10.5章 ジェットエンジンのメーカー分担

 航空本部技術部長と空技廠長が推進派になったことにより、ジェットエンジンの開発は飛行試験に向けて一気に進み始めた。


 11月のタービン研究会の成果見学会の直後に我々の身分に変化があった。私や、三木技師、川田技師などの有識工員は海軍で仕事をする民間人の扱いだったが、海軍軍人になったのだ。同時に艦隊実習への参加が義務付けられてしばらく仕事から離れることになった。私たち転官組が実習に出ていくと、タービン研究会は実質的に開店休業になってしまう。なにしろ、種子島中佐と永野大尉、川村中佐以外はほとんどの中心メンバがいなくなってしまうのだ。花島廠長が軍令部に激しく要求した結果、実習期間は短くなったがそれでも4カ月は不在になった。私たちは、昭和14年12月から艦隊実習が開始されたが、昭和15年3月には、なんとか実習を終了して空技廠の仕事に戻ることができた。


 ジェットエンジンの実験については、不在の間は停滞しているだろうと想像していたが、意外にもそれなりに進展していた。永野大尉が依頼をして、東北帝大の沼知教授が何度か空技廠を訪問していた。教授もやはり自分の研究対象である圧縮機の状況がかなり気になっていたらしい。空技廠のそばに宿をとって泊まり込みで、圧縮機の風洞試験にも付き合ったそうだ。風洞の試験データを基に、教授が計算式を指示して空技廠の若い工手が計算を繰り返して、ある程度確からしい解析結果が出たとのことだ。


 永野大尉の判断により、教授の理論を基にして、圧縮動翼の迎え角と断面形状の変更、圧縮機静翼の形状も変更することになった。更に、空気の圧力の変化に合わせて、圧縮機の前段と後段で段階的に迎え角と断面形状を変化させた。円周方向についても、圧縮動翼の内側と外側で断面形状を変化させるというとても細かな対策も取り入れていた。未来のミリオタの私の知識でも、そんなに詳細な対策はさすがに想定外だ。


 沼知教授の理論を取り入れた軸流圧縮機は、昭和15年2月には完成して試運転をしてみると、YTJ-20では圧縮機の効率が20%程度改善していることを確認できた。なお、XTJ-30の圧縮機も沼知教授の理論に従って改修中で、前段の3段圧縮機を変更すれば圧縮効率は12%改善の見込みであるとのことだ。花島廠長からは、東北帝大に対して、沼知教授をタービン研究会の相談役への就任を依頼する要望書を提示していた。これにより、沼知教授は、空技廠への常駐ではないが、来訪時には廠内に限り高等官の扱いで自由に行動できることとなった。加えて海軍が官舎を準備して、勤務日に応じた俸給も海軍から支給することになった。


 最も大きな変化は、大手メーカーがジェットエンジン開発に本格的に参加することになったことだ。昭和15年1月に航空本部からジェットエンジン開発の推進について、開発依頼の通達が発動機関連の各社に発出された。民間企業として、三菱重工、荏原製作所、中島飛行機、住友金属、瓦斯電、石川島、日立タービンが参加することとなった。参加各社からの要求の結果、まずは空技廠で実験したジェットエンジンについて、説明会を実施することになった。


 私たちは不在であったが、参加各社の技師が航空廠を訪問して、花島少将と和田少将が見学したジェットエンジンの動作展示が再度行われた。種子島中佐と永野大尉が資料を準備して説明したとのことだ。


 三菱と中島の両社に対しては、航空本部からジェットエンジンを搭載して飛行する試験用の機体の開発要望が提出された。試験機としては、搭載する各種のジェットエンジンの変更が容易にできて飛行試験が可能な機体及び、ジェットエンジンを搭載して高速の速度試験が可能な機体の2種類を要求した。短期の開発が必要であり、メーカーの分担も早期に決定したいため、3カ月を回答期限とした。


 昭和15年4月には、官民合同の第一回タービン研究会の会合が開催された。この会合では、各社の分担開発に関する話題はまだ議題とならず、それぞれの社のジェットエンジンなどに関する基礎的な研究状況を報告することとした。参加社間での情報の共有も目標の一つではあったが、空技廠側としては、各社のジェットエンジン関連技術の実力を認識したいという思惑もあった。また、タービンや圧縮機については各社からの製造方法の提案も求めた。


 三菱、中島、瓦斯電、石川島からはいずれも、今後研究を進めることが報告された。タービン研究会から発注を受けていた、住友金属と日立タービンからは、圧縮機とタービンに関する部品の生産が提案された。我々の想定と異なり、主要各社からは、ジェットエンジン全体の開発にかかわる話は出てこなかった。空技廠側からは、YTJ-20とXTJ-30のかなり突っ込んだ説明資料を提示したにもかかわらずだ。将来のジェットエンジンの生産に関してはいずれのメーカーも各種の生産設備を保有しており、生産が可能だとの回答であった。


 種子島中佐はジェットエンジンに関してもっと前向きの議論をしたかったようで、かなりおかんむりだ。会合の最後で少し厳しめの要求を語った。


「本日の各社のお話を伺って、我々が推進しているジェットエンジンについて、今以上に積極的に研究開発を実施していただくことを強く望みます。この革新的なエンジンを実用化するためには、ここに集まったメーカーの皆さんの開発段階からの積極的な参画が必須であります。決して生産だけでなく、各社の技術者が開発段階で知恵を出し合うことで、効率的な生産が可能となります。次回の会合では、是非ともジェットエンジンに関する取り組みを各社から報告してください」


 昭和15年5月に官民合同の第二回タービン研究会が開催された。流石に前回の依頼を受けて、各社からジェットエンジンに積極的に取り組むとの姿勢が表明された。但し、技術的な内容としては、圧縮機やタービンなどの部品に関する公表のみだった。空技廠のジェットエンジンの実験のようにエンジン全体での実験や開発は、どの社もしていないようだ。各社の意向も確認して、今後は軸流式圧縮機のエンジン及び遠心式の圧縮機の2形式を進めることを合意した。


 種子島中佐が、各社の要望を聞いて確認した。

「我々が開発中のジェットエンジンは、2種類で動作を実証していますが、これとは異なる方式のジェットエンジンの開発を希望する社はありますか? 既に社内でジェットエンジンの研究をしていて、その結果に基づいて開発したいというのであれば考慮しますよ。ありませんか? それでは、空技廠の実験機を発展させて、ジェットエンジンを実用化するということでよろしいですね」


 中島飛行機の小谷技師が最初に発言した。

「わが国において、空技廠さんほど進んでいるジェットエンジンは他にはないと認識しています。つまり、この実験機の成果を発展させて実用化するのが最も早道と信じています。我々企業の参加法についてですが、特定の社のみが参加するのではなく、各社が得意な分野の生産に参加できるような配慮をお願いしたいと思います。複数社で1つのグループを組んで、それぞれが分担して開発と生産を行うことが、短期の開発につながると思います。また量産の開始時にも円滑に立ち上げが可能と思います。この方針は、ここに参加している各社にも事前に確認して、賛同を得ています」


 これには種子島中佐が答える。

「小谷さんの意見に我々も同意します。この場でチーム編成を決めて、一つのチームが1種類のジェットエンジンを担当するように決めたいと思います」


 各社から分担の要望が提示されたが、何とか分担を決めることができた。YTJ-20をベースとした軸流式ジェットエンジンについては、飛行可能なジェットエンジンの名称をTJ-20とした。決定した開発分担については、三菱を中心とした開発チームを組織して、エンジン全体が三菱、圧縮機は荏原製作所、タービンと燃焼器を住友金属と日立タービンが分担することとなった。このジェットエンジンの目標推力は、当面800kgだ。更に別の開発チームとして、遠心圧縮機のジェットエンジンについては、名称をTJ-30として、中島飛行機が中心となる。エンジン全体は中島飛行機が中心となって開発を行い、圧縮機は瓦斯電、燃焼器とタービンが石川島と住友金属の分担で進められることになった。TJ-30の推力目標は、1,200kgとされたがこれはかなり高い目標値だ。


 我々としても、特定の少数の会社に開発の負担が集中するよりも複数の会社の設計者が分担して開発を行い、負荷が分散する方が、今の段階ではメリットがある。メーカーとしてもジェットエンジンはまだリスクが大きいので、危険性を各社で分散化するのは意味があるだろう。この時点でジェットエンジンに社運をかけるわけにはいかないということだ。


 会議が終わって一息ついていると、私たちのところに中島飛行機の小谷技師がやってきて、ひそひそ話を始めた。

「実は、当社の中島社長から皆さんだけに伝えるように指示されたことを今から話します。ご存じのように、中島社長は広く海外からの情報を収集しています。それも誰も知らないような機密事項であっても、入手してくるのです。一つ目はドイツについてです。どうやらドイツのハインケル社がジェットエンジンを試作しているようです。しかも、実際にジェットエンジンを動力として飛行させるために実験機も製作しているとのことです。二つ目は英国の情報です。ホイットルが中心となって、ジェットエンジンの試作が続けられているようです。こちらは、ドイツよりも遅いようですが、やはり試験機を製作して飛行する予定になっているようです」


 中島社長の情報は信頼できる。未来の私が知っている情報とかなり一致する。種子島中佐が返事をする。

「貴重な情報ありがとうございます。実は我々もある程度、海外でのジェットエンジンの開発については情報を収集しています。しかし、ハインケル社の試験機のことまでは知りませんでした。これからも情報提供へのご協力をお願いします」


「それで、中島社長からのお願ですが、欧米の情報についてもっと本格的に集められないでしょうか? 例えば現地の駐在武官を動かして情報収集するのは、軍部にしかできません。特にジェットエンジンに関しては、米国の情報があまりありません。あの国は、排気タービンの開発ではどんどん先に行っています。タービンの材料や工作方法など我々が実際にエンジンを製作するときに参考にできる情報が欲しいのです」


「そうですね。ドイツからの情報については、耐熱材料に何が使われているかなど、いろいろ入ってきていますが、米国は少ないのですね。米国では対日の情報規制が始まっていますので、どこまでできるかわかりませんが、我々の方から働きかけてみます」


 昭和15年5月末になって、航空本部が要請したジェットエンジンを搭載した試験機について中島飛行機と三菱重工から提案書を受領した。


 中島からは双発、低翼形式の試験機が提案された。機体の設計法については、空技廠との共同設計要望が提示された。私から見れば、見学時に示したMe262をイメージした模型の中から、最も無難な双発形式を選んで提案書を作成したと思えるが、さすがに中島は社内で風洞試験を行ってきて、そのデータを付けて、高速実現が可能なことを示してきた。また、三菱からは、開発中の十二試陸攻の左右の両翼下にジェットエンジンを追加装備する案が提示された。ジェットエンジンの外形や重量が変化しても容易に対応でき、しかも既に十二試陸攻の開発はほぼ終盤となっているため、短期でジェットエンジン試験機が実現できることが期待された。


 花島廠長からタービン研究会にお呼びがかかる。中島と三菱のジェットエンジン試験機に対する回答について、簡単に説明がされた。


 まず、花島廠長が状況を説明した。

「2社からの回答は異なる役割の試験機を開発する内容となっている。どちらを優先すべきか君たちから意見を聞きたい」


 種子島中佐がまず回答する。

「ジェットエンジンの可能性を示すためには、高性能の航空機を飛ばして見せる必要がある。私としては、一刻も早く高速実験機を飛行させることを目標の一つにしたい」


 私にとっては、ジェットエンジンを早く実用化するためには双方の機体が必要だと思える。ここは遠慮しないでおこう。

「実際にジェットエンジンの実績を軍令部などに示すためには、高速実験機による飛行が有効です。一方、実際に複数の種類のエンジンを搭載して試験飛行して早期に実用化するためには十二試陸攻の改造型による試験飛行が有効です。つまり我々にとって双方の機体が必要なのです。ここは我々が頑張って、三菱と中島の双方に対して開発支援すれば、両方の機体の開発は可能と考えます。特に支援が必要なのは中島の機体でしょうから、我々で設計を支援すれば短期で実現できると考えます」


 三木技師から発言があった。

「中島の機体については飛行機部の私が中心になって設計を分担します。高速機についてはいろいろ考えていることもあるので、東大の航空研にも相談して設計してみますよ。十二試陸攻の改造の方はそれほど手間がかからないでしょうね。ジェットエンジン用の燃料タンクの増設と翼下にエンジンを搭載できるように支持架を設けることと機体の一部を強化するくらいですから」


「君たちの希望については、了解した。2機種同時開発の方向で和田さんにも話してみよう。双方の機種を開発することについては、実質的に三菱の機体はほとんど十二試陸攻と変わることはなく、新規の機体は中島の機体のみだと説明すれば、了解は得られるだろう」


 空技廠からの連絡を受けて、航空本部は直ちに、ジェットエンジン搭載機の開発要求を中島及び、三菱に提示した。中島が担当する試験機には空技廠設計を示すY40の名称が付与され、三木技師を設計主任として、中島の福田技師が設計主務となる体制となった。タービン研究会のメンバと飛行機部の山名技師が機体の設計を支援する。三菱の設計体制は、十二試陸攻から変わらず本庄技師を中心とする体制で開発する。十二試陸攻とは別機種として、G6M2と呼称されることとなった。こちらは、私と永野大尉が空技廠側の担当となった。


 中島の小谷技師から言われた米国の調査要望についても種子島中佐から報告があった。

「私の海外駐在で得た人脈から、米国の駐在武官に連絡をとってみた。今年になって米国ワシントンに赴任した実松中佐に連絡をとることに成功した。わが軍の中佐なのでこちらの依頼に対して協力してくれるそうだ。但し、大使館員としての仕事もあるので、あまり表立って活動するには制限もあるようだ」


 すると、川村中佐と川田中尉が手を挙げる。

「我々が米国の実松中佐との連絡役をしますよ。材料に関して、いろいろ米国から情報を集めてもらいたいことがあります。耐熱材料だけでなく、軸受けやベアリングなどの素材や加工法については、米国がかなり進んでいると認識しています。まずはそのあたりから情報収集をお願いしたい」


「了解です。川村さんならば安心だ。日本側の窓口をしてください」

 早速、川村中佐と川田中尉は、アメリカに駐在する海軍士官の実松中佐に連絡をとって情報収集を始めた。

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