7.2章 速度記録への挑戦

「実は、十四試局地戦闘機の会議で、空冷発動機を装備した航空機は360ノット(667km/h)の速度を超えることができるかどうかが議論になりました。私は、それが可能であると強く主張しました。ところが、液冷でなければそれは困難だとしつこく言われたので、売り言葉に買い言葉で、そんなに言うなら実証してみせると言ってしまいました」


「というわけで、これから360ノットの速度への挑戦をすることになった。みんなにも協力をお願いするからよろしく」


 できる限り笑顔で説明した。昼休みを返上して、急遽集まってもらったのは、日頃から一緒に仕事をしている永野大尉、川田技師、三木技師、松崎技師、菊地技師、中村技師、北野技師の7名だ。


 全員が声をそろえて、「「えぇぇっ〜」」と言っている。


 三木技師が真っ先に話しだした。

「そんなことを言って、勝ち目のある作戦は可能なのか? ここには速度記録機なんて影も形もないぞ」


 さも自信があるように答える。

「うむ。十二試艦戦を速度記録機に改造する。今から指示をするので、みんなよく聞いてくれ」


 私からは、高速実験機の短期実現について以下の方針を説明した。一応、昨晩は一生懸命考えてきたのだ。


・十二試艦戦試作機は既に十数機の試験機が完成して、今はそれ以降の増加試作機を製作中なので、その中から1機を速度試験用に借り受ける。恐らく製造が完了した20号機あたりが入手可能と想定する。


・川田技師と松崎技師は金星50型の出力を限界まで発揮できるように、ブースト圧や過給圧、回転数を調整する。以前の限界試験時のようにギリギリまで回転数とブーストを上げる。エンジン内部ですり合わせが必要なところは、ピカピカに磨き上げて摩擦を減らす。更に、ピストンリングにはクロムメッキを行う。


・エンジンの過給機は1速動作に限定して、速度の挑戦高度の2,000m~3,000mあたりで最大出力になるように調整する。これらの対策をすれば、たぶん1,800馬力程度には出力を増やせると想定する。


・ガソリンは、燃料廠でアメリカから輸入した100オクタン以上のガソリンを分けてもらう。オイルも同様に空技廠がアメリカから輸入した高品質の鉱油を使用する。なお、高級品オイルとハイオクガソリンは、量が限られているので、常時は使用せず速度挑戦時のみ使用する。エンジンは100オクタン燃料の使用時には、ブーストと回転数を更に限界まで上げる。最終的には1,900馬力以上を目標にしたい。


・北野技師は、エンジンのカウリングとシリンダのバッフル板を再設計して高速時の抵抗が少なくなる形態に変更する。推力排気管もエンジンのブーストと回転数が増加して排気ガスが増えるのを前提に効果が大きくなる形状に変更する。プロペラのスピナもカウンリング前端の変更に合わせて形状を変更する。これは全て2,000mあたりの高度での飛行を前提にして調整する。


・三木技師は、プロペラ翅の形状を2,000馬力前提に変更する。なお、定速プロペラについては今回は使用しない。エンジン出力を全開とした時に最も推進力が得られるピッチに地上で固定する。離着陸時にはプロペラ推力の効率は落ちるがやむを得ない。なお、発動機の減速ギアの変更は時間がかかるので、減速比は変えない


・永野大尉と三木技師、中村技師は零戦の翼を改造する。抵抗を減らすために外翼部の翼端を切断して整形する。零戦の装備で速度の挑戦に必要ないものは全部外して軽量化する。外翼部の面積が減少したことで、翼フラッターへの耐力が増すことになる。松平技師の試算で、430ノット(796km/h)でも問題は発生しないとのお墨付きをもらった。


・機体の表面をパテ埋めして、つるつるにして摩擦抵抗を削減する。機体の塗装は操縦席前面の反射よけ以外は、全部はがす。除去する塗料は30kgくらいはあるだろう。


・実験のために空技廠外から調達が必要となる物品については、和田少将から指示してもらう。上から命令が出れば、すぐに入手できるだろう。和田少将への依頼は私から行う。


・作業をする場所の問題はない。空技廠の工場内での作業と物品の使用は、既に空技廠長と種子島工場長から許可を得ている。


「なんといっても、現在の廠長は花島さんだからな。とにかくどんどんやって、短期間で結果を見せてみろ。と言われている」


 川田技師が質問する。

「それって、ハードルが上がっているんじゃないか? それと、エンジンは金星を使うのか? MK5Aを使えば、排気量も大きいし、もっと馬力増できると思うが載せ替えはやらないのか?」


「MK5Aは重量が大きいので、搭載するためには機体側の改造が結構必要になる。今回は十四試局戦の方針判断が絡んでいる。改造に時間がかかるのはだめだ。それに試験中のMK5Aの審査には影響を与えたくない。十二試艦戦は多数をそろえた試験機の効果もあって、審査がほとんど終わりつつある。最近の試験では横空で空戦法の研究と空母の運用試験がほとんどになっているから、1機くらい借りても審査に大きな影響はないだろう」


 速度記録機の改造方針が決まると、我々はすぐに作業を開始した。昭和14年8月末には早くも、十二試艦戦の22号機を入手して、改造に着手した。翼のフラッター対策がすべて実施されて防弾装備なども部隊への配備を前提として取り付けられていた。


 まず、無線機以外の武装と防弾装備を取り外し、翼内燃料タンクも使用しないということで取り外してしまった。速度試験は1時間も飛行できれば十分なので、胴体内燃料タンクだけで十分だ。事前の試験飛行では無線機を使用するが、速度挑戦の当日には無線機も取り外して軽量化する予定だ。もちろんその時は無線アンテナも外して、空気抵抗を減少させる。本番では、アンテナ柱とアンテナ線の抵抗も減らしたい。


 外翼については、翼端の円形の整形部を削除する方針であった。実質的に私が未来の知識で知っている零戦32型に近くなるはずだった。ところが、北野技師が風洞試験の結果を持ってきた。


「十二試艦戦は翼が厚いので、翼面積をもっと削減しないとダメだ。金星の出力を前提とするならば、翼面積を30%くらいは削減する必要があるだろう」


 三木技師も加わり堀越技師にも電話で意見を聞いて、補助翼の中央部あたりから翼の外側をバッサリ切って削除することとした。補助翼は金属張りとなっていたが、翼端部の支えがなくなってブラブラになってしまうので、ヒンジ部を設計変更して改修した。翼端部は切断した断面を塞いだが、ここは角型のままで上下に三角形の翼端版が飛び出たウィングレット形状になるように整形した。これは私の未来の知識と趣味からの整形だ。北野技師はさっそく風洞試験で翼端板による誘導抵抗の低減効果を確かめると息巻いていた。


 機首部については、プロペラスピナは大型のものを空技廠の工場で作成した。カウリング後端のカウルフラップはぴったりと閉まるように、ジュラルミンの内側にゴムを貼り合わせたものに交換した。推力排気管については、カウンリング後端と胴体側面の間の開口部を整形して、そこから排気が行われるように排気管をきっちりと配列させた。私の感覚からは、英国で戦後になって飛行したシーフューリーの機首のようになったように思う。


 ここで、試験機の操縦員について、誰にするかが話題となった。エンジンは大馬力となり翼も小型化したので操縦は格段に難しくなっている。プロペラのピッチも低速向きではない。もちろん高速飛行では危険も伴う。ここで志願してきたのが、下川海軍大尉だ。こちらの世界では、十二試艦戦の試験飛行前に翼フラッターの危険性を指摘して、翼の強度を改善しているので、下川機の墜落事故はもちろん発生していない。下川大尉は横空所属の試験要員として、十二試艦戦の飛行試験主務として参加していた。彼の主張は、危険が伴うような試験ならば軍人が操縦すべきであり、その軍人の中で最も十二試艦戦の操縦に慣れた者が搭乗すべきである。そうすると、自分以外はいないという論理だ。結局、誰も反対できない。


 機体の改修が終わると、通常出力の金星50型を搭載して試験飛行を始めた。翼面積は小さいが、かなり軽量化しているので操縦はそれほど困難ではないとの報告がされた。この時は、まだ限界までの最大速度は計測していないが、327ノット(607km/h)までは簡易計測で確認した。


 発動機については、完全に分解して、内部を磨き上げてクランクピンとシリンダリングも交換した。本来は、シリンダ内面のメッキ処理を追加したり、過給機羽根の低高度向けへの改造も行いたいが、時間がないのでエンジン内部の設計レベルの改造は全てやめた。この状態で、ブースト圧を限界まで上げて、2,900回転で1,800馬力程度は出ていることを確認した。本番では短時間限定で、米国製の高オクタン価ガソリンで2,000近くまで馬力を引き上げるつもりだ。


 プロペラは三木技師が今までのプロペラ翅研究チームの研究成果を生かして、かなり幅の広い3枚のものを持ってきた。私の目からすると、P-51F型の試作機に取り付けられた3枚プロペラに似ている。取り付け角は固定になっていて、地上でしか変えられない。さっそく試験機に取り付ける。


 この時点で三菱から新しい風防が届いた。堀越技師が再設計して急ぎ製造したものだ。風防前面が曲面構成となっていて、高さが低くなっている。中央部は高さを削減したのに合わせて低い形状となっている。風防後部はアルミ合金製となり、後部側面に小さな窓が開口している。堀越技師によると、もともと十四試局戦の高速化のために研究してきた風防を応用したとのことだ。確かに未来の私が写真で見た十四試局戦の1号機の風防にジュラルミン製の風防後部を取り付けた形状に見える。


 直ちに新規風防への換装を行う。この作業は空技廠工場主任が種子島中佐なので、廠内工場の工員を投入して、人力作業で交換してゆく。


 十二試速度試験機は、ほぼ最終形となって試験を開始した。機体表面は機首上面の黒色塗装を除いてすべて塗装を取り除き、外板の継ぎ目はパテ埋めして磨き上げている。ガソリンは米国製ハイオクタンではないので、発動機の馬力はまだ本番よりも小さい。それでも3度の試験飛行で、最高速度は、338ノット(626km/h)を記録した。


 下川大尉の報告では、さすがに十二試艦戦なので操縦に悪いくせはないが、着陸操作は速度が速く、スロットル操作にも注意が必要で、やはり難しいとのこと。加えて、プロペラ回転トルクの反動で左に回頭する傾向は従来の十二試艦戦にもあったが、その傾向が顕著となっている。離陸時に左に回頭するので、フットバーをいっぱいに踏み込んで修正するが、それでも完全に修正できない。そのため、滑走開始時に左傾と左への回頭を見込んであらかじめ滑走する方向を右向きに修正しておく必要がある。それでも離陸時はスロットルを若干戻して、発動機の出力は抑え気味にする。本人曰く、魚雷を積んだ艦攻並に慎重な離陸になるとのことだ。但し、空中に上がれば加速も操縦性も悪くないとのことだ。


「離着陸には注意が必要ですが、一度上がれば、かなり軽快に機動できます。空戦は試していないですが、格闘戦をやれと言われれば、そこそこできそうです。意外だったのは、翼幅が小さいおかげで、250ノット(463km/h)を超えてもロールが軽くできます。十二試艦戦のように高速で補助翼が重くなりません」


 エンジンを再度分解して、入念に調整する。ガソリンを100オクタン超えの米国品として、オイルも米国の高級品に交換する。エンジンの回転数は3,000回転に達して、出力は1,900馬力以上は確実に出ている。最後に無線機も取り外して軽量化する。この状態での試験飛行は4度を限度としていた。多量の100オクタンガソリンは入手できないので、手元にある量ではそれが精いっぱいだ。


 一度目の高速状態は純粋に試験飛行時の機体の状態を確認した。下川大尉も高速状態の発動機の調子を確認した。空技廠のエンジン試験用の九六式陸攻を同時に上げて、速度試験機に随伴させた。


 二度目の高速状態での飛行では、往復飛行を3度繰り返した。順次速度を上げていって348kt(644km/h)を記録する。


 下川大尉が上気して報告に来る。

「水平飛行で340ノットを超えるなんて初めての体験です。まさか十二試艦戦でここまで速度が出るとは感動ものです」


 この日の飛行は計器の対気速度から、対地速度への補正をして、353kt(654km/h)となった。我々はMe209のような国際速度記録に挑戦するわけではないので、低高度の100mで往復の速度試験はやらない。当然ある程度までは高度を上げた方が速度には有利なので、今回は3,000mでの試験と決めた。


 翌日は、機体表面の目張りを更にしっかり行って、ピカピカに表面を磨いた。エンジンも入念に調整する。下川大尉にも今日は遠慮なくやってくれとはっぱをかけた。


 三度目の飛行では、354ノット(656km/h)を記録した。これは補正をしても、357ノット(661km/h)である。あとわずかで届かない。


 翌日は天気が下り坂となっており、この日の午前しか飛行時間が取れそうもない。強風や雨で試験をしても結果は出ないだろう。下川大尉は、エンジンが壊れても滑空で降りられるから、これが最後のつもりで飛行するとの決意を述べている。川田技師が慌てて、いやいや壊さないでくださいと止めている。


 四度目の飛行でついに363ノット(672km/h)の速度に届いた。厳密には追い風と向かい風の影響がわかるように、往復で一回と数えているので、往路は360ノットで復路は366ノットが記録された。往復の平均値を対地速度に補正すると365ノット(676km/h)と判明した。実は、三度目の飛行とはほとんど差はないはずなのだが、天気が下り坂で気圧が下がっており、低気圧の影響で空気抵抗が減少したのではないかと想定している。


 さっそく、報告を受けて航空本部から、和田少将と巌谷少佐がやってくる。続いて、それを聞いた花島廠長が慌ててかけてくる。

「これが、速度記録機か。十二試艦戦でもこんな機体になるのだね。なかなか迫力があるね。しかし、1カ月あまりで、これほどの結果が出るとは正直想定していなかった。いや、本当にご苦労さん。この機体にかかわった皆さんには海軍から報奨金と感謝状が出るだろう」


 花島廠長が続ける。

「我が軍としても世界に誇れる結果だと思っている。しかしこの機体で、360ノット超えとはすごいなあ。本当に恐れ入りました」


 巌谷少佐が報告を聞いてやってきた。最初に頭を下げる。

「私は、事実に反する発言をしてしまい、申し訳ありませんでした。短期間で360ノットを超える機体を実現したあなた方に、本当に敬意を表します。鈴木さん、私は、約束通りあなたからお願いをされれば、最優先で依頼事項を実行しますよ。法律違反と軍人としてできないこと以外なら、何でも言ってください。さしあたり、お嫁さん候補を探すというのはどうですか?」


 川田技師が横やりを入れてくる。

「私の候補もぜひお願いします。私は面食いなのでそこのところ配慮をお願いします」


 川田技師を押し出しておいて、私はあらかじめ考えていたことを話す。

「巌谷少佐、あなたは海外の航空機の状況に詳しいですよね。そこでお願いですが、ジェットエンジンなどの今までと全く違う新しい航空機の動力について海外の動向調査をお願いしたい。特に、ドイツと英国ではタービンジェットの開発が進んでいるはずです。今頃、プロペラのつかないタービンジェットの試作機が飛んでいてもおかしくない。とにかく何らかの情報の入手ができればありがたい」


「タービンジェットって、私の友人の種子島中佐が、念仏のように毎日唱えているあれのことですか? 将来性はあるのですか?」


 私は、タービンジェットこそゲームチェンジャーだと思っている。なんとしても早く実現したい。

「もちろん大いに将来性があります。ジェットエンジンの戦闘機が完成すれば、今の機体は全て時代遅れになりますよ。将来は音速を超える戦闘機だって不可能じゃありません」


 横で聞いていた和田少将も興味を持ったようだ。

「そういえば、物好きたちが集まって作った実験機材を使っていろいろ試験をしているそうじゃないか。まさか趣味の集まりなんてことはないよな。そちらの実験結果もそろそろ見せてもらいたいね。しかし、鈴木君の言うことは随分大げさじゃないか。音速を超えるなんてことがあるだろうか?」


 三木技師と川田技師が口をそろえていう。

「「彼の予言は当たります」」


「鈴木技師が未来のことをいう場合、たいていの場合は実現します。この360ノット超えの試験機もそうですが、先の18気筒発動機、十二試艦戦の防弾などについて、彼が言ったことが大抵あたっているのです。我々は、日頃から一緒に仕事をしているので、それを身にしみて感じています」


 この日からしばらくの間、記録的な飛行を行った試験機は、空技廠の格納庫に保管されていた。記録飛行の結果を聞いて、たくさんの見学者がやって来た。堀越技師はじめ、三菱の関係者や中島や愛知の技術者、はては陸軍からも参考にさせて欲しいと見学に来たらしい。もちろん、東京帝大の航空研究所からも大勢の技術者が見学に来た。無論、彼らがこれから設計する高速実験機である研三(キ78)開発の参考にするためである。

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