4章 発動機の性能向上
4.1章 空冷性能の改善
空冷発動機の性能を向上させようとすると、空冷性能の限界に突き当たる。エンジンの構造や内部形状の工夫により、回転数やブースト圧を上げることが可能になっても、増大する熱量を冷却できるだけの空冷性能がなければ気筒温度が上昇して、異常燃焼が発生する。金星4型の限界試験でも、回転数をどんどん上げてゆくとエンジンが高温となって、過温となる現象が発生している。空冷エンジンにとって冷却性能の向上は大きな課題だ。つまり空冷性能を向上しなければエンジンは性能向上できない。
私と発動機部の川田技師、中田技師の3名で気筒の空冷性能の向上について、本格的に研究を開始したのは、MK3Aがまだ設計途中の昭和12年2月からである。しかし、発動機部の2名は普段は他の仕事をしているので、なかなか専念できない。中田技師だけは物理屋で主担当の機種をもたないので、比較的マイペースで実験を進められた。彼は基本に戻って、気筒の冷却フィンのピッチとフィンの厚さ、フィンの面積を変えて冷却性能がどれほど変化するかの実験をした。あらかじめ所定の形状に切り抜いたアルミ板を準備して、アルミの筒に所定の間隔で取り付けて、内部をヒーターで加熱して風を吹き付ける。各部の温度を計測することにより、気筒を模擬して冷却性能を確認する。アルミ板の厚さと気筒に取り付ける間隔を変化させることにより、冷却性能の変化を確認した。実験からフィンピッチは3mm程度、フィン厚さは1~0.7mm程度までは冷却性能が向上することが分かった。しかし、1mm以下のフィンを付けた精密な気筒を実際にどうやって生産するかが大きな課題となった。
しかし私は未来の知識から、あの有名な誉の気筒製造法として、鋳込みフィンとブルノー法という二つの方法が存在したことを知っている。鋳込みフィンというのは所定の形状のアルミの薄板を気筒の形状に合わせて治具で固定しておき、アルミ薄板の基部が鋳込み型の内部まで入り込むようにセットして型にアルミを流し込んで気筒を鋳造する技術だったと思う。また、ブルノー法は鋳造のアルミを流し込むときに型の周囲を減圧させてアルミの湯が細部にも回りやすくする方法ではないかと思うが、ミリオタの知識では詳細までは分からない。おそらくフランスで開発された方法だったはずだ。鋳込みフィンによる製造法は、製造上の問題が出て、途中でブルノー法に切り替えられたはずだ。
まずは、珪砂に油を含有させて鋳型として鋳造する現状の方法でどこまで精細なフィンが製造できるのか三菱と中島の両社に検討を依頼した。三菱は私が航空廠側の窓口となり、三菱側には、麻生技師という気筒の冷却を担当している若い技術者を選んでもらった。同様に中島側は、物理出身の戸田技師を選定してもらった。
確認の結果、現状の油砂を鋳型にしたアルミ鋳造では、6ミリのピッチに2ミリのフィンを付けた構造で製造している。おそらく、5.5ミリのピッチに2ミリのフィンが限界ではないかとのことだ。各社とも次期のエンジンではフィンの間隔とフィン厚は、限界値に近い値として、気筒ヘッドを製造する見込みとのことだ。いずれにしても新たな製造法を考えない限り、空冷エンジンの冷却性能はやがて限界となるだろう。
私は、川田技師と中田技師に加えて三木技師に、鋳込みフィン法とブルノー法の概要を説明して、これらの製造方法を実現するために、関係がありそうな人物や会社を紹介してほしいと依頼していた。
まず、三木技師と中田技師に紹介されたのは、飛行機部の川村少佐だ。挨拶も早々に、川村技師が自分の仕事の説明を始めた。
「現時点では、私は飛行機部に所属していますが、金属を含めて材料の研究をしています。単に材料のみでなく、金属材料の鋳造や鍛造などの加工法も研究範囲を広げてゆこうと考えています。鋳込みフィン法とブルノー法について川田技師から説明を受けました。実は、廠長に材料部の設立を提案しているのですが、これらの製造法は将来の材料部で扱うテーマになると思います。協力させてください」
続いて、川田技師が我々の後輩である発動機部の中村技師を連れてきた。元々、彼は発動機の補器類の開発担当だったことを思い出して質問してみた。
「中村君は、気筒の空冷に関係する仕事をしているのだっけ?」
「私はもっぱら中島飛行機の仕事をしてきたので、鈴木さんはご存じないかもしれませんね。最近は中島に発動機の部品を供給している正田飛行機と部品の精密鋳造について検討してきました。気筒製造に関して鋳造法の改善でいい方法があれば、正田飛行機には実験も含めて依頼できます。まぁ、精密鋳造が成功したらそれで部品を納入させてくれということになりますが」
空冷性能の強化チームに2名が加わったため、私と川村少佐はブルノー法もしくは、圧力を利用した精密鋳造法について実現方法を検討することとした。また川田技師と中田技師、中村技師のチームは鋳込みフィン法について検討することとした。
ところが、私のチームについては、ブルノー法の実現方法も明らかにならないうちに、昭和12年7月になると問題が発生した。川村少佐が欧州への駐在を命令されたのだ。
「どうやら、9月から1年間、ドイツを中心にヨーロッパで最新技術を習得してこいということのようです。技術習得の対象は、金属材料とその製造方法、材料の加工法などです。更に発動機製造に必要な特殊鋼などをドイツで入手して我が国に輸出せよと指示されています」
「川村さんが私たちの開発グループから外れるのは大変残念ですが、考えようによっては、これはチャンスかもしれないですね。フランスに行けは、ブルノー法によるシリンダヘッドの製造を実地に見られるはずです。情報をこちらに送ってもらえば、実験など進めておきますよ。川村さんの本職の仕事も頑張ってください。エンジンを作る材料が悪くては、設計者がいくら頑張っても2流の性能しか出せませんからね」
一方、鋳込みフィンについては、中田技師、中村技師が類似の製造法を記載しているNACAの論文を発見した。論文を読み込んで、想定を含めて製造方法を明らかにした。半年間、苦労して、川田技師と中村技師は、正田飛行機を訪れて試作気筒ヘッドの製作に成功した。昭和12年12月末には、中田技師によって空冷性能の向上を実験で確認できた。3ミリピッチで、1ミリ厚のフィンの試作シリンダヘッドは、従来の6ミリピッチ2ミリ厚のシリンダヘッドに比べて約6倍の空冷性能を有することが確認された。但し、実際のエンジンではなく、試験用に単筒シリンダを模した試験機での実験結果だ。
私のミリタリーオタクとしての未来の記憶によれば、この製造方法は一時期、誉の製造に利用されるが、製造の手間と灼熱地獄のような製造環境の劣悪さによりブルノー法にとってかわられることはずだ。
私からは、その知識の影響もあり否定的なコメントをしてしまう。
「この製造法は、実験用に少量の気筒の製造はできるが、多数のエンジンの製造に適用するとなるとかなり大がかりな設備としないととても間に合わないね。しかも高熱での作業がどうしても必要になる。プレスしたフィンをシリンダに常温で固定する方法はないだろうか?」
中村技師が、いいアイデアを思いついたと言い出した。
「例えば、フィンを除いた気筒の本体部分をあらかじめ鋳造しておき、フィンをそれにはめ込みのように取り付けてゆく。気筒本体には取付けのためのはめ込み穴を開口して、フィンには穴とぴったり一致する足をつけておけば固定可能ではないでしょうか。更にはめ込んでから、かしめて気筒の胴部に固定すれば、全て室温で作業できます」
川田が続ける。
「それだと、いかに精度よく加工してもフィンと気筒の間にぐらつきが出るよ。それに接続部に熱抵抗もあるので放熱が順調に行われるとは考えにくい。そもそもはめ込み部から燃焼ガスが漏れるのでエンジンとして動作しないよ。フィンを取り付けた後に足の部分をきれいに溶接できればいいのだが。最初に作る気筒の本体部は最終の形状じゃなく、厚さを薄く作っておいて、フィンを取り付けた後、最終的な厚さになるようにもう一度、鋳造用の中子を入れて、気筒の本体を鋳造するというのはどうだろうか」
正田飛行機は、複数の海軍の技師が入れ替わり訪れて製造法の議論を行ったこともあり、小林という技師を専門に割り当ててくれた。昭和13年が明けると、いくつかのフィンの鋳込み法を試行錯誤して実際に可能な方法がだんだん絞られてきた。
昭和13年3月、私と川田技師、中田技師、中村技師の4名が正田飛行機を訪問して実験結果を確認していた。この時点で、フィン鋳込み法は、川田技師と中村技師の考案した2度鋳込み法に進歩していた。
アルミ製の肉厚の薄い気筒本体をあらかじめ鋳造加工する。気筒本体には、いたるところにフィン取付けのための足の差し込みスリットが開口しておく。プレス加工したフィンを取り付けると、フィンの足は長めに加工されており気筒本体内部に突き出る。更に足をはめ込むスリット穴のない部分はU字型のへこみが作ってあり、フィンのはめ込みと同時に足のないところはへこみに収まって密着する。取り付けたフィンが傾かないように間隔調整治具でフィンを固定して、全てのフィンを取り付けてから、気筒本体に鋳造用の中子を入れてアルミの湯により鋳造を行う。気筒内にわずかに突き出したフィンの足は、注がれたアルミの湯の中に取り込まれて、鋳造アルミ内に固定される。我々が2度鋳造植込み法と名付けたこの方法で目的の気筒ヘッドが製造できるようになった。小林技師が正田の工場で試作した気筒を見せてくれた。実際の気筒の形にかなり近い形状となっており、我々が試作した単純な形状の実験用の模擬気筒とは全く違っている。
「これでどうでしょうか? わが社の工場では、もともと中島さんのシリンダ部品として一部のヘッド部も製造していましたので、その形状も参考にして作ってみました。これはまだ開口部やねじ穴などの加工前の部材ですが、実際に使えそうな部品に仕上がっています。ほとんど室温で作業できるので製造性はかなり改善しています。プレス材のフィンを使用しているのは気筒のヘッド部のうちの2次元面の部分です。複雑な3次元面にフィンを形成するところもありますが、その部分は最初の気筒外部部品を鋳造するときに一体で鋳造します。従って、その部分は従来の気筒のフィンと同じ間隔で同一形状になります」
川田技師はべた褒めだ。
「うむぅ。これは芸術品ですねぇ。生産性も前の鋳込み法よりも改善しているから、これをどんどんエンジン生産に適用すればいいのではないですか」
中田技師も肯定的だ。
「気筒本体とフィンとの間で単純に密着しているだけの部分も残っています。そのため、若干熱抵抗がありますが、実験の結果従来品ヘッドよりも4倍程度の冷却性の改善が可能です。この試作品は3ミリピッチのフィンとなっていますが、実用上は3.5ミリピッチとして製造工数をもっと削減しても良いと思います。あるいは場所により、間隔を変えるなどの対策でもっと製造工数削減もできると思います」
中村技師が課題を述べる。
「最初の気筒ヘッド本体と2度目の鋳造部の間にミクロに見れば境界が残るはずですので、耐久性が心配です。長時間動作時のひび割れや、鋼製の気筒胴の焼き嵌め加工時の熱膨張時の強度は充分であるか等の評価をする必要があります。加えて、2度の鋳造で気筒ヘッド本体が肉厚になるので、従来品に比べ重量が1割程増しています。重量減少のためには肉厚削減がもう一歩必要ですが、先の強度とのトレードオフになりますね」
我々の実験結果については、三菱と中島両社に提供され、既存エンジンのシリンダの一部分をこの製造法のシリンダに置き換えて実験を進めることになった。
なお、中田技師と飛行機部の三木技師が協力して、冷却性能を実験できる風洞模型を作成して気筒の頂部に付加するバッフルプレートについて研究を行った。私としては、BMW801の気筒に取り付けられているチョンマゲのようなバッフルプレートができないかをひそかに期待したが、意に反して、常識的な形状のバッフルプレートとなった。但し、既存のものよりも気筒の上面や側面を覆う面積は増加している。シリンダの左右の側面を多い側面からシリンダの後面に気流を流す左右のバッフルと、気筒ヘッドの上からヘッド後面に気流を流す上部バッフルとなった。
しばらくして、渡欧した川村少佐からも連絡があった。私からすると電報のような限られた数の文字による通知なのでもどかしいことこの上ないが、複数回のやり取りで何とか状況をつかむことができた。ブルノー法の工場はパリに存在していた。川村少佐はさっそく工場を訪問して実際の作業とブルノー法により完成した部品の確認をした。そこで精密な鋳造が確かに可能であることを確認した。しかし、金属製の型をそろえる必要があり、更に空気を排出する真空ポンプが必要であり、工場の準備に時間がかかりそうであるが、環境ができれば量産は可能ではないかとのこと。また現地で住友金属から派遣された技師と偶然出会って情報交換をしたそうだ。彼らはブルノー法の習得を主目的に川村少佐よりも先客としてパリに来ていて、先に帰るとのこと。帰国後は我々と連絡を取り、ブルノー法のエンジンへの適用について協力してもらうことを依頼した。
昭和13年6月に、住友金属工業の技師たちが帰国した。さっそく、北田という技師を航空廠に招いて、試験用の気筒ヘッドを作成することとした。既に、どのような形状の気筒ヘッドを試験用に作成するかを検討済みであったので、すぐに製造実験に取り掛かることとした。住友金属側で現地から連絡を受けて、航空廠で真空ポンプを事前に準備していたことも早期の実験を可能とした。
昭和13年8月には最も構造の簡易な気筒ヘッドの試作品ができた。その後フィンのピッチ、フィンの厚さを変えて実験をくりかえした。当初は5ミリピッチで2ミリフィンを作る実験を行っていた。昭和13年9月には、川村少佐が帰国したおかげで、彼がフランス人の技術者と現場の職人から聞き出した詳細な作業手順と注意事項の文書がもたらされ、更にフランスの工場で使用されていた、工作機械や治具についても判明したため、実験が加速した。
ブルノー法では、細かく分割された金属性の外型に空気抜きの穴が開口されており、空気抜きの穴からパイプは真空室に結合されており、溶けたアルミの湯を注入すると同時に、真空室に空気を排出することで開口した穴から空気を吸いだす。その時に回転を加えることで薄いフィンの型にアルミ湯がいきわたるようにしている。その効果でアルミの精密鋳造が可能となっている。金属性の外型には離型剤が塗布されているが、薄いフィンを取り出すために分割した金型となっている。
複数種類の実験用気筒の試作を行った結果、3.5ミリピッチでフィンの厚さ1.5ミリが製造可能となった。更に、手順や温度を変えた結果、3ミリピッチでフィンの厚さ1ミリのものが試作できた。但し、この場合は相当注意深く製造を行う必要があり、不良品が発生する確率が高くなると想定された。ブルノー法の実験結果についても中島及び三菱に情報提供された。
その後の進展について簡単に示しておこう。2度鋳込み法による埋め込みフィンの気筒製作については、中島と三菱双方で試験用の気筒の作成が行われた。両者ともに従来品に比べて、3~4倍の空冷性能の改善を確認した。中村技師が心配した。1度目の鋳造と2度目に鋳造した境界面の強度については、1度目の気筒ヘッド本体の内面をスプライン状の多数の溝を設けた表面としておくことにより、2度目に注入されるアルミとの結合が強化するように変更された。ブルノー法については、中島が積極的に実験を行い、3倍程度の冷却性能の改善結果を得た。三菱は新規設計された高性能のエンジンについては、従来の油砂による鋳造から2度鋳込み法に順次切り替えた。自社内に多数のフィン板のプレス機や、鋳造設備を備えた気筒ヘッドの専門棟を建設して、流れ作業で効率的に気筒ヘッドを製造する体制を整えた。
中島飛行機も当初は、正田飛行機と住友金属にそれぞれ製造を依頼して2度鋳込み法の気筒ヘッドと、ブルノー法による気筒ヘッドの双方を使っていたが、社内の設備としてはブルノー法に絞り込んで工場ラインを建設した。
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