10.6章 ジェットエンジン実用化
昭和15年5月にジェットエンジンの担当社が決定されると、各社はまず空技廠の実験機の解析に着手した。空技廠からはエンジン本体の図面のみでなく、実験で測定した各種測定データも提供されたので、性能の分析も可能だ。TJ-20の主担当になった三菱は、いきなりエンジンの設計に着手するのではなく、担当技術者の技術力向上がまずは必要と考えた。社内の有識者を招集してジェットエンジンの理解と分析に努めたいと深尾所長から種子島中佐と私のところに連絡があったのだ。
三菱の開発取りまとめ役は金星の開発も終わり、手が空いている佐々木技師だが、全く勝手の違うジェットエンジンについて、どのように取り組むべきかいろいろ思案していたようだ。深尾所長は、未知のジェットエンジン開発に対して、佐々木技師の下に西沢技師を副主任に配して補佐役とすると共に、若手の数名の技師を配してベテランが引っ張ってゆくジェットエンジンの開発体制とした。三菱は、開発を分担している荏原製作所と住友金属の技師も集めて、自社内でいろいろ検討した結果を伝えるとともに、分担社からの意見を吸い上げた。
三菱から分担社に特に伝えたのは、生産法の検討であった。YTJ-20は性能確認を優先したので、生産性については二の次になっており、圧縮翼など、手工業的に加工していた。このため工作時間が増えていた。試作機では部品の手作りやベテラン工員による加工もやむを得ないが、TJ-20の量産時にはとても許容できない。部品に型鍛造や鋳造を適用することにより部品点数を減らして、機械加工の時間を大幅に削減する。更に、組み立てが容易な構造によりエンジンの生産工数を減らす工夫も必要だ。
三菱はこの時期において既に、ジェットエンジンの運転寿命が既存のガソリンエンジンに比べてかなり短いであろうと想定していた。つまりエンジンを短時間で載せ替えることになるだろう。それに対応するためには生産側としては、少ない工数で生産した多数のエンジンを供給することが要求されるであろう。実際に、この時期のジェットエンジンはガソリンエンジンに比べれば、構造も単純で部品もかなり少ないため、多数の生産を短期間で行うことは可能だと考えられた。
昭和15年6月中旬になって、YTJ-20の分析に基づいて、TJ-20の部品設計を開始した。製造用の部材をあらかじめ準備していたので、すぐに部品製造に取り掛かることができた。荏原製作所と住友金属も同時に製造を開始した。エンジン本体のみでなく、ポンプ類や発電機などの補器類も三菱社内の専門家が設計を行う。エンジンケースはシリンダヘッドとクランクケースの製造技術を応用して、軽合金製のケースと鋼製の組み合わせとされてかなり軽量化されている。更に、補器類はTJ-20専用の設計として軽量化した。逆に高速で回転する部分については振動の発生を懸念して構造を強化している。中央軸受けについては推力が増加したときに圧縮機が発生する推力を全て引き受けることになるため、YTJ-20よりもさらに余裕を持たせて、軸受けを強化した。
ジェットエンジンの圧縮機は大量の空気を圧縮して後方の燃焼器に送っている。後方に多くの空気を送る結果、その反作用として圧縮機は、前に進もうとする大きな推力が発生する。その力を引き受けて支えているのは回転軸だ。更に後方のタービン翼では、燃焼器から吹き出た高温、高圧の燃焼ガス流を受けてタービンが高速回転する。燃焼ガスがタービンを回転させるが、同時に前方から吹き付けるガスは、タービンを押し付けて後方に圧力をかける。この後方に押し付けようとする力を受けて支持するのも回転軸だ。すなわち回転軸は圧縮機やタービンと一体になって高速回転するだけでなく、前方は前に、後方は後ろに引っ張るという綱引き状態になるのだ。類似の課題は、艦船を走らせる蒸気タービンに対して、蒸気を高圧化するとタービンを押す力が増すことでも発生する。既に呉工廠では、軸受けにミッチェル型と呼ばれる回転軸のつばをピボットにより支持する構造を改良していた。この艦船用の蒸気タービンのために開発された軸構造をジェットエンジンにも応用することとしたのだ。
エンジンの制御部は、杉原技師が研究してきたガソリン噴射制御機装置の技術を応用してジェットエンジンの燃料流量制御装置として開発した。また、タービンを冷却する圧縮空気の配管が、実験機はつぎはぎの付け足しになっていたので、パイプの径を大きくして、数量を削減した。なお。鋼製のパイプ類はほとんどて軽合金化した。エンジンの始動用には、電動機を東芝に作成してもらい、空気取り入れ口のセンターコーンに取り付けた。三菱は、始動用モーターをリーデルスタータ―の代わりに取り付けたのだ。ジェットエンジンの圧縮機は前から風が吹いてもまわるくらいだから、回転を開始させるためにはそれほど馬力は必要としない。
昭和15年8月には、ジェットエンジン各部の部品が一通り完成して、他社で作成した部品も搬入され、三菱社内で組み立てられた。空技廠からも完成品の審査するために三菱を訪問した。実際に完成品を見ると、TJ-20はエンジンナセルに収まるように、エンジン本体に補器類が要領よく取り付けられていた。
私も久しぶりに佐々木技師と会うことができた。私から挨拶する。
「お久しぶりです。今回は審査と言っても外観だけの審査ですから、ほとんどチェックする部分はないですよ。もっと外部の配線や配管がごちゃごちゃしているのかと思っていましたが、想定以上にきれいにまとまっていますね」
「エンジンのカバーケースは全面再設計して、鋼材の型鍛造とアルミ合金鋳造の組合せにしました。補器類の取り付け台座もケースと一体の作り付けにして部品数を削減しています。外部の配管も鋼材からアルミ製に変更したものがあります。その際、パイプの太さや配管のルートや本数も整理しています。試作機は継ぎ足しで追加していたところがありましたからね。内部の圧縮機も製造の容易化と軽量化しています。これらの軽量化設計のおかげで、組み立て前は三菱側としては、TJ-20の重量を0.8トンと想定していました。しかし、住友金属さんが燃焼器の内部の構成を一度整理して製造性を改善するとともに二重構造の燃焼器ケースも軽量化したので、このTJ-20の1号機の自重は実測値で、758kgとなっています」
私としては、今日の審査よりも、これからの運転による試験の方が気になる。
「すぐに、運転を開始して試験の実施をお願いします。このエンジンは一度、実験機で試験しているので、初期の試験はどんどん進むと考えています。私としては早期に飛行試験に進みたいと考えています。高高度での運転を確認するには、今のところ実際に飛行するしかないですからね。空技廠でも高高度環境の実験室を建設中ですが、実現はまだ少し先になりそうですからね」
ジェットエンジンの飛行試験用の機体については、佐々木技師が主担当の技師を呼んできてくれた。
「初めまして、十二試陸攻を担当している本庄です。ジェットエンジンを搭載できるように改設計している十二試陸攻については、順調ですよ。左右の翼の下面にジェットエンジンの吊り下げる支持架を追加します。主翼自身も速度が増加することを見込んで内部構造と外板の強度を増しています。また、地上の姿勢が水平に近くなるように尾輪の支柱をかなり延長しています。それで尾輪の抵抗が大きくなったので、尾輪は完全引き込み式に変更します。胴体の変更はほとんどありません。当然銃座などは全部廃止しましたが、エンジンの運転状態が観測できる側面窓は残しています。ジェットエンジンの追加により、方向安定が劣化する見込みなので垂直尾翼の前縁にフィンを追加する予定です。変更後の形状は九九式艦爆の垂直尾翼に似てくると思います」
飛行試験機について、少し気になっていたことを思い出した。
「燃料系統について、ジェットエンジンの燃料は別系統でお願いします。そもそもジェットエンジンの燃料は灯油でも充分ですので、ガソリンエンジンとは共用しません」
「既に、西沢君から、ジェットエンジンはオクタン価を気にする必要がないから、それが大きい利点になると聞いています。もちろん燃料タンクはジェットエンジン用のものを分離していますよ」
私の訪問直後、TJ-20試作機の運転が開始された。運転を開始すると、エンジン本体ではなく、設計の変更を行った燃料ポンプや油圧系統に不具合が発生したが、半月で修正できた。1か月後には、8,000回転でYTJ-20の到達推力に近い500kgの出力が記録された。タービンの入り口でのガスの温度は、720度にとどまっており、心配していた局部的な高温状態は発生していないようであった。三菱からは、試作機の追加製造を8号機まで行うとの連絡があった。ガソリンエンジンに比べれば構造も簡単で部品数も少ないので、短期に製造できるのも大きなメリットだ。
昭和15年9月には、TJ-20試験機は6基が製造されて試験運転が開始され、推力は600kgまで確認できていた。私は種子島中佐と相談して、運転確認できた4基のTJ-20試験機を空技廠に引き取ることとした。運び込まれたジェットエンジンに対して、空技廠では直ちに試験を開始して、TJ-20の推力を確認した。
三菱のジェットエンジン試験機は製造中の十二試陸攻の量産機から未完成の機体が抽出され、必要な改造が行われ、昭和15年9月にジェットエンジンは未搭載の状態で完成した。空技廠による審査が行われて、空冷エンジンによるG6M2の試験飛行は昭和15年9月から開始された。ジェットエンジン搭載用のラックにはジェットエンジンのダミーが搭載された。十二試陸攻としての飛行試験は既に完了していて、量産機の生産も進んでいるので、G6M2が航空機としての問題が発生することはなかった。昭和15年10月には、TJ-20試作機が両翼下に搭載され、我が国でジェットエンジンとして初めての飛行試験が開始された。
昭和15年10月から本格的に飛行試験が開始され飛行条件をいろいろ変えてゆくとジェットエンジンのフレームアウトが頻発した。
松崎中尉が、イヤーな顔をしながら報告してくる。
「また起こりましたねぇ。あっ、黒煙と赤い炎が排気口から噴出していますね。すぐにスロットルを戻さないといけません。このままでは、フレームアウトでエンジン停止です。振動が起こっています。これはエンジン停止の前兆ですね」
機体にバンバンと言う振動が伝わってくる。もともと、G6M2は輸送機並みの太い胴体の爆撃機を改造しているので、数名の技術者ならば問題なく試験飛行に同乗できるのだ。松崎中尉がジェットエンジンの再起動をするために、操縦席に慌てて駆け寄っている。左翼のジェットエンジンを一度完全に停止してから、リスタートさせるために、松崎中尉がパイロットに指示している。エンジンが止まっても、我々があまり慌てていないのは、この機体は空冷エンジンだけで問題なく飛行できるからだ。
試験中のジェットエンジンの状況も銃座を外した側面の窓からよく観察することができる。赤い炎と煙を出したエンジンは、今は何も噴き出していないように見える。左翼側からはジェットエンジン動作の高音も聞こえてこない。正常に運転しているときに噴き出す青色のジェット排気も見えない。松崎中尉とパイロットが操作すると、一瞬、白煙が噴出して、しばらくして薄い青色の炎が噴き出してくる。エンジンを再起動したのだ。まずはこの問題を片付けないと先に進めそうもない。
私から着陸を指示した。
「今日はもう1時間も飛行しているので十分だろう。一度着陸する。エンジン停止がこれだけ頻繁に発生すると、あまり試験にならないね。今まで発生しているフレームアウトについて、帰ってから分析するので、みんな状況を整理しておいてくれ」
着陸してから、黒板の前に集まったのは先ほどまで飛行していた、松崎中尉、中田大尉、菊地中尉と私の4名だ。
エンジンの運転試験担当を自認している松崎中尉がまずは話し出す。
「現象を大きく整理すると、3種類が存在しているようです。まず最初の問題は原因もほぼ明らかです。機体が横滑りすると急激にエンジン推力が落ちてきて、エンジンに振動が発生して、黒煙がジェットのガスに混ざるようになります。この現象が発生してもかなりの確率で回復しているようですが、そのまま急旋回を継続すると、エンジンが停止する場合があります。比較的低速で、エンジンの空気取り入れ口にスムーズに空気が流入しない状態で発生しているので、恐らく、気流の乱れにより、前段の圧縮機で圧縮羽根の失速が発生していると思われます」
「なるほど、理論的に現象の原因が合致しているな。それで、もう1つはどんな分析なんだ?」
「2つ目の現象は、例えば、高空での急上昇や急加速のためにエンジン推力を急に増加させた場合です。スロットルを操作するとエンジンに振動が発生して、排気ノズルから黒煙が出てきます。場合によっては同時に赤い炎が排気ノズルから見える場合があります。この場合は結構な確率でエンジンが停止します。3つ目はかなり低速時の現象です。着陸のために、高空からどんどん降下してゆくと、低空に降りてきたあたりで、振動が発生して突然エンジンが停止します。ただし、頻度はもう一つの問題に比べて低いように思います」
私が自分の分析を述べる。
「最初の現象だが、松崎中尉の想定通り前段の圧縮羽根で失速が発生していることは間違いないと思われる。この現象が発生すると、圧縮機から燃焼器への空気流量が減少して、不完全燃焼で振動の原因になる。第1段の圧縮羽根と静翼の形状と迎え角の変更が有効と思われるが、この部分は過去にかなり改修してきているので、単純に変更しても改悪になるだろう。圧縮比を多少下げても、失速をしにくい翼型とする必要があるかもしれない。北野大尉と沼地教授に依頼しよう」
中田大尉が質問する。
「基本的に低速で、エンジンの回転数が低い場合に発生すると考えられるので、エンジンの回転数をいつも3,000回転以上に保つ制御することが有効です。更に機速を着陸時以外は、あまり低くしないで横滑りもさせない制限を設ければ現象は発生しないはずです」
「速度制限は、爆撃機であれば、あまり問題にはならないだろうが、戦闘機の場合は空戦機動をすれば、低速で横滑りは発生する。エンジンの回転数を一定の値以上に保つ案はいいかもしれない。3番目の現象を避けるためにも、エンジンの回転数維持は必要になるだろうからね」
続いて、2番目の現象について中田技師が説明した。
「2番目の現象は明らかに燃焼室内で、空気流に対して燃料が多くなりすぎて不完全燃焼が発生しています。スロットルを操作してエンジンの出力を上げようとして、燃料流量を増加させますが、圧縮機からの空気は急には増加しないので、燃料が過多の状態となります。私は、スロットル操作に対して急に燃料が増加しないように燃料系統に1種のダンパを噛ませる案を考えています」
松崎中尉が質問する。
「それだと、スロットル操作に対してエンジンの出力増加に遅れが生じることになるので、レスポンスが悪化して、操縦が難しくなりませんか? 更に、戦闘機の場合、すぐに出力が増加しないことは、機動性が劣る要因になります」
中田大尉が少し考え込んで回答する。
「エンジンの回転数が6,000回転以上であれば、スロットル操作が早くても空気流は十分のはずなので、スロットルの動作に遅れなく、燃料の供給量を制御する。3,000回転から6,000回転の間はダンパを中間に入れて遅延させて、燃料の変動を緩慢にする。3,000回転以下の場合は、スロットル操作による制御をかなり遅らせて、一定時間3,000回転を維持するようエンジンを制御するというのはどうだろうか?無論、大気圧と圧縮機の圧力に基づく現状の燃料の流量制御は行った上での制御とする。制御部の機構が複雑になりそうだが、補機駆動用のギアから、エンジンの回転数の情報は直接得られるから、それを用いて燃料流量の制御は可能と思う」
私もエンジンの制御部の改善については賛成だ。未来の私の知識でも、Jumo004には、エンジン制御を自動化させる装置が取り付けられたはずだ。この制御装置はBMW003にも採用されて、パイロットのエンジンの制御の負担を軽減させたはずだ。ただし、中田大尉の言っていることを実現すれば、問題が解決するかは私にもわからない。
「中田大尉の言う通り、今の燃料制御器に機能を追加する方向としよう。ただしこれを適用すると、着陸やり直し時など、一度エンジンの回転を落としたあとに速度を上げてゆくのに時間がかかることになるぞ。ダンパの影響を大きくしすぎないように、注意する必要がある」
中田大尉が続ける。
「了解しました。すぐに三菱の杉原さんに連絡します。このTJ-20で燃料流量制御がうまく行けば、他のジェットエンジンにも適用できます」
私から、3番目の問題についての解決法について提案する。
「3つ目の問題は、低回転数での運転時に燃料が薄くなりすぎる問題だと思う。燃料が薄くなっていて、更に急激に高度を変化させたときに発生しているので、燃料系統のパイプなどに泡が発生すると、燃料供給が途切れて停止となっていると思われる。中田大尉のエンジン回転数の制御機能の追加と合わせて、燃料系統のポンプを強化する必要がある。泡がたまる部分がないか、燃料系統のパイプの曲げ部分の確認も必要だと思う」
打ち合わせを解散すると、すぐに、指摘事項の改修に向けて各自が行動を始める。私と松崎技師は、その場に留まって当面の試験について進め方を相談する。
「私が試験機に同乗して、ジェットエンジンの回転数と燃料の流量を逐一確認してスロットルを微調整していれば、飛行試験は可能です。各高度での推力と温度、燃焼消費量、エンジンの耐久性の確認など試験したい事項は山ほどありますから、今の状態で試験は続けます」
「推力の見通しはどうなっている? 今のエンジンでどこまでの推力発揮が可能だろうか?」
しばらく考え込んで、松崎技師が慎重に答える。
「試験としては、限界値として11,000回転まで行って、1,000kgを目標にしたいと考えていました。しかし、実現までの時間とエンジンの耐久性を考えると一段下げて、10,000弱の回転数で、900kgが連続的に運転の可能な推力と想定しています。実戦での使用時にはもう少し余裕を見る必要があるかも知れません」
私も彼の見通しとほぼ同じ意見だ。
「了解した。試験を継続してくれ。来週になれば、新しいエンジンが4基入って来て、G6試験機も2機に増える予定だから、少しは項目消化が楽になるはずだよ」
フレームアウトを対策した燃料制御装置は、昭和15年12月初旬に納入され、まずは、効果を確認するための実験が行われた。想定通り、回転数の低い状態ではスロットル操作の応答性が悪くなるのと引き換えに、フレームアウトは未発生となった。また、急激な横滑り等によるコンプレッサー・ストールは相変わらず発生したが、推力が一度落ちてから回復できる事が多くなった。しかし、それでもコンプレッサー・ストールに起因するエンジンの停止はまれに発生した。
北野大尉と沼知教授は、納得できる結果がまだ出ていないので、風洞試験を繰り返していた。1段目の圧縮羽根の幅を広げてストールの対策をした圧縮機は、昭和16年1月中旬に完成した。あえて1段目の圧縮比を下げて失速しにくい羽根断面として、2段以降の圧縮比をその分上げて、圧縮機全体としては圧縮比を維持している。これに伴いエンジンナセルの入り口部分を再設計して、開口部の面積を若干増やした。
この改修により、コンプレッサー・ストールの頻度もかなり削減することができたので、これをTJ-20の各機に適用して、量産を前提としたエンジンとして本格的な審査に移行した。ジェットエンジンとしての審査方法がまだ確定していなかったために、審査項目自身も紆余曲折があったが、約半年後の昭和16年6月には制式化された。審査としては、異例の短期間になったのは、橘花の試験飛行により高性能の航空機の実現性が実証されたことの影響が大きい。しかし、実際は、橘花の試験飛行を目の当たりにした山本連合艦隊指令長官と井上航空本部長が強くジェットエンジンの早期実用化を後押ししたからだと言われる。
審査に際して議論になったのは、エンジンの耐久性だ。従来のガソリンエンジンと同じレベルの耐久性は要求できないということである。ジェットエンジンの耐熱部品は、そもそも長時間の耐久性を要求するととんでもなく高価な合金を使用することになるため、設計としてそれを前提としていない。数多くの予備部品を準備して交換時期になったら、どんどん交換していこうという考え方だ。その分、エンジンの構成は単純で、生産するための工数も時間もガソリンエンジンに比べて格段に小さい。航空機へのエンジン搭載法も取り外しが容易で、交換が短時間で可能となることが要求される。当時、空技廠長であった和田廠長から航空本部にジェットエンジンについての耐久性の考え方の変更について強く要請した結果、オーバーホールまでの連続運転時間を100時間として審査を行った。これに伴い、エンジン領収時の運転時間も2時間程度に削減されている。しかし実際は、戦争によりニッケルなどの耐熱材料の入手が困難になると、代用材の適用範囲が拡大したため、エンジンの運転寿命はさらに短くなり、後年になってこの条件は更に緩和された。
なお、エンジン名称の陸海軍間の名称統一方針が昭和16年4月に決定されて、ジェットエンジンに適用される事となり、本エンジンはネ20と呼称されることになった。
TJ-20(統合名称ネ20) 昭和16年6月
・全長:約3,400mm
・直径:690mm
・圧縮機:軸流式8段
・タービン:1段
・重量:620kg
・燃焼器:8(キャニュラー式)
・回転数:9,000rpm
・タービン入口温度:約750℃
・推力:850kgf
・オーバーホールまでの運転可能時間:100時間
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