6話 導きの先へ

 高杉と出会った後、勢いよく優とふみが塾へと帰ってきた。優の眉間には皺が寄り、不機嫌な表情を浮かべていた。



 「兄上、頼まれていた物です!」


 対するふみの顔といえば、清々しい表情で、その場にいた皆は首を傾げ、何かあったのかとふみに尋ねる。

 当の本人はズカズカと塾の中へ入り、縁側に腰掛けて不貞腐れていた。


 「優はどうしたんだい?」

 「それがね兄上!あ、久坂さん達もこちらへ……実は……」



 ふみは町で明倫館を見に行って、高杉を見かけたこと。その後逃げようとして優希とはぐれてしまったこと、そして再会したあと優希は高杉にビンタをかましたこと、を簡単に説明した。



 「ぷ、ぷははははっ!!おま、あの高杉にビンタって……ははっ、よくやった!」


 一番に笑い出したのは久坂だった。


 「ちょっと、何でそんな笑うんですか!だいたい誰ですかあの人。皆さん知ってるみたいですけど!!」


 少し離れたところにいた優の耳には全て聞こえており、尖りながら久坂に突っかかる。



 「優さん、説明もしないでごめんなさい。前に一度高杉さんはここを訪ねてきたことがあるんです。その時色々あって……」


 ふみは半分笑いながら、半分は申し訳なさそうにそう言った。



 「色々って?」

 「まぁ、あいつの家は結構大きいんだ。高杉家って言えば結構有名でな。そこのお坊ちゃんなんだよ。それに、高杉の親父さんが先生を良く思ってないんだ。だから何かにつけて俺たちに突っかかってくるんだ」


 久坂がため息を吐きながら説明した。


 「そんな!だからって……」


 松陰をチラリと見れば、目を瞑ったまま胡座をかき、腕を組んで黙り込んでいた。



 「高杉は気に入らないんだよ。型にはまらず、己の道を突き進もうとする先生が。そして、それについていった俺の事も」

 「久坂さん……」


 ふみは久坂の心情を察する。明倫館時代には親交もあった二人だ。きっと、お互いに思うところがあるのだろう。

 

 しんみりした空気を変える様に、ふみは声の調子を上げて喋り始める。


 「でね、ここに冷やかしにきた高杉さんは、久坂さんと大喧嘩するだけして帰ってったんです!せっかく縁側を作っていた途中だったのに……ほら!ここの傷!あの人のせいなんですよ!!」


 ふみが指差す板は、大きく凹んでいた。


 「なるほどね、それでふみさんは嫌ってたんだ」


 大きく頷く文。伊藤はというと、その時の喧嘩が凄かったんだと思い返して冷や汗を流していた。




 「"地を易うれば皆然り"」



 今まで黙っていた松陰が、突然口を開いた。皆反応し、彼を見る。松陰は目を瞑ったまま、静かにそこに座っていた。



 「どういう意味?」


 松陰の言葉を聞いた途端皆が口をつぐむ中、優だけは意味がわからず周囲を見渡す。説明を求めるかの様にそわそわしていると、そこに利助が待ってましたと言わんばかりに解説を始めた。



 「皆言うことが違うのは、立場が違うからだ。立場が変われば皆同じだ、という孟子の言葉だよ。つまり……」


 「つまり、高杉君には高杉君の立場があり、もし私たちが彼の立場なら、同じ事を言ったかもしれないなって事だよ」



 利助の言葉を松陰が奪った。今まで難しい顔をしていた彼の顔からは、もうそんな様子はなく、いつもの様に笑っていた。


 その言葉に優希は刺された様に胸が痛かった。深く考えずに高杉を非難する事しか考えなかった自分を恥ずかしいと思った。


 文も同じように感じていたらしく、肩を落としてしゅんとしていた。



 「そっか、そうだよね。私何も考えずにあんな事……」

 「それでいい。学ぶと言う事は、そういう事だ。"過ちては則ち改むるに憚ることなかれ"だ」

 「え??」


 再び口をあんぐりする優希をみて、ふっと笑った。その顔はどこか楽しげだ。



 「どういう意味か気になるかい?」

 「そりゃ気になりますよ!」

 「じゃあ、君も明日から共に学びなさい!いつでも中に入っておいで」


 

 勉強なんて一度も好きだと思ったことがなかった。暗唱するたびに、こんな事をして何になるんだってずっと思っていた。簡単な計算ができたらいいじゃないかってずっと思っていた。昔の出来事なんて、今があればいいじゃんって思っていた。でも、ここへ来て、自分の中の価値観が変わっていくのが手に取るようにわかる。


 塾なんて大嫌いだったのに。学校なんて遊び程度にしか思ってなかったのに。夢も目標もなかった、そんな私が今、学べることを本気で嬉しいと思った。



 「はい!!」



 気付けば優希は、そう答えていた。






   第1章 終。

 

 





 



 

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