第11話 吊り合う天秤
――それでは、午後のインタビューを開始します。
「引き続きよろしくお願いします」
――よろしくお願い致します。ところで、昼食は何を?
「ケーキですが。え、それインタビューに何か関係あります?」
――いえ、興味本位です。少し気になりましたもので。
「そうですか。少し行った先に美味しそうなケーキ屋さんがあったので、そこでケーキを三つほど注文しちゃいました」
――甘いもの、お好きなのですか?
「はい。大好きです。子供の頃の締め付けの反動ですかね。大人になってから止まらなくなってしまいました。週三くらいで食べています。当時の私に教えてあげたいですよ。大人になったお前は贅沢三昧だぞって、ふふ」
――週三は流石に食べ過ぎでは?
「……そういう見方もあるかもしれませんね」
――見方の問題ではありません。七篠さんの健康が心配です。その習慣は本当に良くありません。
「分かりました……では、少し減らします。週三で二ピースにします」
――ちょっと待ってください。三ピースは今日だけではなかったのですか? まさか週に計九ピースも食べているんですか? ねぇ、七篠さん?
「…………それより、そろそろ再開しましょうか。ここからが長いので、このままのペースだと日付が変わってしまいます」
――七篠さん、程々にしてくださいね?
「善処します」
――……本当ですね?
「そんなに睨まないでください。分かりましたって」
――よろしい。ふふ、それでは再開しますね。先程までの話の後で生活に何か大きな変化は起きましたか? 起きたとしたら、それはいつ頃の話ですか?
「暫くはそのままでしたが、中学二年の頃に変化がありました」
――それは?
「両親が別居をすることになりました。それに伴い、姉と私も母に付いて行きました」
――急展開ですね。
「とは言っても、引越し先は元の家から歩いて十分程度です」
――随分近いのですね。
「姉が受験期であるので遠方への引っ越しを躊躇ったことと、母が父の会社の経理をしていたことからそうなったようです。母はそのまま通いで経理をしていました」
――なるほど。しかし、何故突然引っ越しをされたのですか?
「主要因は父の酒癖がひどくなったからですが、他にもう二つ理由があります」
――それは?
「この頃に母が病気になりました。生活習慣病です」
――原因はなんだったのですか?
「過度なストレスと、それによる過食から来る肥満だそうです。確かに母はストレスが溜まると過食に至ることが多かったです」
――なるほど。それで、お母様はストレス源であるお父様から距離を置くことにしたのですね。納得です。当時、病気の診断をされた時、お母様はどのようなご様子でしたか?
「酷くショックを受けていました。一人でこっそり泣いているのを見かけました。なんと声を掛けるべきか分かりませんでした」
――お父様の反応は?
「『信仰が足りないからだ。今からでも心を入れ替えて真面目にやれ』だそうです」
――……お母様の病状は深刻でしたか?
「発覚してすぐに一ヶ月程入院していました。帰ってきたらずいぶんと痩せ細っていました」
――その後の経過は?
「相変わらず過食に走りがちでしたが、姉と私が気をつけて見るようにしていました。ですが、あまり厳しく言いすぎても却ってストレスになってしまうようなので塩梅が難しかったです」
――なるほど。どうぞお大事になさってください。
「ありがとうございます」
――二つ目の理由をお願いします?
「学習環境と言いますか……父がですね、子供達が家で勉強をしていると怒るのです」
――勉強をしていると怒られるのですか?
「そうです。世間では褒められこそすれ怒られることなんてありませんよね、はは。でも、ウチでは怒られたんです」
――それは何故ですか?
「父は学校を出ていないので、そのコンプレックスの裏返しだと思います。浪費癖はともかく稼ぎは良い方であったと思うので、気にする必要は全く無かったのではと、私としては今でもそう思っています。ですが、本人は過剰に学歴や勉学を敵視していました。『勉強なんかしてもなんの意味も無い』『大卒は頭でっかちで使えない奴が多い』『今は手に職の時代だ』とそのようなことは良く言われました。母方の祖父も叔父も高学歴であったのも気に入らないようでした。子供が勉強する姿が目に入るたびに『無駄なことをしやがって』とか『俺のことを馬鹿にしているのか』と悪態を吐いていました。教典の時に話したように、暴れると教科書類を放り投げたり、損壊させたりすることも少なくありませんでした。『俺の金で買ったんだから、どうしようが俺の勝手だ』と」
――お母様はその環境を憂慮したということですね。
「そうだと思います。母は、必死に勉強して大企業に入ってバリバリ働いていた叔父を見て育ったので、勉学を強く推奨していました」
――つまり、お母様の病気と、勉学に対するお父様の無理解が別居の切っ掛けになった訳ですね。結果、DV環境は改善されましたか?
「元住んでいた家の方では、父は相変わらず母に当たり散らしていましたし、逆に父がアパートの方に乗り込んできて暴力沙汰になることも少なくはありませんでしたので完全に改善されたとは言えませんね」
――お父様は何をしに?
「理由なんて無いと思いますよ。強いて言うなら酔っ払っていたからですかね。酔う度に深夜に訪ねてきて、『生んでやったんだから毎日挨拶に来るのが筋だろうが』と怒鳴り散らして、呼び鈴を連打して、ドアを蹴って、時にはドア前で寝そべっていました」
――駄々っ子のようです。お父様も寂しかったのかもしれませんね。
「そうかもしれませんね。ですが、それならそれで行動を改めてほしかったです。それはもう酷い近所迷惑で、周囲からは『やばい家族が越してきた』みたいな感じで鼻つまみ者でした。母が頭を下げて回っている場面も何度も見ました。警察を呼ばれたことも一度や二度ではありません。とはいえ、それでも父との接触回数が大幅に減ったことで生活の安心感は大幅に改善されましたけどね。顔色を窺うことなく生活できますし、自由時間も増えました。宗教に関わる頻度も減りましたし。夜も前よりは格段に安心して眠れるようになりました。それがとにかく有難かったです」
――そうですか。少しでも余裕が出来たようで何よりです。
「余裕といえば、この時期私の身体がぐんぐん成長しました。二年程で身長が三十センチ伸びて、体重も二十キロ増えました」
――それは凄いですね。成長痛などはありましたか?
「特にありませんでした。ですが、急成長のせいなのか、はたまた日常生活で腰を屈めることが多いせいか、慢性的な腰痛持ちです、はは。キッチンで洗い物とか、洗面所とか結構辛いです」
――高身長にもデメリットがあるのですね。
「沢山ありますよ。満員電車に乗れば前のおじさんの頭にキスしちゃいますし、電車のドアも頭をぶつけそうで腰を屈めないとですし、席に座れば縮こまらないといけません。明確にメリットだと胸を張って言えるのは待ち合わせの時に目立つ点くらいです」
――確かに七篠さんは見つけやすそうです。
「ええ、目印として使いたい場合は事前にご用命下さい。ふふ。話が逸れてしまいましたね。ええと、何でしたっけ?」
――身長が伸びて余裕が出来た?
「あ、そうですそうです。背が伸びて力がついてきたことで、父が脅威ではなくなりました。ある日、いつものように酔っ払った父がアパートに来て暴れ出したんです。それで、胸ぐらを掴まれて取っ組み合いになったのですが、『あれ、軽い?』って思ったんです。父は筋肉質な方ではあったのですが小柄ですし、実際軽かったんです。それで、そのまま羽交い締めにして壁に押し付けて無力化しました。そうしたら、今まで散々馬鹿にしてきた従順だったはずの息子に反抗されて余程悔しかったんでしょうね。脱力して、地べたに大の字で寝そべって。『殺せ、殺せー』って叫び出したんです」
――それを見てどう思いましたか?
「笑っちゃいました」
――もう少し詳しくお願いします。
「今までの鬱憤を晴らせた愉悦とか、父の滑稽さに対する嘲り、それから父の暴力の薄っぺらさに対する呆気なさ等々を感じました。父の権威の象徴である恫喝や暴力なんて、その程度だったのかと。成長期の子供にひっくり返される程度のモノを根拠にして居丈高に振る舞っていたのかと。哀れでした」
――その後、何か変化はありましたか?
「父が私に暴力を振るう頻度が減りました。せいぜい髪を引っ張ったり、爪で引っ掻いたりとかです。最早私にとって父は脅威ではなくなりました。すると、今度は母や姉への暴力が多くなりました。結局、DVする人なんて自分より弱い相手や、反撃してこない相手しか狙わないんです。ただの陰湿な卑怯者ですよ」
――……。
「松延さんの仰りたいことはわかります。陰湿な卑怯者というのには勿論私自身のことも含んでいます」
――いえ。私はそんなことを言うつもりではありませんでした。あまりご自身を卑下なさらないでください……。
「いえ、どんな理由があろうとクズはクズです。そこについては擁護しないでください」
――……その辺りについてはまた後程お聞かせください。
「分かりました。では、話を戻しますね。前述の通り、父の暴力の矛先は母と姉へとシフトしたわけですが、それも私が居る時であれば簡単に制圧できるようになったので、少しずつではありますが父の暴力行為は減っていきました」
――それに伴って七篠さん自身の感情に変化はありましたか?
「そうですね。脅威度が下がったことで、父に対する関心は少し薄れました。まぁ薄れたとはいえ、チャンスがあれば殺してやりたかったくらいには憎かったですけどね」
――先程もそう仰っていましたが、比喩ではなく実際に、お父様に対して殺意を持っていたということですか?
「失言でした」
――できれば正直にお答えいただけますか? もう一度だけお聞きします。殺意はありましたか?
「……まぁ、はい」
――それはいつからですか?
「小学生の頃からです。寝ている時や酔っ払っている時なら、なんらかの事故に見せかけられないかなと考えることはありました」
――実際に手段まで考えていましたか?
「酷く酔っ払っている時なら階段から突き落としたり、入浴中に溺死させられるかもしれないとは考えました。それなら事故に見せかけられるのでは、と。他に、父が包丁を持ち出してきたときに、それを使って上手く正当防衛を装えないかなとか」
――そうですか。一線を越えずに済んだのは何故ですか?
「母が悲しむから、その一点に尽きます。本気で実行に移そうとしたこともあります。でも、その度にある光景が頭に浮かぶんです」
――それはどのような光景ですか?
「ずっと昔、小学生低学年の頃の出来事です。クリスマスに父が大暴れして、母と姉と私の三人は家から着のみ着のままで家から締め出されました。突然だったので、お金も行くところも無く、夜通しトボトボ歩いていました。薄着だったので物凄く寒かったです。それで、姉と私がガタガタ震えていたら、母がコンビニに寄って、おでんを買ってくれたんです。ちくわと玉子と大根です。その三つを店の裏で三人で分け合って食べました。母が一番少なくて、姉は私が好きな竹輪を大きめに箸で切ってくれました。それが凄く美味しくて、冷えた体に染み渡るようでした。そんな光景です。それがふっと脳裏に浮かんで、何とか思い止まることが出来ました」
――その思い出が七篠さんの記憶の原風景として脳裏に強く焼き付いているのですね。
「そうかもしれません。ですが、感情の振れ幅や何らかの切っ掛けによっては殺人を実行に移していた可能性も否めません。実行しなかったのは運が良かったからだと思います」
――何事も無くて良かったです。
「ええ、手を汚さずに済んでホッとしています。ですが、老年の父母を見ていると、それが正解だったのかは分かりません」
――お父様は今でも?
「はい。相変わらずです。人はそう簡単に変われませんよ」
――そういうものでしょうか。
「そういうものです」
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