Ⅲ.夢見のまじない(3)
「昨夜は、いかがでしたか?」
アントーニが、駒を動かす仕草をする。エルネストは、苦笑した。
「結果としては、5回のうち4回勝たせていただきました。ですが、いずれも辛勝といったところでしたよ」
それでも、王からは賛辞の言葉をいただいたし、ジャンルカも目を輝かせながら試合運びを見守っていた。
そう話すと、アントーニは笑顔で頷いた。
「それは、何よりですね」
「そちらは、どうでしたか?」
「こちらも、土産話を喜んでいただけましたよ。副官の2人組は、気疲れしてしまったようですが」
アントーニは、肩をすくめた。
ジャンルカも副官の2人組も、いまだに起きだしてこない。仕方がないので、ジャンルカの部屋の護衛には、他に連れてきていた近衛隊の隊員に任せている。
「やれやれ。国に戻ったら、心身共に鍛え直さねばなりませんね」
「こればかりは、慣れもありますがね」
仕込み杖の柄の部分を軽く叩くエルネストに、アントーニは笑った。
窓からは、朝日が柔らかく差し込んでいる。階下に厨房があるのか、食欲をそそる匂いも届いている。城の2階は自由に歩き回っても良いと許可が出ているため、2人は揃って早朝散歩を楽しんでいた。
「本国であれば、そろそろミサの時間ですが。どうしますか?」
エルネストが尋ねると、アントーニは器用に左肩だけを上げた。
「参加すれば、それなりに人が集まっているでしょうが。会話には、不向きな場所ですからね」
べつに2人で会話を弾ませよう、というわけではない。情報収集をするには不向きだ、という意味合いだ。
ところが、言葉通りに受け取った人間もいるらしい。
「お話されるのであれば、こちらに休憩所がありますよ。ご案内しましょうか?」
見ると、恰幅の良い男が、にこやかにこちらを見ていた。
エルネストが花の大祭に参加するのは、久々のことだ。知った顔かとアントーニを見上げるが、彼も知らないようだ。わずかに、眉を寄せている。
エルネストは、素直に尋ねてみることにした。
「あの。失礼ですが、どちら様でしょうか?」
「おお。これは、申し訳ございません。セザール・バイヤールと申します」
「ああ。今回の花の大祭を取り仕切っていらっしゃる」
「ええ。その通りでございます」
セザールは、にこやかな顔のまま、両手を擦り合わせている。
エルネストは再度、横目でアントーニを見たが、反応が薄い。知らぬ名のようだ。
「では、セザール様。さっそくですが、休憩所にご案内していただけますでしょうか?」
「ええ。ええ。もちろんでございます。こちらへ、どうぞ」
左右に体を揺らしながら歩くセザールの後ろを、2人並んで付いていく。隣りに並んだアントーニが、ちらりとエルネストを見下ろす。互いに、笑みを浮かべた。
「セザール殿。今回の花の大祭は、どういった趣向で催されるのでしょうか?」
アントーニが尋ねると、セザールは、ははっと短く笑った。
「それは開始してからのお楽しみ、というものでございますよ。ですが、例年に比べても、見劣りされることはないでしょう。毎年いらしていただいているアントーニ様も、ご満足していただけるかと」
「私のことを、ご存知でしたか」
「ええ。もちろんでございます。昨年は、私も末席に加えさせていただきましてね。参加者様のお顔とお名前は、すべて記憶しておりますよ」
「それは、素晴らしいですね。参加者の誰もが華々しい方達ばかりなので、私も久し振りにお会いできることが楽しみなんですよ」
アントーニが、セザールとの会話を弾ませていく。その横でエルネストは、セザールという男の分析を行っていた。
それなりに経験がある外交官のアントーニでさえも、名前と顔を知らない。彼は、列席者の顔と名前を覚える必要があった。昨年は末席だったが、今年は責任者を任されるほどの大出世だ。どこかの諸侯に取り入り、商売を大成功させた成り上がり、といったところだろうか。
休憩所に付いても、会話が続いていく。アントーニの話術の巧みさもあるが、セザールの話好きも負けてはいない。
「私は多くの国を訪問しておりますが、中でもラモのカルロス王太子とは親密にやり取りをさせていただいておりましてね。ここ数年の中でも、昨年の花の大祭は特に素晴らしかったと仰っていたんですよ」
「そうですか、そうですか。昨年は、バルバストル卿が指揮を取られていらっしゃいましたね。彼は既に数度、花の大祭の指揮を取られておいでです。今年も、ご助言をいただけると心強かったのですが」
セザールは眉尻を下げると、首を左右に振った。
「バルバストル卿が、どうかされたのですか?」
「いえね。ここだけの話なのですが」
セザールは周囲に誰もいないことを確認しても、なお2人に顔を寄せた。
「つい先日、お倒れになったのですよ」
エルネストとアントーニは目を丸くすると、顔を見合わせた。
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