Ⅰ.花の大祭の一方で(3)

 それ以降も、ロレンツォが正妃に失礼な発言をしただの、花瓶を割りそうになっただのと、失敗談が延々と書き連ねてあった。ジェラルドは額を押さえて、盛大にため息を吐く。


「まだ早かったか」


「いや。早いうちから、場数は踏んでおいた方が良い。俺達だって、初外交の年齢はそう変わらなかっただろ?」


 まともに思える返答をしつつも、チェーザレは肩を震わせている。「そうだが」と言いつつ、ジェラルドはチェーザレを恨みがましい目で見た。ロレンツォのこともあるが、それ以上に初外交での彼の行動を思い出したからだ。


「君は、すぐにどこかに行こうとするし、話に飽きればいたずらを仕掛けようとするしで、止めるこちらは緊張どころではなかったな」


「だって、あいつらの会話、つまらなかっただろう? 今でも、つまらないがな」


 チェーザレは鼻を鳴らして、肩をすくめる。悪びれる様子は一切ない。おかげで、彼の言う『崇高なるじじいども』からの心象は、出会ってから今まで、ずっと悪かった。


「つまらないなりに、うまく情報を引き出すのも腕の内だ」


 眉間をほぐしながら、再度ため息を吐く。ジェラルドだって、別に彼等の話がおもしろいと思ったことはない。

 対してチェーザレは、分かっていないとばかりに、チッチッと舌打ちをした。


「そういうのは、外交官の仕事だろ? 俺の今の仕事は、おまえを守ること。で、今、おまえを悩ませているものは何だ?」


 肩を掴まれ、体の向きを変えられる。急に距離を縮められ、目を覗き込まれたジェラルドは息を呑んだ。黄昏色の瞳が、目を逸らすことを許してくれない。


「言ってくれよ。俺だけは、未来永劫、おまえの味方だ」


「それは、もう、知っている」


 一度は疑った辛さを思い出し、瞳が小刻みに揺れる。ジェラルドは短く息を吐くと、「視線を感じるんだ」と切り出した。


「初めて気付いたのは、ベネデッドが刑に処されて1週間ほど経った頃だ。廊下や礼拝堂、食堂などに1人でいると不意に現れる。姿を隠そうとはしないが、こちらが振り向くと去っていく」


「つきまとい、か。相手は、分かるか?」


「名前は分からない。たしか、警備隊に所属していたような気がする、という程度だ」


「警備隊ねえ」


 チェーザレは腕を組んで、目を伏せた。眉間には、皺が寄っている。


「捜索隊の時に一時的に組みはしたが、あんまり知らないんだよな」


「警備隊は、城外に出ていることが多いからな」


 ジェラルドは立場上、行事の前に、警備隊の上層部と警備について話し合うことがある。そうでなければ、ベネデッド以外の顔さえ知らなかったかもしれない。逆に言うと、視線の主は、顔を知っている程度にはベネデッドに近かった人物、ということになる。


「警備隊から恨まれるのは、しかたがないと思っている。ただ1人の娘のために、隊長が島流しにされたんだ。100を取って1を切り捨てるのは、なにも警備隊だけではない。甘いと言われる私でも、立場上、必要があればそうする。ベネデッドを恨む資格など、私には無いというのに」


「なにを勘違いしてるんだ?」


 俯きかけるジェラルドの額を、チェーザレの指が弾いた。


「あいつが島に流されたのは、二つの罪を犯したからだ。一つは、宰相の妻を拉致監禁したこと。一つは、宰相の屋敷と家財の一部を身勝手な理由で焼いたこと。宰相は唯一、国王自らが指名される役職だ。宰相を特段の理由もなく攻撃することは、国王のご意思に逆らうこととみなされる。だから、重罪として処された。エレナ嬢については、宰相の娘という立場だが、それ以上に盗賊の頭を捕らえたことの方が評価されている。警備隊がおまえを恨むなど、それこそ筋違いだ」


 額を擦るジェラルドの左頬に、チェーザレの手が添えられる。


「立場上、恨む資格が無いと言うがな。それ以前に、エレナ嬢の親だろ? おまえは。親が子供を奪われたら、たいていの生き物が怒り狂うものだろうが」


 添えていた手が、頬をつねった。


「解ったら、気晴らしに外へ出るぞ」


「気晴らし、とは?」


「気晴らしが嫌なら、視察に行くぞ。市井を見ることも大事だからな」


「確かに、そうだが」


「ほら。ぐだぐだ言わずに、立て」


 腕を引かれ無理やり立たされたジェラルドは、そのまま引きずられるようにして部屋の外へ出た。チェーザレが、「ニーノ。馬車の用意を」と呼ばわると、すぐに「既に、できていますよ」という返事が聞こえた。

 見れば、赤い巻き毛の男が、執務室の扉の脇に控えている。


「馬車の中に、お着替えも用意してあります」


「ごくろう。行くぞ、ジェラルド」


 短い言葉で部下を労ったチェーザレは、ジェラルドを引っ張ったまま階段を下りていく。馬車は、城の目の前で待たされていた。ジェラルドは思わず御者台を見たが、さすがに近衛隊の誰かではないと分かると、ほっと安堵の息を吐いた。

 2人が乗り込むと、馬車はすぐに走りだした。


「最初から、街に出るつもりだったのか?」


「視線のことは、俺も多少は気になっていたからな。少しでも外に出た方が、心が休まるかと思って。それに、東の街道も見ておきたいだろう? そのうち、議題に上がるだろうし」


「そこまで考えていたのか……」


「見直したか?」


 チェーザレが、八重歯を覗かせながら笑う。


「少し」


「ほんっとーに、少しだけか? まあ、いい。とりあえず、着替えよう。上等な生地を着ていると目立つからな」


 チェーザレに着替えを渡されたので、ジェラルドは素直に着替えだした。渡された服はわざと毛玉が作られていて、縫い目もほつれている箇所がある。それだけで、南の堤防を越えた辺りまで行くつもりだと察せられた。

 城から遠ければ遠いほど、住人の身分が下がっていく。城の近くは、貴族の屋敷と教会が立ち並んでいる。東側は、別荘地。現在ジェラルドが住む西側は森林が多く、静かに暮らしたいと望む人間の家が、ぽつりぽつりとある程度だ。中央区を城から徐々に離れていくと、貴族の住宅地、商業地や平民の住宅地、花街へと姿を変えていく。

 南の堤防は、商業地を横切る形で造られていた。堤防よりも北側の商業地は貴族達の利用も多く、『黄色い蝶』も北側にある。堤防より南を利用する貴族はあまりいないため、登城するような服で行けば目立つのだ。

 既に着替え終わったチェーザレは、いつもの上着から今来ている上着へと、小物を移している。今、身にまとっている上着も、特別に仕立ててあるようだ。


「いつも疑問に思っていた。君の上着は、どうなっているんだ?」


「んー? ポケットいっぱい。引っ掛けるための紐やらリボンもいっぱい。といったところかな。ああ、触るなよ。馬車の中で死にたくはない」


「失礼な男だな」


 ジェラルドは顔をしかめると、椅子に座り直した。窓の外を見ながら、襟を正す。

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