第6話 母へのアンビバレンスな想い

――では、次にご家族について質問させていただきます。今までに話に出た限りだと、家族構成はお父様、お母様、お姉様、七篠さんご本人で間違いありませんか?


「間違いないです」


――では、まずはお姉様についての所感をお願いします。


「姉ですか。姉は……何というか。苛烈な性格です」

――精神的にタフであるということでしょうか?


「いえ、そういう意味ではむしろ打たれ弱いとすら言えると思います。ですが、とにかく狂犬のように苛烈でした。父に怒鳴られている時も良く反抗的な態度を取っていましたし。不貞腐れたり、言い返したり、時には物を投げ返したり。そのせいでよりこっぴどく怒鳴られていました」


――そんなお姉様に対して、七篠さんはどうお考えでしたか?


「『顔色を窺って上手くやればすぐに終わるのに馬鹿だなぁ』と常々思っていました。見下していたと言ってもいいと思います」


――それは……。


「ですよね。馬鹿なのは私です。もう完全に父に飼い慣らされちゃっています。従順を通りこして隷属の域です。これが〝奴隷の鎖自慢〟ってやつですかね。でも、生まれてからずっとそうやって生活していたので、それが普通だと思っていました。当時の私はただ何とかして日々をやり過ごすことしか考えていませんでしたから。なので、自分から火に油を注ぎに行く姉を迷惑に感じていた記憶があります。姉についてはこんなところでしょうか。次は母ですか?」


――ええ、お願いします。


「母は……母についてはなんというか難しいです。一言では表現できそうにありません。ただ、可哀想な人だなと思ってしまいます」


――それは何故ですか? 断片的にでも構いません。


「一度だけ母が父の良いところを語ってくれたことがあります。母が父と結婚したての頃、母は姑にそれはもう一昔前のドラマのようにコテコテのイビリを受けていたそうです。周囲に友人ばかりか知り合いすら居ない場所に嫁いできて、車の免許も取らせてもらえない、お金も渡されないし、なんなら母が独身時代に貯めたお金も勝手に使い込まれたそうです。外出も制限され、ご飯を作れば不味いと捨てられ、掃除をすれば全てやり直され。妊娠しても食べ物も満足に貰えなかったそうです。ですので、母は食べられる野草を集めたり、落ちている果物を拾って齧っては栄養を摂取していたそうです」


――その状況で、お母様はお父様に何も言わなかったのですか?


「当然、父に相談したそうです。ですが、生返事を返すばかりで力になってはくれなかったようです。さもありなんって感じですけどね。母の出産時にも飲みに行っていて、翌日の夕方になるまで子供が生まれたことを知らなかったような人なので」


――妻の出産時に最もしてはいけないというやつですね。


「ふふ、そうです、それです。まぁそういった姑と父からの様々なストレスがあって精神的に参ってしまった母は、家を出たいと再度父に伝えたそうです。すると最終的に父は首を縦に振り、すぐに二人で家を出たそうです」


――なるほど。


「……」


――続きをお願いします。


「いえ、これで終わりです」


――え?


「それがですね、〝母を連れて家を出たくれた〟っていうその思い出が、母の語る父の良いところらしいんです。『お父さんにも良いところはあったの』って。笑っちゃいますよね。数十年連れ添って出てきた唯一の良い思い出がそれですよ。我が母ながら哀れ過ぎてこっちまで泣けてきちゃいますよ。そんな、たった一度の気まぐれを支えにこれまでやってきたのかって」


――お父様のそれは、実際に気まぐれだったのですか?


「そうに決まっています。父は自身の母のことを疎ましく思っていたようですし、妻のせいにしてこれ幸いと出て行った姿がありありと思い浮かびます。実際に勝手に出て行ったことで、あのクソバ……失礼、父方の祖母から母がどれだけ嫌がらせされたか」


――つまり、家を出たのはお父様ご自身のためであったと?


「ええ、間違いないと思います。そもそも母をそんなになるまで追い詰めたのは誰かって話です。マッチポンプもいいところですよ。母乳が出ないほどにガリガリに痩せ細った母を家に残して毎晩飲み歩いて、自分は趣味の車で走り屋みたいなことをしてイキがって。そんな男の言葉をコロッと信じた母が情けないし哀れです」


――お母様は離婚を考えたことは?


「実際に離婚届を突きつける場面を何度も見たことがあります。ですが、父はいつもミミズが這ったような到底読めない字で記入して煙に巻こうとしていました。『いつでも別れてやるから離婚届でも何でも持ってこい』って啖呵を切っていた割には、そんなことをしていました。母も本気で別れる気はなかったと思いますけどね」


――何故ですか?


「姉と私が居たからです。いつも口癖のように言っていました。『あんた達のため』『あんた達だけが母さんの楽しみ』『あんた達がいなければ離婚してた』『あんた達……あんた達……』」


――それを聞いてどう思いましたか?


「言葉で言い表すのは難しいですね。父が暴れる分だけ、母は姉と私を優しく甘やかしてくれました。いつも父から庇ってくれたし、いつだって味方をしてくれた。感謝しています。ですが、同時に鬱積した感情が全く無かったとは言えません」


――どういうことですか?


「私達を言い訳にするのは止めてほしかったです。もう少し強くあって欲しかった。ひたすら耐え忍ぶような我慢強さではなく、毅然とした強さを持ってほしかった」


――それは、お父様と離婚して欲しかったということですか?


「そうですね。それなら、毎日父の顔色を窺って惨めに卑屈に生活するよりはずっと良かっただろうなと思います。それくらい罵倒と暴力に晒されながら毎日を過ごすのは苦痛でした」


――……。ですが離婚した場合、それはそれでまた違った苦労があると思います。母子家庭には母子家庭特有の困難も多いものですから。……勿論どちらがと安易に比較は出来ませんが。


「……そうですね。その場合には、きっと多大な苦労を強いられたでしょうね。とはいえ、私は母の選択を責めるつもりはないです。色々思うところはあるし、愚痴もこぼしてしまいましたけどね」


――何故ですか?


「今ほど女性の社会進出が一般的ではない時代でしたから。そんな時代に子供二人を連れての生活は中々の覚悟がいると思います。それに、母も日々恫喝と暴力に晒されていて正常な判断力が無かったのかもしれません。私もそうでしたし。何にせよ、食べさせてもらって、高校まで出させてもらいました。そんな私が後付けで偉そうに語るのは滑稽です。これはただの愚痴だと思ってください」


――お母様に対して他に何か思うところはありますか?


「先程の『私達を言い訳にして欲しくはなかった』という発言に関連した内容なのですが、もう一つだけあります。それは姉も私も、母に対して強い罪悪感を抱いているということです。私たち子供と言う存在が、母の人生を縛り台無しにしてしまったと考えているからです。それがとても悲しいです」


――何故そういう考えに至ったかのご説明をお願いします。


「現在の母は周囲に友人も親戚も居らず、趣味も無く、やることが何もないんです。強いていえば昔のゲームだけです。ストーリー性も無い同じゲームを、飽きることなく延々と繰り返しているんです。それが好きならいいんです。でも、明らかに他に何もやることが無いからやっている。他所のお母さん方はアクティブに出かけて、友人とお茶会をしたり、趣味に励んだり、すごく生き生きしているんです。でも、うちの母には何も無い。毎日同じことの繰り返しです。それについて考えると、どうしようもなく悲しくなります。人生の大部分において多大な苦労を強いられて、それでも母は頑張ってきたのに。我が母ながらあまりにも哀れです。『この人は何が楽しくて生きているんだろう』と考えると居た堪れないです。私達さえ居なければ、母にはまた別の人生があったことでしょう。少なくとも今よりはずっとマシな」


――……どこかに連れ出したりはしてあげましたか?


「勿論です。習い事を勧めたり、ゲームやタブレット、本を買い与えて教えてみたり、旅行に連れ出したりもしてみました。ですが、この歳になると変化を拒みがちなのか中々定着しませんし、それらに対してやんわりと拒絶されたりもします」


――難しいですね。


「はい。ですが、もう少し色々試してみます」


――……応援しています。それでは、それら全てを踏まえた上でのお聞きしたいことがあります。七篠さんは、現在DVに直面している家庭に対して離婚を勧めたいと思いますか?


「強く勧めます。子供の立場から言えば、間違い無くその方が良かったと思います。金銭面では苦労が増えるとは思います。子供の人生の選択肢も狭まるかもしれません。学業も諦めなければならないケースも有り得ます。ですがそれでも、安全には変えられません。身体的な安全だけでなく、精神的な意味でもです」


――……。


「何より、まずは母に幸せになってほしかったです。私の思い出の中の母の顔はいつも曇っています。いくら思い出そうにも、母の辛そうな顔や、必死で父から庇ってくれた頼りない背中、それから泣きながら父の暴れた残骸を片している姿しか思い出せないんです。母に感謝はしています。でも、こんな風にはならないで欲しいです。親が子供に幸せになってほしいように、子供だって親の幸せを願っています。それだけは理解してほしいです。とはいえ、あくまでも個人的な意見ですので、それを忘れないでくださいね。人生に〝IF〟は有りませんし、母が選んだのは離婚しないという選択肢です。もしかしたら、この選択で正解だったのかもしれません」


――分かりました。記事にする際には、あくまでも一個人、一経験者の見解であるということを強調させていただきます。


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