Ⅲ.夢見のまじない(5)

 月明かりの下で、いつの間にかアントーニと向かい合っていた。建物裏の木が生い茂っている場所で、いかにも人の目を避けている、といった感じだ。どことなく見覚えのある場所だが、ジェラルドはどこだか思い出せないでいる。

 目の前のアントーニはわずかに眉を寄せ、切ないような苦しいような表情をしていた。常には見せない表情なだけに、どうしたのかと問うとする。

 しかし、口が開かない。


「あなたは、やはりその方の元へ嫁がれるのですね」


 アントーニの声には、哀しみがにじみ出ていた。


「いえ、何も仰らないでください。初めから分かっていたことですから」


 そう言って口元に笑みを浮かべたアントーニは、諦めているようだった。


「しかし、今だけは、あなたに触れることをお許しください」


 手首を掴まれ強く引かれたかと思うと、アントーニの腕の中にいた。抱き込まれているはずなのに、体温を感じることはなかった。

 不意に、ジェラルドは先日、城のホールで彼に抱き込まれたことを思い出した。その時に比べると、今の自分の顔の位置が低い所にあると分かる。常より下から見上げるアントーニの顔は、今の彼のものより若く、口元や目元に刻まれたはずの皺も無い。

 これはいったい、いつの出来事なのだろうか。

 ジェラルドの頭に疑問が沸き起こった瞬間に、アントーニの手が左頬に添えられた。ジェラルドはぎょっとしたが、アントーニは相手がジェラルドとは思っていないので、動きを止めてはくれない。

 顔と顔の距離が、徐々に近づいていく。と同時に、「ジェラルド、ジェラルド」と焦ったように呼ぶチェーザレの声が聞こえた。

 アントーニの顔が歪み、一気に覚醒する。目を開くと、幾分かは見慣れた天井と、必死の形相のチェーザレが見えた。


「大丈夫か? 急にうめき声を出すもんだから、まずいことでも起きているかと思ったんだが」


 現実の世界では、ちゃんと声が出せていたらしい。


「正直、助かったよ。アントーニの新たな一面は、できれば見たくないからな」


 ほっと息を吐いて、起き上がる。ジェラルドは、寝台の上にいた。周囲には、少女から買い上げた証拠品が散乱している。チェーザレと調べている内に、いつの間にか眠ってしまっていたようだ。

 2人がいるのは、チェーザレの屋敷にある彼の私室だった。彼曰く、宝物置き場を兼ねた副寝室だという。宝物のすべてを見たことはないが、エレナの件の後に水色のリボンの在り処は教えてもらった。

 子供の頃は『作戦会議室』と称していて、勉強から首を突っ込んだ事件の相談まで、何でもこの部屋でやってきた。朝から晩まで、夜が明けるまで。そのうち、ジェラルドのための寝台が用意され、今も置いたままとなっている。

 入れる人間も限られていて、本人とばあやとジェラルドだけらしい。


「おまえも口説かれただろう?」


 心配になって起こした割に、人をからかうように笑う。


「口説かれた、というよりは、別れ話に近かった気がするが」


「同時に寝ても、違う夢を見るのか。俺は今日も変わらず、熱烈に口説かれたんだがな」


「同時に、というと?」


「こいつらに囲まれると、いつの間にか眠ってしまうんだ」


 こいつら、と言いながら、チェーザレは証拠品を見回した。


「おそらく、まじないの効果だろうな」


「では、城に持ち込んだものには、まじないが掛かっていない、ということになるな。少なくとも、私が眠ることはなかった」


「なるほど。それは、一理あるな」


 チェーザレは、布袋に証拠品を入れだした。少女の証拠品の扱い方について苦言を呈していたが、結局は彼女と変わらない扱いをしているようだ。すべての証拠品を布袋の中にしまうと、廊下に出してしまった。少女よりも扱いが酷いかもしれない。


「調べてると眠ってしまうだろ? で、妙な夢を見て飛び起きる。目が冴えて眠れないからと調査を再開すると、また眠って妙な夢を見る。という具合に、繰り返しになるんだ。だから、飛び起きた時点で、廊下に出すことにした」


「職人が、この扱いを見たら泣くな」


 高度な技巧を施した物ばかりだ。雑な扱いをされれば、泣きはせずとも怒りはするだろう。

 廊下から戻ってきたチェーザレは、背中から自身用の寝台へと飛び込んだ。


「価値は認めているが、しかたないだろう? 意味の解らんまじないが掛けられてるんだぞ? 毎夜、こんな夢が見たいだなんて、あいつの愛人くらいのもんだろうが」


「そういうことなのだろう?」


 寝転がったままのチェーザレが、「ん?」とジェラルドの顔を見上げる。


「だから、まじないが掛けられた物の持ち主は、アントーニの愛人の1人なのだろう、と言っているんだ。正確には、『元』愛人、だろうな。彼女は、どこか別の人の元に嫁いだようだから。様子から察するに、あらかじめ決められていた嫁ぎ先だろうな」


 貴族間の婚姻では、よくあることだった。本人がまだ物心もついていないにも関わらず、既に親同士で決められていることも珍しくない。ジェラルドも、士官学校に入る頃には、既に親の間で話がまとめられていた。


「なるほどなー。しかし、彼女は今も心にアントーニを住まわせているわけだ。こんな夢を見てもなお、大事に持ち続けていたんだからな」


「そうだな。嫌であれば、遠ざけるか壊すだろうから」


 もっとも、遠ざけてあったがために盗みやすかった、という可能性もあるが。

 いずれにしても壊されてはいないので、嫌でないか、物の価値が分かる女性、ということだろう。


「まあ、良い男ではあるよな。俺達の友人は」


 チェーザレは起き上がると、2台の寝台の間に置かれたサイドテーブルを、ジェラルドの前まで移動させた。テーブルの上には、遊戯盤と駒が置かれている。


「目が冴えただろ? 眠くなるまで遊ばないか?」


「これで遊んでいたら、ますます眠れないのではないか?」


 苦言を呈しながらも、ジェラルドは遊戯盤へと体の向きを変えた。打つのは久々のことで、翌日の体の心配よりも楽しみの方が上回ったのだ。


「手加減はしないぞ?」


 ジェラルドは、目を細めた。

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