第14話 糸が切れた凧
――結局、まーた甘いものを食べましたね。
「あの今川焼きは昼に購入済みのものなので見逃してください。というか、松延さんこそ美味しそうに頬張っていたじゃないですか」
――仕方なくです。七篠さんの健康のためを思って仕方なく引き取ってあげたのです。そもそも私は漉し餡派ですし。大福、どら焼き、あんぱん。全て漉し餡一択です。粒餡は主張が強すぎます。
「はぁー、でたでた。漉し餡派はいつもそうです。聞かれてもいないのに誰彼構わず漉し餡愛を押し付けて、隙あらば他宗排斥しようとする。主張が強いのは漉し餡派のあなた方ですよ。漉し餡派のそういうところ本当に良くないですよ。それに対して、粒餡派は懐が広いです。漉し餡も粒餡もどちらも受け入れる度量の広さがあります。汝、隣人を愛せよです」
――どちらもだなんて。それは所詮その程度の愛なのでは? それで果たして本当に好きだと言えるのでしょうか?
「は?…………すみませんが今日はもう帰らせていただきますね。このままでは冷静に話し合いができそうにありませんので」
――ちょっ、お待ちください。分かりました。分かりましたって。私が悪かったですから。機嫌を直してください。
「間違いを認めるのですね?」
――言いすぎたことに関しては謝罪致します。
「引っかかる言い方ですね」
――ここに秘蔵の黄金芋けんぴがあります。
「……まぁ良いでしょう。今回は私が譲歩します。私は、漉し餡派のように狭量ではないので」
――根に持ちますね。
「何か?」
――いえ、早速進めていきましょう。それでは、七篠さんの青年期についてお話をお願いします。今まで通り所々質問を挟ませていただきますが、基本的には自由に進めてください。大まかな目安としては、青年期の生活の様子とDV加害に至った経緯を中心にお願い致します。確か加害経験は十代後半から二十代前半とのことでしたので、その辺りも絡んできますよね?
「はい、そうなります」
――そこからどう対処したのかも併せてお願いします。
「分かりました。では、まず家を出た経緯から説明しますね」
――お願いします。では、こちら黄金芋けんぴと焙じ茶になりますす。ささ、どうぞどうぞ。ご査収ください。
「ありがとうございます。あ、香ばしくて美味しい」
――でしょう? ふふ。
「コホン……まず一人暮らしを始めた理由なのですが、学費を心配していたわけではありません」
――そうなのですか?
「はい。奨学金制度もありますし、貯金もありました。バイトをしながら進学して卒業後に返済する形でどうにかなったと思います」
――では、なぜ?
「進学の話をしただけで罵倒の嵐です。それに加えて、家業を継ぐために修行しろだの、宗教の本拠地で住み込みで学んでこいだの、無駄遣いする金があるなら少し親戚に送れだの、今まで育ててやったのに親孝行する気はないのかだの、それはもう色々言われました」
――それが原因で?
「いえ、それくらいのやり取りの応酬は今までいくらでもありましたから、それ自体は大して気にしていません。ただ……何といいますか、もう疲れてしまったんですよね。何をやっても罵倒され、成功したら神様と自分のおかげ、失敗したら嘲笑われ。さりとて何か助けてくれる訳でも無し。子供の頃に家を出ると決めてから十年以上耐えたわけですが、さらにもう四年かと。そう考えたらもう全てが嫌になってしまったんです」
――お母様やお姉様のことはどうお考えでしたか?
「……それについては耳が痛いです。子供の頃に散々守ってもらっておきながら、そして高校生活を存分に楽しんでおきながら、自分だけ出ていってしまった訳ですから。正直今でも罪悪感に押しつぶされそうです。ですが、当時はもう、このままここに居たら駄目になるとしか思えなかったんです」
――進学に未練はありませんでしたか?
「勿論ありました。ですが、どうしてもあと四年我慢できる自信がありませんでした。実際に、大学進学した姉に対する父の締め付けは厳しかったですしね」
――具体的には?
「バイト禁止、外食禁止、免許取得禁止、化粧染髪禁止、門限は八時とかですね。小学生でももう少しマシかもしれませんね」
――随分厳しいですね。七篠さんにも門限が?
「私は男だからとその辺りは緩かったです。その代わり、金銭を強く求められましたし、進学も認められていませんでした」
――なるほど。では、家を出る決心はどの段階で?
「受験シーズン前まで悩みに悩みましたが、ある日糸が切れたようにフッと何かが失われて、『あ、家を出よう』と」
――意外ですね。小学生の頃から家を出る決心をしていらしたので、もう少し計画的に行動したものかと。
「私は元々大雑把で短絡的な人間なんです。ただ我慢していただけで。ですが、両親の別居で父と距離ができたことで余裕ができ、さらに十分な貯金もあって気が大きくなっていたんでしょうね」
――それで卒業後に家を出たと?
「はい。すぐでした」
――部屋探しはスムーズにいきましたか?
「未成年であり、かつ保証人が居なかったので少し難航しましたが、何とかなりました」
――どのようなお部屋に決めたのですか?
「都内の駅近1K物件です。外観が格好良かったんです」
――それは家賃もお高いのでは?
「そうなんです。いやぁ、これは大失敗でした。今までの人生では廃屋のようなボロ家や、寂れたアパートにしか住んだことがなかったので、どうしてもオシャレな部屋に住んでみたかったんです。それで考え無しに契約しちゃいました」
――素敵なお部屋に住みたいというお気持ちは理解できます。それで、新居での一人暮らしは快適でしたか?
「控えめに言っても最高でしたね。何の不安も無く安心して眠れることのありがたみを強く実感しました。幸せだなぁって感じました」
――ホームシックになったり、寂しさを感じたりは?
「全く無かったです。誰にも何にも脅かされること無く、好きなことをして、好きな物を食べて、穏やかに生活する。これ以上の幸福はありません。恫喝も、暴力も、宗教も無縁の生活です。まさに我が世の春でした」
――そうですか、それは良かっ……。
「まぁそれも長くは続かないんですけどね」
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