10.7章 橘花飛ぶ
ジェットエンジン試験機の開発体制が決まると、三木大尉と中島の福田安雄技師はさっそく機体の構成についての意識合わせを行った。既に左右の翼にエンジンを取り付けることと、複座構成、前車輪形式とすることは決まっていた。
中島飛行機では私が以前作成したMe262の記憶に基づいた木製模型の形状を分析して、風洞試験まで実施していた。特に模型につけられた後退角については、東京帝大の航空研究所にも効果に対する見解を求めて、衝撃波の発生を遅らせる効果があるとわかっていた。また、もっとも問題が出そうな翼下のエンジンと主翼接合部の空力的な干渉についても風洞で試験を進めていた。
そんな、設計が進んでいる時に三木大尉が私のところに相談にやってきた。
「中島と共同で開発するジェットエンジンの試験機なんだが、エンジンの出力から考えて、双発は確定だ。それを前提として、私も中島もお前が作成した双発の模型を参考にして、基本形を決めてゆこうと考えている。何しろ、開発の途中でジェットエンジンの外形や寸法が多少変わっても、簡単にエンジンが変更できるのはこの形式しかないからな。そこでこの模型の製作者に聞きたいのは、この模型の航空機を実際に作るにあたり、格別な注意事項は何かだ」
私が知っていることは設計者の三木大尉にはしっかりと説明しておきたい。但し、私自身は航空機の空力については、ミリオタとしていくつかの航空雑誌や軍用機の開発物語で仕込んだ知識があるだけの素人だ。
「まず、主翼の後退角についてだ。以前説明したように、速度が音速に近づいた時に主翼の衝撃波の発生を遅らせる効果がある。しかし、Y40が目標とする速度ならば、この模型の主翼ほどには、大きな後退翼にしなくても問題ないと思う。この模型は15度くらいの角度で作ったが、もう少し弱めても効果は十分だろう。後退翼を止めて、主翼断面の翼型を衝撃波の発生が遅い形にして、翼厚比を薄くするというやり方もあるだろう。翼厚比さえ薄くできれば、後退角がなくても、この機体の目標速度ならば十分に実現可能性があるはずだ。ここは、高速機のキモになるところだ。風洞試験を入念にやって決めてほしい。もう一つエンジンの搭載方法だが、翼の下に支持架を設けてその翼下面からやや離して支柱経由で翌下にエンジンをぶら下げる案もある。いわゆる増槽の取り付け方法と似ている。ちょっとここに絵をかいてみよう。恐らくこの方が空気抵抗が減るのと、主翼の上下面に余計な凸凹がないので翼の効率もいいはずだ」
「なるほど、増槽のように支持架を介してぶら下げることで主翼との干渉も減るな。しかしその方法にすると、低翼では地面とのエンジンの接触を避けるために主脚を長くする必要があるな。主脚を長くするくらいならば、いっそのこと主翼を中翼形式とすれば収まりがいいかもしれない。そうするとこの三角形のような断面の胴体はあまり意味がないな」
「確かにエンジンをポット形式でぶら下げるならば中翼形式もありだ。胴体の断面は、燃料をどれほど積むのかによる。ジェットエンジンは大食いなので、ある程度は太めにして胴体内燃料タンクの容量を確保する必要があるだろう。断面形は三角である必要はないと思う。わかっていると思うが、この機体は前車輪とするのは必須だ。尾輪とするとジェットエンジンの噴射ガスが盛大に地面の土を巻き上げることになる」
三木大尉は私の意見に賛成してくれた。
「十四試局戦の時にも議論になったが、あまり太い胴体は、抵抗減少の観点からは反対だ。しかし、今回は燃費の悪いジェットエンジンのことを考えると、胴体内の燃料タンクを大きくすることも必要だな。胴体の形状については、いろいろ風洞試験をやってみよう。基本構成として、いい案ができればこれからの高速機の基本形になってほしいな」
三木大尉は、もともと空技廠の提唱した中央部に最大太さのある太めの胴体には反対派だった。この機体もできるだけ細い胴体として、その表面をできる限り平滑化して摩擦抵抗も削減する腹案であった。また、高速機としての大きな荷重に耐える構造については、中島飛行機の福田技師が提案した厚板の外板を利用した構造による強度の確保を方針とした。
風洞試験を繰り返して、福田技師とも議論して基本形態を決定した。開発開始にあたり、三木大尉と福田技師が決めたジェットエンジン試験機Y40の設計方針は以下の通りであった。
・双発機として、左右の翼にそれぞれジェットエンジンを搭載する。ジェットエンジンはエンジンの支持架を介して翼下にぶら下げる。但し、支持架は試験結果により、形状を変更する可能性があるのでボルト止めとして容易に取り外し可能とする。
・高速実験機として、武装は搭載しない。
・中翼と低翼の中間的な構成として、翼の後退角は、前縁で10度とする。翼断面形式は内翼部を層流翼型とするが、外翼部には失速特性を考えて従来翼型を採用する。主翼端に捩じり下げを採用する。
・機首に車輪を設ける前車輪形式とする。翼の主車輪は、内翼部に内側に折りたたむ。
・縦列複座型として、後席は通常は通信員だが、ジェットエンジンを監視する試験担当員の搭乗を可能とする。
・胴体及び主翼は厚板構造として、内部の助骨を今までの機体よりも減少させる。
・主翼の主桁は2本構成として、主翼桁間のボックス構造を強固にして、それが荷重を支える構造とする。
・高速を前提として、主翼及び尾翼の動翼は金属張りとする。
・低速時の加速の悪さが想定されるので、フラップはファウラー式として、更に主翼の外翼部にスラットを設ける。
・設計開始から10ヶ月以内で飛行可能とするためにできる限り単純な構造とする。また特殊な製造方法は採用しない。
・零戦や雷電の部品で本機に使用可能な部品があれば、それを活用する。
以上の方針は和田空技廠長の了解を得て、昭和15年5月から設計を開始した。
昭和15年8月に、早くも木型審査を実施した。強度試験用0号機の機体は昭和16年1月に完成して強度試験が開始された。実戦向けの軍用機ではないため、海軍の審査も短時間であり、主に高速に対応した構造の審査と、操縦席からの視界、ジェットエンジンの搭載方法が審査された。ジェットエンジンを搭載していない初号機は昭和16年2月初旬に完成した。初号機には、正式化前の増加試作型のネ20が搭載されて、まずは地上試験が実施された。機体の完成時に、従来の名称の規定に縛られない特殊用途の機体として、ジェットエンジン実験機「橘花」と命名された。
私自身は未来のミリタリーオタクとして、過去の橘花の写真を見たことがあるので、この機体がそれよりも一回り大きく、特に主翼やエンジン周りに差異があることがわかった。胴体断面形はややしもぶくれの楕円形となっていて、中翼よりもやや下に主翼が取り付けられているが、その位置でもっとも胴体幅が広くなっている。胴体尾部の形状は史実の橘花とあまり変わらない。尾部の下面には、しりもちをつく可能性があるので尾そりをつけている。
主翼周りは未来の記憶とは形状が違っている。わずかな後退翼を有する主翼に、短いエンジンパイロンを介して細長い筒状のジェットエンジンを取り付けている。ジェットエンジンの周りは細長い形状のジェットエンジンを搭載していた初期型のB-737に近い印象を受ける。エンジンの前端には、異物の吸い込みを避けるために、半球形の金網をざるのように加工した防護金網を取り付けている。無論、複座として艦爆のような縦長の風防を備えた操縦席の周りはかなり印象が異なる。やはり、複座型にしたMe262Bに似た外形に見える。
なお、橘花の初号機の製作と並行して、木更津基地で空技廠が実験に利用していた区画にジェットエンジン試験機専用の格納庫とジェットエンジン整備場を建設した。更に、ジェット排気が巻き上げる土煙をできる限り軽減するために、滑走路の延長と路面の舗装工事を実施した。
地上試験を一通り行うと、初号機に搭載した地上試験エンジンを一旦降ろして、コンプレッサ・ストール対策がされた最新型のTJ-20に交換した。操縦員は、試験機への搭乗経験のある候補の中から、下川大尉が志願したためすんなりと決まった。下川大尉は空技廠でのジェットエンジンの試験時に、何度も来訪してエンジンの起動法やスロットル操作を実地で学んでいた。
地上で3度、滑走試験を繰り返した後、機体の異常の有無を確認した。特段の異常もなく翌日には、3割ほどの燃料を搭載した軽荷重で飛行することが決定した。ジェットエンジン実験機橘花の初飛行は、関係者が見守る中、昭和16年3月14日に木更津飛行場で行われた。プロペラのない機体は甲高いキーンという音を発しながら、滑走路をかなり使って離陸して、ゆっくりと上昇して飛行場の周りを、フラップと脚を降ろしたまま緩やかに周回するとそのまま着陸した。滑走路上での加速の悪さ以外は、操縦性などには特段の問題も見られなかった。
3日後には2回目の飛行が行われ、脚とフラップの引き込みが試験された。それ以降、5回の飛行が繰り返され、4月からエンジン全開の試験に移行した。エンジン全開の1回目の試験飛行では、高度6,000mにおいて、早くも401ノット(743km/h)を記録した。これは日本では最初の400ノットを超えた航空機となったはずだ。この時点で制式化前の試製TJ-20の推力は800kgと推定された。
私が木更津に様子を見に行くと、下川大尉が高速飛行の様子について教えてくれた。
「従来のプロペラ機に比べると、加速はあまり良くありません。スロットルを進めても、エンジンの回転数が5,000回転以下の低い間はエンジンの推力も急には増えてこないので、速度もなかなか上がりません。我慢の飛行になります。それが6,000を超えると、エンジンのスロットルへの反応も急に良くなります。回転数をどんどん上げて推力を増加させると速度が上がってきます。この時も零戦や雷電に比べると、速度の上がり方は若干緩やかです。従来のプロペラ機は高速になると速度の上がり方は次第に緩やかになりますが、この機体は衰えずにどんどん加速してゆくのです。250ノット(463km/h)から400ノット(741km/h)の間はとても心地よく加速しますよ。また、プロペラ機に比べると振動も小さく、乗り心地は良いと言えるでしょう。エンジンの騒音はキーンという高音ですが、ガソリンエンジンを全開した時の轟音のような音と振動に比べれば、はるかにましです。このような機体での戦闘法については、これからいろいろ検討したいと思っていますが、速度は300ノット以上、しかもエンジンの回転数を7,000回転以上に保って、スロットル操作は急激に行わないで、飛行姿勢で速度を調整しながら機動する空戦方法を考えてゆく必要があるでしょう」
彼の発言は、私が知っている知識とも一致する。
「確かにジェット機の特性に合わせた空戦法は急いで考えてゆく必要があるね。それから、これからも試験はどんどん高速になってゆくはずだから、くれぐれも事故には気をつけてください。高速で事故は悲惨なことになりますから」
下川大尉は黙ってうなずいた。
橘花2号機が、まもなく試験に加わり、4月末までにエンジン全開の飛行試験は8回実施され、軽荷重で橘花の最高速度は431ノット(798km/h)を記録した。この試験結果は直ちに航空本部に通知された。しかし、航空本部は軍機を理由に海軍の要職にある軍人を除いて、この成果を海軍部内に広く通知することは行わなかった。
航空本部からジェットエンジン試験機の情報を伝えた限られた軍人には、艦隊の司令長官が含まれていた。もちろん航空本部の首脳陣には情報が伝えられていた。しかし、現実の機体が飛行しているのを目の前にしない限り、文字だけではにわかに信じられない者もいれば、それを信じても強く印象に残っていない者がほとんどだっただろう。ところが、真実を確認するために、橘花の飛行をわが目で確認しようと思う人物がいた。
……
昭和16年4月15日になって、我々はとんでもない来客を迎えることになった。空技廠の技術士官たちが木更津飛行場正門で、第一種軍装で整列していると、ニコニコしながら山本大将が、ぞろぞろ連合艦隊の参謀を引き連れてやってきたのだ。すかさず、和田廠長と加来総務部長が説明役となって山本長官の側につく。春の曇り空のこの日、橘花はジェットエンジンの甲高い轟音を響かせて、木更津飛行場の滑走路を一杯に使ってから飛び立った。
一度緩やかに上昇して視界外に飛び去ると、高度数百メートルあたりを高速で飛行場上空に侵入してくる。あっという間に飛び去ると豆粒のような大きさになる。豆粒が上昇に移り、高度を上げたところで水平旋回で180度向きを変えると、再び緩降下しながら飛行場上空を高速で、鋭い高音の轟音を響かせながら飛び去ってゆく。
次に目の前に現れた橘花は正面で高速のロールを行い、くるりと背面になって飛行したあとで再びロールして元の姿勢になって飛び去ると上昇に移る。今度はそのままぐんぐん上昇角度を増していって、完全に機首が真上を向いた姿勢となった。上空で迎え角が90度を超えても更に角度を増して行くと、下から操縦員が見えるような背面姿勢となる。その背面からクルリと180度ロールして通常の飛行姿勢に移る。高速のインメルマンターンだ。飛行場の上空を通過した後、180度旋回しながら急降下でどんどん加速しながら高度を下げてきて、再び低空飛行となって、先般以上の高速で目の前を通過する。恐らく、エンジンを最大推力とした全力運転で低空飛行したのだろう。
エンジンの轟音が猛烈な音量となって、地上で見ている我々にも長官たちにも襲いかかってきた。高速で点に見えるほどの距離にあっという間に飛び去った機体は、高度を上げて飛行場からやや離れて周りを大きく回り込んでくると、滑走路にまっすぐ機首を向けた。滑走路に向けて緩降下してくる。今度はフラップと脚を降ろしてゆっくりと高度を下げながら眼前に近づいてくると、そのまま機首上げで滑らかに滑走路に接地した。滑走路を7割くらい使って減速すると、滑走路を外れて格納庫の前まで走行してきた。
続いて一式陸攻を改修したG6試験機が、ジェットと空冷エンジンの双方の轟音を響かせて、離陸する。離陸後に旋回すると、飛行場上空に戻ってくる。この機体も通常の一式陸攻に比べれば十分に高速の飛行をしているのだが、先程の橘花とどうしても比べてしまう。G6試験機は350ノット(648km/h)程度の速度で4度、見学者の眼前をフライパスすると、着陸してきた。
次に、試験が進んでいる十四試局戦も展示飛行をした。こちらは。2機の試験機が18気筒エンジンの轟音と強制空冷ファン独特の甲高い音を響かせて、続けて離陸するとあっという間に急上昇に移る。ぐんぐん上昇して、高度をとったところで、上空で急旋回して円形を描いた。次は一度急降下してから急上昇に移り、そのままエンジンの出力にものを言わせて垂直にぐんぐん上って行く。そのまま機首を起こし続け、上空で背面になり、続けて垂直降下して飛行場に急降下して、再び引き起こすことにより、基地上空で垂直ループを描いた。そのまま水平に飛行して豆粒のように小さくなると、クルリと180度旋回して、そのまま滑走路に3点着陸した。
この日、山本長官は終始ごきげんだった。何度もすごい、素晴らしい、という言葉を発して、機影が見えたと思ったら、目前を轟音と共に飛び去って、あっという間に遠ざかってゆく橘花をしばらくの間じっと見ていた。
飛行の見学をした後には、格納庫に展示した橘花の2号機を見学した。予備のネ20もエンジン本体がよく見えるように展示されていた。我々の説明にウンウンといいながら熱心に聞いてくれる。
一連の見学の後に会議室で講評が行われた。山本大将は開口一番、頭を下げた。
「本日の素晴らしい成果は、関係者の努力のたまものである。私が海軍すべてを代表しているわけではないが、謝意を表させてもらう。ここにいる殆どの技術士官は、恐らく私が航空本部長だったときに面接して採用した技術者諸君だと思う。そんな面接試験もつい昨日のことだと思っていたが、それがこれほど立派な航空機を作るようになるとは、にわかに信じがたい。我が国の技術者に対して、今まで進んでいる欧米の航空機に追いつけ追い越せと言ってきたが、本日の成果は、既に欧米を追い抜いていると思う。このうえは、一刻も早く前線の部隊で使えるようにしてもらいたい。いや、私自身もジェット機の開発がこれからもどんどん進展するように、君たちの支援をしてゆくこととしよう。今日、見せてもらった飛行は一生忘れられないであろう。本当にありがとう」
和田廠長が自慢げに解説する。
「この高速機の開発を続けてゆけば、すぐにでも戦闘機にできます。機首に機銃を装備して、翼に増槽を取り付ければ局地戦闘機のできあがりです。翼の下に噴進式の大口径弾を装備すれば更に威力が増します」
「うむ、確かにどんな機体もこの速度の戦闘機からは逃げられないな。この機体が多数装備されれば、我が国の空の防衛は万全だ。願わくば、敵が戦いをあきらめるほどの優位性を見せたい。戦って勝つのは愚策、戦わずして勝つことこそ軍人としての本分であると私は思っている。全くすごいものを作ったものだ。本当に心底感謝する」
そう言って山本大将自身が頭を下げると、おつきの参謀たちもあわてて同じように頭を下げる。しばらくした後、顔を上げるとなんと山本長官は感動して涙ぐんでいた。
ジェットエンジン実験機「橘花」昭和16年5月
・全幅:12.0m
・全長:11.8m
・全高:3.4m
・翼面面積:22.2㎡
・自重:3,350kg
・全備重量:5,200kg
・エンジン:TJ-20(ネ20)×2 推力:800kgf
・最高速度:431kt(798.1km/h)、6,000mにて
・上昇力:10,000mまで11分43秒
・搭乗員:複座(操縦員、通信員)
・武装:搭載せず
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