されてゆく。しばらくするとまた着艦してくる。着艦を3度繰り返すと、最後の着艦後には燃料を補給した。4枚プロペラを備えて一回り大きな機体がやはり珍しいので、機体の周りには、人だかりができている。操縦員が胴体下部の爆弾倉の扉を左右に開いてみせると、おーっという声が上がっている。給油が終わって、しばらく機体の確認をしてから、十三試艦爆は再びカタパルトで発艦すると横須賀の方面に帰っていった。


 十三試艦爆については艦長も感心している。

「大型機でも問題なくカタパルトは使えたな。あの新型機は80番(800kg)爆弾も搭載できて、速度も零戦より速いとのことだね。これが実戦配備されれば、わが軍の空母の攻撃力も大幅に強化されるはずだ。今日の様子を見るとまもなく配備が進みそうだ。是非とも早く配備が進むようにしてほしいものだ」


 私からもいい返事をしておこう。

「空技廠でも審査をしていますが、大きな問題はもう発生していないようなので、今年末までには審査は終わると思います。そうすれば直ぐに配備が始まると思いますよ」


 一方、航空本部長からの依頼により、昭和15年に竣工したばかりの空母瑞鳳に対して、横須賀工廠で左舷の艦首寄りに飛行甲板の張り出しを追加する工事を行った。前方の高射砲と機銃を一時的に削除して砲座と銃座の張り出しをそのまま利用して、支柱を立てて三角形に張り出した厚さ50cm程度の飛行甲板を支える構造とした。実験の結果、不要となった場合には短期間で元通りに戻すことも考慮して、張り出しの邪魔になった高角砲と機銃は陸に残したままだ。飛行甲板の艦尾から左舷張り出しに向かって飛行滑走時に参照する白線を道路のように描く。斜めの滑走路に合わせて、着艦制動索も位置を変更して斜めに張りなおす。飛行甲板の両舷に設置されていた着艦誘導灯も、斜め右方向から着艦してくる航空機を想定して向けを変える。


 改造工事は、昭和16年8月に完了して、瑞鳳は三浦半島沖に出港して、試験が開始された。まずは、複葉の九四式艦爆が飛んできて、着艦試験が始まる。操縦員は空技廠の飛行実験部で艦攻や艦爆の試験を担当していた小牧大尉が務めた。


 最初は飛行甲板に斜めに降りてきて車輪を甲板に接地させて、そのまま加速して飛び上ってゆくタッチダウン動作を繰り返した。もちろんこの時は飛行甲板上で停止させないので、着艦制動索は倒したままだ。5回ほどタッチダウン試験を繰り返すと、問題なさそうだとの判断から空母から着艦許可が出た。旧式の艦爆は、何事もないように、斜め甲板に降りてきて制動索にフックをひっかけて着艦した。その翌日は離艦と着艦の送り返し試験になった。艦首からではなく、斜め甲板の後端から離陸加速して、斜め方向に離艦する試験も行われた。斜め甲板は、着艦のやり直しができるので、着艦事故を削減できる効果が大きいことは誰にもわかった。着艦フックを掛けそこなった機体が、着艦静止索に引っかかって機体を損傷することも防止できる。着艦フックが引っかからなければ、そのままエンジンをふかして斜め甲板に沿って甲板を走って行って、離艦してしまえばいいのだ。


 翌日には、下川大尉が零戦で飛来した。九四式艦爆同様にタッチダウン動作を3回実施して着艦に問題ないことを確認すると、飛行甲板にすとんと脚をつけてから着艦フックをひっかけてなんの問題もなく着艦した。下川大尉は、着艦は全く問題ないとの意見だった。やはり着艦動作の最後になって、着艦やり直しを決断してもそれが可能であることの利点が大きいとの意見だ。特に経験の少ない操縦員ほど、この利点が大きいだろうとのことだ。


 続けて、九七式艦攻や九九式艦爆が飛来して同様の試験を実施した。これも特段の問題はない。着陸した機体を格納庫に降ろさず、艦首部に移動させて駐機した状態で着陸する試験も問題なく終了した。小牧大尉と下川大尉も翔鶴級のような大型空母の艦首にカタパルトを備えていれば、着艦と発艦を同時に行うことが可能であると判定した。艦政本部と航空本部の審査官も空母に同乗して斜め飛行甲板が実用可能であることを確認した。


 この実験後、操縦員の意見も聞いて、左舷側の張り出し部の面積と形状が最終的に確定された。艦政本部が張り出した飛行甲板の追加による重心の変化や、艦としての復元性能の変化について確認して、更に一時削除していた左舷側の高射砲と機銃を戻すために、装備位置を変更して据え付け工事を実施した。瑞鳳での実験結果に基づいて、大きな利点を有するということで斜め飛行甲板の採用が決定された。試験結果を聞いた連合艦隊からは山本長官の名前で、他の空母にも早期に空母を斜め飛行甲板つきに改装したいとの要望が出された。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る