3.4章 十二試艦戦設計開始
昭和12年9月末になった。
三木技師が小走りして私のところにやってきた。
「来月早々に十二試艦戦の開発計画要求が発出される。お前が頼んだ防弾装備についても要求条件に盛り込まれるぞ。搭載機銃の指定は、13ミリ又は20ミリのいずれかとなるようだ。速度は以前の予想から増加して290ノットだ。空戦性能は96艦戦並みを要求される。航続距離は増槽装備で公称2時間に加えて巡航6時間だ。これはかなり厳しい要求だぞ」
私は自分の意見を述べておく。
「それだけの速度と武装の強化を要求するなら、九六式艦戦並みの空戦性能は厳しいね。僕なら速度が優先とはっきり要求するけどね」
「お前の意見はわかったが、メーカーも格闘性能と速度は両立が難しいと考えているようだ。中島と三菱の2社に要求書が渡される見込みだが、これでは要求レベルを少し下げてくれというお願いがメーカーから出そうだ」
三木技師の事前情報通りに、昭和12年10月5日に、「十二試艦上戦闘機開発計画要求書」が三菱重工と中島飛行機に交付された。
その後になって、12月に要求項目の一部が中国での戦訓に基づき開発要求書の項目が再検討され一部の内容が変更された。どうやら、十二試艦戦の開発については、私の未来の歴史とほぼ同じ日程で進んでいるようだ。但し、要求項目には私が主張した影響で防弾と13ミリ機銃の内容が追加されている。この差が歴史的な大きな違いに拡大されていくのだろうか。バタフライ効果などという言葉が頭をよぎる。
最終的に十二試艦上戦闘機計画要求書は以下のような内容となった。
・最大速力:高度4,000mで290ノット(537km/h)以上
・上昇力:高度3,000mまで3分30秒以内
・航続力:正規状態、公称馬力で1.2乃至1.5時間(高度3,000m)/過荷重状態、落下増槽をつけて高度3,000mを公称馬力で1.5時間乃至2.0時間、巡航速力で6時間以上
・空戦性能:九六式二号艦戦一型に劣らぬこと
・武装:20mm機銃2挺又は13mm機銃2挺のいずれかが選択できること、加えて7.7mm機銃2挺、九十八式射爆照準器を装備
・爆装:60kg爆弾又は30kg爆弾2発
・防弾:操縦員の前方に防弾ガラス、操縦員の背面に防弾鋼板を装備、防弾ガラスと防弾鋼板は7.7mm機銃弾が貫通せざること、燃料タンクに防火機能を有すること
・無線機:九六式空一号無線機、ク式三号帰投方位測定機
年もあらたまった昭和13年1月になると、開発から中島が辞退したとの話が聞こえてきた。3月末になると、三木技師からの情報で三菱側から検討した計画書が提出されるようだとの話を聞いた。
三菱では十二試艦戦の開発は順調に進捗しているようだ。自席で仕事をしていると、どかどかと私の背後に近づく足音に振り返った。花島部長だ。
「話がある、ちょっと来てくれ」
部長の後ろについて会議室に入った。
「来週、十二試艦戦の官民合同の検討会がある。それに発動機関係の技術者の出席が要請されているのだが、私と一緒に出席してくれ」
「なぜ私なのですか? 発動機部には私より年配の技術者はたくさんいますよね」
花島部長が首を横に振る。
「航空本部の和田さんからのご指名なのだ。昨年はいろいろな出来事があったじゃないか。君のことを随分かっているのだ。それに加えて、三菱の堀越技師からも発動機は金星が最有力候補だから、その発動機の専門家の出席を希望するとの意見が出たそうだ。二人から指名されれば、私も断れない」
「わかりました。偉い人の出る会議のようなので、なるべく私は黙っていますよ」
「いや、和田さんからの伝言だ。君の一言に期待するとのことだ。余計なことでも話してくれと言っているようなものだよ」
あっという間にその日がやってきた。既に三菱からは「十二試艦戦計画説明書」が提出されており、その説明書に対しての審議会の位置づけで会議が開催される。航空廠でも一番大きな会議室に入って待っていると、和田少将が入ってきたので、立ち上がって挨拶する。
「この度は少将への昇進おめでとうございます」
にやりとして、和田少将が答える。
「余計なことを言うな。まあ、昇進理由には君が努力した成果も1パーセントくらいは、入っているかな。今度君の仲間たちも一緒に呼んで、うまいものを食わせてやるよ」
続いて、柴田少佐が入ってくる。この時期、彼は、航空廠の飛行実験部に所属している。まじめな彼は私にも挨拶してくれる。
「防弾と13ミリの件、聞きましたよ。我々搭乗員にとってはいいことだと私は思っています」
堀越技師も入ってくる。軽く会釈をすると向こうも返してくれた。
「鈴木さん、お久しぶりです。私は技術に対しては、正直にやらせてもらいます」
会議が始まった。まずは、堀越技師からの計画説明書の説明だ。説明後に堀越技師が質問した。
「十二試艦戦の要求項目はどれも非常に高い水準です。技術の観点からは、あちら立てればこちらが立たずという関係性になっている項目もあります。要求されている項目について、あえて選ぶとすると、格闘性能、速度、航続距離のうち優先すべきものは何でしょうか?今後の設計の参考にさせていただきたい」
横須賀航空隊の源田少佐が真っ先に答える。
「まず、今回の開発要求の項目はどれも必要性があって記載しているのであり、それぞれ満たしてもらわなければ困る。但し、中国における実戦の状況から考えると、あえて一つを選ぶならば格闘性能である。そのために他の項目が若干犠牲になっても致し方ない」
すぐに柴田少佐が反論する。
「私は意見が異なります。例えば、爆撃機の掩護を考えると、爆撃機に従って目標を往復できる航続力なければ任務の遂行は不可能です。敵機との戦闘を考えると敵機に追いつけるだけの速度が出なければ、敵機に逃げられてしまいます。それに比べて、格闘性能は搭乗員の腕で補うことが可能であると考えます」
源田少佐が自分の考えを説明した。
「極論すれば、戦闘機は格闘戦で敵機に勝つために存在するのだ。敵戦闘機に負ければ、我が方の爆撃機は撃墜され攻撃は失敗する。一方、敵の掩護戦闘機を排除できなければ、敵の爆撃機も撃墜できず敵の攻撃が成功するのだ。つまり戦に負けないためには戦闘機対戦闘機で絶対的に勝つことが必要だ」
どうやら、源田少佐はしばらく前まで主張していた、戦闘機不要論は封印したようだ。手のひら返しがすごいなぁなどと考えていると、柴田少佐が反論した。
「航続力と速力の2つは、搭乗員がいかに努力しても性能は変わらない。搭乗員の技量が高くても、こればかりはどうにもならない。まずは航続力と速力の達成を優先すべきである」
まるで、ドラマのようだ。私の記憶にあるミリタリー雑誌の記事の再現だ。いや、この場でのやり取りが先にあって、後になって有名な場面の一つとして記述されるということか。
突然、和田少将が発言する。
「本日は航空廠から技術の専門家が出席していますが、技術者の観点から何か意見はありますか?」
隣に座っていた花島部長が私を肘でつつく。仕方ない。何か話をしなといけないようだ。
「先ほどからの議論で、格闘性能という言葉が繰り返されていますが、その言葉の定義は何ですか? 速度や航続距離は数字で表現されるので、数値を示せば優劣は明らかになります。それに比べ、格闘性能の優劣はどのように判断されるのでしょうか?」
むっとして源田少佐が答えた。
「我々は異なる機種の戦闘機であっても、同等の高度、あるいは片方を優位な高度とする、更に優位と劣位の立場を変えての模擬空戦により、優劣の判定ができる。公平のために操縦員を入れ替えて模擬空戦することで格闘性能を評価するのだ。数値的な表現については、水平旋回や垂直旋回の半径が関連するが、単純にそれだけでは判定できないだろう。もっと複合的な機動に基づいて、格闘性能は評価されると思う」
「戦闘機の機動を数値的に表現しようとするならば、水平と垂直それぞれの旋回半径とそれに要する時間、インメルマンのようなターンに要する時間、ロールしてくるりと背面になる時のロール率、更に、それぞれの機動を低速で行うか、高速で行うか速度と時間の関係。急降下や急上昇時に時間あたりの速度の変化をあらわす加速性能も関連します。しかも、このような多種多様な機動が組み合わさって実際の空戦が行われるため、組み合わせは無数となり単純な数値化による判定は不可能です。先ほど、源田少佐も言われましたが、手間をかければ、ある時の模擬空戦の機動を、一つ一つ単純な動作に分解してそれを数値にすることは可能かもしれませんが、別の空戦時には全く異なる機動となってしまい、そのパターンは無数に存在します。つまり格闘戦に対して客観的には評価が困難ということです」
和田少将が質問する。
「君の格闘戦の性能に関する問題認識は理解した。それで君はどうしろというのかね。難しいと言っても解決しないだろう」
「格闘戦闘のような抽象的な項目は、設計者にとってどのような機体とするかの設計条件に定量的に反映できないと考えます。極論すれば、定量化して設計条件にできないような性能条件は、あっても意味がないので削除してもいいのではないですか」
私の極論を聞いて、隣で部長がブッと噴き出すが構わず続ける。
「我が軍からの要求条件を見ると速度のみでなく、上昇力も指定されており、離着陸の速度や滑空率など低速での飛行性能も指定されています。ざっと見たところ追加で必要なのは、ロール率くらいでしょうか。九試単戦の時の前例に従えば、あまり多くを要求しない方が良い結果になるとの見方もあります。格闘性能重視と要求しても、結局は旋回半径を小さくするというような単純な動作になってしまいます。もっとも旋回については、旋回半径よりも旋回に要する時間を短くした方が実際的と思いますがね」
和田少将が最後に発言する。
「堀越技師の質問については、海軍側の議論は聞いての通りだ。我々の要求条件については等しく満たさないといけない条件と考えてほしい。格闘性能をどう考えるかは、航空廠とも相談してほしい。柔道の決め技じゃないが、戦闘機の機動をいくつかの基本動作に分解して考えることは私も必要に思う」
会議後、私と柴田少佐がやっぱり速度が重要だなどと話していると、堀越技師がやってきた。
「先ほどはありがとうございました。鈴木さんのお話は良かったですよ。これからも相談させていただきます。ところで最後のロール率の話ですが、私は今までは空戦ではロール率はあまり重要視されていなかったと感じています。特に高速になるとどうしてもエルロンが重くなってロール率が低下してしまうのですが、それは問題視されますか?」
私は、ミリタリーオタクの知識で答えた。
「高速でのロール機動はこれからの空戦では重要になってくると思っています。敵機から逃げる場合には、降下や旋回に入る直前でほとんど右や左にロールしてから機動することになります。逆に敵機を追尾している場合にも、敵機のロールに追随できないと、それだけ機動の遅れになってしまいます。高速でエルロンが重くなるのは、まずは面積が原因と思いますが、布製の補助翼は高速になると風圧に負けてしまって、補助翼の断面が変形することも原因の一つになっていると思います。操縦翼面を金属化して断面の変形を防止する必要があります。それに布よりも耐久性もありますから」
どうやらこの時の会話は無駄にならなかったらしい。後で聞いた話によると、堀越技師はロール性能の確保にも留意して、九六式艦戦のエルロンを金属張りに改修して飛行試験してから、断面形状も風洞試験を繰り返して決定したらしい。
最後に私からお願いしておこう。
「無理な要求を実現するときには、高馬力な発動機が利用できれば、それだけ要求の実現性が高まります。堀越さんは大馬力エンジンを搭載すると艦攻の様な機体になって、搭乗員に忌避されることを心配しているのでしょう。大きなエンジンでも機体はできるだけ小型にまとめるのが、機体設計者の腕のみせどころだと思います。とにかく、金星の1,600馬力を利用しないと後々後悔しますよ。『我、過てり』なんてことは、後になって言わないようにしてくださいね」
堀越技師は私の目を見て首を縦に振った。
「もちろん、『我、過てり』などとは言いませんよ。ところで、それは誰の言葉なんですか?」
堀越さん、これはあなた自身が言った言葉なんですよと思ったが、それは言わない。
「いや、単に私の頭に浮かんだ言葉です」
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