第5話 諦めの瞬間

※本話には暴力的な表現が少しだけ含まれています。気分を害された方・不快感を感じた方は直ちにブラウザバックし、可愛い動物動画を閲覧しましょう。



――七篠さんの今までのお話ですと、お父様から受けたのは言葉での暴力や恫喝が多かったようですね。それ以外に、お父様からの身体的な暴力はありましたか?


「勿論ありました。先程の話でいえば第三段階が〝物に当たる〟で、直接的な暴力は四段階目になります。まぁ父は基本的には物に当たることが多かったので、直接手をあげられることはそこまで多くなかったですけどね。大雑把な体感ですが、ネチネチが毎日、恫喝や暴れるのが週二程度、直接的な暴力は月二回くらいですかね」


――それは十分多いです……いえ、それでは〝物に当たる〟と〝直接的な暴力〟の二つの詳細をお願いします。もし話し辛いようでしたら無理はなさらないでください。


「大丈夫です。まず物に当たるのは、それこそ何に対してでもです。手元にあるものは何でも投げます。多かったのは食器やテレビのリモコンでしょうか。その度に、壊れてバラバラに飛び散ったそれらを、母が泣きながら片付けていました。手伝おうとすると『怪我をするからあんた達は離れてなさい』と姉と私に言うんです。父は『お前たちが俺を怒らせるからこんなことになった』みたいなことをよく言っていましたね。さすがに我に返って、多少は罪悪感を感じていたのでしょうかね。壊した時と買い直した時にはいつもそう言っていました。後は中身が入ったビールの缶もよく投げつけられました。あれが痛いんですよ。膝に当たった時は青あざが出来て二、三日は足を引きずっていたものです」


――それらもやはり食事時でしたか?


「はい、食事時に激昂することが多かった関係で食事関係の物に被害が出ることが多かったです。昭和の代名詞であるちゃぶ台返しもウチでは良くある光景でした。皿も料理もしっちゃかめっちゃかです。それで、その日は晩御飯抜きになるのが辛かったです。父はいつも自分だけはどこかへ飲みに行っていたようでしたが」


――お父様は物に当たったとのことですが、具体的にはどのような被害がありましたか?


「食器、家電、家具、ウチでは傷んでない物の方が珍しかったです。他にガラスや壁も良く損壊させていたので、それを段ボールと新聞紙で補強していました。あれは本当に見窄らしくて嫌でした」


――続けて実際の暴力に関してもお願いします。


「頭をはたかれたり、蹴られたりが多かったです。他には父の仕事車のトラックの荷台に投げ込まれたりとか。トラックって車高が高いので、小学生低学年くらいだと自力で降りられないんですよ。真夜中や炎天下の時にはかなり辛かったです。母も何とかしてくれようとはするけど、母も小柄でどうしようもなかったので」


――それは下手したら命に関わるのでは?


「まぁそれは半年に一度くらいのレアケースです。それに、ウチでは常に母が身を挺して守ってくれていたので、私が直接被害に遭うのは月二回程度でしたし」


――それは被害を受けたのは月二回程度ということですか? ご家族の方への暴力も含めた場合、実際にはもう少し多くなると言うことで間違いないですか?


「それは、はい。そうです。父が恫喝する時は大抵暴れる時ですし。暴れればそのまま暴力へと発展しますから。ですが、先程も言ったように母が身を挺して守ってくれたので大きな怪我は無かったです」


――それは小さな怪我なら多かったということですか?


「殴る蹴るはしょっちゅうでしたが、子供相手でしたし父も多少は手加減していたんだと思います。ですので、普段はたんこぶや打撲、青あざくらいでした」


――普段は?


「酷いケースだと、母が突き飛ばされた際に階段で背中を強打して骨を折ったとか、私がトラックに投げこまれた際に負った怪我で縫っただとか、包丁で手を切りつけられたとかはありますが、命に関わるほどではなかったです」


――刃傷沙汰は十分命に関わります。


「切りつけられたというと少し大袈裟に聞こえてしまうかもしれませんね。ですが、父も多分脅しのつもりで本気で怪我をさせるもりはなかったんだと思いますよ。ただ、私が咄嗟に利き手で庇ったせいで怪我をしてしまいました」


――手のどの部分ですか? 見せていただくことは可能ですか?


「いいですよ。人差し指と中指の付け根部分のここと、人差し指側面のここです。二回とも血がドバドバ出て、指が取れてしまうんじゃないかと思いました」


――白く跡が残っていますね。それは何歳くらいの話ですか? ん? 二回ですか? 一度に2箇所の怪我を負ったわけではなく、それぞれ別の事件ということで間違いありませんか?


「はい、そうです。どちらも確か九歳か十歳頃だったと思います。原因は覚えていませんが、いつものように怒鳴られている時に、姉が父に反抗した結果、父がさらに激昂して刃物が出てきたんだった気がします」


――その時、七篠さんは何を考えていましたか?


「何も考えていなかったと思いますよ。諦めの境地というか。怒り始めなら、泣きながら土下座でもして必死に謝れば怒りをやり過ごせる可能性もあります。ですが、一定のラインを超えたらもう駄目です。ただ静かに嵐が過ぎ去るのを待つのみです」


――刃傷沙汰は多かったのですか?


「二十年程で十回には及ばなかったと思います。私が怪我を負ったのは、そのうちの二回だけです」


――縫った事件については?


「私がトラックに投げ込まれた際に落ちていた釘で怪我をしたり、家のガラス窓に投げられた際にガラスが割れて刺さったりです。今見える部分では……目の下のここですね。三針縫いました。これはちょっと焦りました。左目に血が滲んで視界が真っ赤に染まりました。確か小学生二年生でした」


――失明せずに済んで良かったです。お母様の骨折に関しては?


「そっちは確か七歳か八歳頃だったと思います。父の恫喝が始まると、母はいつも私たちを庇ってくれていたのですが、それが火に油を注ぐような事態を招くことも少なくはありませんでした。その時も確かそうでした。『お前がそうやって甘やかすからこういつらが調子に乗るんだ。お前ら全員で寄って集って、俺だけ悪者にしやがって』とか、そのような被害妄想じみたことを言いながら父が母を突き飛ばした瞬間を憶えています。突き飛ばされた先には階段があって、母は背中を階段のヘリに強かに打ち付けました」


――それで骨折したのですね。すぐに病院へ行かれましたか?


「いえ。母が蹲ると父はバツが悪そうにどこかへ行ってしまい、一旦その場は収まりました。ですが、夜になっても母が痛がっているので、酔って帰ってきた父が母を病院へ連れて行きました。心配だった姉と私は母に縋り付いて何とか付いて行きました。その病院へと向かう車の中で、母の怪我は『階段から落ちたことにする』と父が言い放ちました。姉が嘘だと糾弾したら、父は姉に対して『そんなみっともないことを言えるわけがないだろう』と怒鳴りつけていました。結局、母は背中の骨が折れていたそうです。お医者さんに『これは階段から落ちた折れ方ではないでしょう』と問われても母は何も言いませんでした。父も何も言いませんでした。ですが、その目は私達に何も言うなと釘を刺しているように私には感じられました」


――その事件は七篠さんにどういう影響を与えましたか?


「これは私の中では非常に大きな切っ掛けになりました。父のあの目を見た瞬間に決めたんです。『出来るだけ早く家を出よう。あいつはもう駄目だ。ここに居たら自分も駄目になる』と。そう感じて、将来家を出るために出来ることをしようと決心しました。とは言っても小学生ですから、出来ることなんて殆どありませんでしたが」


――なるほど。良く分かりました。

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