第33話 旅の始まり

――七篠さん、あなた最低です。か弱い女子を山中に放置するなんて。これは事件です。遺棄事件です。しかも、私はお酒を飲んで酔っていて、下手をしたら死んでいます。もはや死体遺棄事件です。


「まだ未遂ですけどね。でも、そうですね。そういえば、松延さんは仕事中なのにお酒を飲んで酔っ払っているんでしたね」


――今その話はしていませんから。現在最も重要なのは七篠さんが事件を起こしかけたという事実だけです。


「いや、少し先で待っていたじゃないですか」


――遠すぎます。悪戯で済まされるのは見える範囲までですからね? カーブの先で、わざわざライトまで消して隠れるのは陰湿すぎます。挙げ句の果てに、私の泣く姿を肴にニヤつきながらお団子まで食べて。何ですか、そういう性癖の方ですか? 最低ですね。


「いや、反省してますって」


――嘘です。ニッコニコじゃないですか。今日一番の笑顔です。


「それより顔酷いですよ。ふふ」


――うるさいです。こっち見ないでください。それから酷いのは顔ではなく化粧です。それも七篠さんのせいですけどね。


「化粧落ちちゃいましたね。すっぴんの方が……」


――可愛いですか?


「いえ、幼いですね。小学生みたいです」


――それは小学生のように肌が若々しくて綺麗ということですね。どうもありがとうございます。でも、この顔じゃお酒買えません。


「ポジティブすぎませんか? あと、まだお酒飲むつもりですか?」


――……部屋に帰ってからにします。


「そうしてください」


――それじゃあ着いたら起こしてくださいね。


「眠たくなっちゃいました?」


――なっちゃいました。泣いたせいですかね。



「お酒のせいでは?」

――じゃあ寝ないように何か話してください。


「それなら、続きを話すのでマイクこっちに貸してください。後日呼び出されることが無いよう、この後のあらすじも全部記録に残しておきますから。後になって『酔いと眠気で覚えていなかったからもう一度話して』と言われたら怒りを抑えられそうにありませんからね」


――折角仲良くなったんですし、また会いましょう。


「いえ、結構です」


――けち。これっきりなんて寂しいです。


「はいはい。あ、ブランケットは要りますか?」


――いや、冗談ですから。本当に寝るつもりはありません。仕事ですし、助手席の人に寝られるのが嫌いな方も多いそうですし。


「まぁ、そういう方も少なくないですよね」


――七篠さんは違うんですか?


「子供の頃、父の車でウトウトすると父がやたら怒るんですよ。『俺は苦労しているのに、お前らだけ楽しやがって』みたいな。でも、運転してなかったら眠くなるのはしょうがないです。暇だし、緩やかな振動も眠気を誘うし。私は自分が我慢出来ないことは人にも強制したくないです。だから、眠くなったら寝ていいですよ」


――ありがとうございます。


「起きたら山道のど真ん中かもしれませんけどね」


――さっき本当に怖かったんですからね? 人気も何も無い山道に一人残される恐怖、七篠さんに分かりますか?


「分かります。似たような経験あるので」


――なのにやったんですか? 酷いです。


「はは。まぁまぁ、いいじゃないですか。何事も経験です。ほら、それよりもインタビュー」


――いずれ仕返しはしますからね?


「会うのは今日で最後です。その〝いずれ〟は永遠に訪れません」


――……コホン。それでは、インタビューを再開します。先程の生活についてです。通院しつつ、無味乾燥なバイト生活に明け暮れていたそうですが、その生活に何か変化が訪れたのはいつですか? またその変化はどのようなものでしたか?


「いつかというのは曖昧ですが、切っ掛けはありました」


――詳しくお願いします。


「ある日、珍しく全てのバイトが入っていない日がありました。この時期は常にぎちぎちに予定を入れていたので、何も無い日というのは久しぶりでした。ただ、だからといってやりたいこともありませんでした」


――断捨離したせいで部屋にベッドと冷蔵庫しか無いですもんね。


「はい。それで、どうしようかなと悩んだ末に、久しぶりに何か外食でもしようかと駅の方へ向かいました」


――分かります。気分転換は必要です。美味しい食べ物は心を豊かにしてくれます。


「でも、特に食べたい物も無かったんです。それで、どうしようかなどうしようかなと悩んだ末に電車に乗っていました」


――は? 何故突然そうなるのですか? それは何故ですか?


「分かりません。多分疲れていたんでしょうね。何も考えて無かったと思います。フラフラとよく分からないまま電車に乗りました」


――飛び込んだりしなくて良かったです。


「飛び込んだりしたら人に迷惑がかかるし、痛いじゃないですか」


――あのねぇ、七篠さん。あなたに自覚は無いかもしれませんが、七篠さんの行動には脈絡が無さすぎて怖いですよ。ある日、フッと消えてしまいそうな、そんな危うさがあります。


「……それはたまに言われていました」


――でしょうね。続きをお願いします。


「それで、下り電車に乗りました。特に何も考えてはいなかったのですが、多分空いているからとかそんな理由だと思います」


――どのくらい乗って、どこへ到着しましたか?


「二時間くらい乗っていたような気がします。気付いたらその路線の終点にいました。海沿いの駅です。雲一つ無く晴れ渡った快晴で、とても気持ちの良い日だったのを憶えています」


――そこで何をしましたか?


「特に変わったことはしていません。ブラブラと散歩をして、砂浜に寝転がって昼寝をして、近くの観光地に行ったくらいです。あぁ、その観光地には猫が沢山居て、数時間ほど猫の尻尾の付け根辺りをトントンしながらぼんやりともしていました」


――それだけですか?


「それから、小さな定食屋さんに入りました。平日の昼には早い時間だったためか、誰もいませんでした。それで、暇そうだったおばちゃんが話しかけてきました。『学生さん? 地元の子?』って」


――それに対して何と答えましたか?


「『はい、高校生です。創立記念日なので、隣県から来ました』と」


――何もかも嘘じゃないですか。


「ふふ、ですよね。でも、おばちゃんは『一人で来たの? 遠いのに◯◯にわざわざ来てくれてありがとうね。楽しんでいってね』っておかずをおまけしてくれて、フレンドリーに色々教えてくれて」


――嘘つき! 罪悪感は無かったのですか?


「いえ、全然。あったのは達成感というか、喜びというか」


――もう少し噛み砕いて説明してください。


「この頃は長いこと人とロクに会話をしていなかったんです。ですので、コミュニケーションに飢えていたんです。とにかく新鮮な気分でした。でも、何より嬉しかったのは私のことを知っている人が誰もいないということです」


――前者はともかく、後者に関しては良く分かりません。一人暮らしをしているなら、事実そのような状況なのでは?


「そう言われるとそうですね。違いは何でしょうね」


――家のそばだとバイトの過密シフトや、過去の怪しい仕事の記憶が蘇って気が休まらない?


「あぁ、そうかもしれませんね。私の心情に詳しいですね?」


――もう随分と長い付き合いですから。今の私は七篠さんのことなら何でも分かります。七篠検定二級は余裕です。


「まずその名前自体が偽名ですけどね、ふふ」


――ゴホンゴホン。話を戻します。つまり、七篠さんは新鮮な環境に喜びを感じたということですね。


「そういうことですね。今まで人生であまり感じたことないくらいの開放感を感じました。あの日の青空は一生忘れないと思います」


――なるほど。では、その日はそれからどうしました?


「夕方頃になって、『今日はもう帰らないとなぁ』って考えたら泣きそうになりました」


――本当は?


「駅裏の人が来ないベンチでボロボロ泣きました」


――いい大人が人気の無い場所で泣いているとか怖いです。


「そうですね。私も深夜に泣きながら山道を歩いている女性が居たら怖くて無視して帰るかもしれません」


――……。


「痛い。無言で叩かないでください。冗談ですから」


――続き。


「あ、はい。それで、暫くさめざめと泣いていたのですが、もう全部どうでも良くなっちゃって、近くのラブホテルに泊まりました」


――一人でラブホテルにですか?


「はい。入るときだけ少し恥ずかしいですが、結構快適でしたよ。観光地に近いからか食べ物も充実していましたし」


――なるほど。今度試してみます。


「ぜひぜひ。最近のラブホテルは設備やアメニティも充実していますし、プランも色々ありますしね。女子会や家族でお泊まりなんかも多いみたいですよ」


――へぇ、そうなんですか。詳しいですね。


「少しだけ清掃のバイトしていたことがあるので」


――ぐぐ。また面白そうな話を……。それはそれで気になるけど、まぁ今は良いです。ホテルでは何をして過ごしましたか?


「一日海沿いに居たので砂っぽさと磯臭さがあったので、シャワーを浴びてすぐに寝ました。大きいベッド独り占めで大の字で。それで、朝には始発で帰りました」


――え、それだけですか? これを機に不良街道まっしぐらかと。


「何ですか、不良街道って。そんなことしませんよ。バイトとはいえ賃金をいただいている以上責任はありますし、そう簡単にライフスタイルは変えられませんから。まぁでもこれが人生の転機になったのは間違いないです」


――どの辺りがですか? 私には生活に疲れた七篠さんが、死に場所を求めてうろちょろとした話にしか思えませんでしたが。


「全然違いますよ。何というか、とにかくすごかったんです。電車での移動も、雲ひとつない青空も、誰もいない砂浜も、親切なおばちゃんも、観光地の猫たちも、何もかもが輝いて見えました。どこまでもシームレスな世界と、その膨大な情報量に押し潰されそうになったんです」


――なるほど? 有り体に言うと、『世界は広い。この広い世界に比べたら、俺なんかの悩みはちっぽけなもんだったぜ』みたいな?


「人の感動を手垢の付いた言葉で矮小化するのはやめてください」


――でも、そういうことですよね?


「……まぁ大体そんな感じですけど。ただ少し違うのは、悩みが吹っ飛んだのとは少し違うということです。それよりも、単純に『もっと綺麗なものを見たい』『遠くに行きたい』『誰も自分の事を知らない場所で生活したい』みたいな側面が大きかった気がします」


――なるほど。前者二つについては私にも理解できます。しかし、先ほども話に出ましたが、最後のだけはどうにも理解できません。ある程度の〝やり直し願望〟というのでしょうか。あの時ああしていれば、こうしていれば。そういった感情は勿論私にも存在します。しかし、未知の場所での生活も、続けていればそれは必ず既知になります。結局、それはほんの一時だけの逃避に過ぎないのでは?


「そうかもしれませんね」


――……それだけですか?


「え、何かあります?」


――いや、反論とかはないのかなと。


「特にありません。所詮、生き方のスタイルの違いですから」


――うぅん?


「例えばの話ですが、一年間資格の勉強をしたとします」


――ふむふむ。


「で、落ちました」


――え? 落ちちゃうんですか?


「落ちちゃうんです。それで、何とか次回も挑戦するかもしれません。その時、松延さんは以前使っていた参考書類はどうしますか?」


――? 普通に使いますけど?


「同じテキストを?」


――はい。


「ノートは?」


――勿論そのまま続きから。以前の受験時の情報や書き込みもありますし、自分用にカスタマイズされている物品ですから使い易いはずです。七篠さんは違うんですか?


「私なら使いません。落ちた際の嫌な思い出が蘇りますから。テキストもノートも新しくしますし、もしかしたらその資格試験自体を暫くの期間避けるようになるかもしれません」


――それは勿体無いのでは?


「そうですね。でも、そうしなければ進めないですから」


――そうなのですか?


「はい。論理的でないのは分かっています。それでも、どうしても駄目なんです。これは完全に気分的な問題です。頭では分かっているけれども、感情の部分で許容できないというか」


――……。


「可能なのであれば、松延さんの考え方が一番だと思います。過去の事を反省、改善して、しっかり未来を見据えた上で今できることを一生懸命にやる。それが一番です。ただ、どうしても実行に移せない時もありますし、性格的に無理な方もいます。そういった際には、思い切って環境を変えるのも一つの手であると思います」


――なるほど。

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