蝶の輪廻

冷田かるぼ

繰り返す

 蝶を食べるとね、その子がどうなるか分かるんだよ。




 とある町には蝶を食べる風習がある。それは十才の子どもたちの通過儀礼だ。蝶を食べることに何の意味があるのか。昔はこの地域にしかいないという珍しい蝶に良い効能があったかららしいが……今はその蝶もほとんど見られなくなっている。


 じゃあどうして、そんな儀式をする必要があるのか?




 目を覚ました。まだ頭がぼんやりする。


 つい昨日、十才になった。昨日だったはずだ。今が何月何日、何時なのかはわからない。目覚めたのは温室のような場所だった。生暖かい空気、植物が溢れている。どうしてこんなところに? 必死に記憶を辿った。




 思い出したのはあの儀式の瞬間。高級レストランのような飾り付けがされた中、揚げられただけの蝶を必死に食べたのだ。なんの味もしなかった。ただ乾いた翅と油が口の中でべたべたとして気持ち悪かった。


 しばらくは普通に食べていたのだが、突然吐き気がして、とてつもない痛みに襲われた。舌が、喉が、お腹が。まるで電流でも走ったかのようにびりびりと激しく痛む。訳が分からなかった。そしてそのまま意識を失ったのだ。




 ここはどこなんだろう。そして両親はどこにいるんだ? 考えれば考えるほど混乱して分からなくなっていく。


 がさり。その時、物音がした。誰かの足音だろうか。茂みを踏んだような音がした。恐る恐るそちらを向くと、自分と同じくらいの背丈の少女がいた。


「だ、れ?」


 首をこてんと傾げ、その子はそう言う。なんだか呂律が回っていないような気もする。もしかしたら年下かもしれない。自身の身長が小さいからかよくわからないが。


「ぼくは、ゆうと」


 その子の喋る速さに合わせて、自分もゆっくり名前を言ってみた。言ってから、そうする必要はなかったかもしれないと思ったが。彼女はまた小さな口を必死に動かして何か言おうとしている。声を出すのが苦手なのだろうか。


「わた、し、……は、ね」


「羽?」


 口をぱくぱくとさせているが、その喉からはなんの音も発せられなかった。はねと名乗った彼女は苦しそうに口元を押さえ、ぼろぼろと泣き出してしまった。


「えっと……はねちゃん、って呼んでいいかな」


 どうしていいか分からず、とりあえず呼び方を確認した。泣いている子の慰め方なんて知らない。『はねちゃん』は涙を手で拭い、小さく頷いた。そしてそのまま後ろを向き、どこかに歩き出す。どこに行くのか、とその背中を追おう……と思った時、気付いた。ぼろぼろの服の背中に空いた穴、そこから彼女の肌は見えていた。


 が、それは灰色を帯びていて。その上、ぱっくりと縦に割れていた。その中からは薄藤色の何かがはみ出ている。なんだ、これ。不思議と目が離せなかった。


 きい、と金属音がする。その方向を見ると、植物でカモフラージュされた扉が開かれたところだった。そこには青年が立っていて……はっとした。この人、あの時料理を持ってきた人だ。




「ダメじゃないか、動き回ったら」


 そう言ってははねちゃんの体を一通りチェックしている。僕には目もくれず、ぶつぶつと独り言を漏らしていた。


「ああ、君もいたんだ。フジミハネに何もしてないよね?」


 ようやく僕の方を見たと思ったらそう言い放つ。フジミハネ、というのが彼女の名前だということに気付くまで、しばらくかかった。だって、そんなの、虫の名前みたいじゃないか。


「うん、君の状態も悪くなさそうだ……まあこの子には及ばないけど」


 そう言って僕の体も隅々まで触られ、塗り薬のようなものを塗られた。彼いわく「敏感な時期だからなあ」とのこと。意味が分からなかった。まず、どうしてここにいるのかすらまだ分かっていないのに。




「そうだ、目覚めたばかりだから何も分からないのか。説明してあげるね。一応理解してもらわないと」


 この状況に不釣り合いな満面の笑みは、恐怖を広げていく。彼女はただ、ぼうっと立ちすくんでいた。


「まず最初から順序立てて教えてあげるよ。だってまだ君は十才だろ? まあ君も結構頭の回る子だったらしいから簡単でも分かってくれるだろうけどね。端的に言おう。あの時……儀式の時には僕は毒を仕込んでいた。いつもの話なんだけど」


 にこにこと、まるで自慢話をするようにそう語りだす。その仕草はわざとらしく、やけに大きく。スピーチをするようでもあった。


「あの毒は僕が作り出した特別なもの。しかも効くのも一部の人間だけ……だから誰でもああなるわけじゃない、つまり君たちは適正があったんだ! 蝶になる適正がね! 素晴らしいよ、特にフジミハネ、この子は成功例だ……そろそろ羽化の時期なんだよ、本当に楽しみなんだ!!」


 そこまで聞いて、ようやく思い出した。そう、彼は『蝶に魅入られた青年』だ。何も見ていなければ胡散臭い人で終わっていたのだろうが、見てしまっていた。彼女の背中の割れ目から覗くもの……それは、蝶の翅だったのだ。




 こうなればもう分かるだろう。僕達が食べていた蝶の中に、もしかしたら元人間がいるかもしれない。その事実だけで、吐き気が押し寄せてきた。イカれてる。頭がおかしい。そんな言葉では軽すぎる。だが、彼は紛れもない天才だ。


「ああ、考えすぎちゃったんだね……そう思案を巡らせちゃだめだよ。この子のように何も考えない方が幸せなんじゃないかなあ」


 温室を飛び回る蝶たちと戯れながら、彼はそう投げかける。その通りだと思いそうになった。でも、彼女は本当に何も考えていないのか? あの時、泣いたのは……本当の気持ちなんじゃないか?




「……フジミハネちゃん!」


 手を取って、植物の間をすり抜けて逃げ出した。彼は意外にも追ってこない。こんな大きな温室、出口が一つなわけがない。走って、必死に逃げた。逃げようとした。が、すぐに疲れてきて、足を止める。息が苦しい。なんで、もっと動けるはずなのに。


「う、あ」


「お馬鹿さんだなあ。君たちはもうただの人間じゃないんだから当たり前でしょ。特にフジミハネなんて走らせたらだめだよ」


 気がつけばすぐ後ろに彼がいて、僕を冷たく見下ろしていた。フジミハネちゃんは嗚咽を漏らし、地面に伏せていた。


「フジミハネ、大丈夫? ……いや、待て。これは」


 彼女の背中の割れ目が広がり、その中から薄藤色の翅が姿を現す。……羽化、だ。


「運動をしたことにより負担がかかり羽化が早まった……のか!? 本来の羽化予定日は半年も先だ……どうして……」


 彼は狼狽していた。髪をぐしゃりと掴み、かき回す。明らかに不機嫌だった。


 僕は羽化する彼女をただ見つめていた。彼女のこの体は、蛹でしかなかったのだ。その綺麗な羽が、オレンジ色の光に照らされて透けていた。中から、彼女が出てくる。それは女神のようであった。まだ人の姿を保つ彼女は……美しかった。


「……」


 僕も彼も、彼女の姿に言葉を失った。そして思うのだ。蝶とは、なんて綺麗なのだろうと。


 

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