第32話 オキシトシなんとか
「松延さん、着きましたよ。ここで良いですか? ほら、月見えますよ。好きなだけ見てきてください。私は車内に居ますから」
――さては私のことを置いて帰る気ですね?
「そのつもりなら既にやってます。いいから早く見てきてください」
――えー、一緒にお月見しましょうよう。ほら、お団子ちゃんも持って行きますよ。
「……少しだけですからね。それと、暗いので足元気をつけてくださいね。あなたはお酒も入っているんですし」
――夜目は利く方なので大丈……いたっ。
「言っているそばから。ほら、手を貸して。捕まえていますから」
――ありがとうございます。でも、もう少しロマンティックな感じでお願いします。このような駄々を捏ねる子供を引っ張るような掴み方はちょっと。
「松延さんの言葉通りの状況ですので、これで間違いないですね」
――やれやれ、女性の扱いがなってないですね。
「さて、もう満足しましたか? そろそろ帰ります?」
――もう、まだ来たばかりですじゃないですか。そんな意地悪言っていないで、ここに座ってください。七篠さんのために取っておいた一番良い席ですよ。ささ、どうぞどうぞ。
「それはどうも。態々すみませんねぇ」
――どういたしまして。
「……はぁ」
――ふふ。
「……」
――……ねぇ、七篠さん。さっきのこと聞いてもいいですか?
「さっきのこととは?」
――分かっていて聞いていますよね? お店を出る直前のことです。
「……」
――あの時、何を考えていたかを教えてくれませんか?
「別に大したことではありません」
――それでも知りたいんです。
「……分かりました。それでは、その前に逆に幾つかこちらからお聞きしたいことがあります」
――それが話に関係あることなら、どうぞ何でも聞いてください。
「今日の取材について、松延さんの依頼主の方はご存知ですか?」
――いえ。私フリーランスですので。仕事の受注や進捗報告、成果物の提出以外で連絡を取ることは滅多にありません。
「なるほど。では、ご家族の方は?」
――既にお話したかもしれませんが、実家は他県ですので、あまり頻繁に連絡は取っていないです。月に二回程度でしょうか。
「つまり、一人暮らしですね?」
――丸々とした可愛らしいハムスターがいます。名前は大福です。
「そうですか」
――ちょっと、大福のことは無視ですか?
「現在お付き合いしているパートナーの方は?」
――それも何か関係があるのですか? まぁ、残念ながら居ませんけど。というか、居たらこんな時間まで異性と二人っきりで飲み歩いていませんし。
「飲んでいるのは松延さんだけです。ですが、そうですか。大体分かりました。それでは最後の質問です。今、外部への連絡手段は持っていますか? 持っている場合、電波は通じていますか?」
――……七篠さんの車の中ですが。あの……、質問の意図をお尋ねしても? それと、ちょっと目が怖いですよ。
「よく分かりました。つまり、あなたの今日の行動は誰も把握しておらず、頻繁に連絡を取り合うような者も居ないということですね。その上で、現在人気の無い場所に居て、さらには外部への連絡もすぐには出来ないと」
――……。
「つまり、松延さんに何かあっても直ぐには発覚しないと言うわけですね」
――何かとは?
「今から松延さんに酷いことをします。安易に見知らぬ他人に気を許したことを後悔することになります」
――大声を出しますよ。
「どうぞ。誰か助けに来てくれると良いですね」
――インタビューの記録が残っていますが?
「あぁそうでしたね。肝心なことを忘れていました。教えてくれてありがとうございます。消すだけじゃ不安なので埋めておきますね」
――そこに私も一緒に埋めるおつもりですか?
「そんな酷いことするわけないじゃないですか。私がするのは、松延さんの心にトラウマを植え付けることくらいです」
――十分酷いのでは?
「分かってください。必要なことなんです」
――意味がわかりません。その場から動かないでください。
「え、何です?」
――動かないでくださいと言いました。離れて。
「まぁまぁ。月見でもしていてください。その為に来たのでしょう?」
――痛いです、放してください。離れて。いやっ、何故こんなことをするんですか?
「松延さんが知りたいと言ったんじゃないですか」
――え?
「全て終わったら、その時には先程の松延さんの言葉を引用させていただきますね。何でしたっけ、『過去のことはどうやっても変えられない。それより、未来をどうやって良くしていくかを考えましょう』でしたっけ? それを言われた時の気持ちを聞かせてください。それこそが松延さんの知りたかった答えです」
――……。
「……」
――……。
「……という感じでどうでしょうか?」
――七篠さんの演技が下手すぎて笑いそうになりました。なんですか、『酷いことをします』って。
「いや、松延さんこそ下手すぎてドン引きです。なんですか、『放して』って。掴んでもいないし、何なら近づいてもないのにそんなこと言うから、こっちまで下手くそな演技に引っ張られました」
――人のせいにするの止めてもらえます? そもそも七篠さんが急に下手くそな寸劇始めるのが悪いんじゃないですか。そんな周りくどいことしなくても、普通に説明してもらえれば分かりますから。
「いや、分からなかったから、親友の方を落ち込ませてしまったんでしょう?」
――……はい。
「いや、すみません。言いすぎました。まぁどっちもどっちってことで。それで、何か分かりました?」
――世の中には〝誰が言うか〟が大事な言葉ってあるんだなって気付きました。
「そうですね。そういうことです」
――他にもそういった言葉はありますか?
「そうですね……例えばですが、〝お客様は神様です〟のフレーズ。本来は商売人の方が感謝の意味を込めてお得意様に掛ける言葉なのに、最近では勘違いしたクレーマーの常套句になっていますよね。ちなみに、ウチの父も良く言っていました」
――そうなのですか?
「はい。あらゆる場所で、ゴネることで値引きやサービスの上乗せを要求していました。難癖を付けてタダにさせようとしたり。そして、それを得意げに、さも物申してやったみたいに吹聴するんです。『お前じゃ話にならない。上の者を出せ』『誠意を見せろ』なんてフレーズ、リアルじゃ中々聞けません。一緒に居るのが恥ずかしくて仕方なかったです」
――店員さんに横柄な人物は嫌いです。
「私もです。でも、世の中にはそういう振る舞いをカッコいいと本気で思っている層が存在するんですよ」
――そういうものですか。
「はい。あまり関わり合いになりたくはないですよね」
――ですね。
「まぁそんな感じで、誰が発するかが重要な言葉は沢山あるんです」
――〝子供のしたことですから〟とかも?
「そうですね。それは〝被害者が〟許すための言葉であって、加害者側が言っていい言葉ではありません。似たモノだと、〝困った時はお互い様〟ですね。この言葉を盾に何かを強請るような小狡い輩とは関わらない方が良いです。どちらもウチの父方の親戚の話です」
――実体験が多いですね。
「そういう輩が多用しますからね。どこかにテンプレートでもあるのかってくらいに良く使ってきますから」
――あ、そうだ。じゃあもう一つ……。
「ストップです。そろそろ話が逸れつつあります」
――あ、はい。そうでした。えーと、つまり……〝過去のことはどうやっても変えられない。それなら未来をどう良くしていくかを考えよう〟というのは、あまり相応しくない言葉だったのですね。
「相応しくないというと、少し語弊があるかもしれません。ですが、言われた方によっては落ち込んでしまうかもしれません。それは本来は被害者が自分を奮起させるための言葉ですから」
――先程の下手くそな寸劇はそれを教えようとしていたのですね。
「下手くそは余計ですが、まぁそうです。財布を失くして落ち込んでいる友人に、『落ち込んだって財布は返ってこないよ。それより、お金稼いでまた買えばいいじゃん?』って言うようなものですから。正論ではあるんです。確かに正しい。でも、正しいから気持ちが和らぐってものではないんです。何でもそうです。盗難に遭った。暴力を振われた。事故に遭った。身内が亡くなった。何でもです」
――それで傷付いて落ち込んでしまったのですね。
「きっと励まそうとしたのは分かってくれていますよ。松延さんの心から慮っての発言であることも分かってくれているはずです。ただ、今は受け入れる余裕がないのでしょう」
――そうなのでしょうか。
「そうなんじゃないですか? 多分ですけど。私もそうでしたから。若い頃は似たようなことを言われる度に『何も知らないくせに適当な慰めをかけやがって』とか、『そんな簡単に忘れられないから苦労しているのに』なんて落ち込んだものです。結局誰も自分のことを分かってくれないのだと。所詮他人事なんだろうと」
――今は?
「過去の出来事に自分の中で折り合いが付けば、自ずと気付きますから。『あの時の言葉は正しかったんだ』って」
――そういうものですか?
「まぁ克服しても、それでも思い悩むことはありますけどね。一生折り合いが付かないこともあるかもしれませんし」
――その場合には一体どうすれば? 私に出来ることはありませんか? 何と声を掛ければいいのでしょうか?
「別に何も言わなくていいと思いますよ。どうせ何言っても的外れですから。結局、人は他人の気持ちなんて真に理解することは出来ないんです。所詮他人ですし」
――そんな投げやりな……。
「事実ですから。でも、一緒に居てあげることは出来ますよね? 寄り添って話を聴いてあげてください」
――それだけですか?
「それだけです。でも、それでいいんです。それが良いんですよ。それが何よりも得難いモノなんですけどね。困った時に側にいてくれて、話を聴いてくれる存在。それ以上に大事なモノなんて世の中には存在しません。辛い時には手を握ってもらったり、ハグをしてもらうだけでも辛さは和らぐと言いますし」
――幸せホルモンってやつですね。オキシトシなんとか。
「そこまで言ったのなら最後まで言い切ってください。オキシトシンです」
――分かりました。もう少し彼女と話してみて、それから思いっきりハグして側に居ることにします。
「そうしてあげてください」
――はい。……そうだ。折角ですし七篠さんもいかがですか? 今なら特別に無料でハグしてあげます。オキシトシなんとかのお裾分けです。
「いえ、結構です」
――そんなに照れなくてもいいのに。
「……松延さん、酔って陽気になっているのかもしれませんが、そういうの本当に良くないですよ。さっきのは演技だったから良かったものの、もし私が本気だったらどうするつもりですか? 初対面の男とサシで飲みに行って、車という密室に自ら飛び込んで、挙げ句の果てに人気のないところに自ら誘導するなんて。無防備で隙だらけにも程があります。ハッキリ言って私の大嫌いなタイプです」
――私だって別に誰彼構わずこうするわけでは……。
「それより、もういいでしょう? そろそろ行きませんか?」
――後になってお願いしてきても知りませんからね?
「そんな状況は絶対にありえませんので大丈夫です」
――命賭けますか?
「はいはい、賭けます賭けました。さぁ行きますよ。ほら、立って」
――おんぶしてください。
「……」
――早く。
「……」
――ちょっと、なんで車に乗ってるんですか? ねぇ、ちょっと。え、待って待って。冗談ですよね? ね?
「それじゃ、気をつけて帰ってくださいね」
――え、本当に行っちゃうんですか? え、ほんと? え、え? 嘘でしょ……。ばかーー!
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