第35話 放浪遍歴

ところで、そのような生活はどのくらい続けていたのですか?


「一年半くらいでしょうか。漁師さんに、天然氷作りの蔵元、木工の伝統工芸、他にも多くの場所でお世話になりました。どれも大変な仕事でしたが、見学やお手伝いをさせて頂けてとても良い勉強になりました」


――ちょっと。なんでもうすぐ家に着く頃になって、急にそんなに面白そうな話題を持ち出してくるんですか。どういう経緯で、そのような仕事に携わることになるんですか?


「まぁ、何やかんやあったんです」


――簡単にで結構です。そのなんやかんやの詳細をお願いします。


「時間無いですよ?」


――いいから早く。


「まぁいいですけど。漁師さんについてですが、これは出会いの妙と言いますか。ある時、夏の北海道で迷子になったことがあるんです。『地図だとすぐそこみたいだし、歩いてみるかな』って本州気分で散策していたんです。そうしたら、案の定迷子になってしまって。北海道の広さを侮っていました、はは。それで、夜になっても車も通らないし、街灯も無いから真っ暗だし」


――さっきの私と同じ状況というわけですね。


「ふふ、そうです。あの時は流石に死ぬかと思いました。ペットボトルに半分くらいのお茶しか持ってなかったですから」


――旅をして周っているのに何でそんなに軽装備なんですか?


「いや、普段は公共交通機関や宿泊施設を使っていましたし。キャンプをしなければいけないような事態は想定していませんでした。ニワカもいいところの小型キャリーケースの軽装ですよ」


――私はもっと軽装でしたけどね?


「いやいや、私の場合は〝試される大地〟北海道でしたから。夏でも夜は寒かったですし。後ろにはキツネがいましたから」


――キツネ?


「はい。付かず離れずでずっと付いてくるんですよ。本当に怖かったです。闇夜に目がきらりと光っていて」


――それでどうしましたか?


「怖くて夜通し歩いていました。それで、朝になって『疲れたなぁ』って道路の端に横たわって呆然としていたんです。そうしたら、たまたま長距離トラックの運転手さんが通りかかって、それはもう必死で大声を出しました」


――ふふ、私と同じですね。


「そうですね。私は泣いてはいませんでしたが」


――は?


「いえ、何でも。それで、その運転手さんのご厚意でしばらく乗せてもらえたんです。せっかくだからって、近くの温泉にも連れていってもらえました。そこまで長居は出来ませんでしたけどね。その後、運転手さんは彼の目的地の漁港に私も連れていってくれました」


――しっかり北海道を満喫してますね。温泉いいなぁ。それに、漁港といえばお魚ですね。北海道のお魚美味しいですよね。


「ふふ、当時の私も同じことを考えました。それで、何とかそのあたりで少しだけ滞在できないかなと」


――どうしました?


「市場に行きました。それで、見るからに珍しくて、かつそこまで高くない魚を指さして、大袈裟な声音で『うわー、珍しい魚ですね。これって食べられるんですか? 東京では見たことないです』って声をかけました。するとですね、市場の気前の良いおじちゃんは『ったりめぇよ。食ってみっか?』って感じでその場で捌いてくれたりするんです」


――そのために珍しくて高くない魚を選ぶわけですね。巧妙な手口です。しかも、観光客アピールまでして、実に狡っからいです。


「はは。それで、大袈裟に美味しい美味しいって感動したように褒めるんです。というか、実際に新鮮で美味しいですしね。心から感動していました。北海道の食べ物は何もかもが美味しいですから」


――いいなぁ、いいなぁ。


「地元の方に回転寿司に連れてかれた時には『えぇ、北海道なのに回転寿司?』ってガッカリしたものですが、とんでもないです。回転寿司のネタが冗談かと思うくらい大きくて、皿からはみ出していました。鮮度も抜群で、ただただ北海道の食の底力に圧倒されました」


――ずるい、ずるい。ズル篠さんずるいですよ。


「それからですね、何と言っても鮭が美味しかったです。特に鮭児ですよ。これがもう……」


――はぁー、もううるさいです。妬ましさしか無いので、とっとと話の先を進めてください。


「え、そうですか? 本当に鮭児の話はいいんですか?」


――今食べられないなら、これ以上聞きたくないです。


「しょうがないですね。そういうことなら進めますか。いや、本当に美味しいんだけどなぁ?」


――しつこい。


「はいはい。それで、先ほどのお店のおじちゃんに色々聞いたんです。それで、どうやら近くに漁師の腕一本で成功した網元の方がいるらしいと耳にしたんです。近隣の住人からマグロ御殿と呼ばれる大豪邸に住んでいるそうです。で、直接訪ねてみました」


――今までの七篠さんらしからぬ度胸の良さです。


「ある程度、場数を踏むことで慣れてきていましたから。駄目なら全力で謝ればいいんです。挨拶とお礼、謝罪がしっかりできればどこでだって生きていけます」


――肝に銘じておきます。それで、何と声をかけたのですか?


「『雑用でも何でもするから、漁に関する話を聞かせて欲しい』と」


――『漁師をやってみたい』ではなく?


「正直ちょっとビビってしまいました。というのも、マグロ漁にあまりいいイメージが無かったので」


――それは何故ですか?


「マグロ漁の船といえば、借金のカタに連れてこられた者が乗るものだって噂を、当時の私は信じていましたから。まぁ後にそれを話したら笑われましたけどね」


――何故ですか?


「船の上では命懸けですし、一蓮托生です。それをいいかげんだったり士気の低い人物に任せられるのかって話です」


――なるほど。言われてみればそうですね。


「実際には、地元の方や、水産関係の学校を出た方、それから外国人の方が多かったです。フィリピンやベトナム、インドネシアの方です。どうやら日本で数年頑張れば、地元で立派な家が立つらしくて、彼らは皆一様に士気が高かったです。少し前の話なので、今でもそうなのかは分かりませんけどね」


――七篠さんも船に乗りましたか?


「最終的には乗せてもらいました」


――最終的には?


「はい。当初の予定では、雑用をしながらお話を聞かせてもらって、あわよくば泊めて欲しかっただけなんです。それが、『二十歳そこそこの若者が』『東京からわざわざ』『漁について勉強したくて』北海道に来た、みたいに勘違いされたようで。それはもう可愛がってもらえました」


――その状況は理解できます。私の田舎ですら、私が子供の時分には『東京の人が来ているらしい』って噂になるくらいでしたから。


「確かにそのように大仰に歓迎された経験は何度かありました。特におじいちゃんおばあちゃん世代に多いです。『東京から綺麗な人が来なすった』みたいな。いや、私なんてどこからどうみても綺麗でもなんでもないんですけどね」


――同じことを親友の静岡の実家で言われたことがあります。でも、それで可愛がってもらえるならいいじゃないですか。


「まぁそうですけど。流石に少し引け目を感じてしまうくらいの歓待でした。最近は人手不足もあるそうなので、それも関係あったんでしょうね」


――なるほど。


「ちなみに、先ほど『息子さんと疎遠になってしまった方』が話に出てきましたが、それがこの網元さんです」


――網元さんは、そう言った背景もあって息子さんと七篠さんを重ねていたのかもしれませんね。それ故に、快く受け入れてくれたと。


「そうかもしれません」


――その話題が出た時の網元さん夫妻のご様子はいかがでしたか?


「それはやはり寂しそうでした。私も、もしかしたら家族にそのような顔をさせてしまっているのかなという考えが頭を過ぎりました。まぁ育ててもらったのに勝手に出ていって、さらには音信不通の自分には、そんなことを言う権利はありませんけどね」


――……。


「まぁそんな感じです。泊めていただいて、ご飯も毎日美味しいものをお腹いっぱい食べさせてくれて、漁業についても色々教えていただけました。船にも乗せてもらえましたし。本来はそう簡単に乗せてもらえるものではないらしいので、大変良い経験になりました」


――乗り心地はいかがでしたか?


「……最悪でした。ずっと吐いていました。死ぬかと思いました。いや、もう本当にいっそ殺してくれと。酷い乗り物酔いでした。他の乗り物とはまた違った酔いでした。船の上で食べる取れたての魚は本当に美味しかったですが、残念なことにそれすら吐いてしまいましたから」


――あぁ勿体無い。吐くくらいなら私にください。


「無茶言わないでください、ふふ」


――他にも面白い出来事はありましたか?


「いえ、もう特にはありませんね。短期滞在でしたし。数週間だけお世話になってから、また旅生活に戻りましたから」


――そうですか。網元さんとは今でも連絡をとっていますか?


「勿論です。お世話になった方には今でも毎年近況報告を行っていますし、近くに寄ることがあったら必ず立ち寄るようにしています。恩人ですから」

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