第4話 ボーナスタイム
――では、第二段階は?
「
――それは例えば?
「父の虫の居所が悪かったとか、家族が反論したり、父の間違いを指摘したりだとか。それによって怒りが激化して恫喝に至ります。何の前触れもなくそうなる場合も普通にありましたけどね」
――恫喝の様子をもう少し詳しく描写していただけますか?
「言葉は悪いですが端的に言うと気狂いです。もう本当に手が付けられません。理性の〝り〟の字も感じられません。あれは獣です。自身の怒りを燃料に延々と勝手に盛り上がるんですから。血走った目をひん剥いて、喉が嗄れんばかりの大声で唾を飛ばしながらの大声です。叱るとか怒鳴るとかそういう次元ではないです。なんと表現すればいいのか、こう……魂が凍えるかのような、それこそ心胆寒からしめられるような感じというか。慣れていないと胃の辺りが迫り上がるように強烈な不安感に見舞われます。これがとにかく恐ろしかったです。体が勝手に硬直しますし。この時分は恫喝じゃなくても近くで大きな音がすると反射でビクッとしていたくらいです。付け加えるなら、父は建設関係の仕事柄、日焼けして筋肉質だった点も恐怖に拍車を掛けていたかもしれません」
――実感が湧きませんが、とても恐ろしいというのは分かります。
「普通に生きていて恫喝される機会なんて滅多にありませんしね」
――その際にお父様はどのような言葉を発されるのですか?
「ふふ、笑わないでくださいね? 『誰が育ててやっている(生んでやった)と思っているんだ』『誰の金で飯が食えているんだ』『ガキのくせに生意気な口利きやがって』『家長の言うことに従え』『お前のためを思って言ってやってる』『男のくせに』『女のくせに』『ガキの面倒を見るのはお前(母)の仕事だ』『ガキは親の言うことは黙ってハイって聞いていればいいんだ』『出ていけ』こんな感じです。よくドラマでよく見かけるような台詞群ですよね。世の中には本当にこんな台詞を言う人が実在しているんですよ、ふふ」
――それも気になりますが、お父様はやたらとジェンダーロールに拘っておられるのですね。
「確かにそういう傾向はありました。ジェンダーのみならず、家族関係や立場に異常に固執しているというか」
――それを裏付けるようなエピソードはございますか?
「いつも大体そのような感じなので、これというものは無いです」
――良くあるエピソードでも構いません。一つだけお願いします。
「分かりました。……ある時、家族の人数分しかないオカズを父が一人で全て平らげてしまうということが起こりました。それで、『あれ、皆は食べてなかったのか?』と。まぁこれは珍しいことでは無かったんですけどね。オカズ無しの夕飯なんてそれこそ日常茶飯事です。父は基本的に無神経な人物でしたから。人に対して支配的な一方で、どこか無関心というか、自分本位というか」
――オカズついて指摘したりはしなかったんですか?
「いずれ無駄だと諦めてしなくなりますが、最初はしていました。すると、『家長である俺の稼いだ金なんだから当然の権利だ』『お前(母)が先に説明しないのが悪い、恥をかかせやがって』『ガキのくせに生意気を言うな』と、そうやって何かしらの難癖を付けて怒鳴り散らします」
――やはり謝られないのですね。
「謝っているところなんて見たことありません。父の間違いを指摘するのは自ら火に油を注ぐに等しい愚行です。我慢しておけば少なくとも怒られることはありませんので、それが一番だと当時はそう考えていました。ちなみに、母もできるだけ事前に別皿に取り分けたり、時間をズラしてみたり工夫はしていたんですが、それはそれで揉め事の種になるのであまり効果は無かったです」
――それでどう問題になるのですか?
「『ガキを甘やかすな』だとか『洗い物が増える』とか。洗い物なんてしたことない癖にそんなことを言っていました。他には『家族なんだから食事時に揃って同じ皿から食べないと駄目だ』とか。やたら家族とか役割とかの形式に
――大変参考になりました。
「それにしても、今聞くと父の発言がいちいちテンプレ過ぎて笑っちゃいそうです。当時は怖くてしょうがなかったんですけどね」
――聞いた限りでは子供のメンタルでは耐えられそうにありません。七篠さんはどのようにやり過ごしていたのですか?
「とにかく怒られないよう必死で行動していました」
――具体的には?
「常に父の顔色を窺っていました。今この人は何を考えているのか、どうすれば恫喝を避けられるのか、次に自分は何をすべきなのか。とにかく怒られないように父の心情を探ろうと必死でした。そうして得られた情報を基に先回りして行動していました。それが癖になったせいで、『陰気な野郎だ』とか『卑屈な目をしやがって』なんて言われるようになるんですけどね。とはいえ、この技術を習得してからは私が原因で恫喝される頻度はグッと下がりました」
――……そうですか。しかし、その技術では予防にはなっても、対策にはならないのでは?
「いや、まさにその通りです。恫喝の頻度を減じることには成功しましたが、いざ始まってしまったらどうしようもないんですよね」
――そうですよね。
「でも、ある時……確か小学生の中学年頃だったかな、ある手法が身に付いたんです。それによって幾分かマシになりました」
――その手法とは?
「ある種の自己暗示です。具体的にはですね、『怒られているのは私ではない誰かだ』と心の中で思い込むんです。こう……自己の内面に深く潜行していく感じで。これが成功するとですね、目の前の出来事に対して物凄く鈍感になれるんです。まるで水中の中にでも居るかのような、あるいは自分と世界の間にブヨブヨした薄い膜が張られていて守られているかのような感じです。私はこの現象を〝ボーナスタイム〟と呼んでいました、ふふ」
ーーはぁ。
「上手いことボーナスタイムを掴めると、もう無敵です。恫喝されている自分を、テレビでも見ているかのような第三者視点で左斜め後ろから他人事のように眺めていられるんです。まさに怒られているのは自分ではなくなるわけです。ちなみに、何故左斜め後ろなのかは自分でも良く分かりません。いつから出来る様になったのかもハッキリとは憶えていません」
――……。
「胡散臭く聞こえるでしょうが、誓って薬物等はやっていません」
――いえ、薬物を疑っていたわけではありません。少し考えていただけです。七篠さんの仰るそれは、空想の世界に浸ることで現実逃避をしていたと言うことでしょうか? ある種の解離性障害では?
「その通りです。後で分かるのですがれっきとした精神疾患でした。そりゃそうですよね。
――なるほど。詳細が気になりますが、まずは時系列順にいきましょう。
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