第4話 孤独な嫁入り



 翌朝、笹はあきれ顔の両親に起こされた。

 眠っていたのは家の前で、あの白い少年は夢だったのかと肩を落とす。

 視線を下に向けると、痛かったはずの手首は治っていて、美しい瑠璃色をした髪紐が結び付けられていた。


 笹は、自分でつけた覚えはないが、見覚えはある。

 白い少年の髪をくくっていたものだ。

 腫れてた頬も、痛くない。

 懐に笛もなかった。

 その一つ一つが彼がいた証明のように思えて、笹は胸を躍らせた。


 もしかしたら、一年後、またあの白い少年に会えるかもしれない。

 そんな喜びを表情に出さないことに必死で、両親の強情さを詰る声は半分も耳に入らなかった。


 結局、父は大量の笛は処分しても、作る道具は残してくれた。

 そもそも、笛作りにのめりこむことで、嫁になるのに必要な仕事を覚えなくなるのがいけないのだ。

 あれから笹は母についてよく仕事を手伝うようになったからムキになることはないと、そう考えなおしたらしい。

 さらに、処分しようとした笛の何本かが、ちょうど村に来ていた行商人の目に留まり、お金になったというのもあるのだろう。どちらにせよ、笹は道具が手元に残ったことに安堵した。

 道具さえあればまたいつか作れる。そう希望が持てるからだ。

 できれば笹は、詩野に出会った時にはもっといい笛を作りたかった。


 母について畑仕事や洗濯物、水汲みに弟妹の世話や縫い物をしていると、笛を作ることはおろか、材料を選びに行くことすらできない日々が続いた。

 それでも詩野が自分の笛を吹いてくれているだろうと思えば、作ることができないもどかしさも少しは和らいだ。


 それに、瑠璃の髪紐を身に着けていると、一人でいるときに何かの気配を感じることがあった。

 見回しても誰もいない。

 遠くから笹が作った笛の音も聞こえることがあって、目には見えなくても詩野に見守られているのかもしれないと思うと元気が出た。

 だから毎日のように作っていた笛が月に一本作れるかでも、笹は思ったより苦ではなかったのだ。




 そうして暑い夏が過ぎ、忙しい秋がひと段落ついたころ。

 父が嫁ぎ先を決めてきた。


 山を一つ越えたところにある村で、そこの家の次男坊にちょうどいい歳頃の息子がいるのだという。

 交流がないわけではないが、男の足で歩いて一日はかかる場所だ。

 なぜ父が知り合えたのかはわからないが、あっという間に話はまとまり、身の回りのものをまとめさせられた。

 笹はそこにこっそりと笛づくりの道具を忍ばせた。


 突然の別れに弟妹たちは皆悲しんでくれた。

 特に一番年が近い長男の藤太はぐっと唇をかみしめていたし、末の妹の里などは行かないで、と笹がいくらあやしても泣き止まなかった。


「やだ、やだよう、ねえちゃ……」

「しょうがないよ。おらは長女だもん」


 笛を吹けばばあっという間に泣き止むのだが、あいにく笛は父に取り上げられてしまっている。

 困り果ててしまった笹が、慰めにあげられるものといえば、これくらいだった。

 笹は瑠璃の髪紐を取り、里の手首に巻きつけてやった。


「いいか、里。これはおらの一番大切なものだ。必ず取りくるからまた会える」


 里は、その美しい瑠璃色に見とれしゃくりあげてはいたが涙を止める。

 少し寂しくはあるけれど、これは笹が勇気を出すためにも必要な事だった。

 婚家でどんな生活が待っているかわからない。もしかしたらこの髪紐も取り上げられてしまうかもしれない。

 それでも、一年後に詩野に会うためにこの村に帰るつもりだった。なら、森の近くにずっといる里に渡しておいても問題ない。

 


「ねえちゃ、きっと?」

「ああ、きっとだ。それまで大事に預かっててな」


 笹が頭をなでると里はこっくりとうなずいた。

 そうして弟たちや母に見送られながら父に連れられて家を出た。





 朝早くに出て夕暮れ頃についたのは、意外にも門構えのある大きな家だった。

 これから姑になるという女性に出迎えられたが、結婚相手の次男坊は出稼ぎに都に出ていて家にいないと説明された。

 笹はすこしおかしいと思ったが、すでに話し合われていたようで姑も父も気にもしない。

 父は嫁入り先の家に一晩泊ると翌朝には帰り、笹は一人残されたのだ。





 *



 その家のしきたりや作法を覚えるために、姑に言われるがまま家じゅうの雑用をこなす。

 村ではかなり裕福な家で、かなりの雇人を住まわせていた。

 笹は、夫が帰ってくるまで納戸で寝起きをして、雇人と一緒になって朝から晩まで働いていた。


 朝は誰よりも早く起き、近くの沢まで水を汲みに行く。

 朝食の支度をしても食べるのはいちばん最後だ。

 日が出ているうちは全部は畑仕事、その合間に家じゅうの掃除もする。

 機織りも手を叩かれ怒られながら仕込まれた。

 夕食の味が悪ければ愚痴を言われ、繕い物の手が遅ければ終わるまで眠れない。


 つらいばかりの毎日に、家の隅で泣き通すことも少なくなかった。

 何度も家に帰りたいと思ったが、もうここが笹の家なのだ。

 ここで暮らしていかなければいけないと言い聞かせ、笹は水仕事や土仕事で荒れる手で涙をぬぐった。


 姑達はは厳しく、休む暇があるくらいなら手を動かせ、遊ぶなんてもってのほかという人で、笹が少しでもへまをすれば当たり前のように食事を減らされた。


 村には竹林があるからか、婚家でも竹を軒下で乾かしていた。

 そこには笛を作るのにちょうどよさそうな竹もあったが、ひとたび作っているところを見つかれば、姑に折檻されるだろう。

 そう考えると萎縮してしまい、作りたいと思わないよう努めて竹を見ないようにしていたら、それが普通になってしまった。


 髪紐を里にあげてしまったせいか、それとも場所が変わってしまったからなのか、優しい気配はここでは感じられなかった。

 笹は始めこそ寂しく思い、悲しみに泣き出しそうな気持になったが、忙しく働いている中、次第に思い出すこともなくなってしまった。




 *

 



 暗く閉ざされた冬がやってきていた。

 雪はまるで妖魔のように容赦無く降り積もり、身を切るような寒さと、感覚がなくなる冷たさが手足や頬を真っ赤に染めた。


 笹は次第にやせ細り、気力を無くしていた。

 だんだんと仕事に身が入らなくなった笹を、姑はもちろん雇人まで厳しくしかり、これではいけないと笹も一生懸命やるのだが、ますます疲れ果ててしまう。

 結局、姑たちには”怠け癖のある嫁”と言われ冷たくされたが、家を出されたりはしなかった。


 なぜ、夫になる人にも会わないまま婚家に入ったのだろうとか、悪い嫁のはずなのに追い出さないのだろうと、ふと考える時もあるが、答えを出せる気力はなかった。


 この毎日が続くのだろうか。


 そう考えるだけで目の前が真っ暗になった。

 だが笹はどうしていいかわからないまま、笛を作りたいと願うことすら忘れた。


 姑たちに罵られながらひたすらい小さく息をひそめて、身を削るように過ごしていた。



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