6.9章 艦隊実習

 昭和14年11月になって、私を含めて空技廠や海軍工廠で有識工員の扱いで採用されて仕事をしてきた技術者たちの身上に変化があった。もともと、私や三木技師、川田技師は、海軍で技術者を急速に増やすために有識工員として採用され技師として仕事をしてきたが、扱いとしては文官であり軍人ではなかった。従って、民間人の扱いで陸軍や海軍に徴兵もされる。実際に私の周りにも陸軍に徴兵され、兵役を務めた後に仕事に復帰した技師もいる。例えば、フラッターの専門家である松平技師は陸軍に徴兵され、陸軍少尉として任官して務めを果たしてから除隊して職場に復帰している。一度陸軍に籍を置くと、復帰しても陸軍の退役軍人であり、海軍の仕事をしても法律の定めにより海軍軍人にはなれない。


 そこで、我々のような海軍で重要な仕事をしている文官を陸軍にとられてはたまらないので、軍部の誰かが、文官も海軍軍人にしてしまおうと決めたらしい。これが、この時期に海軍軍人への一括転官が実施された理由だ。


 転官にあたり、律儀にも今までの海軍でやってきた仕事の実績も考慮してくれることになった。つまり、新任の少尉からではなく、過去の海軍内での仕事や経験を配慮して階級を決めてくれたようだ。今までの勤務期間から、三木技師や中田技師と私は、造兵大尉となった。1年後輩の松崎技師や菊地技師は造兵中尉に任ぜられた。なお私と同期の川田技師は、病気で休職していた期間があり、松崎技師と同じ造兵中尉となった。


 仲間内では何も変わることはなかったが、外部の会社との付き合いや、実戦部隊と話をする場合には、この階級が役に立つ場面があった。しかも海軍軍人として俸給が増えたのは若干であったがみんな喜んだ。なおこの転官に伴って、海軍軍人たるものしゃばけを抜くために艦隊勤務が必要である、と言われて、海の上の実習をさせられることになった。


 私たち転官組が実習に出向けば、一時的ではあるが航空廠の仕事に影響が出る。私や、三木、川田が中心で進めてきた一部の仕事は実質的に開店休業になってしまう。今回の艦隊実習では、他の組織の転官組は、1年近くの実習が課せられた場合もあったようだ。しかし、私たちに限っては、花島廠長がそんなに長く実習をやったら海軍の重要な技術開発が滞るから、もっと期間を短くしろとねじ込んだらしい。その結果、昭和14年12月から艦隊実習が開始するが、昭和15年3月には、なんとか実習を終了して空技廠の仕事に戻るという予定になった。


 昭和14年12月から私の艦隊実習が始まった。関東地方の転官組は、横須賀海軍工廠で、艦内での軍務についてひとしきり基本的なことを座学で学んだ。三木大尉や中田大尉、川田中尉、松崎中尉、菊地中尉も同時期の転官組なので、みんな一斉に教育を受けることになった。横須賀海軍工厰までは一緒の座学だったが、それ以降は、配備される艦に応じてそれぞれ行先は別になる。


「じゃあな。みんな無事に帰ってこいよ。来年、空技廠でまた会おう。」


 互いに手を振って、それぞれの配属先に別れていった。私の配属先はなんと横須賀に停泊していた空母「赤城」だった。早速赤城への乗艦手続きをして乗り込むと、相部屋ではあったが士官用のベッドを与えられた。所属は、とりあえず発動機屋の技術を活かせる飛行隊付きということになった。1週間ほどは、5分前起床して、午前はほとんど掃除、昼からは、空母搭載機の周りをウロウロして、艦戦や艦攻の整備の手伝いをして過ごした。幸いにも、空技廠でさんざん発動機の試験はやってきたので、エンジンの分解整備や、飛行試験時の機体整備も経験済みだ。いちいち教えられなくても大抵のことはわかる。もちろんエンジンについては、何も言われなくても分解して検査、組み立てて調整くらいはたいていの整備兵より早くできる。


 しばらくして、整備班長から飛行隊長に挨拶に行ってこいというので会いに行くと、待っていたのは分隊長の嶋崎大尉だった。挨拶もそこそこに、しかめっ面の嶋崎大尉が話し出す。


「じつは、最近配備が始まった機体に装備された14気筒エンジンの中に、なかなか始動が難しいものがあるのだ。整備兵の中には、全然始動ができないので、14気筒は欠陥があって、母艦上では始動困難だと言い出す者が出る始末だ。君は空技廠でエンジンの専門家だったそうだな。まさか、欠陥品というわけではないだろうが、このまま実戦になれば、始動できないでは済まされん。一度しっかり調べてほしい」


 わかりました、と返事をして早速調査することになった。整備兵に、始動困難な機体を聞いてみると、九七式艦攻九九式艦爆の中で4機が特に癖が悪いという。この時期はまだ艦戦は9気筒エンジンの九六式艦戦なので始動困難組には入っていない。


 私の前に栄搭載の九七式艦攻2機と金星搭載の九九式艦爆2機が並べられた。いずれも昭和14年になって配備されたばかりの新鋭機だ。

 まず、困難機ではない通常の機体に対して、いつも通りの起動法をやってもらう。整備兵の起動方法を見ていると、ある程度スロットルを進めておいて、エンジンをコンタクトして最初の爆発後は、プロペラの動きを見ながら、プロペラの回転が加速していくようにスロットルを前後に動かしている。しかし、エンジンの基本的な動作の特性がわかっている我々の始動法はこれとは異なる。まず気にすべきは、プロペラの回転よりもシリンダ内の燃料の濃度なのだ。つまり始動法の基本はエンジンのブースト計を見ながらの低回転機動だ。


 まずは、九九式艦爆の操縦席に座ってエンジンの始動を試みる。金星の試験時に松崎中尉と一緒に検討した始動方法を実行してみる。この方法は、いつも現場でエンジンを運転していた松崎中尉が最も得意なのだが、私自身も必要に迫られて何度かやった経験がある。松崎中尉も自分で考案したのではなく、メーカーのベテラン技師から聞いてきた方法だと言っていた。


 潤滑油冷却器を閉じて、カウルフラップを全開の位置にする。スロットルを前後に2、3回動かして確認した後、真ん中あたりの位置にする。すぐに手動ポンプで燃料圧を上げ始める。次にブースタースイッチを入にする。この間も、手動の燃料ポンプは上下に動かし続けて燃料圧をかけ続ける。整備兵が慣性始動機を回して始動機の回転が上がってくると、点火スイッチを入にする。発動機の最初の爆発が起こると、スロットルをできるだけ閉に近いところまで、ブースト圧がマイナス方向に移動するように確認しながら下げる。それ以降はブースト計を見ながら、ブースト計が吸込みを示すマイナス側にできるだけ大きく振れるようにスロットルを前後に調整するが、基本は閉に近い位置である。つまりシリンダ内のガソリンは少なめにするのだ。エンジンの回転が高まって回りだせば、そのまま安定回転を維持して、低回転数の暖機運転に移行してゆく。


 一度目の試行で、九九式艦爆の金星を始動することができた。小さく「おーおっ」という声が周りから聞こえる。内心では冷や汗モノだったが、操縦席からニヤリと笑って見せる。


 それ以降は、同じ要領で次々と始動してみせた。どれも、空技廠で扱ったエンジンに比べて、始動が特段困難であることはない。一連の作業が終わると、整備班の中尉が私のところに、駆け寄ってくる。


「いやはや、空技廠の技師はやっぱりすごいなぁ。ぜひその秘訣を我々の部隊の整備兵に伝授してください。」


 それからは、私を講師にしてにわか講習会が始まった。私のやった方法でコツがつかめてくると、みんな始動ができるようになってくる。甲板に並べられた機体のエンジンが次々と始動してゆく。


 この件は早速話題になった。2日後には、加賀に行けと言われた。ランチに乗って、加賀に移乗すると、ここでも整備兵を対象とした始動の講習会を行うことになった。講習後に、加賀の中尉から面白い話を聞いた。飛龍と蒼龍の二航戦でも、実習中の技術士官により、エンジンに関する講習が開催されたというのだ。私と同じ空技廠の実習生なのだろう。それにしても誰だろうか? 加賀にまで話が伝わるのだから、1機や2機のエンジン始動だけではなく、分解整備や部品交換など結構派手にやらかしたはずだ。機会があれば誰なのか確認してみよう。


 加賀から帰って、一通り講習会も終わったことを、艦橋にいる嶋崎大尉に報告にゆく。

「うむ、ご苦労さんだった。さすがに専門家だ。少し意地悪なことをしたかなと思ったが、楽勝だったねぇ。今日はもう楽にしていいから、今から一局指さないか? 将棋はできるのだろう」


 仕方ないので、付き合うことにする。私も学生時代は友人と指していたが、さすがに誘ってくるだけあって、なかなか嶋崎大尉は強かった。私が角落ちで指していい勝負だろう。ところで、赤城の将棋は盤も駒も手作りで、普通の将棋よりも大きな木製のコマの中に小さい磁石が入れてあるようだ。将棋盤は鉄板なので、艦が揺れても駒がずれて動くことがない。なるほど、海軍さんは将棋も陸の上とは違う工夫をするのかといたく感心した。


 翌週になると二航戦と合流して、合同訓練が始まった。一航戦と二航戦が互いに仮想敵となっての結構規模の大きな空母対空母の模擬演習をするとのことだ。飛龍は編入されてまもなくの時期で、新鋭艦だ。演習が開始されると、嶋崎大尉から、せっかくなので後学のために艦橋でよく見学するようにと指示が出た。貴重なチャンスなのでメモ帳を持って艦橋に上がる。


 艦橋に上がると、早速演習開始が宣言された。すぐに、重巡から水偵が偵察機として発艦する。空母からも、九七式艦攻が偵察機として発艦してゆく。やがて偵察の報告が入ってくる。加賀の偵察機が、敵艦隊の発見を報告してくる。


「空母を中心とした敵艦隊発見。東北東、50海里(93km)」

 敵艦隊までの距離が近いのは、やはり訓練だからなのか。

 続いて、艦橋の見張りから報告が来る。


「上空、4,000mあたりに機影をみとむ。水上機が単機で飛行」

 ほぼ同時に、敵艦隊の巡洋艦の偵察機にも発見されたようだ。


 航空参謀が直ちに攻撃隊の発進を指示する。あらかじめ準備を済ませた第1次攻撃隊の九六式艦戦と九九式艦爆、九七式艦攻が次々に発艦してゆく。発艦の途中で、利根から発進した水偵から敵艦隊発見の報告が入る。なんと敵艦隊は二群に分離して行動しているようだ。

「敵艦隊発見。南南東、50海里」


 位置関係から考えて、先の艦隊とは別の艦隊が行動していることになる。想定外の艦隊の出現に、一気に艦橋に緊張が走る。

 航空参謀が、報告がまだ不確かだと気がついて叫んでいる。


「空母は、空母はいないのか? 大至急、確認しろー」

 恐らく二航戦は空母を1艦ごとに分離して、南北から挟撃するつもりに違いない。


 やっとのことで次の報告が来る。

「敵艦隊は空母らしきもの1隻を含む……」


 もともと第一次攻撃の結果を聞いて、第二次攻撃隊を発艦させる予定だった。距離が近いので、グズグズすればこちらが先に攻撃を受けるだろう。


 しかし、第二次攻撃隊はすぐに発艦できない。今は、直衛の艦戦を発艦させている最中なのだ。

 攻撃隊を出すか、防御を優先するか航空参謀が逡巡している。

「艦戦の発艦を中断して、艦爆隊を発艦、いや戦闘機の発艦を止めてはだめだ。直衛隊……艦爆隊……」


 迷い出すときりがないだろう。時間が優先なのだから、すぐにどちらか決断しないとだめだ。


 小沢治三郎少将と話していた草鹿大佐がこちらに歩いてくる。しかし我々を前に黙っている。どうやら今日は演習なので、口を挟まず配下の参謀たちの指揮の様子を見るようだ。


 もっとも、この局面そのものが、一航戦の幹部が士官たちの訓練のために仕掛けた状況のように思われる。私はとにかくメモ帳に自分の艦隊と敵艦隊、それにしばらく前に発艦した攻撃隊の想定位置に書き込んでいた。


 赤城艦長の草鹿龍之介大佐が、こちらをしばらく見てから、小声で話しかける。

「次の命令は何か、時間を浪費するな」


 航空参謀が固まっていると、草鹿大佐がこちらを見てニヤリとして、いきなりとんでもないことを言う。

「鈴木大尉、航空戦の指揮について何か意見はないか。意見を具申せよ。復唱はいらないぞ」


 飛行甲板から上がってきていた嶋崎大尉が私の肩を掴む。

「いい経験だ。思った通りやってみろ」


 敵艦隊は、我々が二隻の空母を1隊として行動していることを既に偵察により把握しているだろう。しかも攻撃隊を発艦させて、中間位置まで進軍している可能性が高い。これから、次の攻撃隊を準備して発進するのはもはや手遅れに近い。ミリタリーオタクとして散々読んだ戦記物の知識でここは乗り切るしかない。


「防空の艦戦の発艦を急げ。続いて、残存の艦爆隊に命令。艦戦に続いて発艦して艦隊を防空せよ。敵機が艦爆や艦攻ならば、艦爆でも撃墜できるはずだ。艦爆隊は敵戦闘機を相手にせず雷撃機と爆撃機から艦隊を守れ」


「続いて浦波に命令。艦隊から離れて全速で東北東に進出して、敵攻撃隊の接近を監視せよ。同じく、綾波に命令、南南東に全速で進出して敵航空機を監視報告せよ」


 一連の命令を出すと、将棋の駒を思い出した。2式の磁石入りの将棋の駒を持ってくる。艦橋の鉄板の壁に、駒をペタペタと貼り付け始める。先程までメモを取っていたので、艦隊と航空機の位置関係は頭に入っている。


 王将を赤城、飛車を加賀にして、周りにそれらしく銀と桂馬を使って艦隊のように並べてみる。敵艦隊は、全部裏返しだ。東北東を竜王、南南東を龍馬にする。敵艦隊の護衛艦は成銀としておこう。


 こちらの飛行隊は歩を竜王に近づくようにそれらしく置いてみる。想定される敵編隊は裏返してと金にして、こちらに向かっているように置いてみる。


 艦橋のみんなは、こいつ大丈夫なのか? という顔をしばらくしていたが、やがて意図に気がつくとニヤリとしている。特に嶋崎大尉は、まるで私の部下にでもなったように、私の意図を察して、自分でも次々に駒を貼り付けている。


 しばらくすると浦波から、敵編隊発見の報告が入る。こちらは、防空隊の艦戦は上空に待機し、防空を命じた艦爆隊の発艦がやっと終わったところだ。

「わが艦隊に向けて、編隊多数が飛行中」


 無線が上空の機体にどこまで通じるかわからないが、私からも指示しておこう。

「艦隊上空の戦闘機および艦爆に通報。東北東から敵編隊が接近中。約10分後に会敵の見込み。全力で阻止せよ」


 一部の機には無線が通じたらしい。東北東に向かって飛んでゆく九六式艦戦が見える。いつの間にか、王将と飛車の周りの駒の位置が変わっている。どうやら浦波の通信を艦隊の各艦が受信して、東北東から接近する敵編隊に向けて対空砲火が向けられる位置に移動しているらしい。几帳面なことに、艦橋で見張りをしている兵の報告を受けて、航海科の少尉が将棋の駒を動かしてくれる。敵編隊を示すと金の駒も我々の艦隊に近づくように位置が変化している。浦波からの報告が継続して入ってくる。


「編隊の敵機、西南西の我が艦隊に向かう。約30機とみとむ」


 すかさず、と金の数が増やされてかなり王将の近くに移動される。双眼鏡で見張りをしていた兵が叫んでいる。

「敵編隊を確認。3時方向。機数20機」


 どうやら九九式艦爆も敵艦攻と艦爆に対する防御戦闘に参加して空戦が始まったようだ。青い上空に白く航空機の軌跡を表す輪がいくつも重なって見える。多数の航空機が上空で旋回しているのだ。


 防空戦闘の最中に通信士官が報告をしてくる。

「わが方の攻撃機が東北東の第一の艦隊を攻撃。統裁官が敵空母と護衛の巡洋艦は大破と判定。攻撃した編隊は帰投します」


 一方、我が赤城も防衛戦闘をしていたが、急降下爆撃を受ける。赤城に乗っていた統裁官が、赤城の甲板に爆弾一発命中により中破と判定する。航行に支障はないが、搭載機の発艦と着艦が一時的に不可能となる。


 敵の攻撃編隊が帰ってゆくが、同時に綾波から報告が入る。

「敵編隊が我が艦隊に向けて飛行中。機数は12機」


 上空の戦闘機隊に向けて、迎撃を指示する。

「南南東の敵編隊を迎撃せよ」


 上空の九六式艦戦と九九式艦爆が今度は指示された南南東の方角を目指してゆく。かろうじて点のように見えるところで、敵編隊に遭遇したのだろう。点と点が入り混じって戦闘が始まる。こちらの攻撃隊は機数が少なかったこともあり、味方空母に接近する前に撃退されて、我々の艦隊には被害はないとの判定になった。なんとか、防御戦闘は凌いだようだ。続いて九六式艦戦と九九式艦爆に着艦を指示する。着艦次第、攻撃隊の編成を命令する。


 但し、上空の戦闘機で加賀に着艦できた九六式艦戦以外の赤城の機体は戦闘に参加できないという判定だ。結局、その後に加賀から発艦できた20機が南南東に発見した空母の攻撃を行った。敵空母部隊の直衛戦闘機が少なかったこともあり、攻撃機を全て阻止することはできず、空母上空に突撃することができた。敵空母は大破と判定された。


 翌日になって、今回の演習の講評が行われた。私自身は一航戦と二航戦の司令が出席する会議には呼ばれなかったので、嶋崎大尉からの又聞きだ。


 まず勝敗については、空母一の中破で切り抜けた一航戦に対して、二航戦は2隻の空母大破、巡洋艦1大破だった。作戦目的の遂行が不可能と評価された二航戦の負けと判定された。特に空母を2隊に分離して別々の艦隊とした想定外の二航戦に対して、一航戦は、うまく対処したと判定された。しかも敵機の攻撃を受けた場面では、防御戦闘のみに注力したのは、戦力の集中の原則から正解だったと判断された。一方、二航戦からの攻撃隊は連携が悪く攻撃時間に差が発生したが、到着時刻が重なるように同時攻撃ができれば、一航戦の被害はかなり大きくなったであろうと評価された。


 また、戦闘指揮の観点からは、私がとっさに考案した将棋の駒を使った作戦表示盤は非常にわかりやすく、すぐにでも全艦隊で採用すべきとの結論になった。なんと言っても小沢少将も、草鹿大佐も戦闘の推移がわかりやすいとベタ褒めだった。一航艦として将棋盤係の兵を任命して、この表示盤を設置することに決めたようだ。


 これがきっかけとなって、米国のCIC(戦闘指揮所)では透明アクリル板に艦隊や編隊の位置をペイントする方法をとったが、わが軍では磁石付きの駒を鉄版の表示盤に張り付けて、時間経過とともに位置を変えてゆく方法となった。この方法は一般に作戦状況表示盤と呼ばれてさらに工夫が加えられてゆくことになる。磁石を付けた駒は青と赤で敵味方の判別を容易にさせて、船や航空機が一目でわかるデザインの駒となった。また駒を張り付ける鉄板には碁盤のようなマス目が記入されて、距離が一目で判別できるようになった。加えて、作戦内容に応じて紙に記入した地図などが鉄板に張り付けられることもある。もちろん磁石は紙の上からも貼り付けられる。例えば、真珠湾の作戦時にはハワイ諸島の地図が何枚も準備され、それを鉄板に張り付けてから、地図上に艦隊や航空隊をつけていって、作戦状況を確認する方法がとられた。作戦表示盤の横には通信機につながるプラグのコンセントがいくつも設置されて、担当士官はヘッドセットを付けたままで、外部と通話をしながら表示盤の駒を動かすことができるようになった。


昭和15年以降の新造軍艦では、艦橋の奥にこの表示盤の設置エリアがあらかじめ確保されるようになった。昭和15年以降は、基地航空隊でも適用範囲が広がっていった。特に電探との組み合わせで有効性が増すと評価された。これを見て陸軍でも作戦状況表示のために順次適用範囲が広がっていったようだ。


 また、浦波と綾波を艦隊から分離して、敵編隊の接近警報を発出させた運用についても迎撃戦に有効であると判断された。浦波艦長からは、駆逐艦の運用法として有効であり、対空砲による戦闘も行えれば、敵編隊の漸減も可能と報告された。駆逐艦の運用法については、護衛のために空母に密着する必要がないと改めて認識され、運用法については今後も検討を行うこととなった。更に、母艦と航空部隊間の無線通信による指示の重要性が改めて認識され、改善された航空機搭載の無線機への改修を要求することとなったとのことだ。


 講評がされている頃、私は格納庫で油まみれになっていた。殆どの機体が全力で飛行したので、その後は整備が必要になる。不調だと搭乗員が申告する機体がいくつも出てくる。しかも不調の原因の殆どは、エンジンだ。つまり、エンジン技術者である私の出番となるわけだ。


 講評が終わった司令官室で、小沢長官と草鹿艦長がお茶を飲んでいた。

「あの才能のある若者は、昨年までは空技廠で働く民間人だったというのかね。それであんな指揮ができるならば、兵学校の教育も全く役に立たないな。彼はいったいどこであんな指揮のやり方を学んだんだろうか。ところで彼は空技廠で何をしているのかわかったかね」


 草鹿艦長が答える。

「彼は、東京帝大の機械科卒業ですから、頭の方はかなり優秀ですよ。今までの仕事でも、しっかり結果を出しています。十二試艦戦で使っている新しい発動機の開発は彼が主導したのです。今は、私たちの間でも話題になった2000馬力の新発動機を開発しているようです。つまり、金星の次の2,000馬力発動機を一生懸命開発しているわけです。それにしても、和田少将から面白い男が行くから、面倒を見てほしいと言われましたが、これほどとは驚きました」


 小沢長官が感心したように話し出す。

「空技廠の仕事もそれほどにしっかりやっているのか。今の話を聞くと、次世代エンジン開発のほうが海軍に貢献していると思えてしまうな。しばらくの間は、今まで通り空技廠で頑張ってもらう方が良さそうだ。しかし、艦隊の方から時々知恵を借りに行くくらいは許されるだろう。これから機会があれば、君や嶋崎君は空技廠を訪ねてほしい。私からも、和田君に話を通しておこう」


 演習が終わってしばらくして、嶋崎大尉に呼ばれた。

「明日、新鋭機の十二試艦戦がこの艦にやってくるようだ。空母での運用試験のためにやってくるということだ。離着艦試験や、エレベータの搭載、格納庫での整備など、実戦時を想定して空母で行う運用を試してみるということだ。君も十二試艦戦には関係していたのだろう。少し面倒を見てくれ」


 翌日の朝になると、太平洋を航行する赤城のところに十二試艦戦が飛んできた。手順通りに赤城の上空を航過すると、ぐるりと回ってきて、いとも簡単に見える着艦をしてみせた。まるで滑り台をするすると降りてくるような、流れるような着艦だ。一緒に見ていた嶋崎大尉がなかなかいい腕だな、と褒めている。


 機体をエレベータのところまで移動させると、しばらくの間アイドリング運転した後にエンジンを止めて、さっそうと十二試艦戦の操縦員が降りてくる。よく顔を見るとなんと、横空で十二試艦戦の試験を行っていた下川大尉ではないか。十二試艦戦に搭載した金星エンジンの試験で何度も一緒に仕事をしてきた仲だ。私だけは、この大尉が未来の歴史では零戦のフラッター事故で墜落して殉職したことを知っている。しかし、こちらの世界では、既に対策は済んでいてそのような事故は発生しないはずだ。大尉は私を横目で見ながらニヤリと笑って、海軍式の敬礼をする。そのまま通り過ぎると、まずは艦橋の艦長のところに挨拶に行くようだ。


 艦橋から出てくると、私と嶋崎大尉のところにやってくる。飛行隊の分隊長の嶋崎大尉に敬礼して挨拶する。

「下川です。本日はお世話になります。十二試艦戦でいくつかの試験をさせてもらいますのでよろしくお願いします」

「うむ、こちらこそよろしくお願いします。近々、この赤城にも十二試艦戦が配備される予定なので、我々としても確認をさせてもらいたい」


「鈴木さん、艦隊演習では、また派手にやったようですね。この艦にも私の同期の操縦員がいるので、私のところにもやらかしたことが聞こえてきていますよ」


 私達が話している間にも、十二試艦戦の周りは人だかりだ。早速カウリングをひらいて、エンジンを見ている。この機体は初期の試作機ではなく、金星50型を搭載した量産型に近い機体だ。みんながワイワイしていると、今度は九七式艦攻が降りてくる。嶋崎大尉が、あれは、蒼龍の機体だと教えてくれた。駐機位置まで進んだ九七式艦攻の後席から降りてきたのは、なんと松崎中尉だった。


「どうも、お久しぶりです。赤城でエンジンの調整をしていたと思ったら、演習が始まってからは航空戦の指揮官になった大尉がいると聞いていましたが、鈴木大尉でしたか。二航戦では、新米のにわか大尉に戦で負かされた。いったい誰なんだとさんざん聞かされましたよ」


「いや、それよりなんで赤城に来たんだよー。そういえば、二航戦で飛龍と蒼龍の機体のエンジン整備講習会をしていたのは、貴様だったのか。道理で、整備の話が赤城にも伝わってくるわけだ。納得したよ」


「十二試艦戦の空母運用試験を赤城でやるので、試験中は整備して機体の面倒を見てこいと言われまして、飛んできた次第です。なんと艦戦の操縦員は下川大尉なのですね」


 下川大尉がさっそくやってきた。

「松崎君ならば整備は安心だ。でも横須賀で一番調子のいい機体で飛んできたので、今日のところはオイルのチェックくらいしかやることはないよ。明日はちょっといろいろな飛行をしてみるので、松崎君が活躍する場面があるかもしれないよ」


 嶋崎大尉が松崎中尉に指示する。

「赤城の整備班と一緒になって、十二試艦戦の整備をしてくれ。整備が終わったら、今日のところは赤城に一泊していってくれ。明日も整備のお願いがあるからね」


 この日、十二試艦戦は午後から離着陸の試験を行い、そのまま赤城に一泊することになった。特に試験で問題になるようなことはない。

 そして、その夜はもちろん私と下川大尉、松崎中尉に嶋崎大尉も参加して、酒盛りになったのは言うまでもない。


 翌日になると、今度は空技廠の飛行機部から審査担当官が九七式艦攻に同乗して追浜から飛んできた。十二試艦戦の空母での取り扱いについて、様子を見に来たのだ。午前中に下川大尉は離着陸を行い、エレベータでおろしてから、格納庫内で松崎大尉と整備兵が整備を行った。整備と言っても私自身がやっても1時間でできる程度の内容だ。もちろんエンジンを下ろすようなことはしない。


 午後は、太平洋の見えないところを航行している飛龍まで飛んでいって、一度降りると、格納庫で簡単な整備と給油をして、赤城に戻ってきた。私に挨拶すると、すぐに飛び立って、赤城の上空でインメルマンターンと鮮やかな宙返りをすると横空に帰っていった。続いて、松崎中尉も艦攻に乗って蒼龍に戻っていった。


 どうやら、空母での運用を試験するよりも、連合艦隊の主力空母である一航戦旗艦の赤城と二航戦に新鋭機のお披露目に来たように思えてならない。


 かくして私の艦隊実習は慌ただしく終わった。年も明けて昭和15年3月には、空技廠に戻ることができた。和田少将のところに、小沢少将から時々空技廠に艦隊からお邪魔するのでよろしくとの謎の手紙が来ていることはむろん知る由もなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る