第12話 グレるための金が無い
「……他に何か質問はありますか?」
――では、七篠さん以外のご家族についての変化もお願いします。
「私たち姉弟が楽になった一方で、母の状況には変化は無かったかと思います。病気のこともあって、むしろ酷くなったと言えるかもしれません。父の仕事の経理と、両方の家での家事も行っていたので単純に今までの倍の労働量ですし。勿論アパートの方では姉と私で家事の大部分を受け持っていました。ですので、単純な倍とは言えないかもしれませんが、それでも大変な苦労だったと思います。母には一生頭が上がりません」
――お姉様はどうでしたか?
「苛烈さに磨きがかかっていました。反抗期や受験のストレスもあったんだと思います。とにかくキツかったです。機嫌を損ねた時には、それこそ父のように喚いて物に当たり散らしましたし。ヒステリックで手が付けられなかったです、それから、年齢特有のものだと思うのですが、私に対しても当たりはキツかったです。不潔だ、汚い、臭いって罵倒されることも多かったです」
――身近な異性を嫌悪してしまうというのは思春期の女子には大いにありえることだと思います。
「松延さんもそうでしたか?」
――はい、私も弟の事を汚らわしく感じて避けていた時期があります。弟の入浴は私より後で洗濯もトイレも別が基本でした。慕ってくれていた弟に酷いことをしてしまいました。
「私は姉のことは好きでも嫌いでもなかったのですが、それでも結構ショックでした。弟さんは懐いていたのなら尚更ショックでしょうね」
――私の弟は生意気なので突き放すくらいでちょうど良いのです。
「ふふ、松延さんは中々辛辣ですね。そうだ、一つだけ補足を。私の語り口だと、姉がただヒステリックなだけの野蛮人みたいですが、勿論良いところもありました。面倒見は良いですし、母を良く労っていました。少し感情のコントロールが下手なだけだと思います」
――そうでしたか。同じ弟を持つ身として、それを聞けて少しホッとしました。私の弟は常日頃から『姉ちゃんはガサツで乱暴だ』と生意気にも私のことを馬鹿にしてきます。しかし、きっとそれでも本心では私のことを尊敬してくれているのでしょう。そうに違いありません。七篠さんのお陰で希望が持てました。
「……希望を持つのは自由です」
――なにか引っかかる言い方ですね。どういう意味ですか?
「松延さん。私は常々思っていたのですが、世に存在する〝姉〟という存在の多くは、弟のことを便利に使いすぎです。奴隷やパシリか何かと勘違いをしていませんか? 弟にだって人権はあります」
――それは初耳ですね。
「おっとりして、優しそうな松延さんも所詮は〝姉〟だったのですね。世の姉は遍く暴君です」
――それは言い過ぎです。女子の方が成長が早いので、その……少しだけ力加減が難しいだけなのです。
「弟さん、グレますよ」
――それは大丈夫です。私がぶん殴ってでも更生させます。
「ついに本性を表しましたね」
――コホン、話を本題に戻します。ところで、七篠さんは、成長過程においてグレたりはしなかったのですか?
「露骨に話を逸らしましたね。……まぁいいですけど。そうですね、特にグレるということはなかったです。中学くらいになると確かにグレている同級生も見かけました。無免許でバイクの運転をしたり、タバコを吸ったり、飲酒をしたり、ゲームセンターに入り浸ったり。それから、親や教師に反抗したりでしょうか」
――家庭環境が原因でグレるケースは多いと聞いています。
「私は全くなかったです。そもそもグレるためのお金もありませんでしたし。タバコにお酒に、ゲームセンター。何をするにもお金が必要です。そのお金はどこから出るのか。結局親のお金ですよね。親に反発するのに親のお金を使うなんて滑稽です。それとも新聞配達でもして、そのお金でグレているのですかね? どちらにせよ当時の私には金銭を浪費するなんて考えられませんでした。もし余裕があれば将来のために貯蓄です。一刻も早く家を出たかったので」
――なるほど。
「まぁ私には理解ができなかったというだけです。お金があっても辛いことはあるでしょうし、それ故に反抗していたのかもしれません。一まとめに滑稽だというのは暴論だったかもしれませんね」
――そうですね。そういうこともあるかと思います。
「ただ、やはりグレるというのはカッコ悪いというイメージが私の根底にありました。父が良く言っていたんですよ。昔はワルだったとか、走り屋だったとか。それをさも武勇伝のように語るんです。人様に迷惑を掛けておきながら何故そんなに自慢げにしているのかと子供心にも不思議でした。それよりは、真面目に働いて人に迷惑を掛けない方がよっぽど格好良いです」
――そうですね。私もそう思います。ところで、話は変わりますが、七篠さんはどのような学生生活を送られましたか?
「普通ですよ。特に変わったことはなかったです。中学には小学生の時のような体罰教師も居ませんでしたし、平穏無事に過ごせました。家事の手伝いもあって部活には所属していませんでしたが。部活はお金もかかるでしょうし、結果的にそれで良かったと思います」
――楽しく過ごせていたようでしたら何よりです。
「あまりにも普通すぎて特に語ることもないですね。あぁ、少し本題から逸れますが制服と給食。これはありがたかったです。隣の中学は弁当持参だったそうなので、もしそうだったら母の負担が増えていただろうと思うので給食でよかったです。制服も困窮家庭的には大変ありがたかったです。年頃ならオシャレをしたいという方も多いのでしょうが、懐に余裕の無い我が家としては大助かりです」
――最近では個性を尊重して、制服を廃止する学校も多いそうです。
「そういう意見が増えているということは時代が変わったのでしょうね。豊かになってファッションが自己表現の方法の一つとしての地位を確立したのでしょう」
――七篠さんは私服制度に反対ですか?
「もはや私には縁遠い話ですが、そうですね……ウチみたいな貧しい家庭の方は大変でしょうね。制服って、そもそも個性を消すことで経済格差を隠すためものですから。冠婚葬祭にも着られますし、これ以上コストパフォーマンスの良いモノはないです」
――そういう側面は確実にあるでしょうね。個性の議論についてはどう思われますか?
「正直あまり納得はいきませんね。先程の話を前提にすると、裕福で衣装持ちの家庭の子は個性豊かで、貧しく地味な服装の子は無個性になってしまいます。それはなんだかおかしいのでは? 金銭の多寡や、制服の有無で出たり消えたりするものを果たして個性と呼べるのでしょうか。同じものを着ても、同じような行動をしても、そこからさらに滲み出る個人を特定できる何か。それこそを個性と呼ぶのではないでしょうか」
――なるほど。
「まぁ私の場合は貧しかったので制服で良かったっていうだけなので、あまり真剣に受け止めないで下さい」
――いえ、非常に重要な話です。私などは学生時代に制服デートが出来なかったことを今でも夢に見る程に後悔しております。
「それ、女性の方は良く言われますよね。松延さんはモテそうですが、その機会は無かったのですか?」
――中高共に女子校でしたので。それと、当時は思春期ということもあり、弟を始め男性という存在に対して気後れしていましたので。
「気後れ……ですか?」
――何ですか?
「気後れというには弟さんに対する態度があまりにも……いえ、何でもないです。それより、松延さんはまだ十分お若いですし、今からでも遅くないのでは? 成人してからテーマパークに制服で訪れる方も多いそうですし、試されてみては?」
――流石にこの年ではキツいと思います。
「…………大丈夫ですよ。きっとまだまだ似合います」
――今の間は何ですか? もう一度、私の目を見て同じことを……。
「松延さん、時間は有限です。他に質問はありませんか?」
――チッ。では、次の質問です。
「今、舌打ちをしましたね?」
――していません。
「……」
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