第6話 夫の頼み


 とうとう出稼ぎに行っていた男衆が帰ってきた。


 弟の話を考えずとも、笹はもう、どうして自分が嫁いできたのか知っていた。

 村人のうわさ話や雇人の話は、こっそりしているようでいて、わざわざ聞かずとも笹の耳に入ってきていたのだ。


 次男坊は寛二郎といい、笹より六つほど年上だが、家を継がなくて良い身分が気軽なせいか、周辺の村の若者と一緒になってふらふらと遊んでばかりいるのだという。

 中でも女癖は一等悪いらしく、村中の娘が嫁ぐのを嫌がった。

 それでも姑らは次男を落ち着かせるために早々に嫁をほしがった。若いうちから仕込んでおけば文句も言うまいとなるべく若い娘を探し回った結果、持参金はいらないという条件で父が承諾し、笹が選ばれたのだ。


 自分の家の困窮ぶりを知っていた笹に、父を恨む気持ちはない。

 ただ、どんな人でも、笛を作るのを許してくれればいいと笹は切に願っていた。


 たくさんの土産とともに舅も長男も次男も帰ってきて家の中は大わらわだった。

 寛二郎は、目元に浮かぶ軽薄ささえ除けば頑健そうな体つきの、それなりに顔立ちの良い青年だった。

 もちろん詩野は別格だ、と笹は心中で付け足す。


 笹は、どうやって夫に笛づくりをさせてもらおうかと頭を悩ませながら、夫となる次男と顔を合わせたのだが。

 寛二郎はなぜか笹の顔を見るなり表情をこわばらせた。

 戸惑った笹だったが、帰還祝いの宴の雑用に忙殺され、終始浮かない様子だった理由を知ったのは、夜半のことだ。

 これから二人で住むんだと近所の空き家に案内され、姑たちに二人きりにされた時だった。


 これから何をするかは姑に教えられて知っている。

 ひどく気が重いし、未知のことに恐怖もわくが、嫁になるには耐えねばならないと覚悟をしていた。

 だが、いざ、床に入り際のところで、女好きだと聞いていた寛二郎が待ったをかけた。


「しばらくお前には触れねえ」


 驚く笹に、寛二郎は思いつめた様子で話し始めた。




 *




 逗留先の宿で、送別の宴会があった。

 一冬とはいえ共に働いた仲だから、皆大いに飲み歌い踊り、女も入れて楽しんだ。多少とはいえ働いた寛二郎ももちろんそこに加わって騒いでいると、声をかけられた。


「そこの兄さん、飲み比べをしないか」


 振り返ると、見覚えのあるような無いような男が盃と酒の瓶を持って立っている。

 宿にはほかの村から来た人間もいるから、大方そちらだろうと納得し、よしやろうと請け負った。

 寛二郎は酒には強い自信があったから、男に飲むだけではつまらないから何か賭けようと提案した。男は願ってもないと言わんばかりに笑った。


「では、何か一つ、勝ったほうの願いを聞くというのはどうだ」


 普通こういう時は金品や物品を賭けるものだったが、面白そうだと寛二郎は承諾した。

 こちらが勝てば、有り金全部と言えば良いのだ。

 聴いていた仲間たちが面白がって席を設えるのを眺めながら、賭け事も好きな寛二郎は身ぐるみはがしてやろうと内心ほくそ笑んだ。


 勝負は男の勝ちだった。

 周囲があきれるほど杯を空にしていったが男は一向に酔う気配もなく、涼しい表情で杯を空け、とうとう寛二郎が根を上げたのだ。

 床に転がり起き上がれない寛二郎に、男は言った。


「では約束だ。お前に嫁いだ娘をくれ」


 まだ顔も見ていない娘だったが、自分の好きにしていいものを渡すのは惜しい。

 そんな内心を押し隠し、寛二郎は努めて真面目な表情を作った。


「そんなの、無理だ。俺を好いて嫁いできた娘がかわいそうだ」


 その言葉を、男は笑って、嘘だな、と言い切った。

 その薄い笑みに寛二郎は背筋が凍った。

 目の前のものが急に得体のしれぬものに思えたのだ。

 だが、男はそれ以上寛二郎の嘘は追及せず、こう続けた。


「ならばそうだな、梅雨が明けるまで、夫婦になるのは後にしろ」

「は?」

「代わりに、その間、娘に笛を作らせ届けてくれればいい」

「お、お前さんがどこにいるかわからねえのにどう届ける?」

「笛ができたら、野に出て娘に笛を吹かせればいい。そうすれば取りに行く。何本でも構わないが、できたら週に一本ぐらいは欲しいな」


 娘が笛を吹けるのか、そもそも作れるのかすらわからなかった。

 しかし、酔いもさめて恐ろしくなった寛二郎はともかくわかったとうなずいてしまった。


「もちろんその間、娘には触れるな。もし触れた場合は……」

「わかった、わかった!!」


 その罰に寛二郎が恐怖のあまりがくがくとうなずくと、必ずだぞ、と男は念を押し、ふらりと立ち上がり入り口から去っていた。

 いたって普通の立ち去り方に呆けていたが、急に酔いが回ってきたようでそのまま意識を失ってしまった。


 翌朝、仲間にあれは誰だったかと聞くと、さあ? とあいまいな言葉しか返ってこない。しまいには飲み比べなんてしていたかとまで言われ、蒼白になって帰ってきたのだった。



 *



 とりあえず、寛二郎がおびえる理由はわかったが、怖がり方が尋常ではない。


「いったい何をされると言われたんですか」


 笹が少しの好奇心と心配で問うたが、寛二郎はかたくなに言おうとせず、追求はあきらめた。


「頼む、俺のために笛を作ってくれ」


 仮の夫となった寛二郎の懇願に、笹は狐につままれたような心地だったが、これで何の気兼ねもなく笛が作れるのだ。

 うなずかない手はなかった。


 これは詩野の為になることではないか、と笹はこの奇妙な頼みごとをそう考えた。

 だって自分が直接出会った不思議なものは詩野しかいない。

 それならばきっと弟妹や、寛二郎が出会ったことも詩野に関係することだろう。

 笹は自分の考えに妙な確信があった。



 *



 別々に眠った翌朝、寛二郎は早速離れに大量の乾いた女竹を持ち込んだ。

 放蕩者と聞いていたのでその熱心さを意外に思った笹は、よほど恐ろしいことを言われたに違いないと考えた。けれど、手伝ってくれるのは良いことだ。

 笹は干した竹特有の乾いた匂いを胸いっぱいに吸い込んで、せっせと手を動かした。


「おい、そんなに選り分けて何してるんだ?」

「笛が作れそうなのとそうじゃないのを分けてる」

「そんなんじゃちっとしか作れんべ、大量に必要なんだぞ?」

「曲がり具合がきついのは良くないし、細すぎるのはもちろん太すぎるのもだめだ。軽すぎるのはいい音が出ないし、そういうのはどうしても使えない」

「そんなもん適当にやっちまえばいいものをなあ」


 寛二郎は、慣れたしぐさで竹を見ていく笹をあきれたように眺めていたが、早々に飽きて立ち上がった。


「まあ、他の材料も調達してやっからとっとと作ってくれ」

「あい」


 寛二郎は笹が顔も上げずに竹の選別をするのを少々不満に思ったが、とりあえず笛は作れるらしいと一安心して離れを出ていった。


 気を使ったらしい姑が今日一日休みにしてくれたので、笹は本当に久しぶりに一日中竹をいじくっていた。

 弟のための笛を作っているときは気が付かなかったが、思っていたよりも勘が鈍っている。

 これは自分で楽しむためではなく、他人様のために作る笛だ。

 それを意識して、久々の作業に胸を躍らせつつも、より慎重に注意深く竹を削って調整を繰り返していった。


 あいにく中に塗るものを用意できなかったので簡素な篠笛になったが、夕方にきちんとできた笛を寛二郎はほうと感心して眺めた。


「へえ、うめえもんだな。んじゃいくか」




 笹が寛二郎に連れられてやってきたのは村落からは少し離れた丘だった。

 夜はとっぷり暮れて、あたりは伸ばした掌がやっと見えるほどの暗闇だったが、笹は構わず笛に唇を当てた。


 寛二郎は、どうせ適当な音が鳴って終わりだろうと高をくくっていたから、あまりに清冽に響く笛の音に耳を疑った。


 寛二郎は都の笛の音を知っていた。

 それに比べれば、技巧は素朴で簡素でさえあったが、笛の調べは草のそよぐ音や、風の音でさえ味方につけるように溶け合って響いていた。


(これはもしかしたら……都でも通用するかもしれねえ)


 寛二郎は思いついた計画ににやりとした。



 その翌朝家に戻って眠った笹が起きると、枕元に置いておいたはずの篠笛はなく、代わりに髪紐が置いてあった。

 瑠璃色をした美しいそれは詩野を思い出させるには十分で、笹は隣でいびきをかいて眠る寛二郎を起こさぬよう内心小躍りしたいのを抑えて静かに喜んだ。

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