第45話 〝余裕〟と〝縛り〟
「大まかに二つ大事な要素があります。〝余裕と縛り〟です」
――言葉だけ聞くと、相反する意味合いに聞こえます。
「そうかもしれません」
――では、まずは〝余裕〟の方からお願いします。
「分かりました。こちらは簡単です。言葉通り余裕を保てる生活を心がけるべきだという感じです」
――それは何故ですか?
「心持ちを穏やかに保つことができれば、怒る頻度とストレスを激減させることができますから」
――DVを治すというよりも、そもそもの怒る原因を作らないということですね。
「はい。例えばですが、経済的に金銭面で困窮すればそれが原因で問題が起こりますよね。ならば、それを防ぐため普段から節約や節制を心がけるべきですし、何かサポートが受けられないか役所で相談してみるのも良いかもしれません。他に、もしパートナーのミスが許容できずに諍いに発展するようなら、事前によく話し合って協力するなり、いっそ諦めて外注することで問題を解消するなり対策を講じるべきです。家事ならハウスキーパー、子育てならシッター、運転ならタクシー等々です。他にも仕事でストレスが溜まるなら転職も視野に入れるべきです」
――ストレス源を放置せず根気よく一つ一つ潰していくべきと?
「はい。我慢しても何も解決しませんから。他にはストレスを感じたら一旦距離を置くとか。話し合いで揉めてしまいそうなら、手紙でやりとりするとか。日記を付けるのも自身の思考を客観視出来て良いかもしれませんね」
――それでいくと発散も大事ですよね?
「そうですね。趣味を持ちましょう。私の場合はスイーツですね」
――ジム通いは違うんですか?
「それはむしろストレス源です。ですが、スイーツのためには止むを得ないです」
――ストレス解消でストレスが溜まっているようですが、それでは本末転倒では? やはり控えられた方が良いのでは?
「満足度の方が優っていますから大丈夫です。ご心配なく」
――七篠さんにはもっと良いストレス解消法があるはずです。
「それは?」
――さぁどうぞ。ほらほら。
「何ですか、急に手を広げて。ヒレカツなんて作りませんよ?」
――ハグですよ、ハグ。さぁさぁ、遠慮せずどうぞ。
「いえ、必要無いです」
――照れなくてもいいんですよ?
「それより、何か別のスイーツは無いんですか? そっちの方が嬉しいです」
――もう何も無いです。この部屋に私のハグより価値のあるものなんてもう何も無いです。
「ではそこの湿気ってそうなピスタチオでも頂いておきます」
――ちょっと。私のハグよりも湿気ったピスタチオの方が価値が上だって言うんですか? 酷いです。泣きそうです。
「いや、まぁ私は熟女好きですから。松延さんは若すぎて……」
――私、今年でアラサー突入するんですが。
「アラサーなんて熟女好き界隈ではロリコン扱いで迫害されます」
――なんですかその界隈。どこに存在するんですか。
「世のあらゆる男性は広義ではマザコンですから。つまり、ある意味では世の全ての男性は熟女好きと言っても過言ではありません」
――過言すぎます。
「では、もう一つの要素の話に戻りますね」
――あぁ、ちょっと……。
「もう一つの〝縛り〟ですが、所謂フェイルセーフってやつです」
――また格好付けて横文字使って……。日本語でお願いします。
「いえ、別に格好付けでは……。まぁいいですけど。つまりですね、今さっき説明した〝余裕〟を意識することで、怒る頻度はだいぶ減らせるわけです。でも、それでも百パーセント防げるかというと、そんなことはないです。どれだけ気をつけていても、感情を制御できない場合もあります」
――そういった場合に働く謂わば〝心理的安全装置〟のようなものが必要であると?
「はい。自身の暴力衝動の抑止力となるような〝なにか〟を事前に設けておくべきです」
――具体的には?
「人によって違うので、その辺は何とも。ですが、そうですね、例えば身近に上位者を置くとか」
――上位者ですか?
「DVはどんな人がどんな人にすると説明したか覚えていますか?」
――『自分より弱いと見做している相手や、反撃してこない相手』ですよね?
「正解です」
――なるほど、それで上位者ですか。確かにそれは有効な気がします。七篠さんの家庭でも、お婆さまの来訪時にはお父様は大人しくなったと言っていましたもんね。
「そういうことです。要は自分より肉体的、社会的、金銭的、道徳的に強い者を置けばいいんです。パートナー側の親族との同居とか良いと思いますよ」
――それなら、実家の至近距離に住むとかも良さそうですね。
「そうですね。まぁそこら辺は人それぞれですが、大体そんな感じです。ありとあらゆる事柄で自らに枷を設けます。すぐ出せるよう記入済みの離婚届を事前に用意しておくでも良いですし、第三者を挟む話し合いも有効だと思います。監視、約束、契約、責任、罰則。何でも良いです。多ければ多いほど、重ければ重いほど抑止力として働きます。周囲の人物を巻き込むのも良いでしょうね」
――あまりにも制約が多いとそれはそれで暴発するのでは?
「それは無いと思います。DV加害者なんてただの卑怯者です。自分より上位の者には絶対に逆らいませんし、損得だって無視はできません。見境なく当たっているように見えますが、そう見えるだけです。選択的アンガーって言うんですかね。怒りをぶつける対象をしっかり見極めているんです」
――そういうものですか。
「仮に暴発したり逃げたりするような相手でも、それはそれでいいじゃないですか。それだけしてもどうにもならない人物だと見切りがつけられます。自らで課した約束も守れないダメ人間ですからね」
――なるほど。そういう考えに行き着くわけですね。
「ダメで元々と最初から割り切った上で付き合うべきです。間違っても自らを相手の下に置いたり、依存したりしてはいけません。でも、こういうのって情が深くて優しい方ほど被害に遭いがちなんですよね。難しいです」
――私も気をつけなければいけませんね。
「松延さんは大丈夫でしょう」
――何でですか、情が深くて優しいと危ないのでしょう?
「あなたは、それ以上に辛辣ですから。あと、部屋が汚いので」
――部屋の汚さは関係ないでしょうが。いや汚くはないですけどね。
「ともかくですね、たとえ一度でもDV被害に遭ったのなら、それを許容すべきではありません。絶対に繰り返しますから。例えば、交際相手が犯罪を犯したり、浮気をしたら多くの方は別れると思うんです。でも、DVにおいてはそうでない方が多い。手をあげている時点でそれらと同列にもかかわらずです」
――確かにそのようなイメージがありますね。
「でしょう? というわけで、再三の警告になりますが、基本的には関わるべきではないんです。治療には時間がかかりますし、本人が治ってもその家族がおかしい場合もある。ウチみたいに。そんな問題のある相手とわざわざ付き合っていく必要あります? 無いですよね。世の中には他にいくらでも良い相手がいますから。どんなに他の部分が良くても、手が出たり恫喝したりする時点でただの人格破綻者ですから。こう言うと反論してくる方もいますけどね」
――『本当は優しい人なの』とか?
「そんな感じです。優しい人はそもそも暴力を振るいませんけどね」
――『複雑な家庭で育ったから仕方ないの』とかも?
「自分がされて嫌だったことを人にするなんて純然たるただのクズじゃないですか。まぁ私のことでもありますけど」
――……もう結構です。仰りたいことは分かりましたから。目の前で七篠さんの自傷行為を見せられているようで辛いです。要は七篠さんはDVに関わる人には相応の覚悟を持ってほしいと。そういうことですよね?
「違います。関わらないのが最善であると言いたいんです」
――そうですか。でも、私は今日七篠さんに出会えて良かったです。
「何ですか突然。もう昨日ですけどね」
――七篠さんのお陰で、私が抱えていた問題も解決できそうです。
「そうですか。それは良かったです」
――私は昨日七篠さんに出会えて良かったです。
「もう聞きました」
――七篠さんはどうですか?
「……そうですね。私もインタビューを受けて良かったかもしれません」
――そうでしょう、そうでし……。
「今川焼き、パフェ、団子、アップルパイ、フレンチトースト。どれもとても美味しかったです」
――そういう照れ隠しは要らないです。
「本心ですから」
――それはつまり、〝私と一緒に食べるスイーツ〟は美味しかったという意味ですね? だから一人で食べたはずのケーキを除外したと。なるほどなるほど。全く素直ではないですね。
「呆れるほどにポジティブですね。その楽観思考は羨ましいです。まぁ良いです。他に質問は無いですか?」
――一通りの体験談に、見分け方も対策や聞けましたし、これで十分だと思います。最後は駆け足になってしまいましたが、本日はインタビューをお受けいただき誠に有り難うございました。お疲れ様でした。
「随分長めの〝本日〟でしたね。はぁ……本当に疲れましたよ……」
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