第37話 軽い気持ちで渡米

では、その辺も踏まえて先ほどの続きをお願いします。


「これを話終わったら本当に終わりですからね? 絶対に帰ります」


――それは聞いてから考えましょう。さぁさぁお話を。どこまでお聞きしまたっけ。えーっと、旅をしながら各地で働いたりしていたんでしたっけ。


「そうですね、そこまで話しました」


――それで? そこから現在までの間に何があったんですか?


「国内を放浪して、色々経験をして、それで『あぁやっぱり進学したいな』と思ったんです。何というか、今までのものとはまた別種のコンプレックスが肥大化してきたんです」


――詳しくお願いします。


「はい。所謂〝青春コンプレックス〟でしょうか」


――えぇ……。学業とか学歴とかではなくてですか? 青春コンプレックスって。


「しょうがないじゃないですか。大学生って言ったら〝人生最後のモラトリアム〟なんて表現されますし、さぞ退廃的な魅力に満ちているんだろうなと思ったらそれはそうなりますよ。自由に使えるお金も増えて、行動範囲も広がって、きっと楽しいに違いないです」


――何ですかそれ。真面目に聞いて損した。若かりし頃の崇高な目標はどこへ行ったのですか?


「いやまぁ、勿論ちゃんとした目標も無かったわけではないですよ? というか、松延さんこそ制服デートがどうのこうの言っていたじゃないですか。人のこと言えません」


――それは話が別です。青春を満喫していた七篠さんに私の気持ちは分かりません。まぁ良いです。それで? 受験したんですか?


「いえ、受験ではなく渡米しました。それで、五年後に卒業して帰ってきました。それから色々あって今に至ります。以上です。お疲れ様でした。では、帰りますね」


――待ちなさい。座って、お座りして、ステイステイ。情報量が多すぎます。一つずつ説明をお願いします。


「えぇー」


――はい、アップルパイ。


「何でも聞いてください」


――よろしい。まず何故渡米しようと? 発端は何ですか?


「先ほど話した通り国内を放浪していた際のことです。木工伝統工芸で有名な場所を訪れた際に、仕事を紹介していただけました」


――それは?


「木工加工の末端も末端の雑用と、コミュニケーションの仲介と言いますか」


――前者は分かりますが、後者はよく分かりません。具体的には?


「その木工細工の工房に、ある日突然米国人が来たそうです。『作品を見て感動した、弟子入りさせてほしい』と。ですが、いくら観光地に近いとはいえ小さな村ですから。英語を喋れる人がいなくて難儀していたそうです。米国人の彼、この場ではジョーとしますね、も勢いで来てしまったため、まだ日本語も覚束なかったんです」


――外国人の方ってそういう方多いイメージです。


「普通はもう少し勉強してから来るものですけどね。まぁでも、挨拶単語程度しか知らなくても『俺、日本語しゃべれるよ』って自信満々な方が多いのも事実ではあります」


――そのポジティブさは見習いたいですね。それで、七篠さんはその方との仲立ちをするよう依頼された?


「はい。私もそんなに喋れる方ではなかったのですが、それでも村のじいちゃんばあちゃんよりは少しだけマシだったので」


――少しでも喋れるのがすごいです。いつから喋れるようになったのですか? 最近ではインバウンド需要で外国人の方も増えましたが、十年前の時点では外国人の方と話をする機会なんて……あっ。


「そうです。網元のところでお世話になっている間と、船に乗っている間にフィリピン人の方に教わりました。フィリピンの方は流暢な英語を話される方も多いですから」


――なるほど。


「それと、受験英語も得意だったので、その下地があったのも大きかったと思います」


――日本の英語教育でも喋れるようになるのですね。


「単語レベルで言えば中学レベルで十分です。例えばですけど、日本語で日常生活で〝難解〟とか〝容易〟なんて単語は滅多に使いませんよね? 大抵、〝むずかしい〟とか〝やさしい〟〝かんたん〟で済みます。そして、そういう表現は中学で既に学び終えています」


――つまり、高校英語は会話という観点から見れば、オーバースペックであると?


「そういうことになります。ただ、だからと言って無駄なわけではありませんよ。それらを知っていることで英語の文献も読めるわけですし。文献が読めれば得られる情報量は日本語だけの場合とは段違いですから。他にも、難解な表現はビジネス文書や格式ばった場では使うので、全くの無用の長物ではありません」


――無駄な経験なんて無いのですね。


「そうですね。そういうことなんでしょうね」


――それで、そのジョーさんが、どう関わってくるんですか?


「彼に付きっきりで生活しながら、彼に日本語を教えて、私には英語を教えてもらいました。それで、お互い拙い片言ではあったんですが、毎日のように遅くまで語り合っていました」


――主にどのような話題で?


「夢とか希望とかです」


――え?


「それがですね、ジョーはもう本当に暑苦しい性格だったんです。そんな彼の性格も相まって、良い大人二人が毎日のように夢とか希望とかを熱く語っていました。それこそ夢見る少年のように毎日毎日飽きもせず。いや、奴は本当に鬱陶しい人物でしたよ」


――言葉の割には随分と嬉しそうに話すのですね。


「私は彼のそんな暑苦しい性格が大好きでしたから。元々、私はネガティブで溜め込みやすい性格なんですが、彼の熱量の籠もった語り口は、私のそういった負の感情を全て吹き飛ばしてくれるんです。それがとてもありがたいですし、会うたびに元気をもらえます」


――そういった友人は貴重ですよね。


「そうですね。ネガティブな感情は伝染しますし、ネガティブ同士で会話をしているとより濃縮されて気疲れしますから。ちょっと上から目線に聞こえてしまうかもしれませんが、そういったネガを運んでくる友人はどんどん断捨離してしまった方が良いと思います。一緒に居ても悪口大会になったり、マウントの取り合いになったりしてロクなことはありませんから」


――分かります。


「話を戻しますね。そんな暑苦しいジョーと毎晩のように語り合っていたある時の話です。私が『大学へ行きたかったなぁ、勉強もしたかったし、青春もしたかった』と愚痴をこぼしたことがあったんです。すると、ジョーは言うんですよ。『え、行けば?』って」


――随分軽いですね。まるでコンビニ感覚です。


「ですよね。簡単に言ってくれます。それで、私もムキになって反論しました。『同世代は就職して、社会に出る年齢だ。そんな年齢から大学に入るのは簡単なことではない。学生のうちはともかく就職には間違いなく影響が出る。経済的にも多大な負担である』と」


――彼は何と?


「アメリカならそこまでレアケースではないと。就職後にキャリアアップのために学業に励んだり、時間が空いたからとか、趣味のためにと進学したりもよくあることだと。それは、なんら恥ずかしいことではないと言っていました。まぁ日本でもそれは言われていますけどね。ただ実際にそうする人は驚くほど少ないですよね」


――そうですね。日本でも最近では生涯学習なんて言葉もよく聞きますが、その概念が根付いているとはまだまだ言い難いです。


「彼が言うにはアメリカでは半分弱くらいは現役生以外だそうです」


――そうなのですか。


「はい。実際にそんな感じでした。教授陣よりも年上の方もクラスに何人かは居ました。逆に飛び級も多かったですけどね。私が二年間一緒に住んだハウスメイトも十六歳での大学入学でしたし」


――それは凄いですね。


「ですが、年齢の違いなんて些細なものでした。年齢を尋ねられる機会なんてあまり無いですし、そもそも人種の多様性の方が大きかったですから」


――人種のサラダボウルですもんね。そういえば、アメリカの履歴書は差別対策と多様性を重んじた結果、顔写真も、年齢も、性別も記載しないと聞いたことがあります。


「理由がその通りかは分かりませんが、履歴書は実際その通りです」


――そういえば、学費は大丈夫でしたか? 足りそうでしたか?


「私の貯金額を伝えたら多分大丈夫だろうと。ただ留学生は学費が現地学生の十倍ほどかかりますし、外国人は奨学金も難しいとの事なので確約はできないと」


――十倍ですか?


「はい。高かったです。でも、『アメリカ人の大半は卒業したら借金まみれだから安心してくれ』と笑っていました」


――何も安心できない言葉ですね。


「そうですね。ふふ」


――何が渡米の決め手になりましたか?


「この先ずっと後悔するぞと言われたことですかね。実際に数年程度の想いでもあれだけ悩んでいたわけですから、この先ずっとと言われたらもう行くしかないな、と」


――あっさりですね。


「いえ、実際にはジョーと一月くらいはやり合っていました」


――そうなんですか?


「はい、俗に言う〝デモデモダッテ〟ってやつです。愚痴は言うけど、行動には中々移さないっていう面倒くさいやつです」


――進学は人生の一大イベントです。それもしょうがないのでは?


「まぁそうなんですけど、聞かされている方は溜まったものではなかったでしょうね。ですが、ジョーは根気良く話を聞いて、その度に暑苦しい言葉で励ましてくれました。感謝しかないです」


――それで、留学を決めたのですね。すぐに発たれましたか?


「いや、それが保証人の問題とか、ビザとかの問題もあって準備に半年以上かかりました」


――そうですね。ご家族にも伝えなければいけませんしね。


「……」


――七篠さん? ……あなた、まさか?


「えへへ」


――それ、全然可愛くありませんからね? 家を出た時だけでなく、海外渡航まで音信不通だったのですか? 信じられませんね。


「いやぁ、話しても無駄だったと思いますよ? 帰国後に実家に行った際にも散々罵倒されましたし。どのみち行くなら黙って行くしかなかったと思います」


――そうですか。


「まぁお陰で大変でした。諸々の保証人もそうでしたし、ビザを取る時にも一悶着ありましたし」


――保証人は分かりますが、ビザの方は何が問題だったんですか?


「当時の私には、そこそこの貯金があったのですが、そのお金の出所を疑われました。マネーロンダリングってやつです」


――七篠さんの経歴は怪しいですからね。それも宜なるかなと。


「否定できないです。まぁでも色々あったけど、家も引き払って、渡米しました。それで無事卒業して帰ってくることができました」


――なるほど。米国へ留学して良かったですか?


「それが、全然ですよ。青春目当てで行ったのに、課題やレポートに追われて全然遊べませんでした。行く国を間違えました、はは」


――アメリカの大学は入るのは簡単で、出るのは難しいと言いますもんね。


「私の大学はそこまで難易度は高くはありませんでしたが、難関大なら入るのも日本と同程度には大変ですよ。出るのはどこでも等しく大変ですけどね……。死ぬほど勉強をしました」


――同情を誘おうったってそうはいきませんよ。七篠さんのことだから、ちゃっかり留学生活を満喫したに違いないです。


「……まぁ、ほどほどに?」


――ほらやっぱり。これは詳しく追求しなければなりませんね。


「それなんですけど……、DVとは関係ありませんよね? この後に留学生活でDVに至ることもありませんでしたし、今日はもう帰っても良いのでは?」


――はい、アップルパイあーん。


「……本当にもう少しだけですよ?」




――……嘘ですよね? あんなに愛らしい顔をしているのに……。


「いや、本当ですって。すごく毛むくじゃらで害獣……」




――はいはい。それでは……。


「……一人でホテルに……、自殺を疑われ……」




――では、……。


「甘いだけが取り柄の青とか紫の……」




――…………。


「――――。」




――……。


「――。」

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