第7話『柴田の意地』

 武家の屋敷というものは、思いのほか風通しがよい。夏場に適した造りと、冬場に適した家財で四季を過ごす。およそ密談に等しい会合を行う場合、これほど不都合があるものもない。


「茶の湯の心得は、あいにくと」

「わたしもだ」


 その後の、真田屋敷の茶室。

 離れた場所に設けられたそれは林立する松の木に隔てられ、密室の態を成す。信繁は宗章を通し、使用人らに「委細無用」と命じ人払いをした。

 そして炭に火を入れ、湯を沸かし始める。互いに無言であったが、信繁が炭入れの側から打ち粉と油、そして拭い紙を彼の前へと差し出し置く。

 人を斬った後の刀、お互いにその手入れをしながら時間を過ごす。


「美濃の刀は利刀と聞き及ぶ」


 信繁が口を開いたのは、いいかげん茶釜が蒸気をふつふつと立ち上らせてしばしの頃合いだった。宗章の刀を観てのひとことだろう。兼定は、美濃地方の刀工である。利刀、斬れ味は美濃ものであろうというブランドイメージはこの頃すでに広まっている。


「親父がね、使うならまずは佳いものをとね。かつては太刀だったが、祖父の代から使い続けてだいぶ研ぎ減りしている。かなりの値打ちの大名刀だいみょうとうらしいが、確かに斬れる。正しく打てば折れぬし、ねばりがあって能く戻る。良い刀だよ」

「祖父。――」


 信繁の脳裏に、まずはこの柳生宗章の父である柳生宗厳(のちの石舟斎)が浮かび、ついで信長公時代に三好家重鎮であった柳生家厳が去来する。この家厳が、宗章の祖父である。

 その代から高価な刀剣を、刀刃の善し悪しの尺度を身につけるためだけに、道具として愛情を以て使い潰させることをよしとしていたのだろう。


「私のは、村正。千子村正だ。観てみるかね」

「村正。――」


 こちらも名に高い名工である。斬れ味魔性の利刀である。

 信心深い伊勢の国で育まれた神刀であり、神魔併せたその刀身美は神も悪魔も斬り裂くと評判であった。それが大名刀なのは言うを待たない。


 刀装具の類いを外され、汚れを丹念に拭き取った刀身が峰を向けて差し出され、宗章は一礼して受け取る。刀の鑑賞方法は、あの夜に本阿弥光徳に教えられているのが助かった。


 この村正を宗章が評するなら、このようになる。

 地鉄じがねは板目肌から密な柾目肌に変化しつつ、刀身は長く、切っ先まで長い。白く明るい匂い口が湾れながら流れている。そしてナカゴは長く、そしてやや丸みを帯びた締まりがある。鑢の目は、矢羽根のような。しかし。


(銘が刻まれておらんな)

「無銘だ。その村正にこそ、今回の一件の一端が隠されておる」


 鑑賞マナーとして、刀身に飛沫を含む息を吐きかけるのは無礼に当たる。ゆえに思っただけの宗章だったが、察した信繁は微笑む。


偽物ぎぶつだ、それは」


 据え置かれた酒樽が笑う。


「村正の偽物。だが誰も偽物だとは思わぬだろう」

「あれか。ああ、いち、一期一振と同じか」


 村正を返しながら宗章は問う。


「左様」

「やっぱり上杉家が持ち込んだのか」

「左様」

「真田家はその片棒を担いでいたと」

「断じて否」


 酒樽から、覇気が漏れる。強い否定だった。そのときばかりはくしゃりと煙草入れのような四角顔が歪む。

 そこで信繁は、今宵大殿らから聞いた話を、かいつまんで宗章に事情を交えて話した。


「真田の意地か。なるほど、邦の爺さんと親父殿も柳生存続のため方々駆け回っていたと聞く。かくいう俺の兄弟も、同じようなものだ」

「徳川家に、確か」

「ああ、弟の宗矩が仕えている。自慢の弟でな、刀剣にも明るい。冷たき溶鉄のようなヤツで、俺より真面目、遊びというものを知らん。堅物だから推挙されたが、遊びを知ったらあいつ、真面目に羽目を大外ししそうな予感はするな。ははは」


 じっと、見つめ合う。

 上杉家と、徳川家は、この豊臣政権の重鎮である。

 ここに、毛利輝元、前田利家、宇喜多秀家を加えると最高権力者たちの構図が完成する。そしてそのトップに座を担うと噂されているのが――。


「小早川家の食客だったな、貴殿」

「そんなたいそうな身分じゃない」

「これは、汝らも含む権力闘争と生存戦略の要ぞ」

「そういう難しい話をしたくないから武者修行の旅をしておるのだ。俺に変な野心はないぞ。周りがどう利用しようと思ってるかは分からんが」

「難しい話はしたくないか」

「したくないなァ」

「困ったな」

「困ったか」


 さて、と信繁は考え込む。本気で茶を喫したくなってきた。


「困らせてしまったか」

「貴殿、ほんとは廃嫡されたのではないか」

「酷いことをいう」


 ともあれ、人物関係や背後関係、思惑やその他の『難しいこと』を極力排除して伝えるにはどうしたらよいかと思案する。


「一期一振が太閤ひでよし殿下の手に渡った経緯をいうとだな」

「うむ。――」

「先年、毛利家が上洛を果たすため、太閤殿下の許しを得る切り札として、大量の銀とともに献上されたものなのだ。もとは足利将軍家伝来の逸品であり、粟田口吉光、通称『藤四郎』が唯一打った太刀なのだ。故に、『一期一振』という」

「太閤は藤四郎好きともっぱらの噂であったかな」

「唯一の太刀であり、その刃紋の働きも秀逸至極のものである。それを献上してもなお、銀を重ねなければ上洛を果たせなかった毛利の無念を思うと胃が痛ぉうなる。そこまでして手に入れねばならなかった地位と箔なのだ」


 お互いに、刀の手入れを済ませ、納刀し、傍らに置く。


「故に、それが偽物の疑いと物証があればなんとするや」


 信繁の深い吐息とともに紡がれた呟き。


「毛利を貶めるのが貴殿の大殿の狙いなのか。いや、豊臣家を験すとかどうとか言っておったか。どうなのだ、そのあたりは」

「難しく言わぬとなるとそれこそ難しいが、有り体に表すならば、太閤亡き後の主導争いはもう始まっているということだ」

「転ばぬ先のなんとやらか。大樹が枯れたなら、その次は、か。戦国の倣いがまた息吹を取り戻しかけているのはぞっとしない話だが。――」


 宗章がやや気を込めて「小早川に災難あれば俺が叩き潰す」と付け加える。これには信繁も「お前ほど難しくなく生きるのは難しいのだ」と苦笑して頷くにとどめる。


「そこで、偽物だ。話を戻す。下越は月岡の地に、鍛治師の村がある。湯村という。そこの一族は、かつて柴田勝家の膝下で働いていた。……知っているか、柴田勝家殿のことは。そうか。知っておったか。織田信長公の家臣随一の武将であり、貴殿がせんじつ斬った隻眼鬼は柴田膝下の忍者一族の者だ」

「書状には漆手衆とあったな」

「そう、漆手衆。しかしそれ以前、刀蔵で死んだ忍者は湯村の刀工だ」

「よもや一期一振あれを打ったのは。――」

「いや、彼ではない。彼は隻眼鬼の友であり、村の刀工のひとりだ」

「実は本阿弥の当主に刀工から刀の作り方を聞いてこいといわれておってな、まさか俺が殺していたとなったら何いわれるか堪ったもんじゃない」

「だが、その刀工はひとりの天才を生み出した。それが鍛治師だ」


 居住まいを正す信繁。それを受け、宗章もやや前にのめり聞く。


「謎を解きたくば、月岡に向かえ。湯村を目指せ。そこにおる」

「月岡。――」

「だがそこには、そこまでには、柴田が漆手衆の生き残りがたんとおる。いま刀工の謎を解かれては困る者たちだ。柴田勝家が無念を晴らし意地を通すために命を賭して太閤を亡き者にするため動く者たちだ」

「柴田の意地とは」


『夏の夜の 夢路はかなき 跡の名を 雲井にあげよ 山ほととぎす』


 と、柴田勝家辞世の句を口にし、信繁は語る。


「柴田重臣の成仏はもとより、接収された名物の解放である。何ひとつ太閤に奪われたままにはしておかぬ。名誉も無念も宝物も。家臣らに一言ずつ労いの言葉を授け逝った柴田勝家公の念いを受け継ぐのが、漆手衆。なかでも、湯村の刀匠が打ちし剛脇差し『鬼の爪』を受け継いだ者がいる。名を佐助、貴殿が殺した刀匠の養子でもある」

「そうか」

「難しい話だろうか」

「いや、これは随分と俺に相応しい話だ」


 宗章はじっと行灯の明かりを見つめる。

 そうであったか。

 あの刀工の縁の者たちと斬り合うか。

 隻眼鬼も「恨み無し」と制約していた通りだろう。

 それを越えてでも、柴田の意地を通すため、かの刀工を探る者は隠密を隠密として必ず抹殺するであろう。


「柴田の意地か。承った。しかしなぜ真田が、いや、真田信繁が俺に手を貸す。もう豊臣に鞍替えするのを決めたからか」

「なに、それもある。貴殿の守るお方のこともある。それでも私は、私自身と家臣らの家を守るために動く意地がある。大殿や、殿とは、違う道でな。もはや親子もあるまい」

「戦国の倣いか」

「真田の意地よ。で、ここまで難しい話が臭う中、お主は行くのか」

「ああ、うちの殿のためにな。役立たねば立つ瀬がない。あと――」


 ここで宗章はぽつりと息を吐き、信繁もうなじを逆立てるほどのぞっとする気迫で続ける。


「柳生にも意地がござる」


 武人の顔が覗く。

 信繁は顛末を想像し、低く呻く。


「よしなに」

「かたじけない」


 宗章の目的地は決まる。月岡である。

 孤剣、北へ――。



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