第34話 改善の兆候

「そういう背景もあって、ここからは少しだけ私のライフスタイルに変化が生じます」


――具体的には?


「バイトを極力減らして、中長期スパンで各地を放浪し始めます」


――七篠さんはまたすぐに極端に走りますね。


「まぁ若い時にはそういう時期もありますし、必要だと思います」


――どのような場所に行きましたか?


「国内は大体周りました。移動は公共交通機関と徒歩です」


――一度でではなく、複数回小旅行を重ねたという事ですよね?


「そうです」


――その間の資金はどうされていましたか?


「貯金が潤沢にありましたから。それに、〝住むバイト〟もしていましたし。まぁ、ほぼ単なる名義貸しとレポート提出になってしまっていましたけどね」


――旅行先の選定はどのような基準で? それから、旅行先では主に何をしていましたか?


「適当に電車で出かけるだけです。それで、面白いものがありそうなら降りて散策です。他には、現地で出会った見知らぬ人にオススメの場所を聞いたりとか」


――それは楽しいのですか? 私は目的地を決めて予定を立てて、その通りに動きたい派なのでイマイチ楽しさが理解できませんが。


「最初は私もそうしていました。そこここの有名な場所へ行って、観光して美味しい物を食べて、ホテルに泊まって。でも、何か違うんです。いや、決してその楽しみ方を否定しているわけではありません。ただ、一番最初の時ほどの感動が無かったんです」


――原因は先ほど言っていたコミュニケーションですか? 飢えていると言っていましたもんね。


「そうです。最初は自分でもわからなかったんですけどね。感動は天気のせいか、ロケーションなのか、はたまた猫のおかげか」


――側から見ていると明らかでも、当人になってみると気付かないことってあると思います。


「まさにその状況でした。それで、悩んだ末に最初の時と同じように行動してみたんです。何も決めずにフラッと出かけて、のんびりして、適当にご飯食べて、ちょっと観光して」


――そこで気付いたわけですね。


「はい。感動の源泉はおばちゃんだったんだなと」


――七篠さんは熟女好きだったんですね。どおりでいくら私が誘っても靡かないわけです。


「そういうことではないです」


――……冗談だったのに。


「まぁ熟女好きは否定しませんが」


――えぇ……。


「何ですか。いいじゃないですか、熟女。いや、まぁそれはいいんですけど。つまりですね、コミュニケーションです。私は、それをこそ欲していたんだなと。最初の場所のロケーションは確かに最高でした。心まで晴れやかになるかのように素敵な場所でした。猫も可愛かったです。しかし、それだけでなく、見知らぬ土地で親切にしてくれたおばちゃんこそが最も重要なファクターだったんです。と、まぁ言葉にすると至極当然の結論で面白みも何もあったものではないですが」


――自身の感情の大元を自覚するのは大事なことです。


「そうですね。本当にそう思います」


――それで、その自覚は後の七篠さんの行動や生活にどのような影響を及ぼしましたか?


「以前よりもコミュニケーションを重視するようになりました」


――上手くいきましたか?


「最初は難しかったですね。喋り慣れていないから声のトーンとか表情も上手く調節できなくて。完全に不審者でした」


――そうですね。七篠さんは体も大きいですし、いきなり目の前に来られたら正直かなり怖いです。でも、元々コミュニケーションは得意なほうだったのでは? 心情を読み取るのも得意でしたよね?


「それが……数年間に渡って無味乾燥な生活を送っていたせいか、コミュニケーション能力が錆び付いてしまっていました。一日誰とも口をきかない日も少なくなかったですから」


――どうやって改善しましたか?


「それはやはり場数を踏むしかないです。食べ物を出すお店とか、喫茶店、お土産物屋さん、市場、ホテル、観光地辺りが狙い目です。そういった場所に赴いて話しかけます。勿論、お仕事の邪魔にならないようなタイミングで、です」


――なるほど。接客業ですね。


「はい。旅の恥は掻き捨てですから。お店でサービスを利用したついでに、お土産や、その地域の歴史だったり、近くの観光地だったりを尋ねたりします。時にはその場にいる常連さんも巻き込んで」


――話題に困ることはなかったのですか?


「誰だって自分の話を聞いて欲しいものですから。その地域について一つ尋ねれば、聞いてもいないのに職業から、家系の成り立ち、美味しいお店に、泊まれる場所まで何でも教えてくれます」


――そういうものですか?


「そういうものです。そもそもですね、別に自分が無理して話すことなんてないんです。〝さしすせそ〟さえあればいいんです」


――さしすせそ?


「『さすがですね』『知らなかった』『すごいですね』『センスいいですね』『そうなんですか』の五つです。多少バリエーションに変化は付けますが、基本はこの五つです」


――異性を転がすのが上手な人物の魔性の手練手管ですね。


「そう言われると何だか悪いことをしているような気がしてきますね。でも、そういった転がしてやろうみたいな意図は無かったです。単純に楽しかったんですよ。自分より年上の方が、どのような人生を送ってきたかを語り聞かせてくれるんです。重厚なノンフィクションノベルを作者による解説付きで読んでいるようなものです。面白くないわけがない。しかも、無料ですから。何ならご馳走してくれる方もいましたし」


――それ楽しいのですか? 例えばですが、私は母の話は聞きたくはありません。昔の同じ話ばかり何度も繰り返すので。


「はは。まぁ、それはしょうがないです。年を取ると誰でも同じ話をしがちですから。そういう意味では、私のように違う話を新鮮な気持ちで聞けたっていうのは、一期一会の旅ならではですね」


――そういった機会は多かったのですか?


「最初はあまり多くはなかったです。コミュニケーションを重視するとは言っても、一朝一夕ではどうなるものでもなかったですから。最初はほんの挨拶程度だったり、オススメを尋ねる程度でした」


――最初は、ですか?


「はい。……フラフラと各地を旅しているとですね、中には気に入る場所も出てくるわけです。『もう少しここの空気を感じていたい』『もっと時間をかけてこの地域を散策したい』『このまま帰るのはあまりにも惜しい』みたいな。それで、ある時、『この辺りで何かお仕事はありませんか?』って尋ねてみたんです。そうしたら『ちょうど人手が欲しかったの』みたいな感じで、運よく仕事を紹介してもらうことができました。仕事といっても、寝泊まりする場所と食事に、辛うじてお駄賃くらいでしたけどね。でも、それでも十分ありがたかったです」


――どのようなお仕事ですか?


「様々な地域でお世話になったのでそれはもう色々です。草刈り、荷運び、蔵の整理、繁忙期の農家の手伝い、接客業もやりました」


――その頃はどのような心境でしたか?


「毎日楽しくてしょうがなかったです。どこに行っても良くしてもらえましたしね」


――場数を踏んだことで、最初の不審者然とした立ち振る舞いも改善されたのかもしれませんね。


「そうですね。この頃辺りからは何をしても楽しくて常にニコニコしていました」


――かつてDVに至った時のような暴力衝動は消えました?


「正直最初はありました。旅をしていて嫌なことがあった時、人に悪様に強く当たられた時、無知ゆえに大きな失敗をしてしまった時。それらの時には無性に腹が立って、モノに当たることもありました。何かを蹴ったり、手元にある物を投げたりです。でも、一人旅なので、当たり散らしても結局自分に返ってくるし、何も状況は改善しません。そんな当然の気付きがあって、それから少しずつ改善していったように感じます。結局、DVって誰かに甘えたり、八つ当たりしているだけなんでしょうね。癇癪を起こすことで我を押し通したり、ストレスを他人にぶつけたりをしているだけなんです」


――その対象が居なかったから自然に収まったということですか?


「その言い方だとちょっと引っかかりますが、そういうことなのかもしれません。だからこそ、私は〝治った〟と明確に断言できないんでしょうね。本当の意味で治ったのではなく、ただ単に〝今はまだ〟な状態なだけです」


――旅先で誰か人に当たってしまうことは全く無かった?


「無かったです。昼にも話しましたが、DV加害者は基本的に八方美人なところがありますから。反撃をしてこない相手だと見定めるまでは暴力には至らないんじゃないですかね。基本的には短期の滞在でしたし、お世話になっている身でしたので。初期の頃を除いて怒ること自体が無かったです」


――なるほど。状況が衝動の改善に寄与したわけですね。


「そうですね。それから、もう一つ。やはり多くの方とのコミュニケーションの影響は大きかったと感じています」


――それがどう作用したか具体的な説明をお願いします。


「言葉で表すのは少し難しいですね。何と表現したものか……。つまりですね、私は様々な地域で、色々なバックグラウンドを持つ方と交流をしたんです。中には私と同じようにDVをした結果妻子に逃げられてしまった方もいましたし、息子さんとの関係が悪化して長年疎遠になってしまっている方もいました。他にも犯罪歴のある方や、仕事の腕一本で成り上がった富豪の方もいましたし、それはもう色々です。そういった方々から様々なお話を聞きました」


――ふむふむ?


「それでですね、少し語弊のある言い方かもしれませんが、それらは私にとってはある種の〝サンプル収集〟に近しい行為だったのかもしれません。そうして集めたサンプルを自身の内で分析することで、私自身を相対化して客観視することができるようになりました」


――物凄くざっくり言うと、『多様性を知ることで世界が広がった』とか『様々な視点からの意見を取り込むことで、違った視点で物事を俯瞰できるようになった』ということですか?


「そうですね。そのような感じだと思います。父への一定の理解が得られたのはこの頃だと思います。それから先ほども少し話しましたが、心持ちがのんびりと穏やかになった気がします」


――なるほど。では、その頃は離人症や不眠の症状は?


「お陰様で症状は全く出なくなっていました。毎日疲れてぐっすりでしたから。ネガティブなことを考える時間はありませんでした」


――それは何よりです。

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