第6話『真田の意地』

 信繁の父である真田昌幸が上杉景勝に仕えている現在、彼は真田家の末席として何れの大樹に身を寄せ一族の存続を図るかを考えていた。


「真田の者は一族の存続を以てたっとしとする」


 これは武田信玄に仕えて以降の家訓であった。

 戦国の世は、家をいとも容易く飲み込み滅ぼしていくのをよく知っている。荒波に揉まれてきたのは諸侯共々だが、この真田家はいっそう際立っていたといってもよかった。


 この夜も、信繁は国元の寺に遺骨を預けた帰りに城へと帰参を果たし、饗応という名の聴取を受けていたのである。

 大殿、上杉景勝。

 殿、真田昌幸と。

 酔えぬ酒と味を感じぬ食事、意味を成さぬ問答と、一向に流れぬ時を経て、信繁が城門を潜り出たのは夜の九時を過ぎたあたりであったろうか。供を連れず、灯りひとつで屋敷を目指すなか、ふとため息交じりに言葉が漏れる。


「真田の者は一族の存続を以て貴しとする」


 口に出してみて「ハっ」と笑ってしまう。

 失笑が漏れたのは、宴席での問答が原因なのは分かっている。

(大殿は、大名として私に仕えよとおっしゃっている)

 上杉景勝は、のちの名将の代名詞、真田幸村となるこの信繁を大きく買っている。そして、その信繁に仕えるよう働きかけている者がもうひとりいる。

 それが豊臣秀吉である。かれも信繁の異才をかなり高く、しかも正確に評価している。


 上杉景勝が狙うは『豊臣の瓦解』である。そのために、信繁ほどの男を豊臣配下にしてしまうのは、どうにも不都合極まりない。これは絶対に阻止しなければならない。

 豊臣秀吉が狙うは『豊家の安泰』である。そのために、信繁ほどの男を豊家配下にしてしまわねば、どうにも心胆安らかとはならず、如何にしても召抱えねばならない。


「一期一振か。――」


 ふと、考え込みすぎてしまい、察知が遅れてしまっていた。

(囲まれておる)

 左手を川が流れる辻の一画で、前に三人、後ろに三人、武士であろう覆面姿の者が道を塞いでいるのに気が付く。

 川辺に向かう土手にも三人現れ、右手の雑木からも二、三人ほどの気配が潜んでいる。


「治部どのはどうも私がお嫌いなようだ」


 信繁は灯りを掲げると、冷たい殺意を秘めし眼を柔らかい表情で睥睨し、「手練れだな」と微笑む。このなりでも、中身は忍者の類いだろう。


「お相手仕る」


 酒樽が静かに呟く。右手に掲げ持った灯りを、肩の高さまでゆるゆると下ろしながら、左手を太刀の鞘にスっと添える。

 十人が、一辺四面から円陣を組むように、じわりと囲いを変じ閉じていくに従い、鞘鳴り――抜刀である。その音すらひとつに聞こえるほど乱れはない。


 円陣が、じわりと個々の隙間を閉じながら迫る。

 黒く滲むような殺気と闘争の坩堝と化す辻で、いままさに信繁も灯りを捨て太刀の柄に手を伸ばさんとした――そのときだ。


「あいすまぬ、通してくれ」


 川の土手を越え、ひとりの男が現れた。

 柳生宗章である。

 宗章は殺気渦巻く最中に飄々と歩み寄り、あろうことか刺客の円陣の隙間から「ちょいとすまんよ」と分け入り、きょとんとする信繁の前に来ると「また会えたな」と破顔した。


「こやつ。――」


 呻いたのは刺客たちだ。

 必殺の気迫の虚を突くばかりか、その意識の隙間、間合いの端境を易々と歩み抜けた宗章の術もさることながら、標的の側まで何もせずに徹してしまった己らの未熟に呻いたのだ。


「貴殿」と信繁。

「そんなたいそうな身分じゃない」


 抜き身をひっさげた刺客たちの囲いに自ら飛び込んだ宗章だが、彼らを見回しながらフと頷く。


「仕掛けてくるなら相手をするが」

「やれ」


 頭目のひとりが低く指示を出すや、囲いが狭まる。


「後ろは任せる」


 信繁の言葉に宗章は抜刀で応える。

 ふたりで十人。ひとり五殺である。

 ズァン、と。風を空間諸共断ち切るような威風が薙ぎ上がった。反り深く腰刃の鮮やかな湾れが灯りを打ち消し、その切っ先が大上段に構えられる。信繁が菖蒲の鐔が月光にちりと鈍い応えを反す。

 宗章は無音の抜刀だった。すでに左片手でだらりと体側に垂らされている。無防備にもみえる誘いの構えである。


「承知仕った」


 そのあとの宗章の、いや、宗章と信繁の戦い方は実に淡々としたものだった。前に出、斬る。その繰り返しであったのだ。

 通常、囲まれた際に『同時攻撃』は成し得ない。

 囲まれた者が棒立ちに後れを取っているなら話は別だが、相手は動く。間違いなく対手らと同じ距離を取ってはいない。前に出る、距離を詰めたら斬らねば斬られる。どちらかが、いや、どちらも、撃つ。そして返り討ちに遭うのはいつも刺客であった。

 勝負とは、一瞬で決まる。そのことを戦人たちはよく知っている。


 信繁は相手の動きを殺し討ち取る殺人剣に長じていた。

 宗章は相手の動きを活し討ち取る活人剣に長じていた。


 剣戟のざわめきが途絶えたとき、骸からの血臭がむわりと風に流されていく。宗章は酒で刀身を洗い流し、袖で拭って納刀。信繁は血振りで納めている。


「ふたりほど逃げたようだが」

「草叢にいた奴らだろう。いいのだ。此度の一件、あやつらから太閤さまの耳に届かねば収まりもつかぬだろう」

「ともあれ、お主が六人、俺が四人か」

「もとより標的は私だ。こっちに来る者は多いさ」


 そこで信繁は礼をいう。


「助かった。柳生宗章どの」

「礼など要らん。用事があったのはこっちだからな」

「そうか、隻眼鬼を倒したか。――」

「三日前に」


 そこでハタと信繁はきょとんとする。


「ならなぜ、すぐに屋敷に来なかった。書状には内密の話があると書き記してあったであろうに」

「行ったが、門番の小者に追い払われてな。食い詰め武者が仕官を求めてきたのかと勘違いしたんだろう」

「いや、封書には穴に真田紐を通した一文銭が六枚あったであろう。あれが身分を表す符丁であったのだが、見せなかったのか、門番に」


 宗章は顎を掻く。


「や。そうであったのか。旅籠の払いが足りなくて、使ってしまった。すまん」

「呆れた男だ」


 呆れていた。

 この男に一族存続の意地を託して善いのだろうか。


「こうして屋敷の近くで待ってたというわけだ。ささ、夜も遅い、入ろうではないか。な。――」

「ほんとうに呆れた男だ」


 ほんとうに呆れていた。



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