Ⅲ.夢見のまじない(4)
「どうした、ジェラルド?」
尋ねたのはチェーザレだが、グラートもジェラルドを見ている。
「いや。隣国のバルバストル卿が倒れた、と」
「青薔薇が?」
隣国の有力な貴族の1人であるバルバストル卿は、社交界では通称『青薔薇』と呼ばれている。宴の余興にと無理難題を言い、家人や知人を困らせる。そのため、作ることが困難な『青薔薇』と陰で呼ばれるようになったらしい。
「ああ。今のところ亡くなってはいないが、意識が戻らないと。医者に診せても、原因が分からないそうだ」
チェーザレの眉も、思案気に寄せられる。
「それは、下手をすると勢力図が変わる、ということだな」
バルバストル卿が『青薔薇』と揶揄されようと社交界から爪はじきにされないのは、彼の資産が巨大で無視できないからに他ならない。それが揺らげば、周囲の貴族の結びつきも変化する可能性がある。最悪、政権さえも揺るがしかねないのだ。
「青薔薇には、娘が3人。息子には恵まれなかったから、3人の婿を迎えている。どの家も、昔ながらの名家ばかりだ。卿が生きている内は3脚を保つだろうが、いなくなった途端に均衡が崩れるだろうな」
グラートの言葉に、2人は頷いた。
「俺宛にも、同じことが書いてあった。こうして送ってくるくらいだ。エルネストとアントーニが、それとなく調べ続けているだろうさ。今は、こちらでやれることをやろう」
そう言うと、グラートはチェーザレに向けて手を差し出した。
「今日も、証拠品とやらを持っているんだろ? 見せてみろ」
「ああ、はい。ちょっと待ってください」
チェーザレは上着を漁ると、三つの証拠品を取り出した。小振りの置時計はグラートの手に乗せて、赤い石のイヤリングと丸い球に棒を刺したものを机に置いた。
ジェラルドは、見慣れないものに首を傾げる。
「これは、なんだ?」
「『カンザシ』という、東洋の髪飾りだな。丸い玉は、『トンボダマ』というらしい。俺の親戚に、東の物が好きな奴がいてな。刺し方も知ってるぞ。やってやろうか」
チェーザレはかんざしを片手に立ち上がると、ジェラルドの背後に回った。後ろで一つに結んでいた髪をほどき、軽く手で梳いた後にまとめ上げていく。
「ほい、できた」
そう声が掛かるまで、5分も掛からなかった。「器用なもんだ」と、グラートが感心したように零す。
チェーザレはジェラルドの隣りに戻ると、背を丸めてジェラルドを前から覗き込んだ。
「なかなかの美人だぞ、ジェラルド。感想は、どうだ?」
「これでは、どうなっているかが見えない。頭が引っ張られている感じがする。宴席などでは、女性はまとめ髪に重い髪飾りまで付けるのだから、さぞ大変だろうな」
「まあ、そうだろうな。ああ、取ってやるから、ちょっと待て。おまえがやると、折ってしまいそうだ」
チェーザレは失礼なことを言いながら、刺したかんざしをするりと抜いた。驚くほど簡単に、髪が下へと落ちる。ジェラルドが結び直そうとすると、「俺がやってやる」とチェーザレが再び背後に回った。
髪のことは任せて、ジェラルドは机の上に置かれたかんざしに手を伸ばす。
「棒1本だけで、髪がまとまるとは」
指の先でくるくると回すが、あることに気が付いて動きを止めた。
「紋のようなものが刻まれているようですが」
「どれ。見せてみろ」
グラートは時計を机の上に置くと、ジェラルドに向かって手を差し出した。ジェラルドは、素直にかんざしを手渡す。グラートはとんぼ玉を、眉間に皺を寄せながら見つめた。
「確かに、紋だ。だが、うちの国のものではないな。記憶が正しければ、フルリールのドバルデュー家の家長が使用する紋だ」
「フルリールの?」
「ああ。この時計も、台座の裏に紋がある。これは、フルリールのブラントーム家の家長のものだ」
グラートが、時計をひっくり返す。確かに、花を象った絵が小さく描かれていた。
「なるほど。この国の紋の多くは記号という印象ですが、これらは絵のようでもありますね。しかし、フルリールですか」
少女の姉は、わざわざフルリールの貴族の物を盗んだことになる。
「なぜ、フルリールである必要があったのでしょうか? 単に金目の物を盗むだけであれば、この国でも良かったはずですが」
「現時点で分かっていることは?」
「細工の技巧が見事だということ。これは、貴族の持ち物だと知れば納得がいきます。ある証拠品には、中に紙が仕込まれていました。しかし、白紙に近く、読み取ることはできませんでした。あとは、チェーザレが妙な夢を見るようになったことくらいで」
「妙な夢?」
ジェラルドの隣りに再び戻ってきたチェーザレが、顔をしかめて頷いた。人の髪で何をしていたのか、と手触りで確認する。編み込んであるようだ。
「アントーニに口説かれる夢、です」
「ああ。ホールのあれは、そういうことだったのか」
グラートの耳にも、しっかり届いていたらしい。
「あの女好きが、わざわざおまえなんかに懸想するのはおかしい、と思っていたんだ。で、すっかりへそを曲げたおまえは、朝から幼馴染にべったりってわけか。母親に助けを求めるガキか、おまえは」
「ガキで結構。寝不足でまいってるんですから、しかたないでしょう」
口を尖らせたチェーザレが、そっぽを向く。確かに、幼い子供のようだ。
「まじない、なのだそうです。チェーザレ本人にではなく、証拠品のどれかに掛けられているようで。明日、ミケーレ大司教の元をお伺いしようかと」
「なるほど。彼なら詳しいだろうな。結果次第では、なぜフルリールである必要があったのか、が分かるかもしれんぞ」
「アントーニの夢で、ですかー?」
ひじ掛けにもたれたチェーザレが、グラートの顔を見ないまま言う。ますます、すねた幼い子供に見える。相手がグラートだからこそ見せる、甘えた態度だろう。エルネストであれば、こうはいかない。
ジェラルドには、グラートが言わんとしていることが、なんとなく分かった気がした。
「アントーニの夢だから、問題なのですね。なぜなら、フルリールからの盗品であるから」
「そういうことだ。明日でなくても構わないが、1度まじないが掛けられた証拠品を持ってこい。どこの紋か判別してやる」
さすがに、エルネストの片翼だ。心強く感じるし、実際に物事をよく知っている。
ジェラルドは、頭を下げた。
「わかりました。よろしくお願いします」
「ああ。では、そろそろ鍛錬の時間だから、俺は失礼するとしよう。そういえば、チェーザレ。おまえの悪ふざけは、周知のことだからな。おまえたちの関係など、今更噂になりようがないとだけ忠告しておくぞ」
扉が閉められた途端に、ジェラルドとチェーザレは互いにしかめ面をした。
「結局は、アントーニに怒られるしかないのか」
「私は、何のために辱めを受けたんだ」
執務室に、2人の重いため息が落ちた。
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