それぞれの了

第23話『旅路の了』

 太閤秀吉の参内が済んでしばしのこと、ふた月ばかり時期が開いてしまったが、年賀の挨拶がてらに本阿弥光徳は一振りの刀を携えて聚楽第へとまかり越した。

 謁見の折、秀吉に件の刀を献上する。

 擦り上げられた一期一振――その打ち刀の姿であった。


「粟田口吉光が藤四郎、一期一振擦り上げの打ち刀でござります」

「中直刃、小乱れ混じり足がヨォはいっとる。地刃ともにヨォ沸ておって、さすがの出来じゃな。しかし、これが――偽物ぎぶつとはの」

「如何様」


 越後より連れてきたのは、あろうことか小娘であった。

 柳生もなかなかの馬鹿よなと秀吉は笑うが、どうやらがいうには真実であるらしい。偽物ならぬ偽者を掴まされたと疑ったが、いったん預けた尼寺に引きこもられては手出しのしようがなかった。

 しかし、これ以上の藤四郎が打たれなければ問題はなく、太閤秀吉の意識はすでに「新しき箔を」との目的に燃えている。

 事実上、お藤は問題視されなくなっているのだ。


「あとはその擦り上げ額銘藤四郎をば世に喧伝なさるのがまず第一かと」

「ふふ、上杉に見せてやるか。悔しがろう喃」


 光徳は平伏する。

 お藤に渾身なのは、いまやこの本阿弥光徳であった。


 聚楽第を辞した光徳は、大阪の邸宅に戻り、擦り上げの際に生じた鉄の切れ端を丹念に眺める。

 間違いなく、古刀の鉄の味。

 しかし、驚くべきことに古刀を凌ぐ鉄の味なのである。

 その鉄の中身は、柔らかき鉄と固き鉄が幾重にも練り込まれた、今の世では考えられぬ造りの鉄であったのだ。

 主流となりつつある、固い鉄で柔らかき鉄を包むような刀身の造りとは違うのが、古刀である。

 その製法については柳生宗章から断片的に聞かされていたが、つい先日、お藤本人から擦り上げの鉄片を片手に聞かされている。


「熱い鉄と、少し熱い鉄。これを冷やしたものを、粉微塵に砂鉄に戻し、熱した後、坩堝にスサノオ石を回しながら注ぐんだ」


 とのことである。

 スサノオ石がなんなのかまでは分からなかったが、いわゆる古刀そのものの鉄ではなく、それを上回る鉄が質を落とすことで古刀の味を放っているのだそうだ。

 新しきの勝利であるが、古きを愛する身としては、研ぎ、擦り上げる段階で判明する謎に、いささかのわだかまりを感じずにはいられなかった。


「光徳どの」

「柳生どの」


 本阿弥邸の茶室に招かれた宗章は、ようやくはっきりし始めた光徳の顔色ににんまりと笑う。


「アテが外れたのがよぉ分かりますな」

「化け物ですな、あの鍛治師は。いとも簡単に、古を笑い、いまを越えている。――尼寺にはいつまで」

「うちの殿が、小早川となる日には。ともに連れて行きまする」

「未来の日の本の宝ですな」

「本人次第で」


 茶を喫しながら、宗章は額の形に切り取られたナカゴの鉄片を手に、じっくりと見る。わざと急ぎ黒錆を浮かせたそれは、本物の一期一振と相違ない出来なのであろう。

 この鉄の混じり具合を看破した光徳の瞠目すべき技術に、宗章は素直に頭を垂れる。

 そして、耳から呼吸し、にんまりと笑う。


「この恩もある故、お話いたそう」

「その呼吸、柳生どの」


 本阿弥光徳は苦笑する。笑いも耳から漏らす。


「スサノオ石とは、磁石のことにござる。知っておりますか、鉄がくっつく石でござる」

「砂鉄の収集で使いますれば、とうぜん。なるほど、須佐は高山の磁石、すなわちスサノオ石」

「如何様」


 そこでフムと唸る。


「磁石を回す、とは」

「ここが肝にござる。光徳どの、熱し溶けた鉄は磁石に引き寄せられのでござる」

「――なんと」

「硬軟の鉄砂てっさを、溶かす寸前まで熱し上げ、ときに溶かし、熱量の際を巧みに調べ、磁力によって斑に練り上げるのでござる」

「ばかな」


 そのような技術が。

 あるのか。

 あるのである。


「余人には。いや、天賦の鍛冶にもやれぬもの。なんたる魔性よ」

「その鉄自身も、古刀の味を出すためのもの。真に強靱な刀刃を産むには、やはり現代の鍛冶鉄鋼の技が誠であると唸っております」

「古代の技術は、やはり古代の技術」

「ひとの技術とは、そういうものでござろう」


 ぷふ、っと、口で笑いが漏れる。


「確かにそうでありますな」

「で、だ。光徳どの」

「なんでございましょう」

「実はあのお藤、村正の偽物も打てる」

「なんですって。――」


 金の臭いに、本阿弥は口角泡を飛ばす。研ぎ師としては失格であったろうが、宗章も侍としては似たようなものである。


「藤四郎でなければいいのであろう」

「ですが宗章どの」

「三条でなくとも、粟田口でなくとも、そうだ、この大坂でこっそり刀が打てるところがあれば。なあ、光徳どの。俺も殿が小早川に行くとなれば、なにかと要り用でなあ」

「銭にござるか」

「銭にござるよ」

「なら仕方がありませぬな」


 光徳は膝を打った。

 決まりであった。


 額銘吉光が『一期一振』、その偽物の斬り落としナカゴ。

 それを撫でながら、宗章は肩の荷が下りた気がする。

 やっとである。


「ときに、文禄の頃に石川五ェ門という盗賊が釜ゆでになった話がありますが、またちまたを盗賊が荒らし始めたとか聞き及びますな」

「狙いは金ですかな、銀ですかな」

らしきとの噂が」

「ほほぅ」


 なるほど、あいつも元気なようだと宗章は頬を掻く。


「なぜその話を俺に」

「なあに、知りたいと思いまして」

「ほんとに研ぎ師か、あんた」


 まあ、いい。

 宗章は鍛冶場の辺りを話し合うと、本阿弥邸をあとにする。

 かくして、越後への往復飛脚行は、ひっそりと了りを遂げたのである。


 そして時代は流れる。

 様々なものが了りゆく。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る