第27話 ひとすじの
――暫くはそんな状態が続きましたか?
「はい。バイトをしてお金を貯めて、彼女と口論になって手をあげて、離人症にも悩まされていました」
――症状は酷かったのですか?
「そうですね。この時が一番酷かったです。何もしないでいると様々な感情が去来します。彼女に対する罪悪感や後悔、過去の出来事に対する鬱屈とした想い、現状に対する不満、将来への不安。胃の辺りがモヤモヤして毎日苦しかったです。それらについて考え出すと、すぐにボーナスタイに入るので……はは、もうボーナスって呼び方は相応しくないので、離人症と言い換えますね。色々と考え出すと離人症に陥るし、夜もろくに眠れないしで、バイトにも身が入らなくなってきました。実際にバイト中にも症状が出ることが多くなってきていましたし」
――支障は出ましたか?
「普通に受け答えは出来ますが、どうしても作業効率は落ちます。どこか虚ろですし、注意も散漫です。ヒゲ監督に『やる気ねぇなら帰れ』って怒られたこともあります。それでも、『すみません気をつけます』って続けていたんですが、監督もさすがにどこかおかしいと思ったのか本当に帰されました。一人じゃ危ないからって、あの厳しいヒゲ監督が現場を抜けて車で送ってくれたくらいです」
――傍目から見ても危険な状態だったのですね。
「以前はたまにだった症状が、一日の大半を占めていたくらいなので。戻れなくなっていました。酷い時には、まるで時間が飛んでタイムスリップしたかのように感じたりすることもありました」
――それだけ支障が出ているにも関わらず、それでも病院には行かないのですね? 一体どうしたら行ってくれるのですか、七篠さん。
「現在の私ではなく、過去の私に言ってくださいよ。まぁでも、行きましたよ。この後」
――随分突然ですね。何か契機となる事件でもありましたか?
「ある日、母から荷物が届きました。中に手紙も入っていました」
――そういえば、一人暮らしを始めてから今までご家族の話は出てきていませんでしたね。
「それはそうです。『出ていく』とだけ告げて、住所も連絡先も伝えていませんでしたから。携帯は父にも知られていたので連絡先も変更しましたし」
――親不孝にも程があるのでは?
「……はい」
――ん? それではお母様はどうやって荷物を送ってこられたのでしょうか?
「今だに分かりません。万が一が無いように気をつけていたので無いとは思いますが、何らかの郵便物でバレてしまったのか。はたまた、彼女が高校時代の連絡網から母に連絡して伝えたのか。どうしてでしょうね」
――私は彼女さん説を推したいです。それで、お母様からの荷物と手紙の内容は?
「ありきたりなものでしたよ。インスタント食品やお菓子です。全国どこでも買えるような本当にありきたりなものでした」
――お手紙は?
「元気でやっているなら、連絡はしなくていいから好きなことをしなさいと。お金も同封されていました」
――どう思いましたか?
「二重の意味で馬鹿だなと」
――一つずつ説明をお願いします。
「まずは自身の最近の行いです。主に彼女へのDVに対して、そう思いました。母の背中を見て育って、過去にあれ程暴力を嫌悪していたはずなのに一体自分は何をしているんだと。今の行いを母が見たらどう思うかと酷い自己嫌悪に陥りました」
――なるほど。もう一つは?
「母に対してそう思いました。馬鹿だな、と」
――何故?
「だって、送ってきたものがコンビニでもスーパーでもどこでも買える食べ物ですよ? 送料を考えたら全く割りに合わないです。おまけに宅配物にお金を入れるなんて。一番やっちゃ駄目なやつです」
――それだけですか?
「…………それだけです」
――本当は嬉しかったんですよね?
「まぁ貧乏暮らしでしたから。貰って困るものではないです」
――素直じゃないですね。本当は嬉しくて『びえええ』って泣いたって正直に言ってもいいんですよ? 笑いませんから。
「……泣いてません」
――ふふ。でも、それが切っ掛けで病院に行ったわけですね?
「まぁ、はい。このままでは駄目だなと」
――そのことを彼女さんに伝えましたか?
「はい。それから、進学の件や結婚についても全て伝えました。将来に関しては分からないけど、少なくとも今はどうしても結婚のことは考えられないということも」
――反応は?
「『それは流石に待てそうにはないから別れよう。進学については応援しているから頑張ってね』と」
――そうですか。残念な結果ですが、ライフスタイルに関するスタンスの違いはどうしようもありませんしね。ところで、七篠君は彼女さんに今までのお礼をちゃんと伝えましたか?
「あなたは私の母か何かですか? まぁ勿論ちゃんと伝えましたけどね。今までずっと迷惑を掛けたことへの謝罪と感謝を」
――そうですか。悔いなく綺麗に終われたのならそれが一番です。
「いやいや、後悔だらけに決まっているじゃないですか。話だけ聞いていると綺麗に聞こえるかもしれませんが、私が暴力を振るった事実まで消えるわけでもありませんから。実際に、別れ際の彼女はどこかホッとしているように見えました。私がクズで、彼女はそのクズから何とか上手く後腐れなく逃げおおせた。でも、その彼女は幾度となく暴力被害に遭ったわけですし、貴重な青春時代を浪費した……私が浪費させてしまったんです。何も綺麗な要素なんてありません」
――そうでしょうか?
「そうです」
――では、いずれどこかでお会いすることがあれば何か伝えたいことはありますか?
「いえ、ありません。会わないのが一番の恩返しですから。素敵な方でしたし、きっと今は幸せな人生を歩まれていることでしょう。そんな彼女の人生に、今更私が介入する余地なんて有ってはならないんです」
――そこまで卑下なさることはないのでは? 辛い思い出だけではなく、楽しい思い出もあったはずです。そうでなければ数年間も付き合わないはずです。
「向こうがそう感じてくれていたのなら嬉しいです。ですが、それは私が言ってはいけないことです。加害者である私が、そのように美化するのは間違っていると思います」
――……そうですか。分かりました。
「それでは続きを進めていきましょうか。……あれ、何か機材がチカチカ光っていますが、何だろう? バッテリー切れとかですかね? 大丈夫ですか?」
――あ、駄目です。一旦止めますね。休憩にしましょうか。
「分かりました。それじゃあ、その間、デザートでも食べながら待つことにしましょうか」
――七篠さん、あなた良い加減スイーツ食べ過ぎですよ。普段からそのような食生活をしているのですか? 流石に看過できませんよ。
「でたでた。またそうやって母親ぶる。いいじゃないですか別に。というか、松延さんだってさっきからチラチラとお酒のメニューを眺めてるのバレてますからね?」
――ちょっと視界に入っただけです。珍しいビールがあるのが気になっただけです。
「じゃあ要らないんですね? 私はパフェを注文しますが、松延さんはお酒は要りませんね? 本当にいいんですね?」
――…………仕方ありませんね。今日だけ特別ですよ? それじゃあ、私はこの地ビールと、紫芋のパフェをお願いします。
「は? お酒だけじゃなく、パフェも食べるんですか?」
――何ですか? 何か不満でも?
「……まぁ良いですけど」
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