第17話 建設業のススメ

――そういえば、そのバイト先とのいざこざの時期の彼女さんとの関係は?


「順調でしたよ。頻繁には会っていませんでしたけどね、彼女は学業と部活、バイトで忙しそうでしたから。それと、店長とトラブルの起きている間は絶対に近づかないように伝えておきましたので」


――そうですか。彼女さんはそれに関して何と言っていましたか?


「『関わるの止めなよ。危ないよ』と常に反対していました」


――私でもそう言うと思います。何故そうしなかったのですか?


「先程も言いましたがお金に困っていたからです。それと、折角自由になったのに、その自由を脅かされるのは嫌でした。もう卑屈にはなりたくなかったんです。誰かの顔色を窺って生きる惨めさはもう御免です。それだけは許容しがたかったです」


――なるほど、そういう事情でしたか。それでは、次に引っ越し後についてお願いします。


「分かりました。引っ越し先は三駅ほど先です。今度は駅から離れていて、普通のアパートです。家賃も安いです」


――前回の経験が活きたわけですね。


「勿論です。経験は人を成長させるのです」


――〝賢者は歴史に学び、愚者は経験から学ぶ〟という言葉をご存知ですか?


「……耳が痛いです。振り返ってみると、私の人生は常に行き当たりばったりですね。そこは反省しなければと考えています」


――ふふ、もう少し頑張りましょう。それでは、新生活についてお聞きしていきます。まず引越しによって状況は何か改善しましたか?


「家賃が安くなったことで生活には余裕ができました。やっぱり固定費が減ると楽になります。でも、学費に関しては進捗ゼロでした」


――お仕事は?


「相変わらずバイト生活です。本が好きなので本屋さんでバイトを始めました。フランチャイズの大型店で、シフトは朝夕深夜と様々でしたが、私の場合は夜が多かったです。深夜は時給も高いし、ひっそりしていて落ち着くので好きでした。社割も有難かったです」


――その書店員の収入だけで生活していけましたか?


「生活だけなら、まぁ贅沢しなければ。ただ、将来のために学費も稼がなければなので掛け持ちで別のバイトもやっていました」


――具体的な仕事内容は?


「最初は配水管敷設工事が多かったですね。道路を掘り返して、管を新しくして、また埋めるみたいな。何度か参加していたら、そのツテで他の建設作業に声を掛けてもらえることもありました。家を建てる際の足場設置や、外壁塗装とかです」


――確かご実家の家業は建設業では?


「はい。でも、父が嫌なだけで建設業自体は結構好きです」


――どの辺りが気に入っていました?


「単純に楽しかったからです。一生の仕事とするのであれば話は違ってくるのかもしれませんけどね。建物に設置された足場はアスレチックのようでワクワクしますし、外壁塗装は広大なキャンバスのようでした。汚れを落として、補修をして、何度も下塗りをして、外観を整えるというのは爽快ですらありました。それだけの巨大な立体物ですが、しかし職人の方達は空からでもないと見えないような屋根や、地べたに這いつくばらないと見えないような隙間、『絶対に誰も見ないよ、そんなところ』という場所まで完璧に仕事をこなすんです。そのプロフェッショナルな姿勢に感銘を受けました」


――なるほど。適性があったのかもしれませんね。


「仕事自体は楽しかったし、視野の広さはよく褒められてはいました。というのも、人の顔色を窺っていれば、次に何が必要か、どう動けば邪魔にならないか、どうサポートすれば喜ばれるかが手に取るように分かりましたから。とはいえ、適性があるとは言えませんね。むしろ無いと思います」


――それは何故?


「特に建設現場での話になるのですが、背が高いととにかく辛いんです。常に中腰を強いられるし、狭い場所での作業はどうしようもない場合もあります」


――なるほど、先程の高身長故のデメリットとはそういう意味合いも含んでいたのですね。


「ええ、良いことばかりではないです。高い場所に手が届かなくて困る方は脚立を使えばそれで済みますが、大柄な者にとって狭い場所はどうしようもないので。ですが、土木や建設業は楽しいです。社会貢献という意味でも非常に意義深い仕事です」


――そうですか。そういった業界は所謂3Kであるとみなされていますが、実際に体験した上で、その辺りについてどう思いましたか?


「世間的にはそう言いますよね」


――ということは?


「あくまでも私が働いていた会社の話ですので、全ての建設業に当てはまるものではないということを念頭に置いておいてくださいね」


――分かりました。


「私がお世話になった会社は、所謂〝ホワイト企業〟ってやつでした。朝早すぎると周囲に騒音が響くため作業が出来ませんし、夕方以降は暗くて無理です。ですので、必然的に労働時間は九時五時より長くなることはありませんでした。残業とは無縁です。加えて、十時と三時に休憩もありますし、昼には昼寝も出来ます。日に当たって体を動かせて、さらには昼寝やおやつタイムまでありました」


――意外ですね。


「でしょう? 一昔前のイメージを保ったまま未だに3Kだと思われがちですが、実際にはかなり働きやすい職場でした。もし、残業三昧のブラック企業で苦労している方がいたら、建設業という選択肢を勧めたいですね。残業無し、給料良し、健康的です」


――3Kはもはや古い?


「『キツい』『汚い』『危険』でしたっけ? 私は体力は無い方ですが、それでも困ったことはありませんね。まぁ慣れないうちは疲れはするでしょうが。危険に関しても、最近はかなり煩く注意されますから、それほど実感は無いです。とはいえ、想像力が貧困な方は危ないかもしれません」


――想像力……ですか?


「例えば、ガソリンを使用する危険な機材を使っているのに目を離したりだとか。少し楽をしたいがために横着をするだとか。そういった想像力の欠如や不注意は事故を招きます。逆に言えば、危険なモノや高出力の機材を使用しているという事実がしっかり頭に入っていれば、事故はそうそう起きません」


――それに関しては全てにおいて共通ですね。包丁然り、車然り。


「そうですね。似たようなものです。さて、最後の〝K〟『汚い』に関してですが、これは事実です。塗料を用いる塗装業なんかだと結構汚れます。でも、それだって作業着を脱いでシャワーを浴びれば終わりです。ビジネスマンが帰ったらスーツを脱ぐように、肉体労働者も家では作業着を脱ぎますから」


――なるほど。勉強になりました。


「再三になりますが、本当に会社によるとしか言えませんので、そこだけはくれぐれもご留意下さい。それから、ホワイトに感じたのは、私が責任の全く無い末端の構成員だったからかもしれませんしね。実際、現場監督や施工管理をする方は、私が帰った後に会社に戻って書類仕事をしていたそうですし」


――世知辛いです。ちなみに、それらのお仕事はどのくらいの頻度で参加していましたか?


「単発でたまに入ることもあれば、週単位月単位でお邪魔させていただくこともありました。断続的な参加が圧倒的に多かったですね。良くしてくれた社長さんは、『ウチで働け』って誘ってくれましたが、いまいち踏ん切りがつかず断っていました」


――進学という目標もありましたものね。


「そうですね」

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