第46話 根暗で陰湿で

「さて、それでは無事終わったようなので帰宅しますね」


――まぁまぁ。まだ良いじゃないですか。というか、私の文字起こしと手直しがまだ終わっていませんよ?


「まだ時間あるので自分でやってください」


――勿論です。でもほら、もし内容に関して急に疑問が湧いた際に七篠さんが居ないと困るじゃないですか。今帰したら運転中でしばらく連絡は取れないだろうし、着いたら寝ちゃいますよね?


「まぁそうですね。完徹なんて学生以来ですから眠いです」


――ですよね。というか、それだけ眠いのに運転しちゃ駄目ですよ。危ないです。これで帰りに七篠さんが事故にでも遭ってしまったら、私のせいじゃないですか。


「懐に『犯人はマツノベ氏』と記した紙を忍ばせておきますね」


――いやいや、それは駄目ですよ。私には野望があるので、まだまだ捕まるわけにはいきません。というわけで、そこのベッドで少し仮眠をとっていかれてはいかがでしょうか?


「え、嫌です」


――私は必要な時に質問ができて、いざ締め切りがヤバくなったら使える手が増える。七篠さんは私のフローラルの香りの、干したてフカフカお布団でぐっすり眠れる。ほら、これならウィンウィンで、お互い良い事尽くしです。


「聞こえませんでした? 嫌ですと言いました。全てにおいて私にデメリットしかありませんし。人の布団でなんて寝たくないです。そもそも誰のせいで完徹したのかと」


――今ならなんと、夕食にヒレカツ定食も食べられます。


「それは素晴らしいですね。作るのが私でなければ、ですが」


――まだ駄目ですか? 欲張りさんですね。それなら、特別に私の〝相ハムスター〟の大福さんに少しだけ触らせてあげますから。


「……せっかく気持ちよさそうに寝ているのに起こしちゃ可哀想ですよ」


――それじゃあ大福が起きるまで七篠さんも寝ていてください。 


「……まぁ乗りかかった船ですし? 眠くて運転が辛いのも事実ですしね。仕方ありませんね。それじゃあ少しだけ仮眠を取らせてもらいますね」


――そうこなくては。それでは、さぁさぁ布団へどうぞ。


「いえ、その前に少し外出してきます」


――はぁ? 駄目です駄目です。それは駄目です。そんなこと言って逃げるつもりに決まっています。私は『タバコを買いに行く』と言ったきり音信不通になった人を知っていますから。騙されませんよ。ほらほら、お姉ちゃん忙しいんだから大人しくねんねしてください。


「いや今更逃げませんって。ほら、スマホ置いていきますから」


――駄目ですって。そもそも、どこへ行こうというのですか?


「ヒレカツ食べたいんでしょう?」


――……食べたいです。


「なら買い物に行かないと。松延さんの冷蔵庫にはお酒しかありませんし。というか、この食生活でよくもまぁ私のスイーツ趣味に口を出せたもんですねぇ」


――普段はちゃんとしてるんです。今日はたまたまこんなだったんです。それより、絶対に帰っちゃ駄目ですよ? 


「はいはい、分かりましたって。それじゃあ行ってくるのでサボらないでくださいね」


――サボりませんて。ヒレカツのために頑張ります。


「では」


――……七篠さん!


「何ですか?」


――やっぱり念のために免許証も置い……。


「行ってきます」




――凄いです。サックサクです。家でこんなに美味しいカツを食べたの初めてです。これは肉厚で美味しいですし、こっちは不思議な食感でさっぱり風味です。何ですかこれ?


「最初の方がヒレカツで、二つ目は薄切り肉をミルフィーユみたいに重ねて梅紫蘇を挟みました。右のも食べてみてください。そっちはかなり熱いので火傷に気をつけてくださいね」


――これは……チーズ! とろとろ濃厚で美味しいです。一度で三種類なんて贅沢すぎます。これ大丈夫ですか? 独禁法で捕まりませんか? あぁ幸せです。七篠さん結婚してください。


「はいはい。仕事終わったご褒美にビールも良いやつを買っておいたのでどうぞ」


――で、式はいつにします?


「冗談はそこまでにして熱いうちに食べちゃってください。早くデザート食べたいので」


――まーた甘いものですか。控えると約束したのに。


「今日は頑張ったのでセーフです。松延さんもお酒を飲んでますし」


――むむ、その言い訳のために先に私にお酒を出したんですね。まんまとしてやられました。


「それはこっちの台詞です。すぐ終わる取材だと聞いていたのに」


――まぁまぁそういうこともありますって。ドンマイです。それより、七篠さんも一杯どうですか?


「この後運転しますから無理です」


――え、今日は泊まっていかれるのでは? 


「そんなわけないでしょ。帰りますよ」


――私は別に気にしませんよ?


「私は気にします。人の家では気が休まりませんしね」


――これから何度も足を運ぶことになるんですし、早めに慣れた方が良いのではないでしょうか?


「いえ、そんなつもりはありません。というか、この際だから言っておきますけどね、松延さん、あなた人との距離感の詰め方が少しおかしいですよ。その悪癖は直さないと、いずれ望まぬ事態を招きかねないですよ」


――そうでしょうか? そんなことないと思いますけど。


「ありますって。普通の人は、その日会ったばかりの他人をそう易々と部屋に連れ込まないですから」


――そう言われるとまるで私が性に奔放な風に聞こえますね。


「まぁ個人の趣味嗜好もありますから私が説教するのはお門違いかもしれませんけどね。もう少し思慮と分別をですね……」


――いやいや待ってくださいって。私、別に誰彼構わず連れ込むわけではないですからね? というか、この部屋に入れた男性だって、大福を除けば七篠さんが初めてですし。私は七篠さんのことをとても気に入ったんです。勿論それは友人としてではないですからね?


「取材対象として?」


――分かっていますよね? 異性としてです。


「……そうですか。では、正直にお答えしますね。松延さん、あなたは正直不気味すぎます。不可解すぎて気持ち悪いです」


――何ですかそれ。酷いです。流石の私も傷付きますよ?


「いや、だってそうでしょう。私は自分の印象は正しく理解しています。何の取り柄もない普通の男どころか、マイナス要素ばかりです。裕福なわけでも、容姿や頭脳が優れているわけでもないです。おまけに育ちには問題があるし、DV癖もあります」


――それで?


「そんな人物に擦り寄ろうとしてくるあなたが心底不気味で恐ろしいです。私のバックグラウンドを知らずにそうなるのなら理解できます。もしくは、時間を掛けて深い相互理解の上でそういう関係になるのも納得できます。ですが、出会って間もなく、かつ私のバックグラウンドを知って尚そういう態度を取られるのは不可解です」


――美人局でも疑っているのですか?


「それならまだマシです。というか、それならこんなに汚い部屋には誘わないでしょうし」


――また汚いって言いました。


「今そこはどうでもいいです。それより動機と目的は何ですか?」


――釈然としませんが、まぁ今回は置いておきましょう。そうですね、何となくだけど七篠さんなら大丈夫だと思ったからでしょうか。何だかフィーリングが合いそうというか。それに、私言ったじゃないですか、『私は私に優しくてお姫様のように甘やかしてくれる方がいい』と。七篠さんは実際にそうしてくれました。私の要求に文句を言いつつも、なんだかんだ付き合ってくれていますし。動機はそれで十分では?


「行き掛かり上仕方なくです。それに、松延さんなら、それくらいしてくれる方は周囲に掃いて捨てるほど居るでしょう?」


――まぁそうなんですけど、下心が見え見えなのは気持ち悪いので嫌です。そういうしがらみが嫌でフリーになったようなものですし」


「それは少し潔癖すぎませんか? 下心が無い人物なんて存在するわけないじゃないですか」


――存在しないんですか? 七篠さんも?


「それは勿論そうです」


――では、私にも下心を抱いていると? 熟女好きなのに?


「引っかかる言い方ですね。というか、私は人格的に成熟した女性が好きなだけです。年齢を重ねていれば誰でも良いわけではないですからね。そこのところを勘違いしないでください。私は熟女という〝ラベル〟が好きなのではなく、好きになるタイプにたまたま熟女が多いというだけです。というか、私の話はどうでも良いんですよ。今はあなたの話です」


――続けてください。


「あなたの恋愛観は矛盾しているような気がしています」


――どうしてそう思……いえ、どこまで分かっているんですか?


「ハッキリとしたことは分かりません。ただその矛盾の大元は松延さんの家庭にあるのではと考えています」


――……やっぱり分かっちゃうものなんですね。いつから気付いていました?


「古今東西『これは友人の話なんだけど……』を枕詞に話し始める人の目的については、相場が決まっていますから」


――つまり、最初から引っかかってはいたんですね。


「何となくですけどね。松延さんのお母様は、私の母が選ばなかった選択肢を選んだんですよね? そう考えれば納得がいく事柄が多いです」


――例えば?


「お父様の話が出てこなかったりだとか。たまに見え隠れする異性への潔癖な部分だとか。そうかと思えば、意外な庇護欲求を見せたり、距離感の詰め方がおかしかったり。他にもまぁ色々です」


――そこのところを詳しくお願いします。


「そうですね……。他には、離婚の話の辺りで少しだけ憤っているというか、松延さんの私に対する当たりが強い気がしていました。今思えば『安易に離婚て言うけど、それはそれで大変なんだぞ?』ってことですよね。それで思ったんです、松延さんは知りたかったんじゃないのかなって。私が『母に離婚して欲しかった。そうであったのならば違う人生があったはず』と考えたように、松延さんも、あなたのお母さんが選ばなかった有り得たかもしれない別の選択肢に思いを馳せた」


――妬ましさ半分、こき下ろしてやろうと言う気持ち半分でしたけどね。


「純度百パーセントの昏い感情じゃないですか、ふふ。それから……最初に言っていた〝励ましの言葉〟です。『過去のことは忘れて未来のことを考えるべき』と。あれを人から言われたことで、私と同じように鬱屈した複雑な感情を抱えていたんですよね? それが今回のインタビューのそもそもの発端であったと。そして、そのやり場のない感情の出所と、その扱い方の答えを私に求めた」


――同じ言葉を、同じように悩んでいる人にぶつけてみたらどんな反応するんだろうなと思って。


「それは底意地が悪すぎませんか?」


――好きになっちゃいました?


「……まぁ正直少しだけグッときちゃいました」


――それじゃあ、付き合ってくれるわけですね?


「嫌に決まっているじゃないですか」


――何でですか、今完全にお付き合いする流れでしたよね?


「そんな流れは端から存在していません」


――どうしても駄目ですか? 私たち根暗で陰湿で、八方美人の似た者同士上手くやっていけると思いますよ?


「根暗で陰湿、八方美人には同意しますけど、それ以外はノーです。似ているからとか上手くやれそうだからとか、そもそもの理由がおかしいです。それに私に父性も求められても困ります。私はあなたの父にはなれません。庇護欲求を満たしつつ、でも嫌悪感には抵触するなってことですよね。酷い矛盾ですね。無理です」


――はぁ? 七篠さんだってマザコンのくせに! 似たようなものでしょう。


「マザコンは事実ですが、私は別にパートナーにそう言った側面は求めていませんから」


――では、何を求めているんですか? 私は虫にも強いですよ? 良いんですか、虫退治が出来る女子の希少価値は高いですよ?


「確かにそれは有難いですけど、そもそも部屋が汚いせいで虫が出そうで本末転倒ですし。他にもう少しまともなアピールポイントは無いんですか? 家事を押し付けられそうだし、甘いものも制限されそうだし、漉し餡派だし。何もメリットがありません」


――私、これでも結構モテるんですが?


「確かに美人さんですけど、部屋汚いですし」


――もう、何回も汚いって言わないでください。汚いんじゃなくて、散らかっているだけですから。


「似たようなものです」


――全然違います。それよりも、真面目に私の話を……。


「あ、すみません。電話です。外で話してきますね」


――外だとそのまま逃げそうだから駄目です。洗面所でどうぞ」


「……まぁ良いですけど。それじゃあお借りしますね」




「もしもし」


「はい、はい。……えぇ、本当ですか? 今、どちらに?」


「そうですか、大変ご迷惑おかけしています」


「はい。私だけです」


「今、遠方におりまして、少し時間がかかりそうです」


「一時間程です、はい」


「分かりました。すぐに向かいます」


「大変ご迷惑おかけしています。申し訳ありません」


「はい、失礼します」



――あ、七篠さん戻りましたね。では、引き続き私のアピールタイムを……。


「それなんですが、申し訳ないです。ちょっと急用が出来まして」


――……帰るんですか?


「はい」


――どうしても?


「はい」


――分かりました。仕方ありませんね。


「良いんですか? もう少し駄々をこねると思いました」


――それで思い止まってくれるならそうするんですけどね。


「すみません」


――いえ、元々長いこと引き止めていたのは私の方ですから。


「そうですね、本当にその通りです」


――また会ってくれますか?


「勿論です」


――絶対嘘ですよね。


「……」


――まぁいいです。無理強いしても仕方ありませんし。〝蒲団〟に七篠さんの使ったタオルでも敷いて残り香を反芻しながら、一人枕を濡らすことにします。


「ふふ、若い頃には変態っぽくて気持ち悪いと思っていたけど、歳をとってから読むと趣深い名作ですよね。海外で高い評価を得ているのも納得です」


――五月蝿いです。私に優しくしてくれない七篠さんなんて用済みです。早く帰ってください。


「おっと。では、そうしますね。それでは失礼しますね。お疲れ様でした。さようなら」

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