11.3章 迎撃演習と空母改装

 技術研究所で電探や無線機器の開発をしている伊藤中佐が欧州に旅立ってしばらくすると、空技廠の和田廠長からお呼びがかかった。同時に永野大尉も呼ばれていた。


「航空本部長の井上中将からの依頼があった。最新の電探を使った航空機の迎撃戦の様子を知りたいそうだ。漢口の迎撃戦の話を聞いて、電探というものに興味を持ったらしい。電探を活用した迎撃実験を一度見せたいのだが、可能だろうか? 実は私自身も忙しさにかまけて、この目で電探による迎撃戦は見ていないので、ぜひとも見たいのだ」


 こういうときは、いつも良い返事をする永野大尉が即座に首を縦に振る。私などはひねくれているので、本当に電探の迎撃戦を見学したいのは、和田廠長自身ではないかと、勘ぐってしまう。永野大尉が元気に返事をした。


「もちろん可能です。現時点で、横須賀航空隊には、電探としては一号一型改二と一号二型の2種類が設置されて、毎日のように探知実験をしています。横空の陸攻や艦攻に仮想敵になってもらって、電探で探知してから、戦闘機に迎撃を命令して、仮想敵機に誘導します。単純な迎撃だけでなく、複数の方向からの攻撃に対しての要撃作戦もお見せすることが可能と思います」


 和田廠長も速攻でこの返事に乗っかる。

「どうやら、日頃の電探の探知実験を見せればいいようだな。横空で実際に展示することとしよう。くれぐれも仕事には影響の出ない範囲での準備でいいからな。よろしく頼む」


 昭和16年5月15日、横空において、海軍の最新技術の展示会が開催された。日程の調整と関係者への連絡は総務部の加来止男部長に任せたのだが、第一航空艦隊が訓練を休む予定を聞きつけて、一航艦の司令部が同時に見られるような日程に合わせてくれた。そのおかげで、草鹿少将をはじめとする一航艦の司令部員達も見学に訪れていた。


 今回は実戦のような防空戦を見せることが目的の一つなので、見学者がやってくると、まずは電探自身についての説明から始める。伊藤中佐の部下である技術研究所の森大尉と山本大尉が電波を利用した探知機の基本動作から説明してくれる。彼らは、試作した電探調整のための漢口基地への出張組だ。自らは添付品だなどと自嘲していたが、中国大陸で実戦を経験して貫禄がついたなどと周りから言われていた。


 まずは屋外の電探のアンテナの説明だ。一号一型の焼き網のようなアンテナと一号二型のお椀型アンテナを見せてから、屋内に設置された電探装置を見せる。それから横空の防指揮所に案内する。にわか作りで通信士や電探担当の座席を準備して、部屋の壁面に指揮用の状況表示盤を準備した。この状況表示盤も今や海軍の大型艦に順次装備されるようになっていて、今日の見学者にとっても見たことがあるだろう。この部屋は、横須賀航空隊の指揮官用の部屋を改修して、無線器と電探を設置したため、窓からは滑走路の様子が見られる位置になっている。


 作戦状況表示盤は私の赤城乗艦時の訓練表示から進歩している。白く塗った鉄板の盤面に磁石を入れた駒を貼り付けるのは同じであるが、敵の駒を赤、味方を青でわかりやすく表示するようになっていた。大きさの違う駒を準備して、機体の大小に応じて表示が変わるようにしている。更に、距離がわかりやすいように碁盤の目のように縦横に細線を引いている。盤面の中央がこの基地であることを表示するために、他よりも2回りほど大きな白い四角の駒を張り付けている。


 永野大尉が演習の開始を告げる。

「時間となりましたので、本日の迎撃演習を開始します。既に仮想敵となっている、爆撃機がこの基地に向かっています。どの方向から来るのか私にもわかりませんが、電探が探知するはずです」


 しばらく待っていると、電探捜査員が報告する。

「西北西、距離70カイリ(130km)、複数の敵探知。機数不明」


 すかさず、状況表示盤の係になっている少尉が赤の駒を指示された位置に貼り付けた。


 防空指揮官の役割を演じている永野大尉が作戦の開始を宣言した。

「この西北西の敵機をA目標と呼称する」


 状況表示係が駒の横に、Aと書かれた木片を追加する。この木片も磁石付きだ。


 永野大尉が戦闘機の発進を命令した。

「第1小隊、目標Aに向けて発進」


 通信士が復唱して、飛行場の戦闘機隊に指示を出した。すぐに飛行場の零戦が3機離陸してゆく。係員が中央付近に青い駒を貼り付ける。


 永野大尉が説明する。

「第1小隊の小隊長は山本、以後はヤマ小隊と呼称」


 今日は見学者がいるので、意識的にわかりやすく説明しているようだ。

「西南西、距離60カイリ(111km)、複数の目標探知」


 A目標と同様に、永野大尉がB目標とすることを宣言する。Bと書かれた木片と赤の駒が、電探が探知した位置に追加される。


 A目標と同じように永野大尉が命令する。

「第2小隊、B目標に向けて発進」


 今度は横空の2機の零戦が、爆音を残して離陸してゆく。

「第2小隊の小隊長は佐藤、以降はサト小隊と呼称」


 二型電探の捜査員が報告する。

「A目標、二型で探知。距離45カイリ、高度4,500m。ヤマ小隊が接近中」


「A目標の方位、位置、高度をヤマ小隊に通知」

 状況にあわせて駒の位置を変えてゆく。


 そばにいた横空の士官が永野大尉に向かって報告する。

「ヤマ小隊より報告、敵機は2機の双発爆撃機。ヤマ小隊攻撃開始」


 しばらくして、横空の士官がニヤリとして報告する。

「ヤマ小隊より報告、敵機すべてを撃退」


 状況表示盤上のA目標の赤駒を黒駒に変更する。黒駒は脅威がなくなって攻撃の優先度が下がったという意味だ。確実に排除したとわかるまでは、しばらくの間、盤面に残しておく。


 ここで永野大尉が敵の作戦に気が付いたようだ。

「Aはおとりじゃないのか、B目標の機数はわかるか?」


「二号電探でB目標を探知、距離40カイリ(74km)、高度7,000m、反射波が大きい。機数は5機以上と推定」


 二号電探の反射波から捜査員が編隊の機数を判定したようだ。

 永野大尉が指示を出す。

「第3小隊、出撃せよ。直ちに、サト小隊に対してB目標の方位、距離、高度を通知せよ」


 第3小隊は予備兵力で待機していた小隊だ。窓から見ていると、空技廠の実験機だった零戦が離陸してゆく。

「第3小隊、小隊長は岩田、以降はイワ小隊」


 これ以降、B目標はサト小隊が接近して、目標数6機を報告して攻撃を開始。遅れて到着したイワ小隊が攻撃を続けて敵機を撃退した。


 終了後に、航空本部長の井上成美中将が講評を行った。

「大変いいものを見せてもらった。電探を活用した迎撃戦がこれほど効果的に行えるとは驚かされた。わが軍の戦力を効果的に活用するためには。電探を我が軍に一刻も早く装備する必要がある。今日の大尉はなかなかいい仕事をしてくれたが、電探を活用できる指揮官の養成も必要になるな」


「電探は航空基地のみでなく、空母や機動部隊の防空艦に装備しても有効だと思う。また、状況表示板については、一部の艦船で使用されているようだが、本日の模擬戦では非常に有効に活用されていた。このような活用法を艦隊でも改めて認識してほしい。敵航空機だけでなく、敵艦を表示させて、艦隊戦においても活用することも考えられるだろう。今日の成果は、軍令部や艦政本部にも通知しよう。いずれ我々の敵国も同じような電探や表示盤を持つようになると考えるべきだ。その時になって焦っても後の祭りだ」


 私は心の中でつぶやいた。井上さん、あなたの認識は正しい。おっしゃる通り、米軍の艦艇はCICという統合指揮センターを空母や戦艦に設置して、わが軍の更に先を行くようになりますよ。


 なお、この時の見学会は、加来大佐から空母機動部隊にも連絡が行っていたため、艦隊の関係者も出席していた。


 赤城から草鹿少将、嶋崎少佐、龍驤から渕田少佐、加賀から山田大佐などだ。彼らは母艦に戻ってから、電探の装備を要求するとともに、同じような指揮を可能とするために士官の訓練に取り掛かった。特に草鹿少将は電探と状況表示盤の信奉者になっていて、これから広く海軍に広めるように働きかけることを約束してくれた。


 見学の後に見学者が指揮所の外に出ると、彼らの前には見慣れない4枚プロペラの機体が2機、滑走路上で待機していた。明らかに零戦よりも大馬力のエンジンを吹かすと、キーンという高音と大きな轟音を響かせて一気に離陸してゆく。誰もが驚いたのは、その機体の上昇角度だ。びっくりするくらいの急角度でぐんぐん上昇してゆく。


 嶋崎少佐が思わずつぶやく。

「すごい。俺の隊に早く配備してほしい」

 永野大尉が自慢気に説明する。

「あの機体は十四試局戦の試作機です。2,100馬力の発動機で350ノット(648km/h)の機体です」


 しかし、この日はまだ終わりではなかった。


 東の方向から十四試局戦よりも甲高い音と腹に響く振動が混じり合った轟音が聞こえてくる。音の方向を見上げると、翼下にエンジンをぶら下げた双発機が小さく見えた。やがて、その機体がどんどん大きくなってくる。日頃、航空機に乗っている将官が異常に気が付き始める。とんでもない速度で飛んでくると考えないと、この機影の拡大のしかたは話が合わない。一同がザワザワとしていると、双発機の機体は、あっという間に目の前に迫ってくる。その機体が、高度500mあたりを猛烈な速度で航過してゆく。飛び去った機体が、たちまち小さくなると、点のようになった機体が180度旋回して、再び眼前を高速で通過するともと来た東の方に飛んでいった。なんだなんだ、という声が聞こえてくる。


「今の機体は、ジェットエンジンの飛行試験をしている橘花と言います。今日は特別に木更津から飛んできてもらいました」


 やっとのことで、草鹿少将が絞り出すように発言する。

「あのプロペラのないエンジンがジェットエンジンというのだな。いったいどれほどの速度なのだ? どんな原理であれほど早く飛べるのか?」


 永野大尉が私の方を見るので、私から解説する。

「今日は、400ノット(741km/h)くらいの速度で飛んだのではないでしょうか。ちなみに、もっと高度を上げていけば、410ノットは軽く超えると思います。飛行の原理は石油を高圧空気の中で連続的に燃焼させて、燃焼ガスを高速で後ろに吹き出すことにより、ガスの反作用で前進しています。燃焼のためにエンジンの前方から多量の空気を吸い込んで、それをエンジンの中で圧縮してから石油を燃焼させています。先般、山本長官もあの機体を見学していますよ」


 草鹿少将が独り言のようにつぶやく。

「あんな機体が戦場に出てきたら、他の機体は間違いなく一瞬で時代遅れになるぞ。まさしく革新的な軍用機になるだろう。なんとしても世界に先駆けて実用化しなければならないぞ」


 少し脅かしておこう。

「ドイツも英国も似たような機体が既に飛んでいると思われます。米国でも英国からの技術を受けて、遠からず飛ぶでしょう。私達が特に進んでいるわけではありません。横並びで開発しているのです」


 それを受けて、井上本部長が発言する。

「航空本部長として、ジェットエンジンという言葉は、開発中の新規エンジンとして話を聞いていた。しかし、これほどの結果が出ているとは正直驚かされた。草鹿君の言うように、今の航空機をすべて時代遅れにする可能性がある。航空本部長として、ジェットエンジンの開発を海軍航空の最優先とすることを約束しよう。また、本日の電探も見事な成果を示した。我軍にとって重要な機器の位置づけとして、開発を加速する必要性があることを改めて認識した」


 1カ月後には、発動機部に噴進班が設置された。正式な組織となって、噴進班長には当然、種子島大佐が就任した。噴進班の要員としては、タービン研究会の部員が移動となった。なお、三木大尉や川田大尉、松崎中尉などは、もとの所属での残業務も結構あるため兼務となった。実質的に、タービン研究会の構成員にとってはほとんど仕事に変化がないのだが、それ以外の人員については強化がされた。


 開発者の増員のために飛行機部、発動機部、材料部から、他の技師や技手を移動させて構成員を増やしてくれたのだ。最もありがたかったのは、木更津基地に噴進式発動機の開発拠点を作ったことだ。木更津基地に空技廠の支廠として、開発を含む各種業務ができる2階建ての事務棟を建設した。木更津の滑走路横の格納庫も空技廠の試験機専用のエリアが確保されて、試験機の整備もできるように空技廠から整備用の機器と整備分隊も派遣した。


 滑走路もジェット機の運用試験が楽なように、湾の埋め立て地を拡幅して、今までの滑走路から500m程度延長した。木更津支廠では電探など航空機搭載の電子機器の開発・試験も担務とすることとされた。また、空技廠において、航空機の電子機器を開発するために、新たに電気部を設けて、元兵器部長の中島少将が部長に就任した。また部員としては、伊藤中佐の部下だった森精三大尉が海軍技術研究所から兼務となってして、航空機向けの電子機器の開発を担うこととなった。


 昭和16年5月の電探を使った演習の見学会が終わると、草鹿少将から、技術研究所と空技廠に電探を直ちに艦艇に搭載可能とするように要求が行われた。口頭での要求ではなく、連合艦隊司令長官の山本大将の印鑑もついた正式書類による要求だ。早速、技研と空技廠の関係者で打ち合わせが開催された。私も関係者の一員として会議に参加することになった。


 電探の研究者の森大尉がまず説明を始める。

「すでに完成している一号一型と一号二型を基にして、艦載が可能なように改造する。連合艦隊の希望は空母に優先的に搭載することだ。しかも、国際状況が緊迫していることを理由に、4カ月以内に稼働することが要求されている。電探としては、性能も確保して装置としてはすでに完成しているのだから、実際に空母や戦艦に搭載するとして何が問題になるのかまず整理しておきたい」


 伊藤中佐の配下で電探開発をしてきた山本大尉が意見を述べた。

「アンテナは感度を確保するためになるべく高い位置に設置することが必須です。それを満足しようとすると、船で最も高い艦橋の上の方になるでしょう。そうなると、アンテナからあまり離せないので、電探の本体は艦橋の内部に設置することになります。限られた容積の艦橋内に設置するためには、電探本体の寸法が問題になりそうです。電源についても電探の電源として十分な容量があるのか、また電圧の変動は許容範囲に収まっているのかについても確認が必要です。更に工期の問題がとても大きい。あらかじめ艦艇への搭載工事の期間が決められてしまいますので、その期間内に電探の本体を設置して、電源も配線してきて、アンテナを取り付ける必要があります」


 私自身は、電探の専門ではないので、会議に呼ばれた理由がよくわからない。それでも、素人じみたアイデアならば、話すことができる。


「あらかじめ、陸の上で電探室を作ってしまって、必要な装備を内部に設置して準備しておいたらどうですか? おっしゃる通り空母の艦橋は小さいので、その内部に設置できる場所を見つけて電探を積み込もうとすると、今まで設置されていた機器を移動する必要があるなど、大変手間がかかります。それよりも、艦橋の外に部屋を追加するつもりで、装備が一式入る部屋をあらかじめ作っておくのです。例えば、電探の本体機器とその電源を設置する部屋と電探操作員の部屋を準備しておいて、艦橋の後部に追加します。追加の方法は、空母の方の都合にあわせて、縦に2部屋を積んでもいいし、横に並べてもいい。あるいは艦橋下の船体内に場所があればそこに設置することもできます。必要な電力を作る安定化電源設備や、冷却のための送風機などもあらかじめ部屋に作り付けにする。操作員の座る椅子や机も全部準備しておきます。電探の試験だって事前にある程度済ませてしまうことも可能でしょう。そうすれば時間も手間も随分節約することができます」


 どうやら、納得したようだ。みんなうんうんと首を縦に振ってくれている。もう一つ、言っておくべきことがある。

「船に乗せると、潮風が当たります。特にアンテナと接続のために外部に露出するケーブル類の塩害対策が必要です。アンテナには、強風への対策が必要になります。全速で船が走ったらアンテナが折れて落ちたなんて話になりませんからね。ここのところは強度増加と強風の実験が必要ですよ」


 森大尉が感心したように話しだす。

「なるほど、その電探室をどんどん作成しておけば、海軍の艦艇が寄港するたびに、それを取り付けていけばいいことになるな。部屋の中に装備が一式そろっているので、事前の試験も消化しやすいぞ。とにかく、配備されている軍艦は寄港期間が制限されているから、その期間内で設置から試験まで終わらせる必要がある。今回は、この方法を採用してみよう。いずれにしても、時間がないからあれこれ考えている暇はない。全員自分の分担に基づいて試験機の製造を開始してほしい。アンテナの強化は技研の方で全面的に強度試験と、必要であれば設計変更を行う」


 森大尉の指示により、海軍艦艇への電探の搭載準備が開始された。艦艇に搭載する電探は、なるべく小型の形態になるように、電子機器の本体を収めたケースが再設計された。なお、内部の真空管も一部を変更している。艦艇での振動発生を考慮して、少しでも頑丈な真空管を使用するように回路を変更したのだ。2カ月後には試験用の艦艇搭載電探が完成して、一連の試験を実施した。


 横須賀海軍工廠において、艦艇に搭載できる電探機器を組み立てて、あらかじめ準備した電探用の室に収容した。電源や空調もこの鉄製の箱に搭載した。これらの電探室の組み立て作業が終わったのは、昭和16年8月5日だった。


 南雲中将を指令官とする第一航空艦隊は、訓練の合間を縫って昭和16年8月に東京湾に入港した。当初の予定通り、赤城と飛龍が横須賀海軍の工事用の桟橋に接岸した。直ちに、電探機器の搭載工事が開始された。


 結果的に、赤城も飛龍も艦橋の後部に元々あった張出を拡張してその上に電探室を二部屋横並びで追加することとなった。海側の部屋に電探本体と電源機器を設置して、飛行甲板側の部屋には、4基の電探表示管とアンテナの向きや電探出力を調整する操作盤を設置した。次に電探操作員と指揮官用の椅子や磁石で駒を張り付ける電探室用の状況表示盤を据え付けた。これは艦橋の指揮官用の表示盤とは別だ。並行して、艦橋最上部に魚の焼き網のようなアンテナを設置する。更に、艦橋頂部の前面におわん型のアンテナを取り付けた。


 私自身は忙しくて、横須賀工廠まで行くことはできなかったが、現場で電探の調整をしていた山本大尉が、据え付けの時の写真まで撮ってきて報告してくれた。

「おかげさまで、電探の搭載が終わりました。空母が寄港している2週間で全部終わらせました。最後は、火も入れて稼働させて調整してきました」


 アンテナ搭載の写真を見ていて、電探とは別のことに気が付いた。

「この後方の装備は、高射機関砲かな。新たに武装の追加をしているようだね」


「ああ、現場で聞いた話ですが、何でも一式四十粍と言っていました。制式化されたばかりの新型機関砲ですが、性能がいいので追加で搭載するようですよ。特に赤城は高角砲が古いですからね。優先して装備しているとのことでした。それともう一つ聞いた話があります。予備で製作していた試験用の電探ですが、横須賀で艤装中だった新鋭空母の翔鶴に既に搭載したとのことです。この翔鶴にも一式四十粍を大慌てで何門か追加工事したようです」


 昭和16年の中旬まで建造をしていた空母翔鶴は、風雲急を告げているこの時期に工期を急がせて竣工したはずだ。その最後の仕上げの時に、電探と40mm機関砲を追加で搭載したことになる。


 連合艦隊司令部は、開戦の可能性が大として準備を進めているに違いない。電探もボフォース40ミリ機関砲も、私が想像したよりも早いペースで装備が進んでいるようだ。急速に開戦への準備が進められているのだ。もはやこの世界も開戦に向けて坂道を下り落ちているように進んでいる。結局、私が何をしても、私の未来の知識では歴史的な事実となっている日になれば、日米の戦いが始まるだろう。


 空母への搭載が終わってから、電探の正式名称が通知されてきた。2種の電探は、艦載化に伴い二号電探と名称を変更して、二号一型と二号二型となった。

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