6.6章 4枚プロペラの開発

 昭和13年11月になると、花沢部長から、4枚プロペラ開発についてはっぱをかけられた。さっさとやれということなのだろう。


「発動機が2,000馬力になると、プロペラもそれに対応する必要があると言っていただろう? 新しいプロペラが必要なことは、君たちが言い出したのだ。もちろん私もその意見に賛成だ。新しいプロペラは絶対に必要だ。必要なんだから、遠慮しないでどんどんやれ。人員が足りないならば、融通するので相談してくれ」


 威勢のいいことを言われたが、なかなか人選ができない。そもそも川田技師や、松崎、菊地、中村など油圧や歯車の機構のことがわかって、設計できそうな人員は発動機本体の開発を担当していて、みんな忙しい。


 ある日、川田技師が、プロペラのことに興味があるという人物を連れてきた。今までエンジン開発で付き合いのあった林大尉だった。彼は所属が発動機部なので、もちろん面識はある。話を聞いてみると、以前は発動機の補器関係をやっていて、油圧ポンプなど油圧系統も補器を駆動する歯車機構も経験済みとのこと。ところが最近は工場の方の作業に回されて現場の仕事が主になってしまったが、それも悪くはないが設計にもっと近い仕事で能力を発揮したいとのことだった。


 技術の経験は十分なので、あとはプロペラの勉強をしてくれと、任せることにした。住友金属からは、既存の定速プロペラに関する図面類や資料が届いた。花島部長から、これからもプロペラの生産は住友金属から変えることはないので、資料の写しを航空廠に送ってほしいとお願いしたのだ。


 林大尉は、しばらく、3枚翅の定速プロペラの図面と資料ばかり読んでいたが、やがて航空廠におさめられていた実物の定速プロペラに油圧をかけて、実際の動作を観察していた。次は、プロペラのピッチ変更機構を全てバラバラに分解した。整備用の資料を既に読みこんでいるので、分解の方法も既に理解している。部品を個別に図面と確認して、材質もチェックしてゆく。再度プロペラを組み立てて動作を確認する。林大尉が勉強している時に作成した定速プロペラの構造と動作説明及び分解組み立て法は、後にきれいに編集と印刷がされて、整備部隊が必ず熟読する定速プロペラ整備マニュアルとなった。


 林大尉が現状のハミルトン定速プロペラの調査を行っている最中に、もう一つの依頼事項の結果が出たようだ。飛行機部のプロペラ翅班の三木技師と北野技師が私のところにやってきた。


「頼まれていた2,000馬力に対応したプロペラ翅の図面を引いてみた。直径は3.6mと3.3mの2種類がある。プロペラの形状は3翅の幅広のプロペラと外形はあまり差異がないのだが、2,000馬力になるとエンジンの出力の吸収のためには、プロペラのピッチ変更角を増やす必要がある。現状のプロペラは変更角の範囲を25度の範囲で動作させているが、おそらくそれを35度ないし40度に拡大する必要がある。なお、こちらの図に示した袴をつけた翅ももちろん候補になる。袴付きとそうでない翅の差異は、実験機の試験により確認したい」


 変更角を増やすことが前提ならば、フルフェザリングまで考えた方がよいと口から出そうになったが、ここは完成までの時間を優先してそれは不要としよう。


 林大尉にもこの件を説明する。さすがに、プロペラ翅の作動角の変更については、必要だろうと気づいていたようだ。

「作動角はやはり変更の必要があるのですね。作動角と言うよりも、最小の角度と作動角度を指定してその間でピッチの変更動作が行われると言った方が正しいでしょうね。ハミルトンでは最小の角度もカム動作により調整で変更できるようになっています」


 その後、林大尉は、大阪の住友金属のプロペラ工場を視察した。実際に製造時に使用する治具や、加工工程とその作業に使用する機器を一つ一つ確認してきた。工場の現場でどの様に部品の加工が行われているのか、作業員は加工器具をどのように扱っているかも現場で聞いて記録してきた。


 私も自分の専門外で、想像があまりできないのでプロペラの進捗状況が非常に気になる。横須賀に戻ってきた林大尉に進捗の状況を確認した。

「4枚プロペラへの変更はどこまで進んでいますか?」


 林大尉は少し考えこんで、慎重に返事をする。

「構造と動作の方は理解しました。変更すべき点についても大体あたりをつけました。これからどの部品をどのように変更するのか詳細の検討に入ります。部品の変更については、ほとんど航空廠内の工場で加工ができると思います。航空廠には、結構いろいろな加工機がありますのでそれを使います。それで足りない部品の製造は、住友金属に依頼することになります。それよりも部品加工時に治具が必要になりますが、4枚プロペラ用の治具を準備する必要があります。組み立て時にも治具が必要になります。治具の中にはハミルトン社から直接輸入した装置も含まれますが、今のご時世では、輸入は不可能なので我々が解決する必要があります。部品を変更すると、強度の確認が必要になる場合がありますが、川田技師に強度計算をお願いしたいと思います」


 私のつてから、正田飛行機を紹介しておこう。

「治具ですか。いろいろな金属加工について小回りの利く会社を知っていますので、そこに依頼しましょう。正田飛行機といいます」


 そこまで言って、マニアとして読んだ震電の6枚プロペラの製作の裏話を思いだした。確か、3枚プロペラの治具をうまく使って短期間で6枚のプロペラを作ったという話だ。


「住友金属には、定速2枚プロペラの治具があると思いますが、それを組み合わせて4枚の治具として使用することはできませんか? 原理的には、2枚を2つ、90度角度を変えて組み合わせれば4枚になると思うんですが。まぁ、実際は簡単に重ね合わせるなどということことはできないので、治具自身の修正も必要になるしょうが」


 林大尉も思い当たるところがあったようだ。

「なるほど。住友の生産関係の技師と相談します。2枚向けの治具を応用することは部分的には可能と思います」


 昭和13年12月、師走の忙しい時期に私と林大尉、川田技師、それに住友金属の望月技師で、4枚プロペラの打ち合わせを行った。


 まず、林大尉から4枚プロペラの設計と試作について説明した。

「私の方で、定速4枚プロペラとして動作させるために、従来のプロペラから変更が必要な部品について図面を作成してみた。航空廠内の工場で実験機向けの部品をまず作成している。この部品は基本動作ができるかの確認であって、飛行試験にはまだ使用できない。工場内での動作試験により不具合があれば修正してゆく。住友金属さんは、動作試験が終わった時点で私の図面から自社工場向けの図面を起こして、社内で試作機を製造願いたい。この試験機によりエンジンに実際に取り付けて地上試験を行い、問題がなければ飛行試験に移行する。九六式陸攻試験機のプロペラを換装して試験を行うこととしたい。なおプロペラのブレードについては、実績のある既存のプロペラ翼を使用する。治具については、鈴木技師からお願いします」


 私が説明を引き継いだ。

「先行して検討してもらった結果、2枚プロペラ用の治具を一部修正する。それを利用して、先に林大尉が説明した基本動作確認をする実験機と飛行試験用の試験機を製作する。住友金属さんはこの治具を直ちに準備してほしい。住友金属さんには正田飛行機を紹介しているので、既に連絡をとっていると聞いているが、治具の修正には、変更の時間が短くなるように作業を分担してほしい。いずれ、多数の4枚プロペラを作成する必要が出てくるが、量産のための生産設備について、今からでも住友金属さんに検討をお願いする」


 次は、住友金属の望月技師が社内の状況を報告した。

「林大尉が作成した図面について、社内でも確認を開始しています。製作で使用する治具等の準備も既に開始しています。航空廠さんの基本動作試験の結果が出れば早急に教えていただきたい。なお動作用の実験プロペラについては、当社内でも3機分を作成して、社内で試験を行うこととしました。正田飛行機さんと治具や製造用機器の改造については調整を始めています。当社内では作成できない工具類、治具類は依頼を行うことになります。当面、4枚プロペラを製造するために、まずは1ラインを整備しますが、製造数が増えればライン数を増やすつもりです。というかおそらく、プロペラ工場そのものを新規に建設することになるでしょう」


 昭和14年1月から航空廠と住友金属内で定速4枚プロペラの基本動作実験機の動作試験が開始された。試験結果を見ながら、部品の修正をしつつ2月末まで実験が行われた。住友金属は直ちに飛行試験用の試験プロペラを6基製作して、3月には航空廠に納入された。


 九六式陸攻による飛行試験ではエンジンの過回転とハンティングが発生したが、ギア比の変更と油圧制御器の調整によりなんとか解決した。昭和14年5月には、設計変更した4枚翅の定速プロペラの試験は、耐久試験も含めて試験が一通り終了した。この試験には、三木技師と北野技師が設計した2,000馬力発動機向けの新しいプロペラ翅が使用された。新しい4枚プロペラが完成すると、7月からMK5Aを搭載した九六式陸攻の試験機に増加試作プロペラを取り付けて、試験を実施した。昭和14年12月からは、我々が開発したプロペラを中島のNK6Bにも取り付けて、試験が行われた。


 プロペラの実機試験で定速プロペラのピッチ変更機構も試験したが、プロペラ翅も各種形状のものを作成して高空に何度も上がって試験した。当時は航空廠でさえも、低気圧の高空状態を模擬できる風洞がなかったためである。その点では、既に高空風洞を保有するドイツや米国から我が国は遅れていた。


 試験の結果、北野技師が風洞試験を続けてきた。幅広のプロペラが良い成績を示した。さらに私がメモ書きで示していたカフス付きも一定の効果が認められ、カフス付きのプロペラが我が国では袴付きという名称で、使用される方向となった。つまり、米国でP-51などに使用されるハミルトンのカフス付き4枚プロペラとほぼ同様の定速プロペラが完成したことになる。

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