第14話 其れから上
村の広場では、祭りでもないのに村中の人間が集まって盛り上がっていた。
あちらこちらで酒が傾けられ、囃子に合わせて歌い踊る大騒ぎだ。
今日は、藤太の末の妹、里の婚礼だった。
相手は庄六という、街に店を構える問屋の若旦那だ。
庄六は、修行のために行商人として各地を回っていた時に、当時十二だった里を見初めたという。
商人らしく抜け目ないところもあるが誠実で気の良い青年で、藤太も何度か話したことがあった。
だが、里は当時から年齢に似合わず達観したところがあり、街の人間である庄六をなかなか相手にしなかった。
それでも庄六は一目ぼれだと言って半月に一度は里に会いに来るためだけに村を訪れた。忙しい中でも根気づよく口説き続け、里もそれにほだされたのかだんだん心を開くようになり、四年越しの悲願である今日の婚礼までこぎつけのだ。
ここから街へは距離があるので若旦那は村で別れも兼ねた披露目をして、街で改めて祝言をあげるという。披露目での酒まで庄六が持つという剛毅なことに、村人たちは快哉を呼びつつ里の幸せを願って総出でのお祭り騒ぎとなったのだ。
景気良く餅までつかれている。姉の時とはあまりにちがうにぎやかさに藤太は何となくなじめなかった。配られていた酒だけもらうと、隅のほうでちびりちびりと飲んでいた。
すると、主役のはずの里が村人がついていた餅や干物を片手にやってきて隣に座った。
「主役がこんなところにいていいのか。皆お前を祝いにやってくるのに」
藤太が咎めるように言うと、里は笑った。
「いいの。だってみんな娯楽がないから騒ぎたいだけだもん。それにほら庄六さんと父ちゃんが飲み比べして盛り上げてるし、母ちゃんもあいさつ回りしてるから大丈夫」
あっけらかんと冷めたことを言う妹にやはり結婚ぐらいじゃ変わらないかと、藤太はあきらめ半分どこか安心もしていた。
相手から送られた目にも鮮やかな着物に身を包んだ里には、陰りもなく幸せそうに見え、最後までこの結婚を案じていた藤太はほっと胸をなでおろしていたのだ。
「きれいになったなあ」
思わず口にした言葉を、里はおかしげに笑う。
「それ、父ちゃんにも言われた」
「そうか?」
「姉ちゃんは綺麗になるところすら見れなかったからって何度も言うのよ」
「……そうか」
複雑な感情が胸中で入り混じる中、藤太は遠くを見つめた。
姉が嫁入り先で行方知れずになって、10年がたっていた。
会話が止まる。
喧騒は遠く二人の間だけ、時間がの流れが違ってしまったようだった。
里は姉の話題が出るたびに切なそうな顔をする兄に、独り言のように言った。
「あたしちっちゃかったけど、あの時の騒ぎは今でも覚えているよ」
姉ちゃんが出戻ったと思って、向こうさんがこちらまで押しかけてきたものね、と里は皮肉に笑う。
そうだったな、とあいづちを打つ藤太も思い出すだけで苦笑を禁じ得なかった。
「『嫁はどこだ!』って姉ちゃんの夫だっていう人が来たが、逆に父ちゃんが『うちの娘をどこやった!!』って烈火のごとく怒り出したのを見るやすごすごと逃げていったんだよな。そこで、初めて姉ちゃんがいなくなったってわかったんだった」
藤太は、当時の騒ぎに思いをはせた。
父は怪異騒ぎの後ずいぶん性格が丸くなり、生活が苦しかったとはいえ、幼いまま笹を嫁に行かせたことを後悔していた矢先のことだったのだ。
そこへやってきた夫だという男が、あまりにもろくでなしの風体だ。
手がかりもないのに即座に探しに出ようとした父を無謀だと止めたのは藤太だった。
時を同じくするように、姉の失踪に関連する奇妙なうわさが藤太の村にまで届いた。
曰く、夜、妙なる笛の音が聞こえてきてそれがやんだかと思うと雷鳴が響いた。
きっと雷神の怒りを買って雷に打たれ骨も残らなかったのだろう。
いやいや、そのあとに天女のような歌声も響いた。
うっかり天女について行って神々の世界に入り込んでしまったのだろう。
その後、夫であった寛二郎がおかしくなり始めたのも噂に拍車をかけた。
あれだけ遊び歩いて家に居つかなかったのにぱったりと女遊びも酒も賭博もやめ、畑仕事から出稼ぎまで、真面目に働くようになったのである。
だが、その何かに怯え急き立てるような様子に、何か知っているに違いないと誰しもが考えた。
親類が家まで押しかけ問いただすと、観念した寛二郎は笹が作業場にしていた納戸を見せ笹は出ていったのだ、とだけ話した。
そこはすでにきれいに片づけられていたが、残っていた数本の笛はどれも素晴らしい出来だった。あの笛の音が笹が作ったものならば神霊に気に入られるのも無理はないと親類たちは納得するほど。
寛二郎が笹に愛想をつかされて出て行かれたと謗られるより、対面が良かったのもあるのだろう。
もっとも、嫁ぎ先の家もあれから徐々に傾き、雇人も次々と暇を出さずにはいられないほど、昔ほどの勢いはなくなっているようだ。
「それきり何にもしゃべらなかったあの男はすぐに寺に入っちゃってほんとのところはわかんないまま。みんな、神隠しにあったってことにしちゃったよね」
それが今でも気に入らないと不満げな里は干物をかじりつつ批判した。
「野原の真ん中にそろえられた草履だけ見つかったってはいそうですかって言えるわけないじゃない。形見の笛や道具さえよこさないなんてずるいと思わない?」
「それは仕方ない。姉ちゃんはもう向こうの家の人になっちまってたんだよ。こちらに連絡を入れる義理はないからね」
「きっとあんまりにもいい笛だったものだから、自分たちで持ってて必要な時に売るつもりだよ」
「里」
藤太が諌めるように名を呼ぶと、里は唇を尖らせながらもそれ以上は言わなかった。
藤太も同じ思いだとわかっていたからだ。
兄弟の中で一番姉に思い入れがあるのは藤太と里だろう。言葉がきつくなるのは当然だし、邪推したくなるのも仕方がない。
でも言ってもしょうがないのだ。姉はいないのだから。
だがきっとまだ、藤太と里の中では終わっていないのだ。もしかしたらひょいと笛をもって姉が帰ってくるかもしれない。またあの音が聞こえてくるかもしれない。
そう思うことが年を追うごとに少なくなったとはいえ、なくなることなどなかったのだ。
「姉ちゃんが、居なくなってなかったらあたしのことなんて言ってくれたかなあ」
「そうだなあ。きっときれいだなあとか、おめでとうとか言った後に、笛を吹いてくれたんじゃないか」
不意にぽつりと言った里に、藤太はそう返した。
里は兄弟の中でも格別姉の笛が好きだったから、姉は嫁入り道具として笛を作って贈ったかもしれない。
珍しく物寂しげな様子の里に、藤太はやはり嫁入りが不安なのかと思った。
ならば、というわけでもないが、妹とまともに話せるのはこれ以降めったにないだろう。
今のうちに話しておこうと思った。
「なあ、里。昔父ちゃんが妖にとり殺されかけたの覚えてるか?」
突然の話題転換に里は戸惑ったが、こくりとうなずいた。
「うん。姉ちゃんの笛をくれって言ったのに父ちゃんが自分で作った笛をやったから、腕が動かなくなっちゃったんだよね。それで籐兄ちゃんが姉ちゃんのところにかけていった」
「あの時は大変だったけど、三日目には間に合って父ちゃんの腕は元通りになった。でもそのあと俺は三日三晩寝込んだんだ」
「あの時は怖かったなあ。父ちゃんの代わりに籐兄ちゃんが死んじゃうんじゃないかって。……あれ、でもなんで、籐兄ちゃんが起きたところ覚えてないんだろう」
首をかしげる里に藤太はやはり覚えていないかと少し苦笑した。
「お前が姉ちゃんからもらった髪紐があっただろ。それが同じ時期に無くなったもんだから、泣き過ぎて倒れちまったんだ。お前が寝込んでいる間に俺が起きたから覚えていないのも無理ねえよ」
「そうだ。髪紐。あれだけ大切にしてたのに何で忘れてたんだろう」
「実はな、口止めされていたから言わなかったが、里が忘れているのにはわけがあるんだ」
「それってどういう……?」
呆然としていた里は、ふいにはっとあたりを見回した。
「籐兄ちゃん、今、笛の音聞こえなかった?」
「笛って、さっきっからお囃子で響いてるだろ」
「違う、そうじゃなくて」
本題にいこうとしていた言葉を止められ不本意な藤太のそっけない返答に、里はいらだったがまた聞こえた音にじっと耳を澄ませ、確信を持った。
「姉ちゃんの笛の音がする……」
「は?」
「あっちだ。ちょっと行ってくる!!」
「お、おい里!?」
ぱっと手に持っていた食べ物を藤太に押し付けると、里は森のほうへ走って行った。
あっけにとられていた藤太だが、ふいに気付いた。
花嫁が新郎をすっぽかして行ってしまうのはよろしくない。
しかも里が向かったのは子供の頃よく遊んだ森だ。
足場は良くないし、今の里は華やかだがひどく動きにくい衣装を着ている。
それが汚れても、新郎の庄六は里らしいお転婆だと笑うだろうが、藤太の気が済まなかった。
藤太は残していた酒を飲み干して、近くにいた村人に食べ物を押し付けなおすと、慌てて里の後を追いかけていった。
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