エピローグ
国王の即位記念式典はつつがなく進んでいるという。確かに外からは楽しそうな談笑や、幼い子どもたちの走り回る音がしているし、そのどれもがヴェロニカが寝床にしている工房横の談話室にまで聞こえている。自分の出番は終わったからと笑い、アタラムはカゴいっぱいの果物を差し出してきた。
「もう体調はいいのか」
「まだ少しだるさは残りますけれど、おおむね問題ないです。ご心配をおかけしました」
「急に倒れたうえにずっと眠ったままだったからな。このまま目覚めなければどうしようかと思ったぞ」
「シウバさまの浄化に加えて〈核〉まで作ったのよ。寝込んで当然よ。ヴェラはよくやったわ」
リンゴは好きかと訊ねられてうなずくと、アタラムが手ずから切り分けてくれた。和まそうとしているのか、器用にウサギ型に仕上げてある。食べるのがもったいないと躊躇するヴェロニカの隣で、キサリがもの欲しそうに指をくわえて眺めていた。
ヴェロニカは数日間、目覚めなかった。神力の使用で尋常ではない疲れに襲われた上、膨大な量を使い切ってしまったために気絶したのだろうとキサリに言われた。ただでさえ人より多い神力を宿しているのだから、当然元通り回復するまでも時間がかかる。起きたのは式典前日である昨日の朝方で、初めに思ったのは「どうやら罪人扱いはされていないらしい」だった。談話室に持ち込まれたベッドで寝ていたからだ。夢うつつの中でベッドの隣に揺れるベラアーダの束を見た時の安心感といったらない。
「すまない。あなたに使ってもらおうと思っていた客室は、他国の王族が使用することになってしまった」とアタラムは開口一番に謝ってきたが、結局それ以降はヴェロニカがまた眠ってしまったためまともに会話できなかった。
リンゴウサギを三つ食べ終えたところで、「早速で悪いが」とアタラムが切り出した。
「気になることは多々あるだろうから、一つずつ順番に話そう。まずあなたの叔父君だが……今朝、獄中で死んでいるのが見つかった。引き裂いた衣服で首をくくっていた」
「そんな……」
「自分の目的は達成できそうにないから、とこれに書かれていた」
アタラムが差し出したのは複数の紙だった。どれもナクシャの字が殴り書きで記されている。
ヴェロニカが談話室に運び込まれたのに対し、ナクシャはアタラムの指示で牢に連行されたという。紙とペンだけをくれというので渡したところ、叔父の遺体のわきに自白と思しきものをつづったこれが残されていたらしい。
「叔父さまはなにをしたかったんでしょうか。王に、世界に、魔術師の権威を見せつけるためだと言っていましたけど」
――そうすれば彼女だって考え直して、また俺のところに。
彼女とは誰か。ナクシャの元から去った女性は、ヴェロニカの知る限り一人しかいない。
「私が生まれる前の話ですけど、叔父さまは貴族の女性と婚約していたんですが、それを破棄をされてしまったと聞いています。彼女というのはその方でしょうか」
「恐らくは。婚約破棄の理由は『魔術師であることが知られてしまったため』だったと記してある。叔父君は魔術師として成功することで、その女性を取り戻したかったのかも知れないな」
「それにしてはやったことが尋常ではないけどね。ヴェラのカバンに仕込まれていたジギタリスはナクシャが栽培していたものだそうよ。魔力が検出されたって聞いたから、きっと育てる過程で意図的に注入していたんでしょうね」
幻獣たちが神力で生き永らえているように、ジギタリスは手折られてなお魔力の影響で新鮮さを保っていたのだろうとキサリは言う。シウバに処方していた薬も解析したところ、それには微量の魔力を宿したと思われる薬草が含まれていたそうだ。
「そういえばシウバさまが言っていました。飲まなくても問題なかったし、むしろ調子が良かったと。よくよく考えたらシウバさまには神力が流れていましたし、体調面もとっくに問題なかったのを、叔父さまが薬に細工をして弱らせていたのかも知れません」
「魔力を含ませていたのも、操りやすくするためだったのね、きっと」
「あとゼクスト家の彼の部屋も調べたら、獣たちに生えていた角とよく似たものがいくつか見つかったらしい。これについては叔父君の弟子たちが証言した。叔父君に言われて、石ではなく骨を素材にして作った〈核〉だと。彼らは新たな試みのための実験だと聞かされていたらしく、魔力の存在も知らなかった。魔術師として陽の目を見たくないかと言われて無自覚に加担していたそうだ」
骨を素材にしたのも、本来のように石を元にしたのではすぐに〈核〉だと明らかになるのを避けるためだったのだろう。額に外付けできるようにしたのも同じ理由だと思われる。実際ヴェロニカは〈核〉は体内にあるものだと思い込んでいた。
「叔父君はあの獣たちを『魔獣』と呼んでいたようだ。己の魔力が流れる彼らを、叔父君は操れたのだろうな。いずれ魔獣たちや、シウバのように魔力に侵された人々を率いて街々を襲わせ、それを自分自身で浄化あるいは沈静化させることで評価されようとしていたようだ。計画書も見つかったからな、今はあなたの母君が確認に当たっている」
ナクシャがどれだけの魔獣を操作しようと目論んでいたのか定かではないが、仮に百体現れたとして、それらを一瞬で沈静化させる場面を多くの人々が見たとすれば魔術師に対する評価が変化する可能性はある。ただ一般人は容易く信じてくれるかも知れないが、反魔術師派の筆頭ともいえる国王はどうだろう。簡単に認めてくれるとは思えない。
「そちらの手も打ってあった。見るといい」
「……『国王の操作も認める』って……叔父さまは陛下にも魔力を?」
「シウバの様子を見に行きたいと言った時、父上の様子がおかしかったのを俺は見ている。間違いなく操られていただろうな。叔父君と父上は何度か二人きりで話していただろう。その際の菓子や茶に魔力を含ませていたんじゃないか」
「……叔父さまは一体、どれだけの人や動物を操作して……」
「神力と違って魔力なんて誰も知らないでしょうし、人由来の力だからこそ注いだり口にしたりしても無意味に通りすぎることなく浸透してしまって、思いのままに操れたのかも知れないわね。ここ数年しばらく体調が悪そうだったのも、あれこれと魔力を含ませるのに尽力していたからでしょう」
とんでもない愚弟だわとキサリは怒りに満ちた呟きを吐く。しかし表情には信じていたものに裏切られた悲壮感が漂っていた。恐らくヴェロニカも似たような顔つきになっていることだろう。
「しかしまだ分からないことがある。最初にシウバを殺しかけたのは偶然で、自分の仕業ではないと語っていたそうだが、じゃあ誰が……」
「叔父さまの一番弟子の人だと思います」
魔獣と化したシカを殺して呪いを受け、初めに命を落とした弟子だ。
「別の派閥にいた時に、処方した薬に誤って毒草を混ぜてしまって患者を殺しかけたと聞きました。恐らくそれがシウバさまだったのだと」
そしてナクシャはそれに着想を得て、今回の事件に活かしたのだろう。生きていれば弟子が何かしら証言をしかねないと感じ、ナクシャはほぼ間違いなく、故意的に弟子を死に追いやったのだろう。口封じだ。
「さて、二つ目だ。あなたの作った〈核〉だが」
「この通り問題なく動いてるよ」
アタラムの後ろの扉からひょっこりと顔が覗く。シウバだと気付くのに少し時間がかかってしまった。いつもより装飾品の多い華美な装いだったし、なにより髪が短くなっていたからだ。「心機一転ってやつだよ」シウバは軽い足取りでアタラムの隣に並んだ。こうしてみると、腹違いと思えないほど顔つきはよく似ている。
問題なく動いていると聞いて、ヴェロニカは心の底から安堵した。完成は見届けたが、果たして無事にシウバの中で機能するのかが気掛かりだったのだ。
「次期国王がこんな所で油を売っていていいのか」
「挨拶回りは済ませたし、ちょっと休憩するくらい別にいいでしょ。ヴェラが心配だったのはアタラムだけじゃない。聞いた? ヴェラが作ってくれた〈核〉を埋め込んだの、こいつなんだよ」
「そうだったんですか?」
「本当は作り主かつ魔術師のあなたが目覚めるまで待った方がいいと言ったんだが、正気に戻った父上に早くシウバを生き返らせてくれと泣きつかれたから、仕方なく」
「アタシがやり方を教えようにも、声が届かないんじゃあねえ。そばで見守ってたけど、ちょっと位置がずれた以外は問題なかったわよ。ナクシャが作った〈核〉を粉々に砕いて廃棄してくれたのも彼」
「どうしたものかと初めは戸惑ったが、胸を少し抉って傷の上に置いたら勝手に体内に沈み込んでいってな、いやあ驚いた」
シウバはウサギ型に切られたリンゴを見て、なにやらイヤそうにため息をこぼしていた。この手の器用さがムカつくとかすかに聞こえた気もする。
「あれ、そういえばシウバさま今、次期国王って」
「そのこと? 正式に後継ぎが決まったんだよ。今回の式典で発表された」
長子が家督を継ぐゼクスト家と異なり、王家は国王の指名で血の繋がった子から選出されるのが通例だという。男子のみと決まっており、現国王の息子はアタラムかシウバしかいない。長年どちらを次期国王にするかで、当人同士ではなく外野がもめていたそうだが、今回ようやく決定されたとシウバは肩を回した。
「父上がシウバを後継ぎにしようとしているのは明らかだったから、俺は特に意外に思わなかったが」
「そうよねえ。じゃなきゃ死にかけた時になにがなんでも生き返らそうとはしないでしょうし」
長男で優秀だけれど異国の妾の血を引くアタラムと、王妃の血を引くが病弱なシウバ。だが病弱さは〈核〉で改善されている。結果、国王が選んだのはシウバだったのだろう。
「お元気そうで安心しました。〈核〉も違和感はありませんか」
「ないよ、大丈夫。色々迷惑かけてごめんね、ありがとう。色々落ち着いたら改めてお詫びするよ。なにか欲しいものはある?」
「いえっ、そんなお気遣いなく!」
「誰かお前を捜しているんじゃないのか。さっきからシウバさまシウバさまと聞こえる」
「ああ……レナンシアの王女とその取り巻きだよ。ヒスイをくれた子」
「一度しか会ったことがないはずだが、ずいぶん気に入られているんだな」
「冗談じゃない。僕が好きなのはヴェラだよ。あんな姦しくてずるがしこい女狐みたいな女じゃない」
ひどい言い様である。ふん、と腕を組むシウバをしげしげと眺め、アタラムはおかしそうに口の端を上げた。
「本当にヴェロニカの前でだけお前は素直だな。普段の猫かぶりとの差がひどい」
「へ?」
「ちょっとアタラム!」
「事実だろう。俺にも本音は言うが、とげに包んでいるんじゃないかと思うくらいキツすぎる。もう少し和らげてくれてもいいんだぞ」
「うるさいな、それ以上言ったらぶん殴るよ。言っておくけど、僕を止めるためとはいえ胸とか突き刺したの忘れてないからね!」
シウバさまーどこにおられるのーと甘ったるい声がこだまする。放置するのも面倒くさいと感じたのか、また来ると言い置いてシウバは談話室から出ていった。去り際、チッと漏らした舌打ちはアタラムに対するものか、それともこれから顔を合わせなければいけない相手へのものか。
「ねえヴェラ。もしかしてアタラムさまとシウバさま、仲が悪いんじゃなくて相性が悪いんじゃないかと思うのだけど」
「そんな気がする」
アタラムの性格が真っ直ぐな線だとすると、シウバは曲がりくねってひねくれた線だ。衝突して当然である。アタラムはそれを残念がり、対するシウバはちっともそう感じていないとみえる。先日アタラムはヴェロニカに「少し羨ましい」とこぼしていたが、あれは「素直なシウバと話すことが出来て」という意味だったのか。
彼の背中が見えなくなったころ、ヴェロニカは「ん?」と首を傾げた。王女を評する前に、なにか。
「それじゃあ三つ目。これで最後だ」
言われたことを反すうするより先にアタラムに話しかけられた。
「ずっと言おうと思いながら伝えられなかった。まずはそれを詫びよう。すまなかった」
「あっアタラムさま、顔を上げてください! 詫びるって言われても、なにに対してか分からないですし!」
あわあわとアタラムの肩を掴んで顔を上げさせようとしたが、びくともしない。まるで岩石のような強靭さと頑固さだ。諦めて言葉の続きを促すと、思いもよらなかった一言に目を丸くした。
「はっきり言おう。あなたは俺の恩人だ」
「は……え?」
「覚えていないようだったから言うが、八年前、ゼクスト家の庭に侵入して毒草を食おうとしたのは俺だ」
ええっと無様な声がヴェロニカだけでなく、キサリからも発された。
侵入者がいたのも、毒草を食べようとしたその子を止めたのも覚えている。驚くくらいきれいな銀髪だったのも。一度は「もしかして」と思ったが、それはないだろうとキサリと否定したのだ。
しかしまさか正解だったとは。
なんでアタラムさまがあそこにと訊ねると、彼は詳しい経緯を説明してくれた。精神的にひどく参っていたと、彼は照れくさそうに少し頬を紅潮させた。
「もしかして、その時私が言ったのが『認めさせてやればいい』ですか」
「思い出したのか」
「申し訳ありません、うろ覚えです。けど庭園でお話した時、アタラムさま仰いましたよね。『覚えていないなら仕方ない』って。知らないならって言い方ではなかったので、確実に私に関係したことなんじゃないかとは、少しだけ」
正直あの時、どんな話をしたのか明確に覚えているわけではない。だがアタラムはヴェロニカの言葉をしっかり飲みこみ、周囲の評価を跳ね返し、己の存在を認めさせた。でなければ今、彼はこの場にいなかったかも知れない。
ふっとヴェロニカの手にアタラムのそれが重なる。視線を上げると、柔和に眉を下げたアタラムと目が合った。どきりと心臓が跳ねた。彼から注がれる眼差しが穏やかなだけでなく、奥底に真夏の太陽のような情熱的なものがあると感じたからかも知れない。
「あなたがいてくれたから今の俺、そしてシウバがある。感謝してもしきれない。ありがとう」
「いえ、そんな。私こそありがとうございます」
彼はヴェロニカが王宮に来てから、なにくれと世話を焼いてくれただけでなく、魔力に侵されたシウバを助けるのにも手を貸してくれた。ヴェロニカが頬に負った傷はすでに治っているが、アタラムはどうだろう。頭を負傷していたのは確かだ。聞いても「心配するな」としか言われなさそうなのが辛い。
心配させてほしいのにと感じて、胸がつきりと痛んだ。ヴェロニカがぐっと唇を噛んだのを疲れていると思ったのか、アタラムに顔を覗き込まれた。
「すまない。無理をさせたか」
「アタラムさまだってまだ本調子ではないでしょう。ちゃんと休まれてますか」
「心配しなくていい。式典が終わったらゆっくり眠る」
やっぱりだ。気負わせまいとしてくれていると分かるが、それでもなんだか悔しい。
しかしアタラムの声は続いた。
「だが、そうだな。そこのソファを借りても?」
「特に使う予定はないので構いませんが……」
「ありがとう。少し眠るくらい許されると思うんだ。というわけで、使わせてもらうぞ」
言うやいなや、アタラムはごろりとソファに寝ころんだ。人が二人座れば窮屈さを覚える狭いソファだ。きっと彼が普段使っているベッドとは比べ物にならないだろう。実際ひじかけから脚がひょろりとはみ出している。ヴェロニカが慌てて自分が寝ているここを提供しようと――内心で「でも自分が使っていたところを勧めるのもどうなんだ」と思いつつ――すると、やんわりと断られてしまった。「案外寝心地は悪くなさそうだぞ」とアタラムは満足げに目を細めた。
工房を初めとする一角はまだナクシャの弟子たちが使っているが、今は取り調べやゼクスト家へ事のあらましを報告するために外へ出ている。帰ってきて、王子の一人がソファを寝床にしている場面を見たら腰が抜けるほど驚くに違いない。
「全てが一段落したら、あなたは家に帰ってしまうよな」
「はい」
こちらもこちらで次期当主問題がある。まずはナクシャの悪事を整理しなければならないだろうし、ゆっくりとした時間を過ごせるのも今のうちだ。
「王宮に来ることも、しばらくはないかも知れません」
「……どうして」
「シウバさまに神力の補給も、体調を維持する薬もお渡しする必要が無くなったものね。〈核〉に異常がない限りは来なくなるでしょう。あー残念だわ! 今のうちに王宮の色々なところを目に焼き付けてこようかしら」
「キサリにはあとで話があるから、まだ行かないで」
「キサリが何を言ったのかは分からないが、おおかたシウバに異常が起こらなければ来る必要が無いと言われたか」
だいたい合っている。ヴェロニカがうなずくと、アタラムは悪だくみを考える少年のように唇を三日月形に歪ませた。
「『よし、じゃあシウバにいたずらをして異常が起きたことにしよう』とか考えてませんよね?」
「はっはっは」
抑揚の全くない平坦な笑いが怪しい。ヴェロニカが胡乱な眼差しを向けると、アタラムは手をひらひらと振って「冗談だ」と笑みを引っ込めた。
「俺が言いたかったのは、来たい時に来ればいいじゃないかということだ。図書館だってまだ見たりないだろう」
「それはそうですけど。しかし私は魔術師ですし、図書館を見たいなんて理由だけで易々と門を通してもらえるとは」
「あなたたちが使用しているここは『宮廷薬師』の一室だぞ」
一瞬だけ意味を飲み込みかねてから、あっとヴェロニカは口元を押さえた。
「宮廷薬師が王宮を自由に出入りしてなにが悪い。それに治療すべきはシウバだけではないだろう? 兵はなにも戦争でだけ負傷するわけじゃない。薬草や神力、魔力の研究をするにも設備は揃っているし、なければ用意させるから問題ない……というのは表向きだ」
ことりと首を横に向け、アタラムがヴェロニカの方を向く。ソファはベッドの正面に置かれており、ヴェロニカの足の先で彼の長い脚がふらふらと揺れている。彼は今まで以上に真摯な眼差しをこちらに向けていた。
「俺があなたに王宮にいてほしい。王宮というか、俺のそばに」
「……はい?」
「八年前から、俺はずっとあなたに恩を感じていたし、慕っていた。恋をしていたんだ。あなたさえ良ければ、これからは愛させてくれないか」
なにを言われているのか、分からなかった。
理解はしているが、まさかこれは夢なのではと疑わずにはいられなかったのだ。
一国の王子が、ヴェロニカに、恋の告白をしているなど。
アタラムはなにも言わない。ただ静かにこちらを見つめ、ヴェロニカの答えを待っている。いつもの調子なら冷やかしてくるはずのキサリも、今は口を手でふさいで二人を交互に見遣っていた。
理解が追い付くにつれて顔が火照っていく。目の前もくらくらしてきた。答えなければと思うのに、まるで言葉が糸のように絡まり合ってうまく出てこない。
そういえばシウバも言っていなかったか。「僕が好きなのはヴェラだよ」と。何気なく言っていたが、なかなか大事な一文ではないか。やっぱり夢なんじゃないかと手の甲を力いっぱいつねってみたが、ただただ痛かった。
いつだったかキサリに「アタラムとシウバ、どちらが好みか」と聞かれて、その時は特に考えていなかったし、自分如きが選ぶのも恐れ多いと思っていた。でも今は、どちらかを選ぶ時に来ているのだろう。
悩んだ時間は短かった。
「はい」と。ヴェロニカが出したアタラムへの答えは、その二文字だった。
アタラムと話をすると胸が弾み、柔らかい日差しを浴びているように温かな気分になる。彼のたくましい手や胸に触れると、言いようもないほど照れるけれど、同時にこのままずっと触れていたいとも思う。シウバには申し訳ないが、仮に危機的状況に二人から同時に手を伸ばされたとして、掴みたいと思うのはアタラムの手だ。これを恋というのなら、そうなのだろう。
もう一度、大きめの声で「はい」と答える。けれど、どれだけ待ってもアタラムから何の反応もない。なぜだと感じると同時に、すーすーと穏やかな寝息が聞こえてきた。
「え、まさか」
「あーあー。よっぽどお疲れだったのね」
ヴェロニカが答えを紡ぎ出す間に、アタラムは見事に夢の世界に落ちていた。
なんだか肩透かしをくらったような気がして、ヴェロニカはむうと唇を噛んだ。
「せっかく答えたのに」
「起こすのも忍びないし、寝かせてあげましょう。起きたら文句を言ってやればいいわ」
先ほどの告白も、まどろみの中でうつらうつらと呟いただけで、目覚めた時に「そんなこと言ったか」と言われたらどうすればいい。不安を漏らすと、キサリは「その時は思いっきり殴ってやればいいのよ」と笑った。
「殴る……そうね。でも私が今一番殴りたいのはアタラムさまじゃなくて」
ヴェロニカの紅い瞳がキサリを捉えた。理由が分からないのか、彼は困惑したように自分自身を指さした。
「アタシ?」
「『アタシ』なんて、生きてた頃には使ってなかったんじゃないの――お父さん」
あからさまにキサリが硬直した。
外から子どもたちの楽しそうな声が聞こえてくる。それに加えて、シウバさまの〈核〉はわたくしの贈ったヒスイから出来ているのですか、なんて嬉しいことでしょうと大泣きする声と、それをなだめる取り巻きと思しき女性たちのおろおろした声が重なる。まるで合唱だ。
キサリが「いつ?」と問いかけてきたのは、泣き声が落ち着いた頃だった。
「いつ気付いたか? もしかしてそうかなって思うことは時々あったけど、確信したのはついさっき」
恐らく無意識だったのだろう。ナクシャについて話していた時、キサリは「とんでもない愚弟だわ」と漏らしていた。そう伝えると、キサリは深い深いため息をついた。
「うっかりだったわ……」
「その口調はなんなの? お母さんの今の話し方はお父さんを真似てるって言ってたけど、当のお父さんはなんか……」
「レティシアが――お母さんがお父さんになるなら、お父さんがお母さんになるしかないじゃない。最初は違和感があったけど、今は慣れちゃって。むしろ昔はどうやって話してたのか覚えてないわ」
要するに二人は口調を入れ替えたわけだ。キサリはヴェロニカにしか見えていないのだから、恐らく母はこのことを知らないが。キサリという名も、本名であるラジークの綴りを逆から読んだものだという。
「アタシが死んだ時、ヴェラもアウグストもまだ小さかったでしょう。レティシアだって不安だったはずだわ。だからみんなが立派になるまでは見守っていたいと願って、どうにかならないかって思ったら、土壇場でどうにかなっちゃったの」
「神力の集合体として、留まれたってこと?」
「そんなところ。直前になんだか綺麗な光が二つ現れて『愛深いあなたの願いを許します』って言ってくれた途端に、肉体は死んじゃったけど、意識というか魂はこっちに移ったって感じね」
光が二つ。ヴェロニカが〈核〉を作った時に見たものと同じだろうか。
「まさかヴェラに見えるとは思ってなかったけどね。親子だもの、きっとアタシの神力と性質が似てるから姿を見ることが出来たのね」
「なんでお父さんだって黙ってたの?」
「黙ってるつもりなんてなかったわ。言う時期を逃していただけで」
「お母さんとかアウグストに、キサリはお父さんだよって言っちゃダメ?」
「恥ずかしいし幻滅されたくないから止めて頂戴。バレたくないから名前だって変えたんじゃない」
どうやら本気で言ってほしくないようなので、彼の正体はヴェロニカだけの秘密になった。出来ればこれからもキサリと呼んでほしいと頼まれたし、今さらお父さんと呼ぶのも違和感があったので受け入れた。
アタラムはぐっすりと眠っている。口元に柔らかな笑みが浮かんでいるので、恐らく安心できる夢でも見ているのだろう。その中に自分が登場していて、彼が笑って喜んでくれるといいなと思った。
数年後――エストレージャ王国の国王が崩御し、第二王子であるシウバが即位した。〈核〉を原動力とし、不死身であることから異端の王と呼ばれたが、彼の治世は安泰で、隣国との戦争もあったが国を勝利に導き、多くの国民に慕われた。
またあらゆる面でシウバを支えたのは、彼の兄アタラムであった。右腕として意見を述べ、公私ともに力を貸し、時に衝突することもあったというが、シウバは後に「彼ほど信頼のおける人物はいない」と語っている。
そのアタラムによりそっていたのは、妻であり魔術師ゼクスト家の当主の一人、ヴェロニカである。彼女は神力関連を専門とし、双子の弟であり当主の片割れであるアウグストと共にゼクスト家の務めを果たしながら、アタラムと温和な家庭を築いた。彼女のそばにはキサリという名の不可視の存在が居たそうだが、ヴェロニカがアタラムと結ばれた折に姿を消してしまったという。
ヴェロニカは幻獣や神力の研究に尽力し、アタラムと共に魔術師の地位回復に努めた。やがて功績はシウバによって讃えられ、エストレージャ王国の初代宮廷魔術師に任命された。多数の弟子を獲得して未来の魔術師の育成にも力を入れたといい、彼女は人々から賢母と呼ばれ、慕われたと記録が残っている。
少女は星を繋げるか―彼方に集う獣たち― 小野寺かける @kake_hika
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