第28話 メンタルクリニックは意外と怖くない

――では、再開致します。……できれば少しだけ〝巻き〟でお願いします。閉店まであと一時間を切っていますので。


「もし終わらなかった場合にはどうなりますか?」


――別日でも良いのですが、先が気になって眠れそうにないです。なんとしても本日中にインタビューを終えたいです。最悪の場合、今夜は帰しませんからね。


「女性の口からそのような熱烈な言葉を聞いたのは初めてです」


――そうですか。私のような美女に言われたら、それはさぞ嬉しいことでしょう。良い思い出になりましたね。さぁ対価として大いに口を滑らせてください。


「そのパフェの天辺のつるつる大学芋をいただければ、さらに口の滑りが良くなって何でも喋ってしまうかもしれません」


――は? 三つしかないものの一つを持っていくおつもりですか? それはいくら何でも強欲が過ぎますよ。


「松延さん、時間は有限なんですよ? いいんですか、こんなことで言い争っていて。私は一向に構いませんがね」


――チッ、分かりましたよ。渡せばいいんですね、渡せば。はい、どうぞ。


「あぁ、これはありがとうございま……」


――なんて言うと思いましたか? あまおう、もーらい。


「……松延さん、あなたその歳になって、やっていいことと悪いことの区別も付かないんですか? 『もーらい』って……。あーぁ、もう今日はやる気無くなっちゃったなぁ。帰ろうかなぁ?」


――それは、ちょっと大人気無さ過ぎませんか?


「それ、あなたが言いますか?」


――紫芋はちゃんとあげますから。


「いくつですか?」


――一つに決まっています。


「一つだけ、ね。それがあなたの誠意って訳ですか」


――ぐっ。二……一個半です。それ以上はこちらも譲れません。


「仕方ありませんね。それで妥協しましょう。ですが、あまおうの恨みは忘れませんからね?」


――それは昼間の黄金芋けんぴで相殺されるはずです。


「……どこで買ったか後で教えてください」


――インタビュー終了時にお教えします。


「良いでしょう」


――それでは、今度こそ始めますね。それでは……続きの病院へ通うところからお願いします。


「はい。……確か、最初に通ったのは近所の小さなメンタルクリニックでした。通うと決めてから一ヶ月ほど経ってからの話です」


――何故すぐに行かなかったのですか?


「バイトのシフトの関係で少し忙しかったので」


――本当は?


「ちょっと緊張してしまって、つい」


――はぁ。


「そんなに呆れた顔をしないでください。誰だって最初は心細いものなんです。それに、数年付き合っていた彼女にフラれた直後で落ち込んでもいたんです」


――その図体で、ですか?


「いや図体って。見た目は関係無いでしょう」


――まぁそうですけど。


「ほら、あんまり茶々を入れるといつまで経っても終わりませんよ」


――そうでした。続きを。


「一ヶ月後に、こんな図体ではありますが、恐る恐る近くのメンタルクリニックを訪れました。予約は特にしていなかったのですが、快く受け入れてくれました。こんな図体ですけどね」


――……どのような先生でしたか?


「優しそうなおばちゃん先生でした」


――診察はどのような感じでしたか?


「私の離人症の症状、この時点では病名なんて知りませんでしたけどね、を辿々しくもなんとか伝えました。我ながらあまりにも胡散臭くて、それこそ創作物めいた妙な話でしたので、信じてもらえるかどうかが不安でした」


――自身を後ろから眺めているようだと仰っていましたね。


「はい。もう少し分かりやすく例えるなら、そうですね……松延さんはゲームとかやります?」


――大好きです。


「FPSゲームとかやります? ファーストパーソンシューティング、いわゆる一人称視点のゲーム」


――やります。離人症とはそのような感じだと?


「そうです。それこそ、FPSゲームをやるように自分を操作している感じといいますか。それで、外界と自身を隔てるような何か薄い膜のようなモノが存在している……ように感じるんです。水中から外の物事を眺めているような。現実感も全く無くて、自分の体なのにどこか他人事のように思えていました」


――話を聞いていると幽体離脱のようにも聞こえます。


「あぁ、そうですそうです。そんな感じです」


――その状態の時には七篠さん自身のことは見えているのですか? 七篠さん自身の後頭部とか。


「それは意識したこと無かったです。でも、そうですよね。私の場合、左斜め後ろから自身を見ている意識はあったので、頭が見えているはずですよね。そのはずなんですけど、今となっては思い出せません。もしいつかまた症状が出たら確認してみますね」


――いえ、今後症状が出ないことを祈っています。


「はは、そうですね。その方が助かります」


――先生は七篠さんの症状に心当たりがありそうでしたか?


「はい。割とすぐに特定に至ったようでした。それで、その確信を補強するかのように、徐々に外堀を埋めていくかのような幾つかの質問をされたのを覚えています」


――その後は?


「原因に心当たりはあるかと質問をされました」


――何と返しましたか?


「少し変わった仕事をしているが故の特有のストレスや、将来に対する不安、それからDVをしたこと、またDVが日常的に行われていた家庭で育ったことを伝えました。先生はとにかく話し上手でした。するすると情報が引き出されていくのを感じました。気付いたら三時間くらい経っていました」


――予約無しで突然訪れたのに?


「はい、いい迷惑ですよね。それで、三時間経つ頃にはもうボロボロに泣いていました。先生がじゃなく、私がですよ?」


――それは言われなくても分かっていますから。そもそも七篠さん注射にすらビビる泣き虫さんじゃないですか。


「その認識は引っかかりますね。まぁいいですけど」


――それより、何が七篠さんの琴線に触れたのですか?


「ハッキリとは覚えていはいないのですが、先生が症状とは全く関係なさそうな質問をしてきたと思ったら、やたらそれを掘り下げてくるんです。すると、そこから自身の意外な本音に気付かされるというか。それで、『あぁそうだったんだなぁ』と様々なことが腑に落ちた気がしました」


――詳しくお願いします。


「それが詳細を覚えていないんです」


――恥ずかしがらなくても大丈夫ですよ?


「いや、本当に。もう感情がぐちゃぐちゃで嗚咽まみれでしたから」


――そんなにですか?


「はい。もう二十歳超えていましたし、家族のことは過去の出来事だと割り切っていたつもりでした。ですが、やはりどこかで引っかかっていたのでしょうね。そのトゲを抜いてもらったような気分でした。少し気恥ずかしさはありましたが、どこか晴れやかな気持ちで帰れました」


――そうですか。


「一人で生きている気になっていたけど、まだまだ子供だなと実感しましたよ、はは」


――私は大学を出るまでは実家住みで学費も親持ちでした。ですので、私には偉そうなことは言えません。


「学費を出してもらったから子供だとか、そうじゃないから自立しているとか、そういうことではないと思いますよ。実際に私は今でも幼稚ですし、結構マザコンですし。その私に比べたら松延さんはずっと大人だと思います」


――お母様を大切になさることは良いことです。


「弟さんを大切にするのも良いことですよ?」


――それは駄目です。ヤツはすぐ調子に乗るので、半年に一度甘やかすくらいでちょうどいいんです。


「はは」

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