Ⅲ.薄茶色の便箋(2)
「一つ、おまえがいるから。二つ、今宵も俺がお供するから。三つ、陛下がおいでだから」
上がる指を見て、ふと疑問が沸き起こる。
「もしかして、今回の幽霊騒ぎと私たちには、なにか共通項があるということか?」
「おそらく、な。だが、まだ確信が持てない。だから、陛下にもご助力いただきたい」
「家に幽霊が出ても、家主は見たことがないそうだな。左足に何かがあるということだが、チェーザレも詳しく教えてくれぬ。今宵は、それを私自ら確認せよ、ということらしい」
ジャンルカは、どこか寂しそうに笑った。彼に確認させるということは、王族の誰かの霊ということだろうか。少女の靴やら服やらを持っていくのだから、ある程度の年齢と性別はうかがい知ることができる。たしか、彼の姉が10歳前後で亡くなっていたはずだ。
「一晩、世話になるぞ」
「かしこまりました。ですが、どうか危ないまねは、なさいませんよう」
「うむ、分かっておる。ああ、もう城に着くぞ」
程なくして、馬車は正門をくぐった。手入れの行き届いた樹木や噴水の横を通り抜け、正面入り口に横づけされる。お忍びの割に、堂々としたものだ。
悪だくみをしたのは、2人だけではなかったらしい。馬車を降りると、アントーニやベネデッド、それぞれの部下や先輩に至るまで、多くの見知った顔が出迎えるために待っていてくれた。
「復帰おめでとう。ジェラルド」
「ありがとう、アントーニ。しばらくの間、手伝いを頼む」
「ああ、任せておけ」
右手を差し出すアントーニと、硬く握手を交わした。
「皆、大儀である。療養を終えたばかりで大声を出せないジェラルドに代わり、私が礼を言おう。ありがとう。この日のこと、けして忘れはすまい」
ジャンルカの言葉の後に続いて、深く頭を下げる。久しぶりに梳いた黒髪が、肩から流れ落ちた。四方から拍手が沸き起こる。頭を起こして見回すと、誰もが笑顔だった。自分が勤めていた城は、こんなにも温かい場所だったのかと思い知らされる。
「宰相ジェラルド殿のご健康と、ジャンルカ陛下の長き御代を願い。敬礼っ」
門の外まで届きそうなほど声を張り上げたベネデッドの号令で、集まった人々は左右に分かれ、一斉に右手を心臓の位置に当てた。警備隊や近衛隊の兵士たちは拳を造り、他の者達は手を開いたままという慣わし通りのものだ。
背筋を伸ばした警備隊隊長は、先日の酔っ払いとはまるで違う。部下たちにおもしろいからと飲みに連れ回されるのも理解できた。
「では、陛下。参りましょう」
チェーザレの言葉で、ジャンルカがゆっくりと歩きだす。彼の後を、近衛の隊長と横並びで従った。
「やはり、左に宰相殿がいると違うな。隣りに誰もいないと、なにやら肩透かしをくらったような妙な気分になる」
人々の列を抜け、階段を上りきると、稲穂頭は小さく呟いた。
「そんなものか?」
「ああ、そんなもんだ。おまえとは幼い頃からずっと一緒だったから、余計かもな」
顔を見合わせて笑っていると、ジャンルカが振り向いた。彼の左側には、執務室の扉がある。
「両翼の内、一方でも失われれば鳥は飛べぬもの。2人共、これからも私を支えてくれ。落ちることのないようにな」
「はい、陛下」
「もちろんですよ」
下で、ベネデッドたちがやっていたように敬礼する。
「では、陛下。そろそろ政務のお時間ですよ。俺は一旦、失礼させていただきます。たまには部下を揉んでやらないといけませんから」
軽く頭を下げたチェーザレは、踵を返し、歩いていってしまう。一緒にいる時は、歩調を合わせてくれているのだろう。靴音を響かせて1人歩く時の彼は大股で、速い。背筋を伸ばし、細身の剣をさげた後ろ姿は、武人そのものだった。
「黙っていれば様になるものを」
「そう言うな、ジェラルド。私の傍にいるのに、あの性格は適していると思う。ジェラルドのような者が、2人も並んでいてみよ。息が詰まるわ」
ジャンルカの後ろに、今の自分と剣を持った自分が立つ姿を想像してみる。悪くはないと思うが、華やかさには欠けるかもしれない。柔軟に対応する能力も無さそうだ。チェーザレには面倒をかけられるのと同等に、助けられる面も多い。
「確かに。あいつがいないと、肩透かしをくらったような気分になるかもしれません」
「だからこその両翼であろうな」
笑って扉を開いたジャンルカは、執務机の前に置かれた長椅子に座る。既に話し合うことは決まっているのか、一枚板でできた低い机には資料と思われる紙が数枚乗っていた。
「ま、座れ。まずは、その優秀な頭脳に、現状を叩きこんでもらわねばならん」
「はい。失礼します」
向かい側に座ると、さっそく1枚の紙を示された。
「これは、来る時に話していた南の堤防の件だ。今日の夕方に決議されるはずだから、直接おまえが関わることはないと思うが。一応は、目を通しておくといい。特に機密事項が書いてあるわけではないから、持ち帰って家で読んでくれて構わんぞ」
「ありがとうございます」
折りたたむと、ポケットにしまった。
「次に、フルリールの花の大祭の件」
「ああ。もう、そのような時期ですか」
「うむ。1年が経つのも、あっという間だな」
ジャンルカが次に示したものは、隣国フルリールから届いた花の大祭への招待状だった。上質な紙は、薄い桃色をしている。隣国の王は趣向にこだわる人物で、毎年素晴らしい大祭が催される。今年は招待状の色から、赤系の花が主役だと察せられる。彼は本番前から、客を楽しませようと工夫しているのだ。
「1カ月後ですね。陛下のご予定に加えておきましょう」
「共は、どうするのだ? 今年も、おまえは来ないのか?」
子供のように頬を膨らませる。あからさまに不満を態度に示す彼に、笑みが零れる。先代が崩御する前は、まだ太子だったジャンルカと共に大祭を楽しんだものだった。
「ええ。留守をお預かりするという大事な役目がありますからね。今年はチェーザレだけでなく、ロレンツォもご一緒させていただこうかと考えておりました」
「ロレンツォ……ああ。ブロッジーニ家の次男のことだな」
「はい。彼は若いですが、とても優秀ですよ。将来、私の後継となるかもしれません。今の内から、経験を積ませておきたいのです」
「おまえが買うほどの人材だ。祭りを楽しみにしておこう。しかし、ロレンツォといえば、性質としてはチェーザレに似ていると思うがな」
ロレンツォの顔を思い浮かべる。栗色より少し暗めの髪をした色男で、機転が利く。彼を副官としておくことで迷惑だと感じたことはないが。
「そうでしょうか」
「ああ。逆に、チェーザレの腹心であるルッジェーロは、おまえに似たところがあると思う。おもしろいものだな」
ちっとも、おもしろくない。どこか気恥ずかしい部分を突かれたようで、複雑な気分だ。
「しかし、そうなると逆でなくて良かった」
「何が、でしょうか?」
「さっきも言ったであろう。ジェラルドのような者が2人揃えば、息が詰まる。ジェラルドとルッジェーロと3人で花の大祭など、考えただけで」
己を抱き、震えるまねをする。少し前のかわいらしい態度は、どこへ行ってしまったのだろう。
憮然とした矢先、話題の2人が戸を叩く音の後に現れた。
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