第18話 貧すれば鈍するが学べば脱せる
――そう言えば、そもそも何故進学をしたかったのですか? 何か特別勉強したいことが?
「おぼろげにではありましたが」
――詳しくお願いします。
「はい。当時は法律や経済、経営辺りを勉強したかったんです。そもももの発端は高校生の頃の出来事です。ある日、職員室前に地味な表紙の冊子がひっそりと置かれているのを発見しました」
――それは?
「補助金や助成金のハンドブックでした。驚きましたよ。世の中にはこんなにも様々なサポートが存在するんだと。それで、それからは意識して世の中を見るようになったのですが、どうやら日本には実に様々なセーフティネットやサポートが存在しているらしいと気付きました。経済的に困窮している世帯への補助から、結婚、育児、新居購入、リフォーム、病気、介護。人生の節目で役立つ様々なサポートがありました」
――それを知ってどう思いましたか?
「もっと早く知りたかったです。それらがあれば子供時代にもう少し楽に過ごせたのかなって。知ってさえいればなと。そして、世の中にはそういった〝知ってさえいれば〟が沢山あります。先のバイト先でのやりとりなんかも、労働基準法や労働規則等を知ってさえいれば何も難しいことはありません。でも、知らなければ泣き寝入りしていたかもしれません。それが勉強したいと思った動機です。生きるためには何らかの武器が必要です。人によって外見の良さだったり、頭脳だったり、身体的な能力だったり様々だと思いますが」
――七篠さんにとってのそれが法律であり、知識であったと?
「はい。才能や生まれついての適正に左右されないのが何より素晴らしいです。これだ、と思いました」
――天啓を得たと。
「まぁそんな感じです。大袈裟にいうと、『人生の攻略法を見つけたぜ』と思いました、ふふ」
――なんですかそれ、急に胡散臭くなりましたね。どうして、そのように思われたのですか?
「例えば、ゲームや勉強、人生でも何でも良いのですが、効率よく最短で物事を突き詰めようと思ったら何が必要かを考えたんです」
――それで?
「必要なのはルールやシステムを理解することです。それが最大効率の最短ルートなんです。それで、現代日本で最も優先されるルールとは何かと言えば、それは勿論、法律であり経済です。なら、人生設計を円滑に進めるためにもそれらを学ぼうと」
――なるほど。
「まぁ、大抵それらは難解で、細かい文字でびっしり書かれていたり、人目には触れ辛い場所に記してあったりするものですけどね」
――それはあまりにも不親切なのでは?
「かもしれませんね。でも、それは説明書を読まない方が悪いんです。世間に公開されていて、有利なサポートが貰えることは明らかなんですよ。得をしたければ読めばいいだけなんです。時間さえかければ誰にでも読めるし、教えてくれる方もいるんですから。今の時代ならインターネットもありますし」
――私はそうは思いません。困っている方は困っているが故に余裕が無く、視野が狭くなりがちです。それならば、余裕のある誰かが手を差し伸べるべきなのでは?
「そうですね。それが理想です。そういう社会であって欲しい。ですが、現実的には難しいです。リソースは有限ですから。それならば……、誰かが助けてくれるのを待つくらいなら、既にあるシステムを駆使して自分で努力する方が建設的だとは思いませんか?」
――ですから、それが難しいという話をしているんです。
「そんなことはありません。我々は既に説明書の在処を教えられていますし、その読み方も知っています。そのための義務教育です」
――つまり、誰にでも最低限のサポートは与えられていると?
「そうです。ですが、私は活かせませんでした。その価値に気付けませんでした。努力も足りませんでした。私の親もそうです。それについては、時代間の教育格差もありますし、しょうがない面も多少はあるかもしれませんけどね。とはいえ、知る機会はあったはずです。会社でも、役所でも、テレビでも知れたでしょう。政治や選挙でも日々目にするはずです。機会はあるんです。いつだって、どこにだって転がっています。気付けないのは無関心だからです。〝見〟ているのに〝視〟えていないんです。だから、私達は勉強し続けなければなりません。自身の視野を広げ、さらにその視界内の解像度を高めるためにも」
――七篠さんの仰りたいことは分かりました。ですが、言葉では上手く言い表せませんが、それは何か危険な気がします。
「例えば?」
――知識の悪用を招きます。それに、知識の独占や格差拡大に繋がるのではないかと。
「そうですね。そういうことも起こるでしょう。ですが、格差の何が問題なのですか」
――問題に決まっています。実際にこんな事例も……。
「では、松延さんは個々人の努力の結果を軽んじ……」
――それは飛躍しすぎです。むしろ……。
「いやいや、それは……」
――つまり、……。
「……」
――。
「松延さん、何か言いたいことはありますか?」
――私だけが悪いわけじゃありませんし?
「インタビュアーが内容と時間を調整しなくてどうするんですか? ムキになって討論してちゃ駄目でしょう。反省してください」
――……すみませんでした。
「インタビューはどうしますか? もう夕方ですし、また後日にしておきますか?」
――それだと熱が冷めてしまいそうです。やっと七篠さんがここまで心を開いてくれたのに。
「は? いえ、別に開いていませんが? 勘違いも甚だしいですよ」
――この後は何かご予定が?
「あります」
――詳しくお聞きしても大丈夫ですか?
「ジムに行きます」
――明日のご予定は?
「キンキンに冷えたコーラで一杯やりながら読書をします」
――つまり、この後も明日も何も用事は無いということですね?
「話を聞いていましたか?」
――一日ジムをサボるくらい良いじゃないですか、減るもんじゃあリませんよね?
「減るに決まっているじゃないですか。筋肉が減ります」
――インタビューも兼ねて食事をご一緒しましょう。何が食べたいですか? 経費で落とせるのでご馳走しちゃいます。
――「あなたフリーランスですよね? なら経費で落とせるって言ったって、結局は自分で払うってことですよね? 経費は魔法のカードや何かではないですよ」
――分かってますぅー。ちょっとカッコ付けたかったんですぅー。それより、ね? 行きましょう行きましょう。
「行きませんってば。インタビュー内で言いましたよね? 人と食事をするのは嫌いです。食事くらい自由にさせてください」
――あっ、そうでした。それは……すみません。不注意でした。分かりました。そういうことでしたら、また後日でお願い致します。次回のスケジュールは追って連絡させていただきますので。
「……」
――……。
「…………」
――あの……何か?
「そんな顔をされたら私が悪いみたいじゃないですか。分かりましたよ。あまり長居はしたくはないですが、ここで中途半端に終わるのも気持ち悪いですからね。少しだけですからね」
――ありがとうございます。七篠さんはツンデレさんですね。
「余計な事言ってないで早くしてください」
――分かりました。すぐに撤収準備を致しますので少々お待ちください。ところで、何か食べたいものはありますか?
「あま……」
――甘いもの以外でお願いしますね?
「……何でも良いです」
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