第42話 〝恩〟と〝怨〟

――少し休憩しますか?


「いえ、時間が無いので……」


――そうですね……。では、二つ目をお願いします。


「二つ目は〝他人に理解を求めるな〟です。誤解を恐れずに言えば、DVや虐待家庭で育った方は非常に面倒臭い性格をしています」


――そのままの表現だと炎上してしまうかもしれません。もう少し言い方を工夫してください。


「構ってちゃん……とか?」


――さっきよりも酷くなっています。


「いや、これ以上は無理ですって。しょうがないです。面倒な家庭で育ったんですから、そりゃ面倒な性格にもなるってもんです」


――繊細だとか他の言い方があるでしょうが。それで、どういった点でそう感じますか?


「他人に強く理解や共感を求めがちというか、セルフセンタードパーソンというか」


――英語で格好良く言っていますけど、それ自己中心的って意味ですよね?


「まぁ、そうですね。でも、自己中でワガママという感じではなく、何というか文字通り、自身の世界を過大に捉えがちというか」


――例を混じえながらお願いします。


「DVや虐待という経験は確かに辛いです。そして、世間でも割とレアケースなわけです。すると、ある種の選民意識が芽生えるというか、それで〝不幸自慢〟が始まってしまうんです。『良いよねぇ、◯◯は幸せな家庭で。本当に羨ましい』『恵まれた家庭で育った◯◯にはどうせ分からないよ』『そんなのまだ良い方じゃん。私なんて〜』あたりから始まって、次第に成功者の悪口まで言い始めます。『結局は家庭環境だよね。それだけ恵まれてれば誰だって成功するよね』って。まぁ気持ちはわかりますけどね。家庭環境が人格形成過程や学習環境、ひいてはその後の人生に大きな影響を与えるのは周知の事実ですから。まぁ、それは置いておくとしても、そういった不平不満や不幸自慢、妬み嫉みがどうしても多くなりがちなんです」


――どういった過程を経てそのような思考に至るのでしょうか?


「どうしてでしょうね。多分、最初は羨ましかっただけだと思うんです。でも、それが次第に妬みに変わって、憎悪にまで至るんです。例えばですが、若い頃って皆結構親の悪口言うんですよね。『うちの親本当に有り得なくて〜』とか『うちの親は毒親だから』とか。少し叱られただけで『死にたい』とか」


――思春期には言いがちですよね。大学生や社会人くらいになると、親の大変さを理解して尊敬が勝るようになるんですけどね。


「そうですね。そういうものだと思います。ただ、理不尽な親の元で育った身からしてみたら、『いやいや何言ってるの? 素敵な家族じゃない。むしろあなたがワガママなだけでしょう』ってなるんです。自分が欲しくてたまらないモノを、その価値を全く理解していない人がぞんざいに扱って、悪様に罵っているんです。それが憎くてしかたなくなるんです。『あなたが持っているその携帯も、お洒落している服や化粧品も誰がお金を出しているの?』『随分良い大学だけど、学費は誰が払っているの?』『要らないなら頂戴よ。交換してよ』って、聞けば聞くほどフラストレーションが溜まります。お腹が減って飢え死にしそうな時に、食べ物を見せびらかされて、挙げ句の果てに『これ不味いから要らない』って目の前で踏み躙られている気分です」


――……。


「勿論頭では分かっていますよ。悪気は無いんだろうって。本人からしてみれば本当に納得がいっていないのだろうし、苦しんでいるのでしょう。もしかしたら、話していないだけで深刻な問題も抱えているかもしれません。でも、聞いていると辛いんです。きっと、それが積み重なった結果、先程のような行動に至るようになるのだと思います。妬み混じりに〝持つ〟者を攻撃することで、溜飲を下げ、かつ相手の現状や成功は全て運に恵まれたからであると〝下げ〟ているんでしょう。逆に、過去に大変な思いをしたのに頑張っている自分は凄い、褒めて欲しい、理解して欲しいと。これに関しては心理学用語の〝セルフハンディキャッピング〟が近い気がします」


――聞いたことがありません。どういう意味ですか?


「何かに失敗した際に外的要因のせいだと言い訳できるように自分で自分にハンデを課してしまうという行動心理ですね。成功したら、『こんな家庭でも成功できた。私凄い』です。失敗したら、『こんな家庭だから失敗した。私は頑張ったけど、家庭環境が足を引っ張った』と。どちらにも言い訳できます」


――なるほど。


「それから、不幸自慢はやりすぎると疎まれますが、適度になら同情してもらえて気持ちよくなれますしね。それも動機の一つだと思います。良かれ悪しかれレアな体験は人の耳目を引きつけますから。真剣に聞いてもらえるし、甘やかしてもらえます。それが癖になるんでしょうね」


――それ故に構ってちゃんであると?


「はい。克服すべく奮闘中の方や過去を忘れてしまいたい方はあまり自らそういった話をしないと思います。勿論、深い関係のパートナーや友人には話すことはありますけどね。不必要に喧伝すると余計なレッテル貼りをされますし、興味本位で根掘り葉掘り聞かれますから」


――その、私も根掘り葉掘り聞いてしまっていますが……。


「そうですよ。ここまで色々私の恥を暴いたんですから、きっちりと役立ててくださいね?」


――最大限努力します。


「まぁそんなわけで、不幸自慢はやってしまいがちなんですが、これは止めておこうという話です。誰だってネガティブな話は聞きたくないです。一度や二度なら『大変だね、頑張ったね』って同情してもらえますが、何度も続くと鬱陶しいですし、友人を無くします」


――私も気をつけます。


「不幸自慢もそうですが、人と比較することは本当に良くないです。普通の家庭を羨む気持ちは理解できますが、比較するということは〝される〟こともあるということです」


――どういうことですか?


「例えばの話ですが、不幸自慢が癖になってしまった、とある男の子N君がいるとします。N君は事あるごとに自分の家庭環境が悪かったことを話しては同情を買ってまわって気持ちよくなっていたわけです。ですが、ある日、友人の男の子に諭されました。『不幸自慢は良くないよ。全く建設的ではない。それなら楽しい話をしようぜ』と。それで、N君は内心で思ったわけです。『うるせぇ。ぬくぬくと幸せに育ったお前に何が分かるんだ』と。N君は自らの過去話を意にも介さないその男の子が嫌いになりました。ですが、その男の子は事あるごとにしつこく遊びに誘ってくるし、しょっちゅう誘ってもないのに家に遊びに来ます。彼はいつも馬鹿みたいに楽しそうで、気づいたらN君も彼といるのが楽しくなっていました。めでたしめでたし」


――え、オチは?


「それがですね、その男の子は紛争地帯の出身で、お母さんが空爆で亡くなっていたそうです」


――それは……随分と厳しい人生を送っておられますね。


「そうですね。それで、N君は反省して、それからは不幸自慢は止めたそうですよ」


――そこへ至るまでの心境の変化をもう少し詳しくお願いします。


「N君はですね、孤児でもないし、酷い飢えや戦争も経験したわけでもありません。死ぬような目にも遭ったことはありません。平和な日本に生まれて、食べ物に困ることなく生活できただけでも幸せだったかもしれないと考えたんです。それで、その事を友人に伝えた……そうです」


――どうなりましたか?


「友人は言いました。『それは違う』と。辛さや悲しさは比較すべきモノではないと。不幸自慢は良くないけれども、他人の経験と比較して相対化することで自らの体験を薄めてはいけないと。勿論逆も同じです。それは相手の気持ちを軽んじる行為ですから。それから最後に彼はこう言っていました。『誰にとっても辛いことは辛い。それだけでいいじゃないか』と」


――泣き虫なN君のことです。きっと泣いたはずです。


「そうですね。そういうこともあったかもしれませんね」


――その時のN君は何を考えていたんでしょうね。


「N君はですね、今まで生きてきて、こんなことを言われてきたんです。『もう大人なんだから、いつまでも過去のことに拘るのは良くないよ』『お父さんにもきっと事情があったんだよ』『辛かった過去のことは忘れて、これから楽しく生きていけばいいんだよ』『昔の人はみんなそんな感じだったよ』『男の子なんだから』『職人はどこもそうだよ』『俺も昔は親父には結構殴られたもんだよ』『人を変えるようとするんじゃなくて、自分が変わるべきだよ』『あなたが大人になって、対応してあげないと駄目よ』」


――……。


「あの辛くて惨めな想いを抱いていた日々が、大したことない出来事であると言われているようで悲しかったです。まだ拘っている自分の心が狭いのかなと。それから、大人ではなく子供に、加害者ではなく被害者に我慢や自制を求めるのかと。でもね、皆口々に『忘れろ』とか『過去のこと』なんて言いますけど、そう簡単に変わることなんてできないんですよ。ずっとそうやって、人生の大部分を卑屈に顔色窺って生きてきたんですから。『何も知らない偽善者どもが、綺麗事ばかり言いやがって。クソ食らえ』と。そのような感じでしょうか」


――……。


「ですが、友人の言葉で吹っ切れたそうです。今は当時抱いた感情を大事にしています……いるそうです。良い意味でも、悪い意味でも。それと、自身の不幸自慢やマウントを取ろうとした行動も反省したそうです。わた……N君は自分が人にされて嫌だったことを人にしていたわけですからね。これは反省すべきだと気付かされた……そうです」


――いや、N君はもう良いですから。というか、何で急にN君設定を始めたんですか?


「いや、黒歴史って言うんですか? ちょっと恥ずかしくて……」


――まぁいいですけど。それで、良い意味は分かりますが、悪い意味とは?


「私は父のことを今でも『死ねばいい』と思っていますし、病気になったら『ざまぁ』とも思います。人から見れば、『育ててくれたお父さんに対して、そういうことは言うもんじゃないよ』『言い過ぎだよ、良くないよ』って言う方も多いでしょうね。というか、皆さんそうなんでしょうね。ですが、それもまた私の偽らざる本心ですから。育ててもらった〝恩〟はありますが、それとは別に〝怨〟もあります。それを以前は払拭しようとしていました。そうすべきなのだと。でも、友人の言葉で、もうそのままでいいかなって思ったんです」


――一言で言うと?


「『辛かったし、ムカつくし、今でもやりきれない。でも、まぁギリ飲み込んでやる。育ててもらった分の恩に関する部分まではな』って感じです。まぁ、私の場合は加害者でもあるので、父に対して一方的に偉そうなことを言うのはおかしいって話なんですけどね」


――なるほど。〝恩と怨〟ですか。それで、そう考えるようになったことで何か変化はありましたか?


「忘れよう許そうと努力していた頃より、却って思い悩む機会は減りました。ただ、これは人にはやっぱり理解はされません。恩はともかく、怨は決して理解されません。世の中には『親子なんだから仲良くしないと』だとか『血の繋がりは何よりも尊い』って考えている方が多いですから。でもね、世の中にはどうやっても話が通じないような人物は確かに存在するんですよ」


――だからこそ、〝他人に理解を求めるな〟ですか?


「はい。時間の無駄です。話すだけ無駄です」


――そういうものですか?


「例えが適切かは分かりませんが、男性にとっての痴漢の存在と似ているかもしれません。多くの男性は痴漢をニュースでしか知らないし、見たこともないんです。でも、女性に聞くと、被害に遭ったことが無い方を見つける方が難しいくらい多いということがわかるはずです。しかし、それを説明しても『それは大袈裟だ。そんなはずはない。ここは安全大国日本だぞ』と頑なに信じない男性も少なくないですよね。そういうことだと思います。人は自身の眼で見たことが無いモノの存在には恐ろしいほどに鈍感で懐疑的なんです」


――痴漢に関しては業腹ですが、言いたいことは分かります。


「だからといって、何もしないのが良いって話ではないですけどね。社会レベルでは認知度を高めて、状況の改善のため尽力すべきです」


――個人レベルでは?


「大事な人にだけ分かってもらえれば、それで良いと思います。それ以上を求めてもコストパフォーマンスが悪いですから」


――コストパフォーマンスですか?


「分かってもらうためにあれこれ話しても、深い理解を得られることは滅多にありません。それだけ努力しても結局は、大袈裟、ネガティブ、不幸自慢、家庭環境に問題有りだと見做されるだけで終わることも多いですし。理解を求めるという行動自体が不利益しか齎さないです」


――私はそこまでロジカルに考えられません。誰にも理解されないというのは悲しくはないですか?


「いずれ必ず理解者は現れます。松延さんも……、確か親友のことを理解したいと思ったから、この仕事を受けたわけですよね?」


――……はい。


「私が過去の私に伝えたいのはそういうことです。他人に理解は求めるな。でも、それでも理解しようとしてくれる相手が現れたら、その相手を最大限大事にしろと。大事にすべき人だけ大事にすべきだと。そう伝えたいです」


――なるほど。


「要は〝パレートの法則〟に従えということです」


――パレート? 〝八・二の法則〟でしたっけ?


「そうです。世のありとあらゆる事象は八・二で説明できるいうものです。会社の利益の八割は二割の主力商品が生み出していますし、その八割の利益は会社の二割の上級社員の働きによるものです。松延さんがよく着る服も持っている服全体の二割程度ですし、スマホに登録されている連絡先のうちの二割程度の人としか普段連絡を交わしていないはずです」


――つまり?


「大事にする人は二割で良いんです。その二割の人が、あなたの交友関係全体の八割を占有しているわけですから」


――言いたいことは分かりますが、今法則を持ち出す必要ありました? 照れ隠しで、小難しいことを言って恥ずかしさを誤魔化そうとしていませんか?


「……では、次にいきましょう」


――『要はパレートの法則に従えということです。キリッ』


「真似しないでください。馬鹿にしてます? 誰のせいで私が今ここにいて、あなたの仕事を手伝っているかを理解していますか?」


――つい揶揄いたくなってしまいました。ごめんなさい。


「次にやったらオヤツ抜きですからね」


――元々は私のオ……。


「私の〝オ〟なんですか?」


――……えっと、私の〝オ〟仕事が終わらなかったせいご迷惑をおかけしています。続きをお願いします。


「仕方ありませんね。そこまで言うのなら話を続けてあげます。感謝してください」


――……。

「返事は?」


――まことおかたじけでございます。


「苦しゅうない 」

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