7章 雷電開発

7.1章 十四試局地戦闘機の始まり

 昭和12年から始まった日華事変で、我が軍が大陸に航空基地を展開すると、敵爆撃機は空襲を仕掛けてきた。基地の戦闘機で迎撃するが、上昇途中で攻撃されれば爆撃による損害も大きくなる。その時点で、海軍は艦上戦闘機のみしか保有していなかったが、被害が蓄積してくると、基地を攻撃する爆撃機を撃退できる迎撃戦闘機の必要性を痛感することになった。


 昭和14年2月には、日本海軍軍令部が航空隊からの意見も参考にして、陸上戦闘機の要求性能を局地戦闘機の性能標準としてまとめた。性能標準では格闘性能よりも速度性能と上昇性能を優先することが記載されていた。またこの時期に海軍では、新規開発する機体の複数社による競作方針を改め、1機種開発は1社とすることを決定した。


 飛行機部の三木技師がさっそく話を聞きつけたようだ。私と川田技師が昼食をとっていると、割り込んできた。

「新しい戦闘機の開発が始まるぞ。今回は、艦戦ではなくて陸上戦闘機だ。しかも、要求条件は速度と上昇力が第一で格闘性能は二の次ということだ。今回は前線部隊も、軍令部も速度優先で意見は一致しているそうだ」


 私は心の中で、ついに雷電が始まったなとつぶやく。以前と同じ意見を三木技師には言っておこう。

「ついに、格闘戦より速度を選んだな。俺が十二試艦戦の時にも言ったように、これからの戦闘機は速度優先になるよ。敵機に追いつけなきゃ戦闘にならないからな」


 三木技師には、まだ言いたいことがあったようだ。

「鈴木が速度優先論者なのはわかっている。それよりも今回はどのエンジンを選択するかの議論もあるんだ。航空本部では、高速機ならば液冷が有利だとの意見が出ている。ドイツのダイムラーの採用を候補と考えているようだ。航空本部でもドイツかぶれは一定数いるからな。但し、今回は空冷ならば、2,000馬力級のMK5AやNK6Aも候補になりえるだろう。俺が所属する飛行機部では、空気の圧縮性の影響で350ノット(648km/h)以上は、液冷でないと困難だとの話も出ているぞ」


 私の未来の知識は空気の圧縮性議論を否定している。2000馬力級エンジンを装備すれば、空冷星形エンジンでも350ノットを超えることは十分可能だ。P-47やF4Uが証拠になるのだが、この時点ではこれらの機体はまだ存在していない。


「空力設計がしっかりしていれば、空冷エンジンでも350ノットを超えられると信じているよ。三木、お前の意見はどうなんだ? 空力が本職なんだろう」


「うん、飛行機部の一部にも液冷にして形状を極端に流線形化しなければならないという意見もあるが、俺はそれには反対だ。形状抵抗も考慮が必要だが、それと同じくらい機体表面の摩擦抵抗も考慮する必要があると思っている。流線形にしたって、摩擦抵抗は減らないからな。それよりもエンジン馬力を増して、機体を引っ張る方が早道だ。それで350ノットも超えられると思っているよ」


 まともな意見が出たところで賛成しておこう。未来の知識も肯定している。

「その意見は正しいと思う。過度な流線形を訴求するよりも表面積を小さくした方がいい場合がある。まもなく2,000馬力前後の発動機が各国で実用化される。そうなれば戦闘機の速度が350ノットを超える日も遠くない」


 今まで黙っていた川田技師が、いつものように応援発言をしてくれた。

「またも、予言が出たな。三木も賛成してくれると思うが、鈴木の予言は当たるよ。俺は全面的に賛成する。俺たちが開発しているのは軒並み空冷エンジンだ。空冷エンジンに未来はあると信じているよ」


 このような会話も忘れかけていたが、昭和14年6月になると、航空本部から呼び出しがあった。何事かと出かけてゆくと、和田少将が主催した十四試局地戦闘機の会議だった。


 和田本部長からこの会議の趣旨説明がある。

「本日は十四試局地戦闘機に適した発動機について関係者から意見を求めたい。まず開発社として選定された三菱は、どのような意見か聞かせて欲しい」


 会議には堀越技師が出席していた。海軍が開発メーカーとして三菱を1社のみ指定した。その結果、堀越技師が設計主務者に任命されたのだ。


「十四試局戦に対して、利用可能な発動機の候補を考えると、1つはダイムラーベンツ社の液冷、次に三菱で正式化された金星50型、さらにそれより若干後に開発着手されたMK5Aが存在しています。機体の空力的な外形を考えると、最も良好な形状にできるのは液冷となりますが、出力が小さく国内での生産準備も完了していません。金星50型は既にダイムラーベンツよりも出力が大きく、開発が終了しています。また、MK5Aは3者の中で出力が最大で、しかも金星50型と発動機の直径が近いため、胴体の抵抗も金星と同程度にできます。しかし、MK5Aは、まだ開発中で審査は完了しておらず、その点で不確実性が残ります。一長一短のこれらの発動機から、私としては、2,000馬力以上を予定しているMK5Aを選択したいと考えます」


「MK5Aの審査未了の点は、どのように考えているのかね?」


「審査については、既に一次審査は耐久性試験と飛行試験を含めて完了しており、二次審査にも着手していて出口が見えていると考えます。審査では、私の知る限り問題も順次解決していると聞いています。空冷発動機に対する機体の空力特性については、形状を工夫すれば高速の発揮は可能だと考えています。まあ、わかりやすく言えば、現在運転可能なエンジンから可能な限り高馬力のものを選びたいということです」


 続いて、私には初見の少佐が発言した。横にいた三木技師がこっそり教えてくれた。航空本部の戦闘機担当の巌谷少佐であるとわかった。私の未来のオタク知識でも知っている人物だ。確か戦中にドイツに渡ってJumo004やBMW003のジェットエンジン資料を持ち帰ったはずだ。大部分の資料は潜水艦と一緒に沈んだはずだが、彼が肌身離さず持ち帰った資料が参考になってジェットエンジンが完成した。つまり、彼がいなければ史実のネ20も橘花も完成せず、我が国がジェット機の飛行に成功したという歴史的事実は実現しなかったことになる。


 巌谷少佐が発言を続ける。

「私は、欧州の戦闘機の開発動向に着目している。英国のスピットファイアはロールスロイスの液冷エンジンを装備して、高速戦闘機として既に作戦に参加している。ドイツでは、液冷エンジンを装備したハインケル社の戦闘機を改造した高速機が、今年になって時速700km以上の速度を記録している。加えて、つい最近液冷エンジンのメッサーシュミットの高速機がハインケルを上回る速度を出したということも聞いている。私は高速機を開発するならば、我が国も液冷エンジンの戦闘機を開発しないと、出遅れることになると憂慮している」


 思わず心の中でつぶやく。いやいや、発表では高速戦闘機とか言っていますが、実はHe100やMe209は速度記録用実験機なんです。これは、試験専用の機体であって戦闘機ではありません。実験機の議論をしたいなら、東大航空研の研三の開発を急ぎましょう。雷電とは別のことを考えていると、突然和田少将が私に話を振ってきた。


「海軍空技廠では、先ほど堀越技師から話題が出た2,000馬力以上のMK5Aを現在も開発中である。本日はそのMK5Aの開発主幹にも出席してもらっている。エンジン開発者の観点から十四試局戦のエンジンについてどのようにすべきか意見を伺いたい」


 私は、MK5Aの担当なのだから、当然それを使用すべきだと言いますよ。

「私の意見は、先ほどの堀越技師とほぼ同じ意見です。ダイムラーベンツのエンジンについては、国内生産の準備をしていると認識していますが、ドイツ本国と同程度の性能が出せるのか、信頼性はどうなのか、現時点では未知数です。巌谷少佐から紹介されたドイツの速度試験機は、ハインケルもメッサーシュミットもダイムラーベンツを改造して短時間のみ極めて高出力が可能にしたものです。実用的に長時間使用できるエンジンではありません。一方、空技廠と三菱で開発中のMK5Aは既に第一次審査を終了して、2,100馬力の出力が安定して発揮できることを確認済みです。このエンジンを使用すれば、300ノット(556km/h)を数十ノットは軽く超えることができると信じています」


 すかさず、巌谷少佐が反論する。

「空冷エンジンで300ノットを数十ノットも超えることが可能と言うが、現実にそのような速度の空冷エンジンの航空機は存在するのか? まだ証明できていないのではないか。そもそも数十とはいくつなのか? 鈴木大尉の発言は明確な証拠もなく、かなり楽観的と言わざるを得ない。楽天的でないと言うならば、350ノットとか360ノットとか具体的な数字で根拠を明示した発言をして欲しいものだ」


 こうなったら、売り言葉に買い言葉だ。

「数字を示せと言われれば、空冷エンジンでも360ノット(667km/h)くらいは超えられると思います。ドイツでもアメリカでも、将来は、360ノット程度の空冷エンジンの戦闘機が登場するのは間違いありません。私は2,000馬力超の発動機を備えていれば、空冷エンジンであっても高性能な戦闘機を実現可能であると確信しています。高速機は、液冷でないとダメだなんて愚かなことを言っていると、後で恥をかくことになりますよ」


 巌谷少佐が大声で発言する。

「そこまで言うなら、実証してみてくれ。私の目の前で空冷戦闘機の速度が360ノットを超えたら、私はこれから君の言うことに全て従おう。できなかったら、君には発言を全面的に撤回してもらい、私の見解に賛成してもらう」


 和田少将が仲裁に入る。

「えっへん。言い争いはそこまでにするように。巌谷君もおとなげないぞ。冷静になりなさい。鈴木君もあおるような言い方をするんじゃない。ところで、空冷エンジンでも360ノットくらいは出せるというのは、根拠があるのだろうな。この場の発言は議事録に残るぞ。私もそこのところは大いに興味がある。可能ならば見せてくれ。360ノットの実証のためには航空本部も協力しようじゃないか。もちろん、できなくても私は謝れとか、罰を与えるとかは言わんぞ」


 打ち合わせが終わるとすぐに、堀越技師が早足でやってきた。

「とんでもないことになってしまいましたね。360ノットについては、時間さえあれば可能だと私も思いますよ。三菱も協力しますので、何でも言ってくださいね。ところで何か策でもあるのですか?」


「いや、対策はこれから考えるんですよ。360ノットに挑戦する機体は、もちろん新規に設計するのは無理なので、十二試艦戦を改造しかないでしょう。具体的な対策は、これから考えるのでまとまったら、相談させてください」


「え〜っ! 対策を後先考えずに、言っちゃったんですかぁ?」


 驚いた堀越技師のメガネが下にずれていた。

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