6.7章 誉の開発

 中島飛行機も18気筒エンジンの開発に対して座視しているわけがない。海軍からの次期発動機の検討依頼に対して、中島社長自身が航空本部を訪問して、18気筒発動機の開発に力を入れてゆく方針を回答していた。


 中島社内においても、昭和13年5月になって社長自らの指示が発出されて、開発が開始された。栄エンジンで改良版の設計を行った中川良一技師を設計主務者として、設計チームが組織された。社長命令で、設計は優先的に扱われて作業が推進され三菱のMK5Aと競争するように設計が進められた。栄の最新型である20型では、既に1,500馬力の出力が達成されていたので、14気筒の栄を18気筒化すれば、2,100馬力程度は短期間で手が届く目標だと考えられた。当然、栄で既に実績のある、シリンダボア136mm、ストローク155mmは変更しない。


 設計と並行して実験した栄エンジンの限界運転では、ブースト圧を増やしたことが原因で一部の気筒において燃焼の不安定現象が発生した。18気筒化により、気筒の数が増えれば、この問題は、より大きくなるということが容易に推定できた。一方、各気筒内の燃料の不均一性に起因するこの現象は、各気筒に厳密に一定量の燃料を供給できる燃料噴射装置の適用により改善が期待できる。このため、最終的にNK6Aにも燃料噴射装置を採用することとなった。この時点で中島は自社製の低圧燃料噴射装置がやっと使用できる状況となっていた。あらためて、海軍は過給機を低圧燃料噴射装置に変更した発動機の試作名称をNK6Bとした。この影響で、一部の設計変更が必要となったため、三菱に比べて若干の遅れで開発が進められることになった。


 NK6Bの設計完了は昭和13年12月となり、昭和14年3月に部品試作が完了した。なお、空冷性能の改善については、初期の試作機は、正田飛行機に依頼して、ピッチ3.5ミリ、フィン厚1.5ミリの気筒ヘッドを使用したが、多量生産に有利なブルノー法に移行していった。昭和14年10月からは、中島工場内に構築したブルノー法の生産ラインが稼働を始め、試験用ヘッドの製造を行った後に昭和15年1月から本格的に稼働している。この時期に中島では、栄に対しても従来のヘッドから、ブルノー法の気筒ヘッドへの切り替えを行っている。


 昭和14年3月に試作一号機が完成すると直ちに中島社内で試験が開始された。NK6Bも試験機を多数製造することによる試験期間の短縮を計画していた。第1次として6基の試作機を製作し、その結果が良好ならば、直ちに第2次として、12基を製作することとなっていた。この頃には、中島は社内に独自の飛行試験用の機体を保有していたので、中島社内での飛行試験を開始することができた。飛行試験には海軍試作で愛知航空機の九九式艦爆と競合して不採用となった中島設計の十一試艦爆が使用されている。


 昭和14年6月には試作発動機の3号機、4号機、5号機が空技廠に搬入されて、海軍側の試験が開始された。空技廠では、三菱から若干遅れている中島のエンジンに対して、遅れを挽回するために初期から多数の項目を並行して試験を行った。8号機、9号機が航空廠に納入されると、九六式陸攻試験機による飛行試験も開始された。試験当初は順調に進んでいたが、試験が進展すると飛行試験中のエンジンの停止事故が発生して、九六式陸攻試験機は緊急着陸した。


 エンジンを分解して確認するとケルメットの焼損が発生していた。故障が発生しなかったエンジンをおろして、地上で全力運転をするとこちらのエンジンも停止してしまった。原因はやはりケルメットの焼損であった。川村中佐が分析した結果、三菱同様に、2,000馬力化によるクランク軸にかかる負荷の増加が原因と推定された。但し、NK6Bのケルメットは結晶組織がほとんど網状組織となっており、三菱に比べて温度管理が甘いと推定された。焼き入れ時の温度管理を厳密に行うことにより、まずは樹状組織への変換が必要なことが分かった。


 この時期は、MK5Aにおいてもケルメットの異常摩耗問題が発生していた。MK5Aでは空技廠と三菱、さらに中島の専門家が共同して問題の解析と解決法の検討、実験が行われた結果、短期間で対策が出てきていた。このMK5Aのケルメットに関する改善対策は、中島にも通知されてNK6Bへの適用検討が行われた。7月になって、MK5Aが対策ケルメットにより試験を行って、対策の効果がはっきりと実証されると、当然中島も強化策を実施することとなった。対策を行ったケルメット軸受けへの交換が行われ、第一次審査が再開された。1か月間の高負荷での耐久試験により、ケルメットの異常摩耗は解決されたことが確認できた。10月末には第一次審査が終了して、昭和14年11月より第二次審査が開始された。昭和15年3月には、飛行試験を含めて第二次審査が終了した。


 昭和15年8月には、誉と命名され、正式採用された。これで私自身もよく知っている名前のエンジンが2年以上早く完成したわけだ。しかも、エンジンの内容が違っている。


 史実で登場した誉に比べて、排気量が一割以上大きく、外形も一回り大きい。加えて、初期型から燃料噴射が付加されて、回転数は史実の誉の3,000回転から100回転以上落としている。エンジンの安定化のために、水・メタノールの噴射量も当初の予定よりも下げて、三菱の輝星より出力をわずかに落として信頼性を考慮して正式化された。これで、私の未来の歴史でミリタリーマニアから散々な言われ方をした誉も名誉挽回できるだろう。それでも、NK6Bではエンジンの回転数は2,900回転に達したため、現地部隊では、輝星に比べて繊細で扱いづらいとの評判につながった。


 誉は、零戦に続いて中島でも生産された烈風に搭載されて活躍した。また、陸軍の二式単座戦闘機「鍾馗」のエンジンとして搭載されることが決まっていた。昭和15年中旬になって、我が国で2,000馬力超のエンジンが2種類完成して、機体設計者がそれを選択できる体制が出来上がった。これは、高性能な機体を実現する場合に、大きな追い風になったことは間違いない。この時以降、戦闘機に限らず、爆撃機や水上機、輸送機でもこの2種の発動機が広く使用されてゆくことになる。


 誉10型  昭和15年8月制式化

・海軍試作名称:NK6B

・構成:複列18気筒、気筒経:136mm、気筒行程:155mm

・気筒容積:40.5L、重量:910kg

・発動機直径:1,210mm、全長:1,520mm

・過給器:1段2速 1速高度:2,900m、2速高度:5,700m

・燃料供給方式:低圧燃料噴射、水・メタノール噴射付き

・離昇出力:2,100hp 回転数:2,900rpm ブースト +400mmHg

・公称出力:1,950hp (1速:2,000m) 回転数:2,800rpm +320mmHg

・公称出力:1,800hp (2速:5,700m) 回転数:2,800rpm +250mmHg

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